表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄と解消と保留、そしてする予定はありませんけど?  作者: みのみさ
第二部 婚約するのも大変です

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/154

若様のお望みとお嬢様のお望みは同じではないようです

 エリゼーヌは困惑していた。

 ブレーズ教授が所用により遅れると連絡があり、自習時間になった。問題を解くジェスターが鬱陶しそうに黒髪を掻き上げているので、髪を縛ってみたらと提案したら、何故かライトグレーのリボンを手渡された。

 メッセージカードに装飾で付けたエリゼーヌお手製のリボンだ。


「これ、君が刺繍したんでしょ?」

「は、い。そうですけど・・・」

「ちょうどいいから、これで縛ってくれる?」

「え、何を?」

「僕の髪。エリィは自分で結んでるから、出来るよね」

 エリゼーヌはピキッと固まった。自分で結んでいるから他人のも出来るとか極論だ。初めて他人の髪に触れるのに結べるわけがない。

 助けを求めるように控えていた侍女クロエに視線を向けると、任せておけとばかりに自信に満ちた笑みを向けられた。少女はほっとしたのも束の間、何故か大きめのブラシから細めの櫛までとブラッシングの道具が一式目の前に並べられた。

「お嬢様、どちらをお使いになりますか? 私のお勧めはこのブラシです。若様みたいなサラサラヘアにちょうど良いのですよ」

「え? あの・・・」

 クロエはエリゼーヌの手からリボンとブラシを交換した。少女が戸惑っている間に髪の梳かし方をレクチャーされて実践を促される。

 出来る侍女は笑顔の圧が凄かった。


 さあ、お嬢様、と再度促されて、エリゼーヌは目をウロウロさせた。


 手助けには違いないが、エリゼーヌの期待とは何かが違う。

 婚約者候補継続からジェスターの塩対応が緩んだと思ったら、使用人たちも主に合わせたのか、彼の意を汲むようになってエリゼーヌが色々と構われるようになった。これはジェスターの気の済むまで好きにさせるパターンだ。

「あの、わたし・・・」

「大丈夫です。若様は幼少期には女の子みたいに長く伸ばしていつも結ばれてましたから。髪結いには慣れています」

「え?」

「クロエ、余計なこと言わないで」

 むすっと剥れてジェスターが睨んできた。母親譲りの黒髪をディオンが懐かしむから幼少期のジェスターは伸ばしていたのだ。

 今もこれ以上短くされるのは見るに耐えない、とディオンが嘆くのが鬱陶しくて肩より少し長めとギリギリ妥協した長さにしている。

 ジェスターの機嫌取りに、とクロエに笑顔で唆されてエリゼーヌはおずおずと梳かし始めた。友人のヴィオレットの髪にだって触れたことはないから何だかどきどきするが、サラリとブラシから逃れるように落ちる黒髪は手触りがよくて、段々と梳かすのが楽しくなってきた。


 ふふっとエリゼーヌは微笑んだ。

「ジェスの髪って綺麗ね。サラサラで手触りもいいし、羨ましいなあ」

「エリィの髪だって柔らかくてすべすべしてるよね」

 最近、何かとエリゼーヌの頭を撫でることが多いジェスターの言葉にエリゼーヌは首を振る。

「ううん、そんなことない。わたしの髪は猫っ毛で絡まりやすくていつもブラシに引っかかるもの。侍女が解くのが大変だって引っ張るから痛くて・・・」

「はっ? 侍女が君の髪を引っ張るの?」

「え、引っ張られるのはブラシで、わたしの髪ではな」

「同じ事だよ。何、その侍女。もしかして、初顔合わせで付き添ってきた相手?」

 少女の言葉をぶった斬ったジェスターの声には凄みがあった。一瞬で周囲の気温が氷点下に下がった錯覚を感じる。

 思わず、エリゼーヌはブラシを握りしめてぶんぶんと勢いよく首を横に振った。初日以降、侍女の付き添いはないが、ジェスターの視界に入ったら何をされるかわからない怖さがひしひしと漂ってくる。

「エリゼーヌ様、次回より侯爵邸に赴く日の身支度は私が行いますので、ご安心ください。迎えをいつもより早くし、出向いた私がお世話させていただきますので。

 ええ、子爵家の侍女には指一本も触れさせはいたしません」

 クロエが全開の笑顔で告げてきたが、目だけは無で全く笑んでいない。

 エリゼーヌは困惑して身を竦めた。これまで彼女がこんな冷ややかさを発揮したことはない。エリゼーヌが令嬢らしくない真似をしてもやんわりと諌めてくれたのに、自分に怒っているのではないと分かっていても萎縮してしまう。

「それはいいアイディアだね。いっその事、子爵家に出張する気はない?」

「まあ、ようございますか。お許しがいただければ、本日からでも参りますとも」

「じゃあ、今日の帰りの馬車に同乗してね。荷物はジゼルに後から送らせるから」

「かしこまりました。お嬢様、よろしくお願いいたします」

「は? え、何を?」

「クロエはエリィ付きだからね、何の問題もないでしょ」

「そうでございますとも」

 混乱するエリゼーヌ抜きでジェスターとクロエで勝手に話が決められてしまうが、問題は大ありだ。

「あの、待って。二人とも落ち着いて、話を」

「落ち着いてるよ、これ以上ないくらいね」

「さようでございますとも」

 二人揃って一見和やかそうに微笑んでいるが、目だけは光が入っていなかった。主従だけで勝手に納得されて、エリゼーヌには訳がわからない。おろおろする少女に救いの声がかかった。


「若様もクロエも、二人とも先走り過ぎます。エリゼーヌ様がお困りになっておられますよ」

 ケヴィンがいつの間にかに部屋に入ってきて呆れた視線を主従に向けた。意気投合した不穏な笑みの主従は彼のノックに気づかなかったのだ。

「ブレーズ教授から連絡がありました。どうも、予定がずれてこちらに来られなくなったとのことでございます。今日の授業の埋め合わせはまた後日との事でしたので、この後はダンスのレッスンに移りたいと思いますが」

「では、お支度をしなければなりませんね」

 クロエがエリゼーヌを促して退室すると、ジェスターもケヴィンにダンス用の身支度を整えられる。


「若様、何事にも根回し、外堀埋めは大事だと以前にお教えしましたね? 子爵家にいきなりクロエが乗り込んでも反発されて上手くいきませんよ」

「でも、放っておけないだろう。ホント、子爵家の侍女って最悪だ。夫人はよく雇ってるものだね」

「雇い主には忠実なようでして。女主人には気に入られてるようですよ」

「・・・だから、エリィが不遇な目に遭うの?」

 ジェスターはこれ以上ないくらい冷ややかな声音で低く呟いた。

 期待した男児でなかっただけでエリゼーヌは子爵家の大事な跡取りには違いない。先代だって彼女の誕生後は正式に認めたはずだ。マドレーヌが気に病み過ぎているだけなのに、そのツケを一身に背負わされるエリゼーヌが気の毒だった。

「まずは婚約成立からですね。そうすれば、次期侯爵夫人の行儀見習いのためと理由をつけてクロエを子爵家へ出向かわせられます」

「・・・ねえ、ケヴィン。君たちってさ、何気になし崩しで婚約させようとしているよね?」

「若様はお嬢様をお望みでしょう」

 むすっとした主にケヴィンが決定事項のように告げると、ジェスターはそっぽを向く。

「今までの相手よりマシってだけで、まだ見極めの最中だよ。変に根回ししようと画策しないでよね」

「お嬢様にガーネットのペンダントをプレゼントしたではないですか。お誕生日プレゼントですよね。ご自分で石から選ばれて、居場所特定の術まで施しになられたのに、何を悪あがきなさっているのです?」

「・・・そんなのじゃない。気になる術だったから、試作品を作ってみただけ。単なる好奇心の結果だよ。あの子だって、実験だと思ってるし」

 ケヴィンは思わず額を手で押さえた。素直でない頑固な主に頭痛がしてきたのだ。

 渡した時点で訂正していれば拗れる事はなかったのに、時間が経ってしまうとジェスターは余計に言い出せなくてエリゼーヌの好きなように解釈させたままなのだ。

「若様、私どもにはそれでもいいですが、お嬢様には素直になられてください。エリゼーヌ様は家格差を気になされていて、ただでさえ遠慮がちなのですから。選択権はお嬢様にもおありなのですよ。

 狩る方法をお教えしましたのに、逃されるおつもりですか?」

「・・・だって、あの子は僕より父様に懐いてる。父様からまた他の縁談を持ちかけられたら頷くんじゃないの・・・」

 ぶすっと不貞腐れてこぼす姿は歳よりも幼く見えた。エリゼーヌがディオンの提案を勝手に受けた件は思いの外堪えていたようだ。

「そうさせないように追い込んで仕留めるのですよ。囲い込んで他に目を向けさせなければよろしいのです。旦那様より懐いてもらいたいのでしょう?

 大丈夫、若様ならお出来になります。このケヴィンが保証しますとも」

 有能な執事が頼もしく微笑むと、ジェスターは拗ねながらもこくんと頷いた。

 ケヴィンは10歳年下の幼妻を少女の頃に見初めて大事に囲って婚姻まで持ち込んだ策士だ。腹黒有能な若執事は優秀な主ならば己より上手く物事を運べるはず、と期待していた。


 唯一最愛を手に入れて得た幸福を是非とも主にも味わっていただきたいと願っているのだった。


 エリゼーヌは客室でダンス用の身支度を終えると、鏡台の前でクロエに髪を整えてもらっていた。

 侯爵家の優秀な侍女が髪を梳かしてくれると、ひっかかることも絡まることもなかった。乳母がいた幼い頃を思い出して懐かしい気分だ。それを口にすると、クロエの表情が曇ってしまった。

「お嬢様、こう言ってはなんですが、子爵家の侍女は同じ侍女として許しがたいですわ。支える主を気遣わない使用人なんてあり得ないのですから。子爵家を基準にしてはなりませんよ」

「あの、クロエと比べるつもりはなかったの。不快な思いをさせてごめんなさい」

 シュンとなった少女の髪にクロエは丁寧に真珠の髪飾りをつけた。

「不快だなんてとんでもない。お嬢様はいつも私たち使用人を気遣ってくださいますから、皆嬉しく思っておりますよ。私たちはお嬢様が好きなので、子爵家の在り方には少々思うところがあるだけでございます」

 笑みを浮かべているのに、クロエの顔にはなんだか少々では済まなそうな含みがあって、エリゼーヌは少しだけ怖くなった。少女の怯えを感じ取った出来る侍女は瞬時に笑顔を取り繕う。

「エリゼーヌ様、侯爵家では遠慮はなさらずに思う通りになさってくださいね。お嬢様の望みはなんでも叶えて差し上げますから」

「・・・クロエって、ばあやみたい。ばあやもね、大丈夫ですよって、いつもわたしの願いを叶えてくれていたのよ」

 ふふっ、とエリゼーヌは切なげに微笑んだ。

 クロエの好意は嬉しいのだが、それを受け取る相手は本来ならクレージュ侯爵令嬢だ、エリゼーヌではない。クロエたち使用人も知らないのだろうから、侯爵家当主ディオンよりも先に婚約事情を暴露するわけにはいかず、エリゼーヌは胸が痛かった。

 エリゼーヌは侯爵家の者は皆優しくて礼儀正しくて大好きだ。さすが、ディオンの見込んだ使用人たちだとレベルの高さに感心している。けれども、ここは少女の居場所ではなかった。


 ずっと、ここにいられたら、いいのにーー


 言葉に出来ない思いを呑み込んで微笑むしかないのだ。

 クロエはどこか寂しそうに笑う少女の前に跪いてその手をそっと取った。

「エリゼーヌ様、無礼を承知でお尋ねしますが、若様をどうお思いですか? お嬢様にも選択権はあるのですから、お嫌ならはっきりと仰っても良いのです。

 旦那様からもお嬢様の意思を優先するように言いつかっておりますから、侯爵家相手だからと萎縮なさることはないのですよ」

「あのね、皆がわたしによくしてくれるのは、おじ様と父が友人でおじ様がわたしを可愛がってくれているからよね? 皆からお説教されたからジェスは見極め期間いっぱいまで見定める事にしたのでしょう?」

「それだけでしたら、若様は旦那様の提案に異を唱えたりはしません。若様は『一年間の期限を設けてあったのに、勝手に変更するのは契約違反と同じだ』と仰って、旦那様からの不干渉を約束させたのです。

 現在、お嬢様との交流が続いているのは若様のご意志でございます。若様はお嬢様との未来を考えておられるのです」

「え、でも・・・」

「戸惑われるのはよおくわかりますとも。なにせ、これまでがこれまででございましたからねえ」

 クロエは肩を落として盛大なため息を吐き出した。つい感情を顕にしてしまったが、きょとんとする少女にハッとして表情を取り繕う。

「申し訳ありません。お嬢様、少々取り乱しました。若様の不甲斐なさには、ほとほと本当に困り果てておりまして」

「? ジェスが不甲斐ないの? ジェスほど完璧な貴族令息はいないと思うけど。あのね、ジェスは令嬢たちのお茶会で密かな人気があるのよ。ヴィオレット様が教えてくれたの」

 内緒話のように声をひそめたエリゼーヌはくすくすと楽しげに笑った。優秀なジェスターがクロエにかかるとただの子供扱いになるのがおかしくて仕方がない。

「では、お嬢様は若様を好んでいらっしゃるのですね?」

「そうね、せめてお友達くらいには親しくなりたいの」

「え、オトモダチ・・・、デスカ」

「うん、名前を呼んでもらえたから、もうお友達くらいにはなれたと思うのだけど、どうかな?」

 小首を傾げる少女は友人から婚約者の付き合い方を教わっていた。

 従兄弟と婚約したヴィオレットが言うには、まずはお友達関係を築いて親しくなるのが一般的らしい。彼女は兄妹のように接していた従兄弟との婚約だから一般論からは外れていると、わざわざ姉にまで尋ねて教えてくれていた。

「確かに友情から恋情が芽生えることもありますが」

「そうよね、まずはお友達認定してもらわないと」

 エリゼーヌは大きく頷いた。


 母により交友関係が大幅に制限されて狭い範囲しか知らない少女には唯一の友人が頼りだった。ヴィオレットはマドレーヌの妨害にもメゲずに初めてエリゼーヌに手を伸ばしてくれた友達だ。エリゼーヌにとっては親友と呼べる相手で、ブロンデル伯爵夫人も親しくしてくれている。少女にとっては模範となる貴族令嬢と夫人なのだ。

 ジェスターがクレージュ侯爵令嬢と婚約することになっても友達だったら社交界で挨拶くらいできるはず、とエリゼーヌは交友関係の広がりを期待していた。

 そんな少女の思惑を知らぬクロエは婚約者候補継続を望むジェスターと温度差のあるエリゼーヌの発言に遠くを見る目をしていた。


 ーーどうしよ、これ。皆になんて報告すればいいの・・・?


 ジェスターの塩対応が基とは言え、少女の意識改革をどうすればいいのか、優秀な侍女は頭を悩ませた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ