ささやかな望みなのですが
エリゼーヌは小首を傾げた。目の前のジェスターはむすっとして不機嫌そうだ。
誕生日プレゼントに何が欲しいかと聞かれても、咄嗟には出てこない。そもそも、彼女の誕生日は領地で祖父が祝ってくれるものだ。今年は侯爵家での教育が忙しくて領地へ出向く暇はない。祖父からカードとプレゼントが届くくらいでお祝いの予定はなかった。
それを告げると、ジェスターの眉間にすごく深いシワができてしまった。
「ホント、君のとこの使用人って・・・」
「あの、騒がしくするとお母様の具合に響くから。わたしも遠慮しながらのお祝いなんてされても嬉しくないし。だから、いいんです」
少女にしては珍しく強い口調だ。ジェスターが鳶色の瞳を丸くすると、エリゼーヌははっとしたように目を伏せた。
「えと、別に欲しい物はないし」
「それじゃ、僕が困るんだけど?」
ジェスターの言葉に少女は俯く。
ディオンから言われたのだろうけど、婚約者候補に過ぎないのにプレゼントをもらっても後で虚しくなるだけだ。どうせ、エリゼーヌはただの練習相手で、そのうち侯爵家とは無関係な間柄になるのだから。
しかし、それを口にするのはできなかった。ジェスターは本命のことは知らないのだと思う。
ーーだって、彼が知ったら、顔合わせ前にお断りしそうだもの。
大分、ジェスターの性格を把握してきたエリゼーヌは考える時間をもらおうとしたが、相手は許してくれなかった。
「用意するのに時間がかかる物だと間に合わないかもしれないから、今日中に決めて。要らないって選択肢はなしね」
なかなか無茶を言ってくれるものだ。おかげで頭を悩ませたエリゼーヌはその日の授業で散々な目に遭った。
同じ計算ミスを繰り返すわ歴史の年号をずらすわで、お得意の古語の翻訳でもまさかの噛み噛み発言だ。
「この単語は『ほにゃみにゃ』なのですか? 現代語だと、どのような意味になるのでしょう」
ブレーズ教授に真顔で質問されてエリゼーヌは真っ赤になった。
「い、いいえ。あの、ち、違うんです」
「では、『ほにゃらら』とか『ほみゃあ』などの特殊語ですかな?」
「ぶっ、くくっ・・・」
真面目な教授から放たれる予想外の言葉にジェスターが吹き出した。エリゼーヌがぱっと見やると、彼は背を向けてしまったが、肩がふるふると揺れていて笑いは継続中だ。
「な、何もそんなに笑わなくても・・・」
むうっと少女は唇を尖らせた。元凶はジェスターなのに、と不満気に彼を睨みつけるが、背を向けている相手には効果がない。
どうせ、笑うなら笑顔を見せてくれても、と愚痴りそうになってエリゼーヌはいい事を思いついた。
授業が終わって休憩時間になると、エリゼーヌは早速思いつきを口にすることにした。
「ジェスター様、プレゼントは物でなくても構いませんか? してもらいたい事でも?」
「してもらいたい事ってどんな事? 何かわからないけど、出来る事と出来ない事があるからね」
慎重なジェスターの言葉にエリゼーヌはストレートに言うべきか悩んだ。
『笑顔を見せて欲しい』という単純なお願いだが、ジェスターが相手だと果てしなく難易度が上がる要求だ。
「えーと、あの、・・・誕生日がくると、わたしとジェスター様は少しの間だけ同い年になりますから・・・」
「うん、それで?」
「あの、もう少し、なんと言うか、その・・・」
じっとエリゼーヌを見つめる鳶色の瞳には警戒心が浮かんでいて、少女は失敗したかな、と早くも後悔の念がいっぱいだ。
「あの、・・・やっぱり、いいです」
「よくないよ。勝手に自己完結して終わらせないで」
ジェスターは目を泳がせる少女に詰め寄った。彼だって色々と考えはしたが、いいアイディアが思い浮かばなくて時間切れになるよりも、と本人に尋ねることにしたのだ。
エリゼーヌは装飾品になど興味がないと思っていたのに、ディオンから真珠の髪飾りを贈られたら物凄く喜んでいた。
偶然の産物でハート型になった真珠の髪飾りは世界で一つだけの物だ。真珠は本来なら粒の大きな丸い玉が好まれるため、規格外で処分されるはずだったが、ハート型なんて珍しい形状になったためお試しで加工されていた。ディオンは義娘(予定)とのデートを台無しにされた腹いせで元凶の相手からせしめ・・・もとい、少々強引に譲り受けたらしい。
少女は自分でつけるのは難しいとルクレール家で髪飾りを預かってもらい、こうして授業を受けにくるたびにクロエにつけてもらっていた。今も彼女のえんじ色の髪を引き立てるように真珠の髪飾りでまとめられている。目につく度にジェスターは折角買ったリボンが渡せなかった苛立ちに襲われるのだ。
父には誕生日のプレゼントに装飾品は渡さないで、と伝えてある。まだ、候補にすぎないのに、侯爵家と縁づくからと下手に調子にのられては困るのだ。
「言ってくれないと、何がいいのかわからないんだけど? 何をしてもらいたいの?」
「・・・あの、言っても怒りませんか?」
「怒られるような事させたいの?」
鳶色の瞳がすっと細められて冷ややかな雰囲気が漂い始めた。エリゼーヌはきゅっと唇を噛み締めて、やっぱり失敗だったと深く後悔したが、今日は助け船のクロエは控えていない。自分で収拾しなければならなかった。
「若様、そう威圧したら、お嬢様も言い出せないと思いますよ」
それまで空気のように気配を消していた若執事ケヴィンが二人の間に割って入った。クロエだと邪魔されかねないので、ジェスターが彼を付き添いにしたのだ。
ケヴィンはエリゼーヌに花茶を淹れてくれた。フワッといい香りがしてお茶の中で花がゆっくりと開く。ふっと少女の顔から強張りが緩んだ。
「エリゼーヌ様、そう遠慮なさらずに。思った事を仰ってください。若様が無理でも私どもが叶えて差し上げますから」
「ちょっと、ケヴィン」
主に睨まれても若執事は微笑みで躱すだけだ。
ーー使用人皆にも・・・、と考えたエリゼーヌは望みを変更することにした。笑顔よりも難易度が低いもので、こちらの方がまだ成功度は高いはずだ。
「あの、名前で呼んで欲しいのですけど・・・」
「お名前と言うと、エリゼーヌ様ですか」
ケヴィンが不思議そうに呟き、はたとジェスターを見遣った。
「若様、もしや、お嬢様のことを」
「ん? シャルリエ嬢って呼んでるけど?」
主の返答に有能な若執事は『やっぱり教育間違えたのか⁉︎』と頭を抱えたくなった。ジェスターはどこがおかしいのかと不可解そうだ。
「そんなのじゃプレゼントにならないよ。もっと他にないの?」
「そう言われても・・・。皆さん、名前で呼んでくれているのに、ジェスター様だけなんですもの。少し、他人行儀じゃないかなって・・・」
「赤の他人なんだから当たり前でしょ。別に不都合はないんだし、構わなくない?」
「え、あの、・・・でも」
「却下。他のことにして」
「・・・・・・・・・・」
ケヴィンを促してお茶を淹れてもらったジェスターはしばらくは花の香りを楽しんでいたが、静けさが気になって顔を上げた。空気に徹する若執事はともかく向かいの席の少女がやけに大人しかった。花茶に手もつけずに俯いたままだ。
「シャルリエ嬢?」
弾かれたように顔を上げた少女がにこりと微笑んだ。
「欲しい物はないし、義務のプレゼントは要らないです。わたしの誕生を祝ってくれる気持ちだけで十分ですから」
「義務って・・・、え、何それ?」
「ジェスター様は婚約者候補だから、プレゼントをくださるのでしょう。親愛の気持ちじゃないですよね。だから、欲しくありません」
好意でなければ要らない、と淑女の笑みで少女は言い切った。
ジェスターは思わず気圧されて息を呑む。
大人しい少女から拒絶の意思を感じたのはこれが初めてだ。一線を引かれた気がしてなんだかおもしろくない。
「エリゼーヌ様、私どもは義務などとは思ってもいません。是非ともお祝いさせていただきたいと思いますが」
「ありがとう、ケヴィンさん。でもいいの。皆さんのお気持ちだけで十分ですから。お祖父様がちゃんとお祝いしてくれるから気になさらないで」
若執事のフォローも他所行きの微笑みで見事に躱された。
少女は教育の成果を披露して優雅な仕草で花茶に手を伸ばす。視線は合うのに、貼り付けた笑みで本心は隠される。貴族の社交では欠かせない技能だ。
令嬢として至らない彼女が、それを取得しているのは喜ばしいことなのだがーー
その日、ずっとエリゼーヌは社交辞令の微笑みを崩さなかった。




