夢なんて見るんじゃなかった(前編)
長くなったので前後編にしました。
「旦那様はこのままでいいと仰ったの?」
マリアンナの不機嫌そうな声音に下男は意外そうな顔をした。
無口・無表情・無愛想な彼女にしては珍しく感情がでている。
「なんだ、えらくあのお嬢ちゃんを心配するな。泣き喚いたり暴れたりしなくていいじゃねえか、もしかして絆されたのか?」
「まさか。あの子に何かあれば、あたしが差しだされるのよ」
「ああ、それでか。旦那様に何の恩があるかは知らねえが、逃げちまえばいいのに」
マリアンナは無表情のまま、無責任な下男を睨みつけた。それが出来れば苦労はしない。
ドミニクからの連絡は以上だと、下男は肩をすくめて持ち場に戻った。
マリアンナは地下室に監禁されたエリゼーヌがこの二日間でずいぶんと衰弱してしまって焦った。
食欲がないと食事をとらずに毛布に包まってひたすら眠ってばかりで、最初は風邪でもひいたのかと思った。額に手をあてて熱を測れば、ひんやりと冷たくて驚いた。温石を用意したり、温かいスープを匙で飲ませたりと世話を焼いても一向に改善されない。
明日の早朝の出港なのに、こんな弱った子供が隣国までの船旅に耐えられるのか不安だった。
もしや、拘束具の影響ではないかとドミニクに進言し、一時的にでも外す許可を求めたのに却下されてしまった。
拘束具を嵌めるのは伯爵様の指示だと言うが、少女の弱りようは尋常ではない。自傷しないように面倒をみろと言ったくせに、ドミニクは弱気になっているだけだと取りあわないのだ。
エリゼーヌに何かあればマリアンナが身代わりにされるのだ。少女の健康管理には殊更気を使っていたのに。
きっと、ドミニクはもしもの場合には当初の予定通りマリアンナを差しだすつもりなのだろう。
「ああ、もう冗談じゃないわ。今夜、姉さんが逃げだしさえすれば、上手くいくはずだったのに・・・」
苦々しげに呟いたマリアンナはエリゼーヌのペンダントを手にしてため息をついた。
マリアンナは姉と二人でゴロツキどもに襲われたところをドミニクに助けられた。
ドミニクは王都に働きにでたばかりという二人を紹介状もないのに雇ってくれた。
カスタニエは老舗で貴族も利用している。さすが大店のご隠居と感謝したが、ドミニクは親切心や善意で助けてくれたのではなかった。
ドミニクは引退後は息子に後を委ねて気楽な隠居生活をしていたのに、息子には全く商才がなかった。わずか数年で店を傾けたのだ。
倒産しかけた商会を立て直すためにドミニクが選んだ手段は裏仕事に参入することだ。引退前から付き合いがある隣国の伯爵がヤバい商売に手を染めているのを知って距離を置いていたのに、自ら御用聞きに伺って悪事に足を踏み入れた。
表向きは息子に指示して任せ、裏仕事で赤字の補填だ。裏仕事の人手が足りなくて絶対に裏切らない人材を欲していた。
マリアンナたちは最初は悪事と知らずに仕事を任され、気づいた時には姉には妹を、妹には姉を、と互いを人質にとられた状態で脱けだせなくなった。
マリアンナが貢物にされるのを承諾したのは姉のためだ。だが、マリアンナには崇高な自己犠牲精神はない。
姉とひそかに連絡をとり、マリアンナの出国と同時に逃げだすのを勧めた。船旅の間はドミニクに連絡のとりようがないのだから、後はマリアンナが隣国に着き次第逃げだせばいい。海に落ちたフリをして逃げようと密かに準備は用意済みだ。
ドミニクを欺くために感情を全て押し殺して、姉を人質にとられて仕方がないと諦めているふうを装っていた。
だが、ドミニクが下町の子供に声をかけたと思ったら、地味な色だけで上等なドレスを着た子供、貴族令嬢だった。マリアンナは身代わりにならずに済んだと喜ぶに喜べなかった。
貴族令嬢はよりにもよって、エリゼーヌ・シャルリエだったのだから。
なんで、下町を一人でフラフラしてるんだと怒鳴りつけてやりたかった。一体、どんな星の巡り合わせで、自分たちが落ちぶれた元凶が転がりこんできたのか、マリアンナーーアンヌは神を呪いたかった。
マリアンナの正体は過去編のアンヌでした。
後編に続きます。




