若様はお望みです
長めですが、キリがよくないので続けてます。
馬車から降りたエリゼーヌは久しぶりの侯爵邸を懐かしそうに見上げた。今日で見納めかと思うと、非常に残念だが仕方がない。
領地で誕生日を祝ってもらった少女には一月半ぶりの侯爵家だ。祖父とも話し合ってディオンの提案ーージェスターの婚約者候補から降りて他の相手を紹介してもらうーーを受けることにした。ディオンならば悪いようにはしないだろうと信頼がある。
今日は最後の挨拶にやってきた。領地特産の香草茶を手土産にこれまで世話になった礼を述べるのだ。使用人の皆に配ってもらおうと小分けにしたハーブ入りのクッキーも持参してきた。ブレーズ教授やナディアにも用意してあるが、もしかしたら会えないかもしれないので手紙を書いてきた。
ディオンには祖父お薦めのワインと刺繍入りのハンカチを用意したし、ジェスターにはお気に入りのケーキ店のチーズケーキをワンホール贈るつもりだ。それに手書きのメッセージカードが2枚。誕生日のお祝いとお世話になったお礼だ。
領地にいる間にジェスターの誕生日になったが、知らんぷりなのも失礼で、ただの礼儀上でも何か贈り物をと思ったが思いつくものは何もなかったし、どうせ受け取ってもらえないと思うと気が沈んだ。だから、無難に本当に礼を欠かない程度の贈り物だ。
でも、メッセージカードにはライトグレーのリボンを結んで装飾を施していた。リボンには飾り文字で家名の刺繍を刺してある。ただの装飾なのだ。断る理由なんかない。さすがにメッセージカードを無視する無礼は働かないだろうから、ジェスターの手に初めてエリゼーヌの刺繍が渡る。
メッセージカードが捨てられても構わないのだ、一度は彼の手に触れるのだから。
少女には意地になっている自覚はある。
生意気な態度をとって嫌われた自分が愚かなのだが、他人に喜んでもらえるものは彼女には他には何もないのだ。せめて、最後だけでも自分の特技を認めてもらいたかった。
名前も呼んでもらえない婚約者候補だったが、なけなしのプライドくらいあるのだから。
ふふっ、と思わず笑みを漏らすと、案内してくれている従僕が振り返った。今日は手荷物が多いので、運んでもらうために侍女ではなくて従僕が付き添いだ。
「お嬢様、いかがしましたか?」
「ううん、なんでもないの。お気になさらないで」
すっかり淑女の笑みが身についたエリゼーヌは微笑む。
自宅で蔑ろにされがちだった少女は本心を隠しがちでもともと作り笑いは得意だった。ナディアの指導でさらに磨きをかけてわざとらしさが抜けた。自然になった微笑を彼女と親しい人間でなければ本心ではないと見抜けないだろう。
最も、父のイヴォンは見事に引っかかっていたがーー
大丈夫、大丈夫、と乳母の口癖を呪文のように唱えてエリゼーヌはこれからの覚悟を決めていた。
祖父は領地を息子に継がせるつもりはない。
マドレーヌが寒暖差の激しい山間の領地暮らしを厭うているし、彼女の体力では耐えられないだろう。イヴォンには魔術師団での仕事があるから王都のタウンハウスで暮らしていけるが、イヴォンの給料だけでは今の暮らしぶりを維持するのは難しく、エリゼーヌが領主となって多少の援助を送る予定だ。
伯爵令嬢時代の暮らしを改めるつもりのない母はその話でエリゼーヌが跡を継ぐのに苦情を言わなくなった。
祖父は生まれたのが女児でも初孫可愛さに婿取りを条件に跡取りと認めてくれた。しかし、悪阻もなく順調に第一子を出産できた息子夫婦は二人目も望めるものと期待してしまった。結果としては、第二子は悪阻が酷くてマドレーヌは体調を崩して転倒してしまい流産したのだ。
取り乱したマドレーヌは男児を望んだ義父のせいだと泣き叫び、義父と絶縁状態になった。その反動でエリゼーヌが孫と扱われる度に発作を起こしていたのだが、現状の生活維持が絡むと大人しく聞き分けるのだ。
婿取りに憂いがなくなり、将来的には母と離れられると思うと、気が楽になっていいはずなのに、エリゼーヌの足取りは重い。
ディオンの期待に応えられなかったのが申し訳なくて、なんだか胸が痛かった。
初日にお茶会をしたサンルームに案内されてエリゼーヌは温室内も名残惜しそうに眺めていた。もっと、この温室も堪能したかったし、庭師のおじいさんのお話も聞きたかったな、と視線を巡らしていたせいで、席に着いている人物に気がつくのが遅れた。
膝に開いた本を載せて読書中のジェスターだ。
え、と明るい灰色の瞳を見開いたエリゼーヌは一瞬だけ固まった。
「お嬢様?」
「あ、なんでもありません」
従僕に促されてエリゼーヌはジェスターの向かいの席に着く。恐る恐る顔を上げれば、ばっちりと目が合ってしまってぎくりとする。
「おかえり」
「え? あ、あの・・・」
「お・か・え・り」
「? た、だい、ま?」
ん、と満足げに頷いて、少年は手をだしてきた。エリゼーヌは意味がわからなくて首を傾げた。
「お土産は?」
「は、え、な、何を・・・」
「お・み・や・げ・は?」
「若様、こちらをいただいております」
疑問符を頭内だけではなく、顔中にもいっぱい思い浮かべて大混乱中の少女に代わり、従僕が運んだ手荷物の中からケーキを取り出した。
「あ、僕の好きなのだ。切り分けてくれる?」
「はい、若様は大きめでようございますか?」
「うん」
侯爵家の主従のやり取りの間、エリゼーヌは周囲をキョロキョロと見渡した。しかし、彼女の味方の侍女はクロエだけでなく誰一人とていないし、ディオンがやってくる気配もない。
「あの、おじ様は?」
「仕事だよ。この時間はいつもそうでしょ」
事もなげに答えた少年に少女は泣きたくなった。婚約者候補辞退の話を本人からされるなんてあんまりだ。ディオンに話があると呼ばれたのに。
膝の上に揃えた手に力が込められて握り拳になってしまったが、淑女の笑みはなんとかキープした。折角、侯爵家で教育してもらったのだ。これくらいで動揺して無様な姿は晒せない。
ジェスターは好物のチーズケーキを堪能していたが、目の前の少女が手付かずなのに気づいた。
「食べないの?」
「・・・え」
「チーズケーキ、嫌いじゃないよね?」
「は、い。いただきます」
所作だけは優雅にケーキ皿に手を伸ばしたが、エリゼーヌは味なんか全くわからなかった。淑女の笑みもすでにキツくなっている。
「ここのお店で今度新作のケーキがでるんだって。ザッハトルテって言ったかな。チョコのケーキだけど、これまでの物とは別物なくらい美味しいらしいよ」
「そうなんですか」
「もう予約がいっぱいで半年先まで埋まってるくらい人気なんだって。侯爵家はお得意様だから優遇してもらえるけど。・・・君、チョコ好きでしょ。食べたいよね?」
「・・・お裾分けしてくださるのですか?」
小首を傾げた少女にジェスターはぼそっと零した。
「え、そうくるんだ」
「あの、ジェスター様?」
聞き取れなかったエリゼーヌは世間話はそろそろ切り上げて本題に入ってほしかった。だが、ケーキを食べ終えたジェスターはメッセージカードを手に弄んで素知らぬ顔だ。
「父様が隣国から植物図鑑を取り寄せてたよ。興味あるよね?」
「はい、おじ様が貸してくださるのですか?」
作り笑いが緩んで少女の素が出てきた。嬉しそうな気配はいいのだが、これは図鑑に興味を示してか、それともディオンの気遣いが嬉しいのか。恐らく両方だろうな、と観察するジェスターの胸中は複雑だ。
エリゼーヌはジェスターの邪魔をしないし、聞き分けもよく煩わしさがない。婚姻相手としては、彼にとって都合の良い令嬢だった。どうしても縁組が避けられないなら、父が気に入っていることでもあるし、彼女が相手で問題はないだろう。
でも、ジェスターはなんだか物足りなくて嫌だった。
「君って父様のことが大好きだよね。やっぱり、可愛がってもらってるから?」
「ええ、おじ様はいつもわたしを心配して気にかけてくださってますから。お優しいし、とても頼り甲斐がある紳士ですもの」
ーーそれに、幸せになってもいいのだ、と教えてくれたもの。
エリゼーヌは心の中でこっそりと呟いた。本当はお父様みたいと思っていたが、実の息子の前で口にするのは遠慮すべきだろう。
ジェスターは面白くなさそうに、ふーんと呟く。
「それじゃあ、父様が義父になったら嬉しいよね。なんで、父様の提案を呑んだの?」
「・・・わたしは婿取りしなければならない立場ですから。もともと、侯爵家との縁組だなんて畏れ多いことでしたし」
「父様から申し込まれたから受けて、父様から提案されたから新しい縁組に頷くんだ。へー、そうなんだ。・・・ふうん、僕の意志なんてどうでもいいの?」
「そういうわけでは・・・」
エリゼーヌは表情に困って俯いた。ジェスターが怒って顔を合わせてくれなくなったから、ディオンから提案があったのに、この話の流れではエリゼーヌが不義理をしたようではないか。責められる覚えはないが、生意気な口をきいた自覚はあるから反論はできない。
「その、ジェスター様には、ご不快な思いをさせてしまって」
「そう思うなら、まだ付き合ってよ。後半年は見極め期間があったでしょ。勝手に短縮しないでくれる?」
「え、あの、・・・だって、怒っていらっしゃるのでは?」
「それはクロエやジゼルたち。僕、散々お説教されたのに、君はこのまま退場するの? ずるいよね」
「え・・・」
思いがけない言葉にエリゼーヌは目を丸くした。侯爵家の侍女がよくしてくれているのはわかっていたが、彼女たちの一番は侯爵家、ディオンとジェスターだ。エリゼーヌのために主に楯突くなんて思いもよらなかった。
はあ、とジェスターは膝に頬杖をついた。
「僕はナディアに育てられたからね。ジゼルやクロエにとっては息子や弟みたいなものらしくて、僕の立場は弱いんだよね。ねえ、君のせいで旗色悪いんだけど、どうしてくれるの?」
「え、あの・・・、どうと言われましても」
「責任とってくれるよね?」
「はい⁉︎」
エリゼーヌの声が裏返った。予想外の言い掛かりばかりで理解が追いつかない。だが、ジェスターは満足げに頷いた。
「うん、言質はとったから。婚約者候補継続ね」
「は? え、あの・・・」
「君、さっきからそればかりだ」
くっと口角を上げてジェスターが苦笑する。戸惑っていた少女は初めての笑みが嬉しくて気が抜けた。笑顔というには微妙だが、笑みには違いない。見たがっていたジェスターの一面だ。
ジェスターは明るい灰色の瞳が和やかに緩んだのを見て立ち上がった。エリゼーヌの腰掛けている長椅子の肘掛けに腰を下ろして少女を見下ろしてくる。
「手を出して」
ジェスターが手を差し伸べてくるから、エリゼーヌは疑問符を思い浮かべながらも手をのせた。すぐにひっくり返されて掌に何かシャラリと音がする物がのせられた。
「迷子防止の護身具だから。いつも、身につけていて。この邸内くらいの範囲なら君の居場所はすぐにわかるから」
そう言ってジェスターがポケットから取り出したのは赤い石のついたブローチだ。エリゼーヌは自分の掌のペンダントと見比べた。
ペンダントの方が少し小振りの同じく赤い石がついている。深みのある赤い貴石・ガーネットのようだ。
「この石と親子石なんだ。共鳴効果を利用した術でわかるようになってる。・・・教授や父様に協力してもらって作った試作品だから、利用して効果を確かめてみたいんだ」
「前に教授が解読した古書に載っていたものですね」
なるほど、被験者か、と少女は納得した。一瞬だけ、まさかプレゼントかと思って焦ったが、そんな事ある訳がなかった。
ペンダントを首にかけると手に取って眺めた。実験なのだとわかっていても、つい見事な深みの紅に見惚れてしまう。これまで縁がなかっただけで、エリゼーヌだって貴族女性の端くれだ。装飾品に無関心、無感動ではないのだ。
「実験が終わるまで大切に扱いますね」
「いや、実験じゃないんだけど・・・」
何故か額に手を当てたジェスターが項垂れてしまってエリゼーヌは首を傾げた。サラリと癖のない黒髪が流れて綺麗だなあ、と呑気に見惚れていたら、意を決したように少年が顔を上げた。肘掛けに腰掛けた彼の方が座高が高くなっているから、珍しく見上げる形になる。
「ジェスター様、どうかしましたか?」
「それだけど、ジェスって呼んで。君はエリィね、そう呼ばれた事ないんでしょ?」
「はい?」
「名前。呼んで欲しいって言ったでしょう」
ジェスターは早口で告げてそっぽを向く。エリゼーヌはにこりと笑顔になった。
「無理なさらないでください。わたしの我儘は忘れて・・・」
「はあっ? もう一度言ってくれる?」
半眼のジェスターが身を乗り出してきてエリゼーヌはびっくりした。すぐ近くに彼の顔が迫ってきて、つい後退りして長椅子から落ちそうになる。ジェスターが腕を掴んで引き寄せてくれたが、そのまま腕を離してくれなかった。
「あ、あの、ジェスター様・・・」
「ジェスでいいよ。様は要らない。僕もエリィって呼ぶし。まさか、イヤとか言わないよね?」
至近距離からの物凄くいい笑顔だ。
先程の苦笑よりずっと笑顔らしい、というか笑顔そのものでずっと見たいと願っていたものだ。喜んでいいはずなのに、何故か圧を感じて少女はちょっぴり怖くなった。
ん?と、促すように迫力が増した笑顔についつい首を縦に振ってしまう。ぶんぶんと音がしそうな勢いで頷いたため、髪が乱れた少女の頭にジェスターが手を伸ばした。
よく出来ました、というように頭を撫でられてエリゼーヌが固まる。ジェスターは気にせずに撫で続けた。
「公ではこれまで通りでいいよ。でも、私ではジェスって呼んでね。君にしか呼ばせないから、エリィも他のやつには呼ばせないでよ? クロエやジゼルにだってダメだから。もちろん、父様にもね」
「え、でも・・・」
「よ・ば・せ・な・い。わかった?」
「は、はひぃ」
圧に負けてつい噛んでしまった少女は真っ赤になって口元を手で押さえた。ずっと、頭を撫でられているのも居た堪れなくてとても顔をあげられない。
やっぱり、クマクマとは触り心地が違うな、とジェスターはえんじ色の頭を見下ろした。
ぬいぐるみと少女の頭の撫で心地を比べているなんて侍女たちに知られたらまたお説教は確実だが、この温かみのある色合いは彼にはとても落ち着くものなのだ。
子供の頃にお気に入りだったクマのぬいぐるみ・クマクマが大好きでジェスターはいつも抱っこして持ち歩いていた。ぎゅっと抱きつくと、とても安心感を与えてくれたクマクマは次第に元の毛が擦り切れてボロボロになってしまったけれど。
エリゼーヌはさすがにすぐに壊れたりはしないが、ジェスターは丁寧に撫でていた。少しでも強く力をこめると、細くて柔らかな髪の毛はぐちゃぐちゃになってしまいそうだ。さらさらする赤毛はとても手触りがよくて気持ちよいし、赤くなって俯く少女は新鮮で見ていて面白い。
これまで他の令嬢とは違って、エリゼーヌがジェスターを意識して表情を乱したことはなかった。もっと、見たことのない表情を引き出したくて少女に構えば、明るい灰色の瞳が驚きでまん丸くなって本当にクマクマの目に似ている。
エリゼーヌはディオンには無条件の信頼と無意識の甘えを寄せていて、ジェスターには見せない顔もしていた。それを目にするのがなんとなく面白くなかったが、自分に向けられてみるととても気分がよかった。
全部、自分にだけ見せてくれるようになったらどうなんだろう、とジェスターは想像してみた。
悪くない心地でディオンよりも優先してくれるようになったら、きっと彼女に感じていた物足りなさの正体が掴める気がしてーー
ジェスターは気の済むまで少女の頭を撫でていた。
追い込み漁か、と付き添いの従僕は死んだ魚のような目をして目の前の少年少女を見守っていた。
エリゼーヌと同じくらいの娘がいる彼はジェスター付きだが、心情的にはエリゼーヌ寄りだ。今日はジゼルを含めて侍女たちはケヴィンの策略により誰一人としてエリゼーヌの側に近寄れないように画策されていた。一応、ジェスターがイジメない限りは静観を命じられているのだが、どう見てもエリゼーヌが囲われているようにしか見えない。
周りくどくもだもだしていたジェスターは最後には直接行動にでた。
頭撫で撫でとか、若様、これまでの塩対応はどうしました? しかも、何気に独占欲発揮してますけど⁉︎ と、つい突っ込みたくなる光景だ。
女の子は大きくなると子供扱いは嫌がるものなんだがーー、と見守る従僕の目から見て、少なくともエリゼーヌは嫌がってはいない。
というか、エリゼーヌは困惑してどうしていいのかわからないようだ。ジェスターは手触りを楽しんでいるようでご機嫌なのだが。
ーーこれ、皆に報告するの、ワタシナンデスガ・・・。
目に見えない何かに無言の訴えをしながら、従僕は仲の良いのは結構なことだ、と婚約者候補の頭を撫で撫でする主の姿につい現実逃避に走った。




