侯爵様はお望みです
「子爵夫人は少々気が小さい方でね。臆病が高じて気鬱の病を患っておられるんだ」
ジェスターはエリゼーヌが帰宅してから子爵家の内情を父から語られた。ディオンは淡々とした口調だが、眼差しはとても冷めたものだ。
「夫人は身体が弱かったから、結婚に反対されてて。先代に跡取り息子を産まねば嫁として認めない、と言われたそうだ。それで、第一子は女の子だろう。すぐに二人目を身籠ったけど、体調の悪さとプレッシャーから流産してしまってもう子供は無理になってしまった。
先王の時代から女子でも相続権が認められているから何の問題はないのに、気に病んで発作を起こすと些細なことで喚き散らして大変らしい。本人はそれで満足して落ち着くようだけど、周りはたまったものじゃない。
子爵家では特別手当で使用人には口止めしてるが、そのせいで子爵家の使用人は質が悪いんだよ。金銭目当てで忠誠心はないに等しい人材ばかりだ」
「ああ、それで・・・」
ジェスターは今日の侍女の様子を思い出して頷いた。いくら、下位貴族でもあれはない、と思ったものだ。
「女主人が使用人を抑えきれない上に発作を起こすと使用人総出で応対する羽目になる。高賃金で少ない使用人しか雇えないから、夫人にかかりきりになる分、娘が疎かにされている状況だ。
あの侍女の様子を見ればわかると思うが、夫人に今日のことが知られたらエリゼーヌが一方的に悪いとされて侯爵家に迷惑をかけたとお断りにされるだろうね」
「え・・・」
ジェスターは思わず目を瞠った。
双方の合意のみで婚約成立すると条件が設けられたが、それはディオンと友人関係が築けているからだ。侯爵家と子爵家では歴然とした家格差がある。下位から高位へのお断りなんて普通はあり得ない。
ディオンはふうと息を吐き出した。
「前にもあったことなんだよ。エリゼーヌに非があろうとなかろうと問題が起これば夫人が騒ぎ立てて、『不束な娘がご迷惑をおかけした、申し訳なくて顔を合わせられない』と相手の家との付き合いを断たれる。
あの子の唯一の友人のブロンデル嬢とだって、初めてのお茶会でブロンデル嬢がお茶をこぼしてエリゼーヌのドレスを汚してしまったことがあったんだが、着替えを借りてきた娘を夫人は粗相をしたと叱りつけたんだ。ブロンデル家からきちんと謝罪があったにも関わらず、話を聞かずにエリゼーヌにブロンデル嬢との付き合いを禁止した。
ブロンデル嬢がどうしてもエリゼーヌとの友情を失いたくないと尽力して、取引先の上に格上の伯爵家から申し出られて何とか続いている縁だが、下手をするとあの子は友人の一人もいなかったところだ」
「子爵夫人はお身体が弱くて社交界にはお出にならないと聞きましたけれど・・・」
「社交界どころか全く外出しないね。だが、手紙で交流を持っている友人はいて、色々と社交界の噂は耳に入っているらしい」
口出ししてきたのはナディアだ。彼女にも関わる話だからと同席を求められていたのだ。ジェスターは気難しげに顔をしかめた。
出禁にするにはちょうど良い口実になるが、今日のことはエリゼーヌに非はないのに一方的に責められるとなると気の毒だ。かすり傷でも怪我をさせてしまった負い目もあって罪悪感が込み上げてくる。
ディオンはそんな息子には気づかずに両手を組んで頬杖をついた。
「それでね、折角の機会をこの際最大限に利用しようと思うんだ。
ジェスター、婚約しようとしまいと、この一年間は我が家でエリゼーヌの面倒を見たいから協力してくれるかい?」
「随分と父様はあの子がお気に入りですね?」
不審げな息子に父親は事もなげに告げた。
「ああ、あの子には責任があるからね」
「え、まさか、異母妹だったんですか⁉︎」
「はあっ? もしかして、私は浮気認定されてるのかな。息子よ、父をそんな非道な人間だと思ってるの⁉︎」
「今の発言ではそう思われても仕方ないですよ、旦那様」
ナディアは親子の脱線しそうな話し合いに呆れている。
「ええー、私のせいかい? 息子に信用されてなくて凹むのに・・・」
「じゃあ、責任って何ですか?」
まだ疑わしそうな息子にディオンは悲しげな視線を向ける。
「息子が冷たい・・・」
「成長すれば男の子なんてそんなものですよ、旦那様。男親は越えて行かなきゃならない存在。永遠のライバルですから」
「ええー、僕、そんな面倒なのヤダけど?」
「息子に面倒とか言われた・・・」
「旦那様、シャッキとしてください。そういうのが面倒臭いと言われるのですよ」
ショックを受けるディオンに乳母は冷たかった。更に止めを刺してくる。ディオンはこほんと咳払いした。
「私はあの子に幸せになることを諦めなくていいと教えたんだ。あの子は5歳で自分は母を不幸にする子供だと思い込んでいたから」
「え、何それ」
「まあ、そんなこと・・・」
ジェスターとナディアの呟きが同時だった。
エリゼーヌは母の体調がよくないと発作が起こるとわかっていたから、幼少期から母の実家に預けられることが多かった。そこで何か言われたらしく、母親が女の子を望んでいなかったと知った。要らない子だから預けられるのだと思い込み、引きこもり気味になった。
ディオンは娘の様子がおかしいと心配する友人・イヴォンに頼られてエリゼーヌの様子を見に何度か子爵家に通い、少女の憂いを晴らすことに成功した。
それから気にかけていたが、どうやらエリゼーヌは子爵家で母に疎まれているせいで良い待遇ではないようだった。
母が発作を起こせば、家庭教師は休みをとらされて教育が疎かにされる。母が気に入らなければ友達付き合いも認めてもらえず友人ができない。母親が社交界に出ないせいでエリゼーヌも下位貴族の子供たちにも馴染めない、などなど。
ディオンは夫人の療養とエリゼーヌの教育の両立は難しいと娘を領地へ預けることを提案したが、夫人に反対された。
夫人曰く、嫁と認められていない自分の娘が孫として扱われるのはおかしい、と。
先代は領地が山地や谷間など険しい地形で薬草の群生地の見回りは男手でなければ厳しいと男児を欲しがった。跡取りは男児しか認めないつもりではなかったが、夫人はすっかり舅に嫌われていると思い込んで舅に怯えていた。それなのに、娘だけ認められるなんて耐えられなかった。
「夫人は娘に直接言ったこともあるようだよ。何故、男の子に生まれなかったんだって」
「そんなの、彼女のせいじゃない」
「そうですよ。お嬢様がお婿さんをとって跡を継いでも良いんですから、そんなふうに仰ったらお可哀想です」
不機嫌な息子と憤慨する乳母にディオンも同意して頷く。
「うん、私もそう言ったんだがね、イヴォンは自分だけでも妻の味方でなければ、と奥方寄りだし、普段は仕事で家にいないから夫人を諌められない。私も所詮は赤の他人だ。そう口出しできるものでもないし、黙って見ているしかできなかったのが歯痒かった。
しかし、今回の件で介入できることになったからあの子には出来るだけのことをしてあげたい」
「でも、一年間だけじゃ意味がないでしょ?」
ジェスターがむすっと拗ねるように口を挟んだ。同情で婚約者を押しつける気かと捻くれそうだ。
「まあ、婚約成立すれば何も問題ないが、君とのご縁がなかったらそれはそれで他に相手を見つけるつもりだから心配することはない。あの子の教育を引き受けてくれそうな家を見繕うつもりだ。
ナディアにはあの子に淑女教育を始めとする礼儀作法や教養を教えてあげてほしい。ロザリーを鍛えた貴方なら出来るだろう?」
ロザリーはジェスターの母で伯爵令嬢だった。侯爵家の嫁として恥ずかしくない教育を施したのはナディアだ。
「そう言うことでしたら、喜んで。賢そうなお嬢様ですもの。すぐに身につくと思いますわ」
ナディアが力強く引き受ける。
「ジェスターは一緒に家庭教師に学んで助けてあげてくれないか。あの子は語学や刺繍とか興味のある分野では独学で秀でているが、算学や歴史はさっぱりで、同年代の子より遅れている。学院に入って苦労しない程度にはして欲しいんだ」
「僕が教えるの?」
「いや、メインは家庭教師で、君はわからなくて困っているところを教えてあげればいい。君の復習にもなって一石二鳥だろう」
そういうことなら仕方がない、とジェスターは頷いた。どうせ、ナディアがやる気になっている以上、巻き込まれるのは確実だ。下手に逆らうと後が怖い。
「それでは頼んだよ」
ディオンは一仕事終えたような面持ちで息子たちに頼み込んだ。




