望んでもいいのでしょうか
エリゼーヌは熱をだして寝込んでいた。春に向かっているとはいえ、まだまだ寒い日も続く時期だ。寝不足で体調不良のところにうたた寝なんかしたから風邪をひいてしまったようだった。
侯爵家には一週間ほど静養すると伝えられたから、ゆっくりと養生するようにと老執事から伝言があった。さすがに侍女たちも具合の悪い主を放置せずに、渋々とだが面倒をみてくれている。
熱で潤んだ灰色の瞳に映るのは壁にかけた黒猫の小さな額縁だ。寝台からよく見える位置に飾っていた。
朝目覚めて一番に視界に入り、夜には眠りにつく前に目に映る。身内以外にエリゼーヌを気にかけてくれたのはディオンを除けばジェスターが初めてで、少女は黒猫の姿を目にする度に勇気づけられる気がしていた。だが、今は目にするのが何だか気恥ずかしかった。
混乱がおさまると、温室で額に触れたのはジェスターの唇でキスされたのだ、と理解できた。幼い頃には乳母に毎晩お休みのキスをしてもらったから、それと同じだ。親愛の表現、挨拶なのだから気にすることはない。何も問題はないのだ。
と言い聞かせているのに、心は思い通りにはならない。とても平静ではいられなかった。
あの日の帰り際に、ジェスターにもう一度こっそりと囁かれたのだ。
僕との事、ちゃんと考えてねーー、と。
思いだしたエリゼーヌはぶわっと熱が急上昇した気がするし、目も潤いを増して視界が滲んでよく見えないしで散々だ。
目を閉じて寝てしまおうと思っても、ずっと一日中寝台の住人のせいか眠気はやってこない。ぐるぐると思いを巡らせるしかないのだが、熱でうまく思考が働かずに、『なんで? どうして?』と堂々巡りするばかりだ。
ジェスターとはお友達になれたらいいと思っていた。それ以上なんて望んでいなかった。
でも、ジェスターは誕生日プレゼントだとガーネットのペンダントをくれた。好意での贈り物だ、と。
クレージュ侯爵令嬢との見合いを知らない彼がそう言うのなら、クロエの言う通りにエリゼーヌとの未来を望んでくれているのだろうか?
ディオンからは再三双方の意志を優先すると言われていた。家同士の利益とか家格差は気にせずにどうしたいのか、と聞かれていた。もしかして、クレージュ侯爵令嬢との話はこの婚約話が流れた場合だとしたら・・・。
ーージェスの思いに応じてもいいのかな、わたしも・・・、望んでもいいのかな?
エリゼーヌは熱でまとまらない思考をぼんやりとかき集めて、乳母の言葉を思いだしていた。
「いつか、お嬢様にもエリゼーヌ様を一番大切にしてくださる方が現れますよ」
そういう人が現れるなら、ディオンのような人がいい、と思っていた。
包容力がある大人の男性で何事からもエリゼーヌを守ってくれる頼もしい人がいいな、と憧れていた。でも、無理なのはわかっていたから、望まないようにしていた。
だって、夢を見なければ、叶えられなくても失望することはないのだから。
ジェスターは理想の相手とは似ていない。容姿はディオンによく似ているが、性格は父親よりも狭量だろう。エリゼーヌと歳が近い分、ディオンよりも身近に感じられるが、包容力はまだまだで比べようもない。
だから、全然憧れの相手なんかではないのだ。
最初はジェスターは評判通りの完璧な貴族令息だと思っていたが、親しくなって飾り気のない素が晒しだされると意外性の連続だった。エリゼーヌの頬をひっぱったりとか子供っぽい面もあるし、何かと拗ねたりとか、年相応や若干幼く思える一面も現れるようになった。
新たな面に直面する度にエリゼーヌは気が抜けていった。なんだ、ジェスも普通の子供なんだと、嬉しかったのだ。
少年がもっと身近に感じられて、気を許してくれている、親しくなれたと思って。
辛口でもジェスターは嘘は言わないし、他人を傷つけるような事はしない。面倒くさがりだが、責任感は強くて案外面倒見はよい。
今では、彼のそばはとても居心地が良くてエリゼーヌは自分らしくいられる気がしていた。親友のヴィオレットと同様、いやそれ以上にいい友達になれたと思っていた。このままでいいと少女は満足していたのだがーー
もしも、友達以上を望んでいいのなら。その思いが叶えられるならば・・・?
エリゼーヌはウトウトと忍び寄ってきた眠気にのみ込まれながら、ディオンに真意を尋ねてみようと思った。もしかしたら、父が何か思い違いをしていたのかもしれないのだからーー
寝息をたて始めた少女はいつもペンダントをしまっている宝石箱に、熱でぼうっとして鍵をかけ忘れた事に気がついていなかった。




