イラつくばかりで落ちつかない
ジェスターは寝台に魔術書の写しやメモを広げて目を通していたが、内容はさっぱり頭に入ってこなかった。
彼の脳裏に浮かぶのは涙を堪えたライトグレーの瞳が段々光を失って虚ろになっていく様子だった。今までお断りしてきた令嬢は泣くか怒るか叫ぶかで、不満があるならはっきりと表明していた。
ごく少数だが、親だけ乗り気で本人は気の進まない令嬢もいた。その彼女たちだって非礼にならないように、どうお断りしようかと悩んで言葉を選んできたものだ。
エリゼーヌの反応はどれにも当てはまらない。最後には完全に虚無感に支配されて、光の絶えた目でぼんやりとしていた。
「言いたいことがあるなら聞くけど?」
ジェスターが最後にそう声をかけても、エリゼーヌからは何も返答がなくてムカッとした。
本当にあの少女はこれまで相手にしてきた令嬢とは違って予想外の反応をするから、戸惑わされてばかりだ。ペンダントを彼女に押し付けて、これでもう関わりを絶ったと思ったのに、せいせいするどころか気になるばかりで一向に気分は晴れない。
「ああ、もう!」
ジェスターはぐしゃぐしゃに髪を掻き回した。自分でも驚くほどイライラして落ちつかない。
エリゼーヌがあまりにも顔色が悪かったから、使用人たちは皆心配して休んでいくように勧めたのだが、侍女も少女本人も大丈夫だとふりきって出発したらしい。
クロエから執拗に二人でいた僅かな間に何があったのか問い詰められたジェスターはあまりの煩わしさに部屋に引きこもった。
ケヴィンに誰も部屋に近づけるな、と厳命したが、彼ももの問いたげな表情をしていた。ジェスターは忠実な執事の言いたい事を察していたが、無視して自室にずっと籠城中だ。昼食も運んでもらってお茶も保温ポットで給仕もなしだ。
ケヴィンでさえも近づけさせなかったが、そろそろ午後のお茶の時間だ。また何か声がかかるだろうと思うと、憂鬱だった。
髪を結んでいたリボンが解けてばらりと黒髪が頰にかかる。鬱陶しいから、また切ってしまおうかと思うが、父に泣かれるのはごめんだった。ディオンはいい歳して本気で泣くのだ。
「はああ、もう邪魔なんだけどな」
ジェスターは結び直そうとリボンを手にして眉をしかめた。つい習慣になってうっかりしていたが、エリゼーヌお手製の刺繍のリボンだった。
彼女の瞳と同じライトグレーなのが煩わしい。いっその事、捨ててしまおうかと思うが、リボンに罪はない。
家名が黒糸で飾り刺繍してあるシンプルなデザインは彼の好みで気に入っていたのだ。
「・・・本当に馬鹿にしてるよ。僕は婚姻相手に望んだのに、練習相手とか代理とか。・・・サクラの品が無駄になったじゃないか」
ポツリと呟いたジェスターはリボンをそっと握りしめた。
エリゼーヌからペンダントを返した真意を聞いて、彼女の意思でないならよしとするつもりだった。エリゼーヌの見たがっていた桜の品をプレゼントしようと思ったのに。
でも、アルマンに頭を撫でられている彼女を見て、一瞬で頭が沸騰するかと思うくらい怒りが湧きあがった。
ーー僕の婚約者候補なのに‼︎
彼女がペンダントをいらないと言うなら、こちらから断るまでだ。
これまで、気の進まない令嬢たちは家格差を気にして自ら断るのに躊躇いがあったから、ジェスターは『僕から断るから安心して』と声をかけていた。家格が上の彼からのお断りなら、令嬢たちの評判には響かない。
エリゼーヌだって、一度はディオンの提案を受けて他の縁談を承知したのだ。断っても構わないだろう、いや、本当は気の進まない令嬢同様、ジェスターからのお断りを期待しているのではないか、と疑心暗鬼になった。
内心の荒れ狂う思いは隠して表面上は冷静に彼女と対応したが、沸騰した感情とは裏腹にジェスターの心は冷えきったままだった。
それなのに、ライトグレーの瞳一つでこんなに掻き乱されるとは、一年前の彼だったら想像もしなかっただろう。
「お茶はいらないって言ったよね?」
ジェスターはノックと同時に勢いよく部屋に入ってきた専属執事に思いっきり顔をしかめた。有能な彼にしては珍しく動作が慌ただしい。
「若様、お叱りは後で受けますので。まずは、私とご一緒においで下さい。
子爵家の馬車が戻ってきて、エリゼーヌ様を出せと侍女が騒いでいるのです」
「はっ? 何、それ」
「お嬢様がいなくなられて、侯爵家で匿っていると決めつけているようです」
「いなくなった・・・?」
ジェスターは訝しげに首を傾げた。
馬車の旅だ、迷子になったわけがない。もし、人攫いにあったと言うなら街の警備所に訴えるべきだ。侯爵家で匿うとかわけがわからない。第一、襲われたなら、馬車が無事だったのはおかしな話だ。
「どう言うこと?」
「馬車を停めている間にいなくなった、としか・・・。
今は叔父が相手をしていますが、本当にいなくなられたなら街の警備の者の手には余ります。侯爵家の手勢をだした方がよろしいかと」
「・・・とにかく、話を聞いてみないと」
ジェスターは不安が波のように押し寄せてくるのに素知らぬふりで寝台から立ちあがった。




