若様は拗ねておられます
ケヴィンが主の部屋を訪れると、惨状は日々悪化していた。
部屋のあちこちに乱雑に本が積まれ、机の上には失敗してぐしゃぐしゃに握り潰されたメモ用紙の山だ。ベッドの上にも何かの古い冊子が中身をバラバラにされて散らばっている。
毎日片付けているのに、惨状はこの一週間でますますひどくなるばかりでジェスター付きの侍女や従僕から苦情があがっていた。
「若様、定期診察の時間ですが」
「・・・ああ、もうそんな時間?」
ジェスターは鬱陶しそうに黒髪を搔きあげて舌打ちした。
ジェスターは成長して魔力酔いから解放されても念のために夕食後に自室で魔力安定の診察を受けていた。彼ほどの高魔力保持者だと感情の揺れに引き摺られて暴走を起こしそうになることがあるからだ。
ベッドに腰掛けたジェスターはケヴィンに手首の脈を測られて魔力測定器で波長を確認される。
「少し乱れていますね。そう心配するものではありませんが」
「ふーん、そう」
興味なさげな少年に若執事はお説教だ。
「ご自分の身体のことです。もっと気になさってください」
「だって、心配は要らないんでしょ」
「まだ、気になさってるんですか?」
「・・・何を?」
そっぽを向くジェスターはケヴィンと決して視線を合わせない。原因はわかっているくせに認めたくないのだ。
エリゼーヌの名前呼びを断ってから一週間が経つが、あれからジェスターは彼女と顔を合わせていなかった。話を聞いたクロエを始めとする侍女たちが怒って少女を囲ってしまったのだ。
ジェスターが魔術の訓練や体力作りの運動をしている間にエリゼーヌは淑女教育や令嬢としての教養を学んでいた。それぞれの個別学習が済むとブレーズ教授との授業なのだが、今では授業時間はずらされて二人はすれ違いしているし、図書室へ向かうのも鉢合わせしないようにされていた。この間はダンスのレッスンもなしだ。
広い邸内で行動把握されている侍女に采配を振られてはジェスターに勝ち目はない。しかし、ジェスターは謝る必要はない、と突っぱねたものだから、侍女VS若様は冷戦状態に陥っていた。
ジェスターは好きな研究にのめり込んで時間を忘れるようになり、侍女たちの言う事を聞かなくなった。侍女も諦めたのか、好きなようにさせておくしで、健全な生活が乱れがちだ。
若執事は深々とため息をつく。
「若様、私は何があっても若様のお味方でございます。一言命じてくだされば」
「なんで? 必要ないよね。あの子の教育さえ順調なら構わないんでしょ」
「拗ねないでください。誰も彼もお嬢様を優先している訳ではありませんよ」
「はっ? 誰が拗ねてるって?」
ケヴィンは半眼になって睨みつけてくる主を仕方なさそうに見つめた。
「ジェスター様は一体どうなさりたいのですか? 婚約がどうしてもお嫌ならそれでも構いません。
旦那様はお嬢様の嫁ぎ先の選定に入られました。早ければ二ヶ月ほどでお相手との交渉も済み、お嬢様を引き受けてくださる家が見つかるでしょう。後少しの我慢で今まで通りの生活が戻りますよ。
ただ、お一人様をお決めになられるならば、学院で狩りの対象とされる覚悟はなさってくださいね」
「え?」
ジェスターは目をぱちくりとさせて首を傾げた。
「候補期間は一年って話でしょ。何、どう言うこと?」
「双方の合意でなければ婚約成立しない、というお話でした。すでに破談濃厚なら無駄に時間を重ねても無意味です。新たな婚約を整えてお嬢様にお相手と親しむ時間を割いて上げた方がよろしいでしょう。
シャルリエ子爵家は土地持ち貴族でエリゼーヌ様は跡取り娘です。独立予定の次男や三男だけでなく、新興貴族の嫡男でも爵位付きの領地が手に入ると、本来なら引くて数多ですからね。
子爵家は社交界にでないので、申し込みがしづらいらしく今までお相手がいなかっただけですので」
「・・・へー、そうなんだ。あの子がそうしたいって言うなら、仕方ないよね。彼女にも選択権があるんだから」
「旦那様が提案なさってお嬢様は承諾なさったそうです。エリゼーヌ様は謝っておられましたよ。『婚約者候補と認めてもらえなくて、お役に立てなくてごめんなさい』と」
「はあっ? 認めてないとか、何それ。名前を呼ばないくらいで・・・。第一、お役に立てないとか、なんなの?」
思い切り顔をしかめた主にケヴィンは深いため息で応じる。
「若様、ただの知り合いと変わらない対応ではお嬢様がそう感じられてもおかしくありません。お名前を呼んで欲しいなんて、これまでの令嬢方に比べるととても些細で可愛らしいお願いではないですか。どうして、呼んであげないのです?」
ジェスターは口を曲げてむっとしている。答える気がないと悟ったケヴィンは気持ちが落ち着くハーブティーを淹れて主に差し出した。そのまま、ワゴンを扉へ向けながら何気なく告げる。
「そう言えば、エリゼーヌ様は明日から来られません。領地へ出発なさるそうです。やはり、お祖父様にお祝いしてもらうそうで。ゆっくり過ごされるご予定と伺っておりますので、戻って来られるのは一、二ヶ月後です。
もうお嬢様には新しいお相手が決まっているでしょうから、お望みが叶ってようございましたね」
「な、僕は望んでなんか・・・」
がちゃんとジェスターが乱暴にサイドテーブルに茶器を置いた。鳶色の瞳が大きく見開かれて困惑げだ。
「最後の挨拶くらいはお名前を呼んで差し上げては?」
「最後とか言うな! 僕はただ・・・」
ケヴィンは中身が跳ねてサイドテーブルを濡らした茶器を静かに片付けた。テーブルの上も布巾で綺麗に拭う。ジェスターはじっとそれを眺めてぼそりと零した。
「・・・父様があの子をエリーって呼んでるのに。・・・僕はなんて呼べばいい? いきなり、愛称呼びとか勘違いさせるだけだ」
「普通に、エリゼーヌ嬢でよろしいのでは?」
「父様が愛称呼びなのに、婚約者候補の僕は普通に呼ぶのって変じゃないかな。・・・でも、勘違いされたり調子に乗られるのは困るんだ」
「何故、お困りに? これまではそれを理由にお断りされていたではありませんか」
ケヴィンの言う通りだった。
大人しげに見えた令嬢でも二度目以降に会うと侯爵家の権威や権力を当てにするような発言や態度が目にあまることが多かった。今まではこれ幸いにとお断りしてきたのだがーー
「・・・あの子には、そんなふうになってほしくなかっただけ」
ポツリと呟いた少年は迷子の子供のような目をしていた。
つまり、自ら手放すには惜しいと思うくらいには気に入っていたと言うことかーー
ケヴィンはやれやれとこっそりと肩をすくめた。これは確かにクロエの言う通り、面倒くさい。だが、優秀な少年のこんな不器用さを可愛いと思えるくらいには長い付き合いだ。専属執事は幼い頃にしたようにジェスターの前で膝を折った。
「ジェスター様、私の主は貴方です。お嬢様でも旦那様でもありません。私が今まで貴方の望みを叶えなかったことがございましたか?
何をお望みなのか、どうしたいのか。一言仰るだけでいいのです。私は貴方の専属なのですから」
「・・・ケヴィンはよく尽くしてくれてるよ。君の忠誠を疑った事なんてない。・・・ただ、父様の意向だと・・・」
「何も問題ありません。若様第一主義は雇用の最低条件でしたので。叔父にも、旦那様にも文句を言われる筋合いはございませんよ」
頼もしい笑みを浮かべる専属執事にジェスターは拗ね気味に助言を請うことにした。




