お祭りに行きました
今回は長めですが、前後編に分けるにはキリよくなかったのでそのまま続けます。
ジェスターはうんざりとしていた。
人混みは苦手なのに、下町の祭りで人波の中だ。迷子防止で手を繋いでいるエリゼーヌはきょろきょろと忙しく周囲を見渡しているが、とても楽しそうなのがなんだか憎らしかった。
地方で信仰されていた女神教が信者獲得と資金調達のために王都の下町で始めた女神祭という名の祭りは今年で10周年で、例年よりも規模が大きいらしい。下町にある女神教の教会前の広場を中心に食べ物や手作り商品の屋台が表通りまで並んでいた。
教会では女神教のシンボルである百合の花の造花を配っており、良縁を呼ぶ御利益があるとか噂が広まっていて、皆屋台巡りをしてから教会に赴くコースだ。
本当はディオンがエリゼーヌを連れてくるはずだったのに、急な仕事が入ってジェスターが付き添いを頼まれた。これまで閲覧禁止だった魔術書の解禁を報酬に受け、護衛と一緒にクロエが保護者枠で来ていた。でも、人混みが思ったよりも多くてはぐれてしまった。行き先は教会とわかっているが、すぐには合流できない。
初対面での図書室での失態があるから、エリゼーヌの安全には神経を使う。それなのに、当の本人は全く無警戒で周りに見惚れていた。
「はぐれると困るから手を出して」
「あ、はい」
ジェスターが渋々と手を差し伸べると、エリゼーヌは素直に繋いでくる。
普通の貴族令嬢なら躊躇うなりはにかむなりするところだが、彼女は淡々としている。必要措置だからと気にしてないようだ。
何か下心のある相手だったらどうするつもりなのか。もちろん、ジェスターには疾しい考えはないが、お説教したくなるくらい少女は無防備だ。
『何か突出した才能があると、その他は凡庸以下だったりするものです。特質の代償とでも言いましょうか。天才とは何の犠牲もなしには成り立たないのだと思いますよ』
ブレーズ教授の言葉が脳裏に蘇り、ジェスターは隣の少女をマジマジと見やった。教授には語学力を、侯爵家の使用人からは刺繍の腕前を絶賛されているが、確かにそれ以外は劣っていることも多い。実にアンバランスな少女だ。
初対面でぎこちない所作なのは年下で下位貴族だからと思ったのだが、教育不足のせいだった。貴族の常識も若干欠けているようだとナディアも心配していた。当人は決して怠け者ではないし、サボり癖がある訳でもない。ディオンが危惧して世話を焼くのもわかる気がする。
エリゼーヌが足を止めたので彼女の視線の先を追うと、色とりどりの絵葉書や小さな額縁の絵画が並べられている屋台だ。
「欲しいの?」
「えっ? あの・・・」
あまりに熱心に見惚れているから声をかければ、少女は目を泳がせた。
ジェスターはふうと息をついた。軍資金は父からもらっている。
「どれが欲しいの。買ってあげる。君の面倒を見るように父に言われてるから」
「でも・・・」
「全部買う?」
エリゼーヌが目を丸くするのと、ガシッとジェスターの肩が掴まるのが同時だった。
「若さ、じゃなくてジェスくん、何してるのかな?」
ロリコン+シスコン疑惑の護衛騎士ノエルだ。私服姿の彼は笑顔だが、ひくりと頬が引き攣っていた。
「え、なんでいるの?」
ジェスターがさり気なくエリゼーヌを背後に隠す。ノエルは周りを見渡してから声を低めて内緒話だ。
「若様、それはないでしょう。これぐらいで護衛対象を見失うほど侯爵家の護衛はレベル低くないっすよ。ちょっと距離が開きましたけど、ちゃんと付いてますって。それより、屋台丸ごと買い占めとか何やらかそうとしてるんです? 目立ちまくりですよ」
ノエルは市井に紛れて影からの護衛役だったが、表立った護衛の同僚が子供らと距離が開いたために側に近づいていた。優秀だが世間慣れしていない主が何やらやらかしそうで慌てて声をかけたのだ。
「だって、これだけあれば買えるでしょ?」
ジェスターが見せてきた財布の中身は全て金貨だ。
社会勉強の一環で子息にも一般庶民の生活を教えていた侯爵家だが、さすがに実践では話だけとは勝手が異なる。折角、お忍びで庶民の祭り用の晴れ着を着て身分を隠しているのに、貴族とバレバレではないか?
これだからボンボンはーー、と言いたくなったノエルだが、自分の懐から出した財布の中身をいくつかジェスターの物と交換した。
少年少女は銅貨を珍し気に眺めている。
「こんなとこで金貨なんか出しても釣りに困るだけです。小銭用意しておかないと。それから、お二人はただでさえ、所作でいいとこの子供だって思われるんですから、少しは身元を隠す工夫してくださいよ。
世の中、悪い奴らがいっぱいですよ?
というわけで、ジェスくんとエリィちゃんは豪商の兄妹。今日は親戚のお兄さんと祭りに来た設定で。はぐれないでくださいね」
「ジェスくんって、安易なネーミングだね。偽名の意味あるの?」
ジト目のジェスターに対してエリゼーヌはくすぐったそうに笑った。
「エリィちゃんなんて呼ばれたの、初めてです」
「いつもみたいに呼んでたら目立ちますから。では、買い物の仕方はわかりますか? ってか、したことあります?」
「あるに決まってる」
ジェスターは馬鹿にするなと、むっとしているが、エリゼーヌは不安気に俯いた。
「あの、・・・したことなくて」
「じゃあ、一緒にしてみますか?」
「はい、お願いします」
ノエルの提案にエリゼーヌは笑顔になった。
ノエルは平民の出で6人兄弟の長男だ。面倒見が良い男なのだが、ウザすぎて振られる傾向にあった。エリゼーヌとあまり年が変わらない妹がいるので、親戚のお兄さん設定で面倒を見るつもりだ。
エリゼーヌはルクレール邸の皆へのお土産だと絵葉書を選び始めた。誰が何を好むとかの個人情報は同僚のノエルが詳しく教えてくれて彼女は楽しそうに選んでいる。
ジェスターは手持ち無沙汰で面白くなさそうにそれを眺めていた。
「なんだ、坊主。兄さんに彼女とられたのかい?」
ジェスターは周囲を見渡して首を傾げた。隣の屋台の髭面の男から自分に話しかけられたとは思わなかったのだ。
「あのくらいの女の子は年上に憧れるもんなんだ。そうめげるなよ」
「めげる必要なんかありません。妹ですから」
ジェスターはむすっとしつつも丁重に答えた。どうせ、良家の子女に見られているのだろうから、設定を崩すつもりはない。
「妹さん? あんまり似てねえなあ」
「異母兄妹なので」
「ああ、それでか。なら、坊主が妹さんに何か買ってやったらどうだ? お嬢ちゃんは土産ばかり選んでるだろう」
手招きする髭面の親父の屋台は女性の小物用品を扱っていた。「これなんかどうだ?」と愛想よく勧めてくる商売根性逞しい親父だ。
ジェスターは暇潰しに屋台を覗いてみる事にした。
ハンカチや手鏡、髪飾りにブローチと色々な小物が雑多に並べられている。装飾品はさすがに貴石は使用しておらず、ガラス玉が嵌められていた。
親父はやたらと装飾品を勧めてくるが、妹相手にそれはどうなのかと思う。ふとジェスターの目に若草色のリボンが目についた。
初対面でエリゼーヌが着ていたドレスと同じ色合いだ。彼の目に留まったリボンを見た親父は別の色を薦めてきた。
「こっちのクリーム色のリボンはどうだ? ちょうど、妹さんの服と同じ色だ。今日の装いに合ってるだろう」
「そうだけど・・・」
ジェスターは少しだけ悩んだ。
エリゼーヌはいつも白のレースのリボンで髪を結んでいた。今日もそうで、短い髪なので変わり映えのしない髪型だ。令嬢のくせにあまりオシャレに関心がないのか、少女は祭りでも着飾ろうとはせずにクロエが残念がっていた。
「二本とも買うなら、少しまけとくぞ。どうだい?」
親父はすでにジェスターが買うものと見込んでいる。まあ、暇潰しになった礼だと思えば、とジェスターは親父お勧めのまとめ買いだ。
隣の屋台に戻ると、エリゼーヌも買い終わったところで、ノエルが荷物を手にして手招きしてきた。
「ジェスくん、エリィちゃんと手を繋いであげて。はぐれちゃうと困るからね。エリィちゃんもお兄ちゃんと離れちゃダメだよ?」
「・・・兄妹設定には無理があるよ。隣の屋台のおじさんに似てないって言われたよ? 異母兄妹って答えておいたけど」
ジェスターがこっそりと囁くと、護衛は首を捻った。
「じゃあ、どうします? お友達設定にしますか?」
「あの、従兄弟とかなら似ていなくてもおかしくないと思います」
エリゼーヌも彼らを真似てヒソヒソ声だ。
「じゃあ、それで行きますか。若様、お嬢様、お互いの呼び名には気をつけてくださいね」
設定変更した彼らは教会を目指すことにした。手を繋いだエリゼーヌは呼び方の練習か小声で「ジェスくん」を繰り返している。呼び慣れない偽名に座りが悪くてジェスターとしてはなんだか落ち着かない。
「従兄弟なら呼び捨てでも構わないんじゃない?」
「じゃあ、ジェス?」
「・・・君はエリィだね」
小首を傾げたエリゼーヌに偽名を返すと彼女はくすくすとはにかんで笑った。
喜んでいるようで何よりだ、とジェスターは視線を逸らした。どうも、この少女はこれまで出会った貴族令嬢たちとは違って思いがけない反応ばかりするから対処に困る。
教会に到着すると、入り口付近でクロエがもう一人の護衛と待っていた。エリゼーヌの姿を認めてほっと息をつく。
「申し訳ありません。お嬢様、はぐれてしまうなんて心細かったでしょう」
「ううん。ノエルお兄さんとジェスがいてくれたから大丈夫よ」
「「ノエルお兄さん?」」
クロエとジェスターの訝し気な声がハモる。
「親戚のお兄さんの設定だから」
エリゼーヌの説明にもう一人の護衛ポールがノエルにジト目を向けた。
「お前、最近妹たちに相手にされないからって、お嬢様に構ってもらおうとか図々しくね?」
「はあっ? そんなのじゃねえや。お嬢様、一人っ子だから兄妹の振りが楽しいんだよ。そうですよね、お嬢様?」
ノエルの問いにエリゼーヌが恥ずかしそうに頷く。
「それではお嬢様のいい様に取り計らいましょう」と、設定は持続することになり、クロエが親戚のお姉さんでポールはその友人と新たに付け足された。
ジェス呼ばわりが確定したジェスターは一人呆れ顔だ。
ーー本当に皆この少女には甘い。これでワガママ三昧言いだすような相手だったらどうするつもりなのか。
ふと目が合うと少女は素の笑みを返してきた。
「ふふっ、ジェス。二人がお兄さんとお姉さんなんて、なんだかおかしいね」
「・・・それじゃあ、やめる? 身内ごっこ」
「え、・・・あの、・・・はい。わかりました」
エリゼーヌはすぐに目を伏せて頷いた。
この少女は聞き分けがいい、というかいつも諦めるのが早い。ジェスターは護衛や侍女からの咎める視線にイラッとしてため息をつく。
「ただの軽口だよ。一々間に受けないで。保身のために身元詐称してるんだから、これくらいのやり取りで沈まないでよ。やりづらい」
「ジェスくん、ちょおっと意地悪じゃないかなあ?」
「そうね、クロエお姉さんもそう思うわ」
ノエルに続いてクロエも目が笑ってない笑みで参戦してきた。ポールは護衛に徹する振りで関わりを避けているから、孤立無縁のジェスターはしかめ面になった。
「あの、・・・わたしが、分を弁えていなかったから。ごめ」
「そういうつもりで言ったんじゃない」
ジェスターは俯く少女の言葉を強く遮って言い返した。
今まで彼が関わってきた令嬢はこんな風に引き下がったりはしないから塩対応でもぬるいくらいだったのに、エリゼーヌはすぐに聞き分けてしまって本当に調子が狂う。
「もういいから。ここで立ち止まってたら、逆に目立つ。中に入ろう」
不機嫌そうにジェスターが歩きだすと、やれやれと護衛も動き始める。エリゼーヌもクロエに付き添われて後に従った。
女神教は大陸で一番信仰されている全能神から派生した宗教だ。父神に嫌われて捨てられた娘が荒野を潤し富ませて一大勢力を築いて女神と崇め奉られたという伝説から起こった。ウェルボーン王国では王姉が巫女になったことで勢力拡大が盛んだが、既存宗教とは違って女性と幼子の守護者という立場だから、宗教戦争が起こる心配はなかった。
エリゼーヌは熱心な信者ではなかったが、女神教の発祥地が母の実家の領地で幼い頃には何度か女神教本拠地の教会に行ったこともあるから馴染み深い。
教会に入ってまず目につくのは真正面のステンドグラスだ。女神と崇め奉られた女性が慈愛の笑みで人々から捧げられた百合の花を手にしている構図で、これだけでも観にきた甲斐がある。十分鑑賞に堪える芸術作品だ。
正面で立ち止まっては後から来る者の邪魔になるので左右に観賞用の通路が設けられていて、入った途端に誰もがそちらに誘導される。圧巻なのは正面の女神だが、入口から左右に3枚ずつステンドグラスが連なって伝説を物語っていた。
父神に追放されたところから数々の奇跡を起こして荒地を富ませ、人々に慕われていく様子が綴られている。
鑑賞に気が済んだ者は正面の壇上で配られている百合の造花をもらおうと列に並んでいた。部屋の中央では座席が並べられていて、神父が伝説にまつわる有り難い説法を述べている。
奥の扉から別室に移動できてそちらでは人生相談コーナーが設けられていた。信者獲得のために各地の教会から神父やシスターが駆り出されて応対しているのだ。
「あの、相談にのってもらったら、小冊子がもらえるのだけど・・・」
恐る恐るエリゼーヌがその小冊子が欲しいのだと切り出してきた。
「その小冊子って何か特別なの?」
「ええ、表紙にステンドグラスが転写されているの。どの構図のものがもらえるかはわからないけど」
目に映るものを何でも念写できる魔術の使い手が教会に属して制作していると説明されて、ジェスターは魔術の方に興味を示した。
「へえ、そういう術があるんだ。その使い手と話はできないの?」
「えーと、それは聞いてみないと」
エリゼーヌが首を傾げた。
そこで、彼らは二手に別れて別行動を取ることにした。ジェスターとノエル、エリゼーヌとクロエとポールという組み合わせだ。
相談コーナーは大きな部屋が衝立で仕切られていくつかのブースに区切られていた。テーブルと椅子に相談者と神父やシスターが一対一で会話するのだ。付き添い人は衝立に沿った椅子に腰掛けて控えるようになっている。相談者たちの姿は目に入るが、小声の相談内容は聞こえない距離だ。
エリゼーヌは短い会話でシスターから小冊子をもらってすぐに用事を終えた。
「エリィちゃん、何の相談だったの?」
「クロエお姉さんは何だと思う?」
珍しい事に少女はにこりと笑顔で問い返してきた。
設定を活かして探りを入れたクロエは驚いて言葉に詰まった。付き合いが浅くてもわかる。エリゼーヌのこのにこりは社交辞令用の笑みで本心を明かすつもりはないという意思表示だ。隠しておきたい事なのだと察して出来る侍女としては引き下がるしかない。
ポールがクロエにこそっと囁いてきた。
「お嬢様は小冊子が目当てで大した事ではなかったんじゃないの?」
「それなら、いいのだけど・・・」
大切そうに百合の造花と小冊子を抱える少女は相談内容を誰にも打ち明けるつもりはなかった。