親心なのでしょうか?
イヴォンはため息をつきたいのをぐっと堪えた。帰宅早々、妻が同じ話を繰り返すのだ。
「ねえ、あなた、聞いていらっしゃるの?
エリゼーヌったら、はしたいのよ。恋愛小説なんて借りてきて。みっともないからお止めなさいと言っても、淑女教育の一環だときかないの。そんな教育がありますか。
わたくし、恥ずかしくて仕方がないわ」
「マドレーヌ。情緒教育だと私は聞いているよ。エリゼーヌの聞き間違いだろう。侯爵家で勧められた物なんだ。心配はいらないと思うよ」
「でも、あなた。不出来なあの子のことよ、どんな粗相を仕出かすか。わたくし、心配で心配で。
ねえ、やっぱり侯爵家との縁組なんてあの子には無理よ。お断りしましょう。恥をかくのはエリゼーヌよ、可哀想でしょう」
イヴォンは困って視線を逸らした。エリゼーヌの教育不足の結果をディオンから知らされて愕然となったのだ。婚約成立に関わらず侯爵家で教育してもらえるのは正直言って有難い。
しかし、マドレーヌは反対していた。
「わたくしの具合が悪くて家庭教師をお休みさせるのは申し訳ないけれど、課題はきちんと出していただいてるのよ。サボっているあの子が悪いのよ。いえ、不出来な子ですもの。出来ないのを責めては可哀想ね。
ねえ、勉強させるなら図書館に通わせてもいいでしょう」
「マドレーヌ・・・」
イヴォンは困って眉をひそめた。
エリゼーヌは家庭教師がコロコロと変わるせいで翻弄されていた。方針や教え方がそれぞれ異なり、慣れるのに四苦八苦している間にもう次の相手になってしまうのだから、課題だけ大量に出されても解けるわけがなかった。
そもそも教本だけで学べるなら家庭教師はいらないし、学院にだって通わなくても済むだろう。
ルクレール邸の家庭教師はエリゼーヌの古語の知識を絶賛していた。10歳で学院入学時のイヴォンと同程度の知識を蓄えていたのだから、それだけ見ると天才と言えるかもしれない。しかし、ディオンはそれを否定していた。
「エリーには他に何もなかったから、古語が出来るだけだ。淑女教育や貴族女性の教養、礼儀作法、常識、立ち居振る舞いなどを犠牲にした知識だ。
イヴォン、君は父親として何をしていた? 女主人が屋敷を掌握しきれていないのはよくわかっているだろう。君が采配しなければ誰があの子の面倒をみるんだい? 最低限の衣食住だけなんて、君は我が子を平民にするつもりか?」
痛烈な批判に反論したかったが、イヴォンには何も言えなかった。ディオンに明らかにされたエリゼーヌの現状は確かに貴族として育てているとは言えない。
貴族女性の嗜みの刺繍だって、エリゼーヌが得意なのは乳母が刺繍の達人で手解きしてくれたからだ。幼いエリゼーヌは乳母が遺した多くの刺繍作品に触れて真似ているうちにプロと見紛う腕前になった。
放置されていた少女に唯一出来るのは刺繍と古語の読み解きだけだった。
乳母がいた頃には子爵家は上手く回っていた。
乳母はマドレーヌに代わって子爵邸を取り仕切り、エリゼーヌの面倒をみていた。乳母にとってはマドレーヌもエリゼーヌ同様、お嬢様扱いで庇護する相手だった。
しかし、乳母が亡くなり、彼女が後任として育てた侍女頭はマドレーヌに辞めさせられた。
「女主人はわたくしですもの。わたくしの意に沿わない使用人はいらないでしょう」
そう言うマドレーヌは女主人の務めは果たしていない。
ご機嫌取りのお気に入りの侍女を侍らせて自分の面倒をみさせるだけなのだ。貴族令嬢ならそれで構わないのだが、マドレーヌは女主人の自覚が薄かった。ただ、乳母が亡くなって自分の思い通りに出来るのが嬉しいようで、反対意見や忠信からの戒めの言葉には耳を塞いでいた。
辛うじて、高齢の老執事が邸内を回してくれているが、エリゼーヌの面倒までは無理だった。
「マドレーヌ、折角のディオンの厚意なんだ。エリゼーヌの教育については父上からも承諾されている。
侯爵家にはよろしくお願いすると挨拶済みなんだ。私たちが勝手に断ってはいけないよ」
マドレーヌはひくりと片眉を上げた。
「まあ、あなた、お義父様は領地経営でお忙しいのにお手を煩わせるなんて。子爵家当主はあなたなのだから、お義父様にご迷惑をお掛けしてはいけないわ」
「ディオンが父上と会う機会があって直接話したそうだ。エリゼーヌは跡取りなのだから、父上が気にかけるのは当然だよ」
イヴォンはマドレーヌとの婚姻を整えた直後を思い出して苦い表情だ。
あの時の自分は、多分驕っていたのだと思う。
高位貴族のディオンと友人になり、古語の才能を認められて魔術師団に誘われた。格上の伯爵令嬢のマドレーヌと思いを通じて、婚姻は無理と諦めていた彼女の家族からの承諾を得て、就職も縁組にも恵まれて順風満帆だった。
父への報告は手紙で済ませていたが、王都付近の舗装された街道とは異なり、領地近くは悪路も多かったのを失念していた。父への報告は郵便配達が滞り、後手後手になっていた。
父と直接顔を合わせた時にはイヴォンは魔術師団勤務で王都住まい、領地には戻らず跡を継がないと決定し、全て父には事後承諾となった。
父は一言の相談もなく、跡取りから降りた息子に失望した。それがマドレーヌとの確執の始まりだった。息子がダメなら孫に跡を継がせるしかないのに、嫁は子供が出来るか定かではなく息子は事もなげに養子を迎えればよい、と無責任な事を言い出す始末だ。
あの時マドレーヌを優先するばかりでなく、領地に誇りを持ち愛情を注いでいる父の心情に寄り添えばよかったのかもしれない。
そうすれば、ここまで拗れなくて済んだものを、とイヴォンは悔やまずにはいられなかった。
「それよりも、君に聞きたいのだが、クレージュ侯爵家がルクレール侯爵家の本命という噂は本当かい? ディオンの様子だと、エリゼーヌをご子息が令嬢に慣れるまでの練習相手とは思ってはいないようなのだが」
「わたくしのお友達が情報通なのはあなたもご存知でしょう? 皆様、わたくしを心配して色々と教えてくださっているのに、疑ったりしては失礼でしてよ?」
マドレーヌは社交界には全く出ないが、ゴシップ好きのご婦人方と文通していて市井の噂にも詳しかった。
大概はただの噂話で大したことはないが、たまに一攫千金の情報が紛れ込んでいることがある。昨年、隣国からの人身売買ルートが摘発されたきっかけがそれだ。
下町を中心に行商人が訪れた地区はその数日後に必ず行方不明になる子供が出る、と怪談めいた噂話だった。実際に被害に遭った家族からの訴えを基に噂話と検証した結果、悪事が発覚したのだ。
そのため、マドレーヌの話をただの醜聞と切って捨てるのは出来なかった。
イヴォンは噂の裏付けをとる時間がなく、ディオンに確認するのも気が引けて、エリゼーヌに分を弁えるよう言い聞かせた。しかし、父と話をつけたディオンはどうやら本当にエリゼーヌを義娘に望んでいるようなのだ。
「ディオン様はあの子を可愛がってくださっているけど、やはり実子のご子息の方が優先されるでしょう。エリゼーヌが侯爵子息に気に入られるとはとても思えないもの。ご迷惑をおかけしないうちに、このお話をなかったことにした方が・・・」
「マドレーヌ。ルクレール家とご縁がなかった場合は婿入りしてくれるお相手を紹介してくれると言っただろう。
エリゼーヌに婿取りを望むなら、これ以上ない話だ。侯爵家が後ろ盾の縁談なのだから横槍が入る心配はないし、ダメになることもないだろう。何をそんなに心配しているんだい?」
「・・・わたくしは、ただ子爵家の恥にならぬようにと願っているだけですわ。あの子の幸せを願って整えた縁談をあの子は一度ダメにしているのよ。また、同じ過ちを繰り返さないと言えて?」
マドレーヌは青の瞳を潤ませて沈痛な面持ちだが、イヴォンは同意も否定もできずに弱ってしまった。
エリゼーヌには昨年マドレーヌの実家・ミルボー伯爵家との縁談が持ち上がった。マドレーヌの頼みとミルボー家の後継者問題が上手く噛み合った結果だ。
エリゼーヌの従兄弟で二つ年上のユベールとの婚約話だったのだがーー
「・・・エリゼーヌだけが悪いのではない。ユベール君にも非はあった。二人とも意に沿わない話をまとめるわけにはいかないだろう?」
「ユベールは活発な子ですもの。少しやんちゃなところがあるだけですわ。それなのに、エリゼーヌが過剰反応するから。あの子が大げさに騒ぎ立てたりして、大事にしたのがいけないのよ。
可哀想に、ユベールは兄たちに責められて他領へ行儀見習いに出されたのよ。それなのに、エリゼーヌだけお咎めなしで侯爵家との縁談ですって? 気にしないわけにはいかないわ」
イヴォンは目眩を覚えて額を押さえた。娘よりも甥を気にかけるマドレーヌが理解できなかった。
二人の間で揉め事が起こり、エリゼーヌは腰まで伸ばしていた髪を肩で切り揃えねばならなくなったのに。
これがお年頃の出来事であったなら、貴族女性としては致命的な瑕疵だ。まだ9歳だったから、これから伸ばせばお年頃には見苦しくない長さになると和解が成立しただけだ。
それをお咎めなしなんて評する妻の感性がとても信じられなかった。
イヴォンは不意に辞去した侍女頭の最後の言葉が脳裏に蘇り、ぞくりと戦慄した。
『僭越ながら、最後のご奉仕として忠告させていただきます。奥様はお嬢様を旦那様の寵を競うライバルと思っておられます。どうか、お嬢様の身辺にはお気をつけなさいますよう』
まさか、そんな馬鹿な、と聞き捨てた戯言だった。マドレーヌは期待の男児でなかったと疎んでいるだけだ、とーー
マドレーヌは娘に手厳しく批判的だが、それは義父との確執が元だ。本気で娘を憎んでいるわけではない。
ただ、感情の制御が難しい気鬱の病だから仕方のないことなのだ。妻だって素直になれないだけで、実家との縁組を用意したりと娘の将来を案じていた。決して、領地に追いやって排除しようとしているのではない。
そう思うがマドレーヌの言動に一抹の不安を覚えて、イヴォンは強く頭を振って世迷言を振り払った。
次回は番外編です。
『お祭りに行きました』の後日にディオンとのお話。




