ドロレに着きました
現在の時間軸です。
ドロレに着いたのは・・・。
ガクンと頭が揺れて、エリゼーヌは目を覚ました。どうやら、気づかないうちにうつらうつらしていたようで、領地で祖父に甘やかされていた夢を見ていた。
髪を切った後は領地の祖父のもとでのびのびと暮らせた。王都に戻るのが億劫だったが、マドレーヌは祖父の脅しが利いたようで、しばらくは大人しかった。だから、ケロールに行かせると言い出したのは久々に感情の大爆発だった。
「お目覚めになりましたかな?」
カスタニエ商会の前商会長ドミニクが好々爺の笑みでエリゼーヌに話しかけてきた。
「急ぎの旅に付き合わせてしまい、申し訳ありません。お疲れになられたのでしょう。もうすぐ到着しますから、もう少しご辛抱を」
「いえ、送っていただいて、お世話になっているのはこちらですもの」
エリゼーヌはにこりと侯爵家仕込みの微笑みを浮かべた。
女神教の教会を目指していたエリゼーヌはこの曲がり角を通れば、教会が見えてくるというところでいきなり後ろにひっぱられた。思いきり尻もちをついて涙目になった少女の目の前をガラガラと荷馬車が爆走して行く。
薄桃色の髪に青の瞳の美少女が彼女をひっぱって轢かれそうになったのを助けてくれたのだ。
「ちょっと、危ないでしょ。よく前を見なさいよ。横断歩道もないとこは、右見て左見てもう一度右見てから渡るのよ!」
偉そうに腰に手をあてる美少女は『オウダンホドー』とか『右左がどうの』とか、不可思議な言葉を口にした。下町の子供の合言葉かとエリゼーヌが首を傾げる間に母親らしき女性に呼ばれてさっさと行ってしまった。
エリゼーヌは立ちあがろうとしたが、足首を捻挫して動けない。道行く人は急ぎ足で誰も座り込む少女など気にしないで通り過ぎて行くばかりだ。
途方に暮れて泣きそうになった少女の前に一台の馬車が止まり、助けてくれたのがカスタニエ商会の前商会長ドミニクだった。
ドミニクは倉庫に行く途中だったと、倉庫の事務所にエリゼーヌを連れて行って足の手当てをしてくれた。その足では一人で歩くのは無理だと心配してくれて、領地に行く前に教会に挨拶に行くつもりだったと言う少女の言い分を聞いて教会には使いをだし、領地まで送ってくれると申し出てくれたのだ。
「手当てをしていただいたのに、これ以上のご迷惑はかけられません」
「いえいえ、何もただの善意で言っているのではないですよ。実はシャルリエ領にはぜひとも一度行ってみたいと思っていたので、これは商談なのです」
遠慮するエリゼーヌにドミニクはシャルリエ領でごくわずかしか生産されていない育毛剤が欲しいのだと力説してきた。
シャルリエ領でのみ採れる薬草で作られた育毛剤はわずかでも頭髪が残っていれば、頭部全体も活性化して毛を生やしてくれるという神技に等しい育毛剤だった。昨年から密かに頭髪に悩む紳士たちの間で有名なのだが、ごく少量しか生産できないと滅多に手に入らない代物である。
「その名も『髪ふっさふさ』という実にわかりやすいネーミングで、禿げかけた者たちの間では垂涎の的なのです。この気持ちはお嬢様にはお分かりになれないかと思いますが・・・」
「い、いえ。そんなことは・・・」
握り拳に力を込めて渇望するドミニクにエリゼーヌは視線を泳がせた。
品のよい老紳士といったドミニクの頭頂部は確かに見事なハゲだ。ちょびっとだけ側頭部に残る毛がまさに風前の灯火だった。手遅れになる前にと、焦る気持ちはよくわかる。
『髪ふっさふさ』はよく知っていた。何しろ、命名者はエリゼーヌである。
シャルリエ領の民間療法で古くから使われていた育毛剤は祖父の愛用品だ。ファブリスの髪は白髪交じりだが、ふさふさとして禿げる心配は全くなかった。その育毛剤には髪を早く伸ばす効果もあり、ファブリスは孫娘のために使わせてくれた。おかげでエリゼーヌの髪の回復は早かった。
そこで、喜んだエリゼーヌが『すごいわ、おじい様。このお薬で髪ふっさふさね』とはしゃいで口走ったら、じじバカのファブリスが商品名につけてお得意様限定で売りだしたのだ。
「お嬢様にここで出会えたのはまさに髪の神が起こした奇跡!
ぜひとも、領地にお供させてください。一回分だけでも、髪ふっさふさを分けていただきたいのです!」
ーー髪の神様とはなんぞや?と、つい遠い目になったエリゼーヌだが、ドミニクの暑苦しい熱意に押し切られた。
子爵家に戻されるのは困るから、こちらも渡りに船だとドミニクの提案を受けることにした。ドミニクは急ぎの商用がドロレであるから少し遠回りになるが、ドロレに寄ってからシャルリエ領に送ってくれると約束してくれた。
カスタニエは老舗で名の通った商会で貴族も利用している。教会や子爵家の老執事宛にエリゼーヌ直筆の手紙を届けてもらい、少女は完全にドミニクを信用していた。
ドロレに到着すると、ドミニクはすぐに取引相手に連絡を入れねば、と別行動になった。
エリゼーヌはドミニク個人の所有するこぢんまりとした民家に案内された。旅の疲れを癒してくつろぐようにと、街中の喧騒から逃れるように街の外れにある小さな家だった。
エリゼーヌの面倒を見てくれるのは、旅の間も付き添ってくれた小間使いマリアンナだ。
黒髪で太い黒ぶち眼鏡をかけているマリアンナは無口で無愛想な少女である。黙々と足を捻挫して動けないエリゼーヌの世話をしてくれた。
マリアンナが淹れてくれたお茶でほっとしたエリゼーヌはすぐに眠気に襲われて目をこすった。馬車の中でうたた寝したのに、まだ眠いなんてーー、と思う間もなく、すぐに明るい灰色の瞳が閉じられる。
すうっと寝息をたて始めた少女を無表情に眺めて、マリアンナは下男を呼びだした。少女を地下室に移してもらうと、すぐにドミニクがやってきた。
ドミニクは眠る少女を目をすがめて冷静に検分する。旅の間にエリゼーヌに向けていた好々爺らしい親しみは欠けらもない。
「どうやら、薬がよく効いているようだな」
「はい、旦那様。朝まで目覚めないと思われます」
「騒がれるのは鬱陶しいからな。今のうちに例のモノをつけておけ」
ドミニクに顎で指示されて、マリアンナは主が持ち込んだ黒い輪を手にした。
左右からひっぱると、真ん中から割れて綺麗な半円になる。それを眠るエリゼーヌの首に嵌めて輪を閉じた。大人用なのか、少女には少し大きいようだが、首が締まる心配はない。
「伯爵様から返事があった。貴族令嬢ならば、好み通りでなくとも構わないとのことだ。この娘で手を打ってくださる。お前も身代わりにならなくてすむのだ。ヤケになって自傷などせぬように面倒をみてやれ」
「・・・かしこまりました、旦那様」
マリアンナが深々と頭を下げると、ドミニクは下男を伴って退出した。
何も知らないエリゼーヌは鉄格子で仕切られた部屋の奥のソファーに横たえられている。マリアンナはポケットから鍵をとりだして開けると、鉄格子の中に足を踏み込んだ。
無防備な少女を見下ろして、ぼそっと呟く。
「バカな子。親切ぶった狸ジジイの化けの皮も見抜けないなんて。貴族のくせに、使用人に甘い顔してるからよ」
エリゼーヌは貴族のくせに偉ぶったところはなく、捻挫のせいで使用人に抱き抱えられて運ばれるのにも申し訳なさそうだった。マリアンナにも面倒をみてもらってよくお礼を言っていた。
これまで、マリアンナが見てきた貴族とは大違いだ。ドミニクの小間使いとして貴族の客も接待してきたが、彼らは平民なんか同じ人間として見ていないようなヤツばかりだった。
マリアンナは少女の首元に手をやって鎖をぐいっとひっぱった。ひきちぎるようにガーネットのペンダントをひきだすと、手のひらにのせて眺めた。
世話をした初日に、エリゼーヌはこのペンダントを服の下にしまっていた。身を飾る装飾品なのだから、見えるように服の上にだそうとしたら断られた。
「これはお守りだから、いいの。同じ過ちを繰り返さないために身につけているの」
切なげにペンダントを手にした少女は大人びた表情をしていた。思わず、マリアンナは問いかけてしまった。
「過ちとは、お嬢様は何をなさったのですか?」
「・・・わたしが愚かだったから。大切な、絶対に、失いたくなかった縁だったのに・・・。ダメにしてしまったの」
ふふっと、エリゼーヌは寂しそうに微笑んだ。少女には似つかわしくない自嘲めいた笑みだ。マリアンナが内心で驚いていると、少女はぽつりとこぼした。
「わかっていたのに・・・。夢なんて見なければ、叶わなくても失望しなくてすむって」
虚空を見つめる瞳には光がなかった。独り言とわかっていたから、マリアンナは相槌をうたなかった。その後はすっかり無言になってしまった少女の世話を黙々とこなした。
マリアンナが必要最小限以外の会話を少女としたのは、これが最初で最後だった。
「・・・本当に、夢なんて見るモノじゃないわ。分不相応な夢なんか、破滅のもとよ」
マリアンナは自身に言い聞かせるように呟くと、ぎゅっとペンダントを握りしめた。
一部の主要人物が友情出演?です。
明日は番外編で、友情出演の彼女のお話。




