どうしても、不安が湧きあがります
前回の時間軸より少し前、エリゼーヌが侯爵家へ到着する前からです。
馬車に乗ったエリゼーヌは他所行きの紺のドレスに黒のビロードのリボンと、いつもとは異なり地味な装いだ。修道院に行かせるものと思い込んでいるマドレーヌを欺くための偽装だった。
付き添う侍女はマドレーヌの手先だから、王都を出るまでは気を抜いてはいけないと老執事に助言されていた。出来れば、侯爵様に話をして領地まで付き添う侍女を貸していただけないか、聞いてみるとよいと言われた。
御者は老執事と同じく先代に支えていた老人が引退して勧めてきた身内だ。まだ30代で、侍女がやりたい放題で幅を利かせている子爵家の現状を憂えていて老執事の味方だった。
エリゼーヌはぎゅうっと両手を握りしめて緊張していた。
侯爵家に挨拶に向かうと聞いた侍女が不平タラタラで愚痴ばかりこぼすが、相手にしてはいなかった。
それよりも、ディオンに話を聞いてもらってジェスターに会わせてもらったら、何をどう話そうかと頭がいっぱいなのだ。
ーー大丈夫、大丈夫。きっと、ジェスは話を聞いてくれる。これまでのように、絶縁したりしない。ちゃんと話せばわかってくれる。
何度もそう頭の中で繰り返すが、どうしても不安は消えない。また、付き合いを断たれたらどうしよう、ジェスは怒っているかも、とついついネガティブな思いに囚われそうで怖かった。
早く馬車がついてくれれば、と願う少女に無視されていた侍女が大声をだした。
「お嬢様! 聞いてますか? いいですか、侯爵家では私も付き添いますから、余計な事は言わないでくださいよ。子爵家の恥になりますから。貴族令嬢が修道院に行儀見習いなんて、よくある話なんですからね?」
それは普通の修道院の場合だった。
マドレーヌが行かせようとしているケロール修道院は醜聞に塗れた貴族女性や富裕層の女性をほとぼりが冷めるまで匿う場所なのだ。場合によってはそのまま捨て置かれて修道女になるしかない女性もいる。引き取られても、年の離れた老人の後妻や評判の悪い相手に嫁がされたりとか、はたまた遠方に娼婦として売られるなどロクでもない未来しかない。
ケロール修道院では寄付金次第で受け入れたり、引き取らせたりと何かと金額が物をいう。相続問題で揉めた令嬢の始末に修道院に放り込む貴族もいると噂されているのだ。そんな所に娘を入れるのが、ただの行儀見習いとは誰も思わないだろう。
エリゼーヌは口をひき結んで泣くのを堪えた。母に疎まれているのは知っていたが、こんな仕打ちを受けるほどとは思いもしなかった。
すっかり欲に目が眩んだ侍女はそんな主の様子にはお構いなしで、くどくどと侯爵家ではお世話になった挨拶だけですぐにお暇するのだと繰り返している。
彼女はまっすぐにケロール修道院に向かうと思っていたから、エリゼーヌが告げ口をしないかと気を揉んでいた。侯爵家に挨拶なしは失礼だと言われれば確かにと思う他はなく、御者に予定変更を命じられる立場でもない。
侍女仲間から侯爵家の使用人は礼儀作法に厳しいと聞かされていたから、余計にヤキモキしていた。
侍女は平民の中でも最下層に近い貧民の出で、子爵家に雇われたのが幸運な人物だった。一応、マドレーヌの気にさわらない程度の礼儀作法の教育は受けているが、子爵家の中だけしか知らない世間知らずだ。
こんな事なら、いくらサファイアが貰えると言っても監視役なんか引きうけるのではなかったと絶賛後悔中だ。
「いいですか、お嬢様。侯爵家で変なことを口にしたら、奥様に言いつけますからね!」
「・・・少し静かにしてちょうだい。馬車の外にまで、貴方の大声が響いていそうだわ」
主に忠告されて侍女は気まずそうに口を噤んだ。もう大通りに差し掛かっていて、通行人を気にして馬車の速度は遅めになっている。
ようやく、静かになった馬車内でエリゼーヌはホッとしてディオンとジェスターへの話を考え込んでいた。
子爵家の馬車が侯爵家に到着すると、玄関ホールに先客がいた。
ヴィオレットの従兄弟で婚約者のアルマンだ。彼は若執事ケヴィンから何か包みを貰って従者に預けた所だ。そこはかとなくホールに甘い匂いが漂っていた。
「エリゼーヌ嬢ではないか。奇遇だな、こんなところで」
アルマンが珍しい客人に首を傾げた。エリゼーヌがヴィオレットのブロンデル家か領地くらいにしか出かけないと聞いた事があるから不思議そうだ。
「あの、侯爵様にはお世話になっているので、領地に向かう前にご挨拶にと思って」
「ああ、シャルリエ子爵と侯爵様はご友人だったな」
アルマンは従姉妹からの情報を思い出して納得顔だが、今度はエリゼーヌが訝しげな顔をしていた。アルマンから香るいい匂いに不思議そうだ。アルマンはバツが悪そうに視線をそらした。
「その、急な用事で寄ってすぐに失礼するので、お茶菓子をお土産にいただいたんだ」
「そうだったのですか」
意外とアルマンは甘いものが好きなのだと、友人から聞いたエリゼーヌが大きく頷く。アルマンは従姉妹から情報が漏れていると気づいたらしく気まずそうだ。
突撃癖のあるアルマンは用事が済むとすぐに退散するため、侯爵家ではお持てなしが不要とされていた。そのため、帰り際にお茶菓子にだすつもりだった菓子を土産に渡されるのがすっかり定着しているのだ。今日はパウンドケーキで、焼きたてのいい匂いがそこかしこに漂っていた。
「おや、エリゼーヌ嬢、リボンが曲がっているようだが?」
「え?」
照れ隠しで視線を彷徨わせたアルマンがえんじ色の頭のリボンが歪んでいるのに気づいた。
エリゼーヌは慌てて頭に手をやるが、後頭部で結ばれたリボンを直そうとしても余計に歪んでしまう。
アルマンが苦笑してリボンに手をやった。従姉妹と兄妹のように育った彼には友人のエリゼーヌも妹のお仲間だ。気安くリボンを直すと、そのまま髪が乱れてないか撫でて整えてくれる。
訪問先で乱れた装いを直されるなんて淑女としては失格だ。エリゼーヌは穴があったら入りたい気持ちでいっぱいだった。
思わず赤面すると、アルマンが気づいたように手をのけた。
「ああ、すまない。つい、ヴィオに構うようにしてしまって。令嬢相手に失礼だったな。申し訳ない」
「い、いえ、・・・あの、直していただいて、ありがとうございます」
礼を述べるエリゼーヌを忌々しそうに見やる侍女にケヴィンを始めとする侯爵家の使用人は冷たい視線を浴びせた。主の装いに気づかない侍女とか、侯爵家では信じられないレベルだ。それなのに、主に非難の視線を向けるとか、己の職分を弁えていないとしか思われない。
「クラルティ様、馬車のお支度が整いましてございます」
アルマンは侯爵邸の使用人に声をかけられて頷いた。
「ああ、それでは、エリゼーヌ嬢、領地までよい旅を。戻ったら、またヴィオと遊んでやってほしい」
「はい。こちらこそ、いつもヴィオレット様にはお世話になっています。アルマン様もお気をつけて」
エリゼーヌはせめてもと侯爵家で教育された成果で見事な淑女の礼をしてアルマンを見送った。
知人に気を取られていた少女は階上の様子にはまったく気づいていなかった。出迎えに来たジェスターが階上から先ほどの様子を目撃して踵を返したのを見たのは使用人たちだけだった。




