大丈夫ではなかったのです
見直ししてたら操作ミスで早めに投稿してしまいました。18時投稿予定のお話です。
「え、おじ様はお留守なの・・・」
思わず、エリゼーヌは狼狽えた。
案内された応接室にはすでにジェスターがいて、ディオンは長期出張の予定で留守だから、と告げられた。代わりに用件を伺うと言われても心臓が飛び跳ねそうだ。
ディオンにクレージュ侯爵令嬢との話を聞くつもりだったから、いきなりジェスターと向き合う心づもりなんて出来てはいなかった。
「ケヴィンが返事をだしてるのに聞いてないの?」
ジェスターの声は平坦でどこか熱を欠いていた。興味なさそうな視線をエリゼーヌに向けて付き添う侍女を胡散臭そうに見やる。顔合わせに付き添ってきた侍女とは別人だが、忠誠心のなさそうなやる気のない様子は共通するモノがあった。
前日の夕刻に届いた子爵家の先触れにケヴィンは返事をだしたが、子爵家では修道院に赴くフリの偽装工作をしながら領地へ向かう準備中だったので、老執事が返事に目を通す暇はなかった。諾の返答があったことでよしとされていた。
「あの、急に領地に行くことになって」
「そうなんです。急ぎの用なんです。ご挨拶させていただいたらすぐにお暇しますので、どうかお構いなく」
主を遮るように侍女が口出ししてきた。控えていた主の背後から身をのりだすようにして頭を下げる。
「申し訳ありませんが、雪溶けで旅路が悪路になっております。早く出発しないと、宿場町までたどり着けないかもしれないのです。侯爵様には日を改めましてご挨拶いたしますので、本日はこれで失礼させていただきます。さあ、お嬢様」
「ま、待って。まだ・・・」
「急ぐんですよ。侯爵様がお留守ならもういいでしょ」
侍女は無理矢理主を急かして立たせようとするが、エリゼーヌは首を振って嫌がっている。舌打ちした侍女が少女の腕を乱暴に掴んだところでケヴィンが止めに入った。
「おやめなさい。主になんて無礼な真似をするのですか」
「侯爵家と子爵家では作法が異なるのですよ。私は奥様にお嬢様の世話を言いつかっているのです。お早く出発させないと困ります。邪魔しないでください」
「ケヴィン、ノエルを呼んで。この侍女を下げさせて」
ジェスターが不快そうに顔をしかめた。その声が聞こえたのか、廊下に控えていたノエルがすぐに部屋に入ってきた。
「若様、お呼びで?」
「ノエル、侍女を連れて行って。ケヴィン、よおく言い聞かせてやってよ」
「「かしこまりました」」
二人の声が唱和して侍女は抵抗虚しく引きずられるようにして連れられて行った。
エリゼーヌはほっと息をついたが、すぐに硬直することになった。
「それで、父様に話って何? お断りの返事なの」
「え?」
冷ややかな声音に少女の顔が強張る。ジェスターは紅茶のカップに視線を固定させたまま、気のない様子だ。
「ペンダントを返して、父様に話があるってそういう事だよね。父様には伝えておくから。ああ、それとも新しい縁談をよろしくって挨拶したかったの?」
「ま、待って。違うの、そうじゃないの」
「何が違うの? 君、僕に会いに来たんじゃないよね、父様に話をしに来たんだ。そう受け取るしかないけど?」
エリゼーヌは口を開けたが、言葉は何も出てこない。いつもとは違うジェスターの様子に怯んだ隙に畳みかけるように決めつけられて、一瞬で頭の中は真っ白になってしまった。
「一つ忠告しておくけど、婚約者のいる男性と親しげに接するとか、淑女としては眉をひそめられるから。いくら、友人の婚約者で面識があると言っても、頭を撫でられて喜ぶとか、はしたない行為だ。新たな縁談に差し支えるよ」
「え、あ、あの・・・。そんなんじゃ・・・」
「慎みのない女性は嫌われるから。心得ておくんだね」
エリゼーヌは先ほどのアルマンに髪を直してもらった事だと気づいたが、まさかジェスターが見ていたとは思わなかった。身だしなみも整えられない令嬢と軽侮された上に母に貶められたのと同じ言葉を言われて、ずくりと胸に痛みが走った。目に見えない鋭いトゲが突き刺さったみたいだ。
目が潤んできたのを喘ぐように息をついてなんとかやり過ごす。
「あの、違うの。・・・そんなつもりはなかったの」
「へー、それじゃあ、どういうつもりだったの。君、僕の婚約者候補の自覚ある? ないよね。僕がはしたない女の子は嫌いなんだって知ってるのに」
ジェスターは鼻で笑うように言って紅茶を一気に飲み干した。そのまま、鳶色の瞳を窓の外へと向けてエリゼーヌの方は決して見ない。
「迷惑だったならはっきり言ってくれて構わないんだ。家格差は気にしなくていい。君とはこの婚姻に関する限りは対等な立場なんだし、父様にも言われてるよね、お互いの意思を尊重するって。君の意思表示はよくわかったから」
「違うの、わたしは返してない。お母様が勝手に」
エリゼーヌはぶんぶんと激しく首を横に振った。それ以上は泣いてしまいそうで、唇を強く噛みしめた。
「へえ、そうなんだ。そう言えば、子爵家では最初からこの話には乗り気じゃなかったよね。
でもさあ、今さらだよね。君にペンダントを渡したのって何ヶ月も前なのに。夫人が気付いたのが、最近なの? おかしいよね、それ」
ジェスターはペンダントをポケットから取りだして弄び始めた。
「いくら、社交界に出てこない夫人でもプレゼントした物を送り返すなんて失礼だってわかってるよね? そのくらいの常識はあるでしょ。それなのに、君は母君のせいにするの?」
「だって、だって、お母様はプレゼントだなんて思っていなくて。わ、わたしが侯爵家から勝手に持ちだした物だと思っていて・・・。だから、それで、あの・・・」
「だから、何? ペンダントが返されてからもう一週間も経つけど、今まで何の連絡もなかったよね。君が承諾してないならどうしてもっと早くに言ってこないの?
ずっと身につけていてって言ったよね? ああ、君は最初は実験の成果を確かめるために預かっていると思っていたっけ。だから、家ではその辺に放っておいたの? 大切に扱うって言ったのに。そんな扱いしてるから、勝手に返されたって言うなら、それは君の自業自得だよね」
話せばわかってくれると思っていたジェスターは話を聞いてくれなかった。エリゼーヌはちゃんと説明しなければと思うのだが、気ばかり焦って上手く伝えらずにもどかしかった。
このまま、誤解されたまま終わりにしたくはない。初めて、母の仕打ちに諦めずに繋げたいと思った縁なのだ。
エリゼーヌは震える手にぎゅっと力を込めて顔をあげたが、鳶色の瞳は掌で弄ぶペンダントに固定されたままだ。
「・・・違う、の。そ、そうじゃ、ないの。お母様は・・・、わたしが、代理だから、宝石をもらうのは、図々しいって・・・」
「代理って何? どういう事?」
「クレージュ侯爵令嬢が、本命だからって・・・」
「はっ?」
たどたどしく説明するエリゼーヌの言葉を聞くうちにジェスターの表情は抜け落ちていった。全て聞き終えると、深いため息をついて億劫げに顔をあげた。
「道理で、君がオトモダチとか言いだすわけだ・・・。へー、練習相手、ねえ。僕はちゃんと君と向き合っていたのに、君はそうじゃなかったんだ」
「・・・あの、・・・ジェス?」
「ねえ、君。我がルクレール侯爵家に対してひどい侮辱をしてるって気付いてないの?」
「え」
エリゼーヌは思いがけない指摘に目を大きく見開いた。
ジェスターは今日は一度も彼女の名前を呼んでいない。それどころか、君呼ばわりですっかり他人行儀だ。今まで見た事もない冷たい眼で少女を眺めてくる。彼はくっと口角をあげて、皮肉げな笑みを浮かべた。
「婚約者候補として一年間交流を深めるって言ったよね? それを本命と見合いするまでの練習期間とか、馬鹿にするにもほどがある。
僕が令嬢に慣れてないから、練習相手が必要? はっ、とんだお笑いぐさだ。そんなお情けを施されるほど僕は落ちぶれてないよ。
婚姻相手なんか、僕はいらないんだから」
「・・・え?」
エリゼーヌは一瞬だけ息が止まった。ジェスターの言葉と母に言われたセリフが頭の中でぐるぐると渦巻いて、すうっと一気に血の気がひく。
『貴方でいいとは、何と比べていいと仰ったの? 侯爵令嬢とお会いするまでの間、おそばにいるのは貴方でいい、と言う事ではないの? 婚約者にするのは貴方がいいという意味ではないでしょう。はっきりと申し込まれたのでもないのに、そんな勘違いをしてしまうなんて・・・』
『婚姻相手なんか、僕はいらないんだから』
『君でいいかな』と言われたのは、母の言う通りだったのか。そばにいるのが、『エリゼーヌでいい』と言う意味で婚姻を仄めかされたのとは違っていた? エリゼーヌが勝手に勘違いしただけ?
好意で贈られた、の『好意』とは、親愛の意味で深い意味ではなかった?
『僕との事、ちゃんと考えてね』には、そんな意味ではなく、ただ友人としての絆を示唆されただけだったのか・・・。
体調を崩したのにお見舞いの花もカードもなかったのは、婚約者は不要だからーー
「ねえ、聞いてるの?」
不意に強く声をかけられて、エリゼーヌはびくりと身を竦ませた。ジェスターは苛立たしげに眉をしかめる。
「君にあげた物だから、返されても困る。僕はもう見たくもないしね」
ジェスターがガーネットのペンダントをエリゼーヌに差しだしてきた。ぼんやりとまだ思考の渦に呑み込まれている少女には何だかよくわからなかった。いきなり手を掴まれて強制的にペンダントを受けとらせられる。
「僕はいらないから。必要ない」
エリゼーヌの髪みたいだと言ってくれたガーネットのペンダントだ。それを見たくない物でいらない、必要ないと渡された。
エリゼーヌは自分が拒絶されたみたいで胸がすごく痛かったが、涙はでてこなかった。マドレーヌに男の子ではないからと拒否された時と同じだ。ショックが大きすぎて思考が止まってしまっていた。
「まだ君の領地は雪が残ってるでしょう。道が悪い中の旅は大変だろうけど、気をつけて」
ジェスターが呼び鈴を鳴らして案内の侍女を呼んだ。別れ際の挨拶を受けたが、少女は何も言えずにただ黙って頭を下げた。それしかできなかった。
心が麻痺してしまったエリゼーヌはジェスターに嫌われた事だけははっきりと感じていた。




