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婚約破棄と解消と保留、そしてする予定はありませんけど?  作者: みのみさ
第二部 婚約するのも大変です

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立場を弁えなさい

 エリゼーヌは母の居室の前で深呼吸した。

 もう何も出来ない、道理もわからない幼い子供ではないのだ。ちゃんと侯爵家で礼儀作法の教育を受けた小さな淑女だ。母と正面から向き合える。

 エリゼーヌのノックに応じたのはマドレーヌお気に入りの侍女だった。

「まあ、お嬢様。お風邪はよろしいのですか? 奥様にうつされては困りますよ。お部屋にお戻りに」

「お母様に取りついでちょうだい。ルクレール侯爵家の事で大事なお話があるの」

「そんな、奥様はお加減がよろしくないのに・・・」

 侍女はブツブツと不平をこぼしたが、侯爵家の名前に渋々とマドレーヌに取りついだ。


 マドレーヌは購入したばかりの数点の絵画をどこに飾ろうかと吟味中だった。

 業者に手入れしてもらっていても、さすがに冬季の庭は彩りも乏しく味気ない。マドレーヌは毎年新しい絵画を仕入れては部屋中に飾りたてて華やかな雰囲気を演出していた。一度下げた絵画は二度と飾らないのだが、マドレーヌがまた見たいと思うかもしれない、と主張するので倉庫に保管されている。

 だが、本来は子爵家に毎年美術品にかける予算はないのだ。エリゼーヌが領地に戻る時の荷物にこっそりと絵画を紛れさせているのを少女は知っていた。父は密かに祖父に売却してもらって子爵家のタウンハウスの維持費に充てているのだ。


「お母様、わたしの部屋から侍女が持ちだした装飾品をお返しください。わたしが誕生日プレゼントに頂いた物なのです」

「あら、エリゼーヌ。わたくしはそんなお話は初めて聞きましたよ」

 マドレーヌは絵画から目を離して不愉快そうに眉をしかめた。

「貴方、ディオン様に可愛がられているからって、あんな立派なガーネットを頂くなんて。いくら何でも子供には分不相応だわ。図々しいでしょう」

「おじ様ではありません。ジェス、ター様に頂いたのです。返してください」

「まあ、なんてこと!」

 マドレーヌは大袈裟に両手を握りあわせた。青い瞳を潤ませて大声で嘆きだす。

「貴方、自分の立場を忘れたの? たかが、子爵家の分際で侯爵令息に宝石を強請るなんて、厚かましい。とても、恥ずかしい事なのよ。恥を知りなさい」

「違います。強請ってなんかいません。わたしの髪みたいな色だって、ジェスター様が贈ってくださったのです」

「まああ」

 エリゼーヌが声が震えないように平静さを保とうとしているのに、マドレーヌは舞台女優のように感情表現豊かに身振り手振り付きだ。

「ねえ、エリゼーヌ。勘違いしてはダメよ。貴方はクレージュ侯爵令嬢がお戻りになるまでのただの代理なの。

 お世辞を真にうけるなんて恥ずかしい子ね。前に教えたでしょう、貴方のような暗い赤毛は貴族では好まれないの。華やかな明るい色がもてはやされるのよ。ガーネットに喩えられたからって、貴方の髪色を好ましいと思う殿方はいないわよ。

 侯爵家でお世話になっていたから、思いあがってしまったのね。可哀想に、すっかり傲慢になってしまって。ああ、だから反対したのよ。侯爵家で教育されるなんて。

 貴方はただの子爵令嬢なの。侯爵家との縁組なんて無理な話なのよ、弁えなさい」

「・・・お母様、わたしはおじ様からそのお話、クレージュ侯爵家とのお話は聞いたことがありません。何かの間違いなのでは?」

「何を言うの? お父様とディオン様がご友人で言いづらいだけですよ。そこは家格が下の我が家が忖度しなければならない事なの。貴方はまだ貴族社会の言い回しに慣れてないから理解できないだけなのよ」

 確かに貴族社会では迂遠な言い回しが多く、直裁的な話し方は好まれない。だが、実力主義を取り入れているウェルボーン王国では取引や契約の場では曲解や誤解を省くためにも直な言い方がよしとされている。

 貴族の婚姻は契約の一種だ。親しい間柄でもあるし、遠回しな話し合いは避けるはずだ。


 エリゼーヌはすうっと深く息を吸った。怯えを悟られてはならない。相手に呑まれては交渉の席にもつけはしないのだ。

「お母様、婚約の真意はおじ様、侯爵様にお尋ねしてはっきりとさせます。ですが、ガーネットのペンダントはわたしがジェスター様から頂いた物です。侍女が勝手に持ちだしていい物ではありません。贈ってくださったジェスター様に失礼です。お返しください。

 そして、侍女をきちんと躾けてください。我が家の使用人は高位のお相手に無礼を働くと醜聞をたてたいのですか?」

「イヤだわ。なんて事を言うの? 侍女は貴方の心配をして、わたくしに報告してきたのよ。その善意を無礼だなんて・・・」

 マドレーヌは額に手をあてて嘆かわしい、と頭を振った。だが、エリゼーヌには同意できなかった。侍女が本当に主を気遣ったなら、黙って勝手に持ちだしたりしない。必ず声をかけて確認をとるはずだ。

「大体、ご令息がくださったと言うけれど、貸して頂いたのを勘違いしたのではないの? お返ししたけど、何も言われませんでしたよ」

「え?」

 エリゼーヌは一気に血の気が引いた。過去の絶たれた付き合いが思いだされて蒼白になる。そこへマドレーヌが追いうちをかけてきた。

「貴方が体調を崩したからお休みさせてもう十日よ。お見舞いの花もカードも何もないじゃない。本当にプレゼントしてくださったなら、心配してくれるのではないの?

 貴方、お父上を気遣って親切にしてくださったご令息の心遣いを勝手に自分への好意だと思い込んだのよ、きっと」

「そ、そんなこと・・・。だって、ジェスはわたしでいいって言ってくれて」

「あら、イヤだわ。はしたない。ご令息をそんなふうに呼ぶなんて」

 マドレーヌは心底嫌悪するように顔を歪めた。そのまま、激しく呼び鈴を鳴らすと、娘に向きなおる。

「ねえ、()()()()()とは、何と比べて()()と仰ったの? 侯爵令嬢とお会いするまでの間、おそばにいるのは()()()()()、と言う事ではないの? 婚約者にするのは()()()()()という意味ではないでしょう。はっきりと申し込まれたのでもないのに、そんな勘違いをしてしまうなんて・・・。

 やっぱり、貴方はダメね。我が家の恥と言うなら、貴方の言動の方がよほど恥ずかしいわ。淑女教育されても全くのムダじゃない」

「!」

 エリゼーヌは息を呑んで堪えた。

 口を開くと、そんな事はないと、泣きながら食ってかかりそうだった。


 呼び鈴に応じて老執事が現れると、マドレーヌは娘を指差した。

「予定より早いけれど、この子をミルボー家へ行かせる支度を終わらせてちょうだい。明日には出発できるようにするのよ。

 可哀想に、すっかり思いあがってしまって、ちゃんと現実を思い知らせないと。お兄様にお手紙でお願いして縁組を整えてもらうから」

「奥様、縁組とは?」

 老執事はマドレーヌの実家に娘を預けるとしか聞かされていなかった。これまでもマドレーヌの具合が悪いと預けられていたから、今回もそうだと思っていたのに、縁組なんて聞いていない。

「もちろん、ユベールとのお話よ。婿に来てくれるのですもの。お義父様のお望み通りでしょう?」

「奥様、そのお話はなかった事になったではないですか」

「こちらから頭を下げてお願いすれば大丈夫よ。お兄様も旦那様もわたくしのお願いはきいてくださるもの」

「しかし、奥様。旦那様は大旦那様のご意見に従えと」

「ねえ、わたくしはこの家の女主人よ。お前は一体誰に仕えているの?」

 マドレーヌは目をつりあげて老執事をキツく睨みつけた。

 感情的に喚きだす一歩手前、発作を起こす前兆だ。マドレーヌの身体に障るから発作を起こさせるな、と厳命されている老執事は一礼して従うしかなかった。

「さあ、お嬢様。お部屋にお戻りを」

 老執事に促されたが、エリゼーヌは首を横に振った。


 従兄弟のユベールとの縁組はとっくに完全に流れたのに、母の言葉が理解不能だった。父は仕事でしばらく留守にしているが、当主のいない間に勝手に母に縁組を決めつけられてはたまらない。

「お母様、一度白紙に戻したお話をぶり返すなんてミルボー家に失礼ではないですか。お父様にも無断で勝手な事をしてはいけません」

「なんですって⁈」

 マドレーヌが眦をつりあげて鬼の形相になった。どちらが親かと思われる娘の正論にかっとなったのだ。

「誰のせいだと思っているのよ‼︎ 貴方が髪を切って女神教に出家するなんて大騒ぎしたから! 可哀想に、ユベールが悪者にされて。

 貴方のせいじゃない。折角の縁組を台なしにしたくせに。なんて子なの!」

「それはユベールがわたしの髪を」

「うるさいわね! お黙り!」


 エリゼーヌはいきなり老執事に突き飛ばされて驚いた。床に転がって呆然と顔をあげると、老執事が額を押さえて蹲っていた。彼の前に仁王立ちするマドレーヌの両手には絵画が握られている。絵画の額縁は少し歪んで、マドレーヌの手の中で軋んでいた。

「奥様、落ち着いてください。お嬢様は急なお話に動揺しているだけでございます。私からよく言ってきかせますので」

 老執事はハンカチを額にあてて平身低頭する。エリゼーヌは手をのけた隙に彼の額が傷ついているのを目にして青褪めた。老執事はマドレーヌが絵画で娘を殴りつけようとしたのを庇ったのだ。

 これまでマドレーヌが暴力を振るった事はない。怒鳴りつけて喚き散らすだけだった。いや、それだけでも貴族女性の振る舞いではなく、淑女としてあり得ない行為なのだが。

 大きく肩で息をつくマドレーヌは忌々しげに娘を睨めつけた。

「その子をケロール修道院に入れます。行儀見習いを学ばせるのよ。性悪な気性を矯正してもらうの」

「奥様、何を仰います!」

 老執事は仰天して叫び、エリゼーヌは鋭く息を呑んだ。


 ケロール修道院はミルボー家へ向かう途中にある戒律の厳しい修道院だ。訳ありの貴族女性や裕福な庶民を多額の寄付金と共に引き受けている。入るのも出るのも金銭(かね)次第と囁かれていた。

 捨て置かれて修道女になる者もいれば、醜聞のほとぼりが冷めてからひき取られる者もいる。市井の監獄と陰口を叩かれている場所だ。

「数年ほど修道院で矯正してもらえばいいわ。学院に入学までには素直な良い子になるでしょう。聞き分けのよい従順な妻の方がユベールも喜ぶわ」

「奥様・・・」

 老執事が喘ぐように呟き、エリゼーヌは茫然自失状態だ。いくら、母に疎まれているからと言って、跡取りを悪評高い修道院送りにするなんてまともな神経ではない。

 騒ぎを聞きつけて侍女たちが恐々と扉の外に集まってきていた。マドレーヌがきっと視線を向けると、皆直立不動で頭を深々と下げる。

「気分が悪いわ。誰か、ここを片付けて。ああ、この子は部屋に戻してちょうだい。明日まで部屋からださないようにしなさい。自分の立場をよくわからせるのよ。

 それから、温かいお茶と甘い物が何か欲しいわ、用意して」


 マドレーヌは絵画を放りだすように侍女に渡して老執事と娘を部屋から追いだした。

いつもお読みいただきありがとうございます。

評価やブクマやいいね、嬉しいです。ありがたいです。


作中での「旦那様」はイヴォン、エリゼーヌの父で、「大旦那様」は先代、エリゼーヌの祖父です。祖父の名は決めてなかったのですが、登場予定あるのでそのうち決めてだすつもりです。

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