サインをしてもらいました
ルクレール親子、いろいろと暴走中。
ドロレは王都から馬車で三日ほどの距離だ。
ジェスターたちは緊急連絡で替え馬や宿の手配が迅速になされたため、半日ほど短縮できてまだ日の早いうちにドロレに到着した。
すでに連絡がついていて、ディオンが拠点にしようと借りた貸家に案内されると、エリゼーヌの父・シャルリエ子爵イヴォンが青い顔をして待ち構えていた。彼もドロレに出張していたのだ。
イヴォンはルクレール邸に魔術書を借りにきたこともあるから、初顔合わせを欠席していてもジェスターとは顔見知りだ。挨拶もなしで喘ぐように口を開いた。
「エリゼーヌがいなくなったというのは、本当なのか? マドレーヌが修道院に入れようとして嫌がって逃げだしたというのは・・・」
「本当のことです」
「ああ、なんて事だ・・・」
顔を覆ってしまったイヴォンを横目にルクレール親子は情報交換して最新情報を共有した。
ドロレにはカスタニエ商会の前商会長・ドミニクが確かに到着していた。支店には騎士団の見張りもついていてドミニクの行動は全て把握済みだが、エリゼーヌらしい人影は見当たらなかったと聞いてジェスターは落胆を隠せない。
「ドミニク個人の持ち家が街外れにもあるらしい。昨日の夜、ドミニクがそちらに出向いたという情報があってから、侯爵家の者をはりつかせたよ。
何か動きがあれば、すぐに文鳥を飛ばせるように指示した」
「父様、すぐに術を行使して探ってもいい?」
急かす息子をディオンは押しとどめた。旅の疲れがとれていないジェスターが試すよりもディオンが行った方が精度は高い。ジェスターはしぶしぶと父にブローチを手渡した。
カスタニエ商会の支店は術の範囲内にあったが、ディオンの術に反応はない。青くなる息子にディオンは問いかけた。
「ジェスター、範囲外にまで術を行使したことがあるね? ここに目には見えないヒビが入っている。もう一度、広範囲を探れば、ブローチは耐えられるかわからないよ」
「でも、エリィの手がかりが掴めるなら試す価値はある」
ディオンは息子の承諾を得て、今度は街中全体を含む広範囲に術を及ぼした。
ピシリと甲高い音がして、ブローチの表面に亀裂が走る。その代償はあったようで、ディオンの顔に安堵の笑みが浮かぶ。
「反応があった。この方角は・・・、街外れだ。ドミニクの持ち家か、すぐに見張りに連絡をしよう」
ほおっとジェスターも安心してソファーの背もたれに寄りかかる。
エリゼーヌが行方不明になってから初めて明確な手がかりが得られたのだ。
「ディオン、何がわかったんだい?」
嘆きから立ち直ったイヴォンが尋ねてきた。ジェスターの贈ったペンダントの効果を教えると顔に生気が蘇ってくる。
「エリゼーヌは無事なんだな? ああ、よかった・・・」
「よくはないだろう、イヴォン」
ディオンの冷たい声音にジェスターも顔をあげた。冷ややかな視線を友人に浴びせる父から凄まじい殺気を感じる。
「私は君に忠告していたはずだ。奥方とエリゼーヌは引き離した方がいい、と。
こうなった原因を放置して、何を言っている? 本当に娘の無事を願うなら、この際元凶を糺すんだな」
「そんな、マドレーヌは少々手厳しいが、娘の幸せを考えて」
「いい加減にしろ。現実から目を逸らすな。奥方が望んでいるのは自身の幸福だけだ。そのためなら、娘を犠牲にしても厭わない。
本当に、エリゼーヌの幸せを願うなら、破談になった相手との話を蒸し返しはしない。君の頭の中は腐った藁でもつまっているのか」
「ディオン! いくら、君でもあんまりだっ」
「子爵、エリィの髪を切る諍いが従兄弟との間であったと聞きましたが?」
二人の言い合いにジェスターが口を挟んだ。父に勝るとも劣らずの鋭い視線でイヴォンを射抜く。
「そ、それは、君には関係な」
「あります。僕はエリィを伴侶に望んでいる。練習相手や代理なんかじゃない」
「まさ」
か、と言いかけたイヴォンの後頭部をべしんと勢いよくディオンが叩いた。思わず前のめりになったイヴォンの背中に遠慮なく肘打ちをかます。
ぐえっと貴族らしからぬ叫びがイヴォンから放たれた。
「誰が、いつ、どこで、エリゼーヌは練習相手だと言った? クレージュ侯爵にはとっくに断られているんだ。
そんな馬鹿な話を信じるのは君ぐらいだぞ、イヴォン。
いやだなあ、君はエリゼーヌを義娘にしたいという私の話を聞いていなかったのかい?」
ははは、と爽やかな笑い声だが、目だけはマジのディオンが容赦なく友人の首に腕を回して絞めあげていた。もがくイヴォンの顔色がだんだんと悪くなる。
ジェスターは獲物をとられて面白くなさそうにため息をついた。
「父様、息の根を止めるのはまだ早いよ。エリィの親権が夫人に移ってしまう」
「ああ、ついうっかりと。手続きを終えてからでないと、だな。すまないな、イヴォン。婚姻誓約書にサインをしてから心置きなく逝ってくれ」
ゲホゲホと咳き込むイヴォンは締めあげから逃れたが、助かった気はしなかった。
ジェスターに付き添ってきた使用人たちは空気のように控えていたが、ここに来て見事な連携で目の前にあっという間に婚姻誓約書とペンの用意を整えられた。
さっさとサインしろや、ボケカス、と周りから目で訴えられて、針の筵である。
「ま、待ってくれ。エリゼーヌの婚約はあの子の意思を確認しろと、父に言われていて」
「大丈夫です。必ず幸せにしますから」
「そうそう、君より絶対確実完全に大事にするから。ファブリス様とは話がついているから安心していいよ。君は奥方と二人きりの世界に篭っていればいい。
ほら、みいんな、幸せだ。大団円だろう?」
イヴォンはルクレール親子の圧に怯えて周囲を見渡すが、味方は誰もいない。完全に孤立無縁だった。
ディオンは組んだ両手の上に頬杖をついて、にこりと微笑む。
「今回の拐かしの件が外部に漏れたら子爵家では庇いきれないだろう? でも、我が家ならエリゼーヌを守れる。
娘の幸せを本気で本心からほんっとうに願うならサインするべきだと思うだろう思うよね思わないといけないな、君はエリゼーヌの父親なんだから」
まるで洗脳するかのごとく、一気に畳みかけられてイヴォンの心が屈した。震える手でペンを手にとり、サインしかけたところではたと我に返る。
「ちょっと待ってくれ。婚姻ではなく、まずは婚約からだろう? 手順をちゃんと踏まえてくれ」
ちっ、と複数の舌打ちが聞こえて、イヴォンが周りに視線をやると、優秀な侯爵家の使用人はすまし顔だ。
ケヴィンとクロエは内心では『ちっ、気づいたか。後少しだったのに。このダメ父が』と吐き捨てていた。
「僕は婚姻で構いませんが?」
12歳の少年からトンデモ発言がでて、イヴォンは目を剥いた。
「エリゼーヌを嫁にだすのはいくらなんでも早すぎる。まだ、11歳だ!」
「籍を入れる用意をするだけです。式はエリィが成人してからですよ、ちゃんと手順は踏みます」
「そうだな、用意だけは事前に整えておかないと。だが、ジェスター、恋人同士を堪能してからの婚姻の方が女性は喜ぶ」
「そうなんですか、父様。では、まずは婚約で。もし、違えるようなら、すぐにエリィはルクレール家で確保します」
「うん、それでいいだろう」
「よくない! 勝手に決めないでくれ、エリゼーヌは我が家の跡取りだ」
「ケロール修道院に入れようとしたのに?」
「それはマドレーヌが!」
「エリゼーヌが逃げだしたのは父親が母親の言いなりでアテにならないからだ。君の我が子からの信頼度はゼロだな」
「そんな・・・」
友人に盛大なトドメを食らってイヴォンは撃沈した。
すっかり魂が抜けた放心状態で言われるがままに婚約誓約書にサインをしたのだった。
イヴォンは自業自得ですね。




