大切な婚約者を守っていますが、何か?
今回も長めですが、断罪劇もようやく終幕です。
リーゼロッテを避けて室内を大回りしたジェスターが婚約者のそばにたどり着くなり抱きすくめたのだ。
彼が纏う黒のマントにすっぽりと包まれたエリゼーヌの姿は後頭部と足元しか見えない。
「誰が私の名前を呼んでいいと言った? 本当に物覚えが悪いね。
私は非常識その2の悪意から大切な婚約者を守っているだけだけど?」
それが何か? と無表情で返されて、リーゼロッテは唇をわななかせた。悪意と断言されてショックを受けている。
「悪意だなんて、ひどい。わたくし、そんなつもりは・・・。
ジェスター様の婚約はお父様に勝手に決められたのでしょう? どうして、そんな・・・」
「はあ、物覚えが悪いだけでなく、察しも悪いのか。
婚約を断りまくった私が父の命だからとすんなり頷くはずないでしょ。エリゼーヌは父が義娘にと望んで、私が伴侶にと願った私の婚約者だ。
いい加減に名前を呼ぶのはやめてくれ、迷惑だよ」
「そ、そんな・・・。で、でも、エリゼーヌ様はジェスター様に相応しくないです。メリザンド様たちくらいしかご友人がいないのですよ? 社交しない貴族女性は致命的なのでしょう。
わたくしのほうが学院ではお友達が多く、幅広い人脈を築きあげました。フリードリヒ様ともお友達でファーベルク皇家との縁もあります。貴族夫人として利のあるご縁を数多く持っていますわ」
「へえ? ベルナール公爵令嬢を『くらい』とか言うのか。君はどれだけ自信家なのだか」
ジェスターがゆるりと口角をあげた。皮肉げな笑みを浮かべるが、目は全く笑っていない。
エリゼーヌを貶め、まるで自分のほうが相応しいと言いたげなリーゼロッテの物言いには怒りしか感じなかった。
「我が家は社交を重要視していないが、エリゼーヌ個人の縁で十分な人脈を築いている。君に心配される必要はない」
「そうですわよねえ。エリゼーヌ様はオベール公爵夫人やドナシアン侯爵夫人にお茶会に招待されましたもの。お友達もぜひご一緒にとお声がけがあって、イングリットも同伴してくださったわ。
ねえ、イングリット、よきご縁だったでしょう?」
「ええ、我が家にはありがたいお誘いでしたわ。ヴィオレット様もご一緒で心強く、有意義でとても楽しかったです」
メリザンドが口を挟んできて、リーゼロッテは愕然となった。まさか、イングリットが高位貴族と誼みを結んだなんて初耳だ。
今期の学院では公・侯爵家の生徒はメリザンドだけだ。男子学生ではベルナール公爵家の分家の伯爵令息が最高位だった。リーゼロッテはなんとか繋ぎを持とうとしたが、生徒会長を務めていた令息にランチのお誘いを断れまくった。
生徒会業務で忙しいと言っていたが、事実である。
フリードリヒによる対人トラブルで副会長のシリルが忙殺され、彼の業務を他のメンバーで負担しなければならなかったからだ。
リーゼロッテの人脈は下位貴族中心で伯爵家は少ない。影響力は低く、エリゼーヌより有益な人脈とは言えなかった。
「そんな、ひどいですわ。わたくしをのけ者にして、イングリット様だけなんて・・・」
「何を仰るのやら、貴女の自業自得でしょう。わたくしたちとの交流を断ったのはリーゼロッテ様なのだから。
身分が上の令嬢が怖いと散々仰っていたのに、もうお忘れになったの?」
「まあ、それでは仕方ないわね。オベール公爵夫人は女王陛下の姉君でしたもの、格上の女性を怖がるロイター嬢ではお会いするのは無理ではなくて?」
「え、女王のお姉様?」
アルビーナがちらりと見やった。リーゼロッテは憤然としていて、可愛らしさの仮面が外れかけている。醜く歪める顔をもっと早く弟に見せて欲しかったものだ。
リーゼロッテは祖父が侯爵でも自身はただの男爵令嬢だ。伯爵令嬢のイングリットとの縁だけでも十分ありがたいだろうに、自ら袖にした。それで『幅広い人脈』と言われても、失笑するしかない。
「エリゼーヌ様がそんな偉いお方と知り合えるわけないわ、ただの子爵令嬢なのに。
メリザンド様、見え透いた嘘をつかないでください。本当はメリザンド様のご縁なのでしょう? どんな見返りでエリゼーヌ様を煽ててあげているのですか?」
「「「はっ?」」」
女性陣は全員面食らった。リーゼロッテが何を言いだしたのか、全く意味不明だ。リーゼロッテは気の毒そうに周囲を見渡した。
「エリゼーヌ様にはわたくしを暴漢に襲わせようとしたり、フリードリヒ様の思い人に魔力暴走を起こさせた疑惑がありますもの。聖女候補だって降格の原因はエリゼーヌ様と揉めたせいだと聞いています。
そんな方が高位貴族夫人と交流できるわけないでしょう。皆様、騙されてはいけませんわ」
「死にたいの? 私の唯一最愛を侮辱した覚悟はできているよね、ああ、できていなくても許すつもりはないけど」
「貴様、何を!」
絶対零度の声音にリーゼロッテが固まり、フリードリヒがそんな彼女の前にでて庇う。
ジェスターは無表情でアルビーナに視線を向けた。人の話を聞かず、思い込みを糺すことのないリーゼロッテもそれを庇うフリードリヒも容赦する気はない。
「ルーベンス公爵夫人。私の婚約者に対する侮辱は到底謝罪されても許せるものではありません。それを庇う相手に対しても同罪です。
ご無礼に関するお咎めは後でいかようにも受けますが、私は敬意を表すに値しない相手に尽くす礼儀は持ち合わせておりませんので、無礼講でいかせていただきます」
恐ろしい宣言に誰もが顔をひきつらせる中、ジェスターは首元をひっぱられてグッと言葉に詰まった。彼の腕の中でモゾモゾとしていたエリゼーヌが思いきり襟をひっぱったのだ。ようやく、婚約者の腕の中から顔をだせたエリゼーヌがぷはっと息をついた。
「待って、ジェス! 落ちついて! お願いだから、大事にしないで。殿下やリーゼロッテ様に何かしたら、国際問題になるわ」
エリゼーヌは焦っていた。
ジェスターが学院長からの依頼で隣国へのお迎えメンバーになったのは知っていた。複数の情報源から学院の様子を聞いていた婚約者は昨年のように何か起こっては困ると、自薦したのだ。
ジェスターがエリゼーヌのためを思ってのことだと理解していたが、婚約者のエスコートがなくて内心ではしょんぼりとしていた。それなのに、断罪劇に巻き込まれてとても怖い思いをした。ジェスターが間に合った時にはすごく安心したが、すぐに青くなった。彼の怒りの頂点が天元突破したのを感じたからだ。
ジェスターは怒り具合が高まるほど、感情は冷めていく。冷ややかどころか、無表情になったらやらかす心配しかないのだ。
「僕に任せておいて。エリィはもう非常識な愚者どもの相手はしなくていいからね」と優しく耳元で囁く婚約者様には安堵どころではなく、恐れ慄くしかなかった。
エリゼーヌはリーゼロッテをまっすぐに見据えた。婚約者様が離してくれないので、マントに包まれたままとか些かマヌケな姿だが、できるだけ毅然とした。リーゼロッテは思いきり不愉快な感情を剥きだしにしている。
「わたくしは神に誓ってやましいことなど何もしておりません。
遠縁のドナシアン侯爵夫人に刺繍をお目にかける機会があって、気に入ってくださった刺繍作品をお譲りしたのです。兄嫁のオベール公爵夫人がそれを目にしてのご縁です。夫人は刺繍の鑑賞会をサロンで開催しており、お誘いされました。
クレージュ侯爵令嬢との諍いは両夫人ともご存じで、クレージュ家からお断りしたのだから、関わり合いにならないほうがよいと助言されました。それゆえの不干渉宣言です。
先代のクレージュ侯爵はお気の毒なことにご病気です。お言葉を鵜呑みにはできません。
聖女候補のことはきっかけになっただけで、もともと降格の予定はあったのです。わたくしのせいとは言えません」
ブランディーヌとの諍いは花の露天販売の横取り以外は公にされていない。エリゼーヌの名誉のためにディオンが骨を折ってくれたのだ。解雇された使用人が何を漏らしたのかは知らないが、言質をとらせるわけにはいかない。
エリゼーヌは自身が持つ最大の縁故を惜しみなく利用することにした。ここでジェスターに口出しされて報復宣言されては本格的に国際問題に発展してしまう。
「殿下にしてもリーゼロッテ様にしても、証拠もないのに思い込みだけでわたくしを非難なさっておられます。わたくしが何か罪を犯したと明言なさるならば、きちんと証拠を示してくださいませ。できないならば、お二人のなさったことはわたくしへの誹謗中傷です。発言の撤回を求めます。
クレージュ家のご当主や使用人の方々、露天販売のスポンサーであるドナシアン家、わたくしをお招きくださったオベール家にお話を伺っていただければ、思い違いだとわかっていただけると思います」
「ちょうど、そのクレージュ家から殿下に苦情がきていますよ」
ジェスターが襟元から文鳥を取りだした。遠話術装備で会話可能な文鳥から、若い男性の沈痛な声が響いた。
『クレージュ家当主リュシアンです。皆様には卒業のこのよき日に我が家の醜聞に巻き込んでしまい、誠に申し訳ない。
ルクレール殿から連絡があり、会話を聞かせていただきましたが、何やら皇太子殿下は誤解なさっておられるご様子。
まさか、妹の友人と仰る殿下があの子の不名誉を暴露なさるとは夢にも思いませんでした。誠に遺憾です。
殿下が本当にブランディーヌを思っておられるならば、どうかそっとしておいてください。
妹は婚約者を得られずに癇癪を起こし、八つ当たりでシャルリエ嬢を危険な目に合わせたのです。その責もあって領地で療養させておりました。その甲斐もなく、神の御許へ召されましたが天罰でしょう。
先代である祖父は重度の脳の病と診断されて療養生活を送っております。最近は妄想も激しくなっており、奇行や妄言も増えているとのこと。医師から面会禁止を命じられているほどです。正気とは思われない方がよろしいでしょう。
問題の証言をした使用人は手癖が悪く、調度品などをくすねたので解雇した者のことでしょう。紹介状なしで放逐しましたから、きっと我が家を恨んで偽証したと思われます。ルクレール家と敵対して潰されればいいとでも思ったのでしょう。証言を拒んだのは己の罪が明らかにされるのを恐れたのですよ。
お疑いならばきちんと調査していただいて構いません。どうか、これ以上妹の罪を晒すのはご容赦願います』
「リュシアン殿もお気の毒に。家の恥になると秘めていたものをこのような形で公にされるなんて。
殿下の思い込みで不幸に見舞われたのは、もちろん我が家もです。私の婚約者で次期侯爵夫人に冤罪をかけようとなさったのだから、我が家から正式に厳重抗議致します。
ああ、遠縁のドナシアン家にオベール家からもありますよ。両夫人ともエリゼーヌを気に入って可愛がってくださっているから、黙ってはおられないでしょう。
もちろん、事を起こされた殿下に覚悟はおありですよね?」
ジェスターが皮肉な微笑みで釘刺しだ。ブランディーヌの名前がでた時点でリュシアンに文鳥を飛ばしておくとか、用意周到に反撃準備を整えていた。
「ああ、我がベルナール家もだ。忘れないでくれたまえ」
レオポルドもにこやかに参加表明してきた。そこへ実によい笑顔でクリストフも加わった。
「ブロンデル家とクラルティ家も混ぜてください。義弟殿、よろしいよねえ?」
「もちろんです。私とヴィオレットの祖父母、ラングレー家からも一言入ると思います」
アルマンも頷いた。彼とヴィオレットの母親は姉妹で、実家のラングレー家は侯爵家筆頭を務める。錚々たる名家が連なり、フリードリヒは真っ青になった。
「な、ま、待ってくれ。そんなつもりは・・・」
アルビーナは狼狽える弟を鎮痛な眼差しで見やった。
フリードリヒは出産時に母を亡くしていることもあって、皇妃にも憐憫から可愛がられた。ライバルにならない弟だからと、皆がそれぞれ甘やかしまくった末がこうも残念な結果になった。
「本当にフリードリヒも人を見る目がないこと。泣き落としに引っかかる殿方なんて、ハニートラップに引っかかりまくる色ボケダメ男じゃないの。本当にイングリット嬢の言う通り、調教が必要よねえ」
アルビーナは愛用の鉄扇を愛おしげに撫でた。姉の視線にフリードリヒがびくりと怯える。
「あ、姉上。私はハニートラップにひっかかったりしていません。リーゼとはただの友人です。私にはブランディーヌという思い人がいるのです」
「フリードリヒ、貴方自覚ないの?
婚約者にもしない愛称呼びを友人のロイター嬢にしておいて、誤解されても文句は言えない所業よ。それに、亡きクレージュ嬢のことは証拠不十分で諦めたくせに、ロイター嬢のことは思い込みでこんな真似をしでかしておいて、本当にただの友人と言えるのかしら。
貴方、実は彼女に恋情を抱いているのではなくて?」
フリードリヒは姉の断言に絶句した。口をぱくぱくさせるが、声もでない。リーゼロッテが慌てて首を横に振った。
「公爵夫人、誤解なさらないでください。わたくしとフリードリヒ様は友人です」
「・・・はあ、フリードリヒも報われないわねえ」
アルビーナは疲れたように呟くと、そっと頭を振った。王国側へ頭を下げる。
「シャルリエ子爵令嬢には本当に申し訳ありません。愚弟に代わり、お詫びしますわ。フリードリヒはよおおおおく調教して躾しなおします。
この無礼には我が国からも後ほど正式謝罪を致します。ええ、もちろん、シャルリエ家だけではなく、ご迷惑をおかけした皆様にわたくしが責任を持ってこのおバカ・・・いえ、愚か者に全ての責任を取らせ、償わせますわ。そして、貴方がた」
アルビーナが最後に目を向けたのは空気のように控えていた側近と両親たちだ。
側近の両親はアルビーナのついでにお迎えされたが、まさか息子どもがフリードリヒを諌めるどころが尻馬にのってやらかすとは完全に予想外だ。すでに死んだ魚の目をしている。リーゼロッテの両親のように卒倒して現実逃避したかったが、先を越された。もう、没落以外の道はないと諦観していた。
側近たちは臣籍降下するフリードリヒに平均的な貴族令息の姿を見せるための学友として選ばれた。フリードリヒはメルケル伯爵家を継ぐイングリットの配偶者で、彼自身には爵位はないのだ。男爵家の次男三男たちとは同じ境遇で、彼らがフリードリヒと親しくなる見返りに婿入り先の打診があるはずだったのに、皇族の側近という立場に驕ってしまった。
側近だった息子たちの先行きは絶望的だ。実家の男爵家も責任は免れない。
アルビーナの視線に応じて、親たちは息子の頭を鷲掴みにして深々と頭を下げた。
「皆様には誠に申し訳ありません。愚息がとんでもないことを致しました」
「心よりお詫び申しあげます。お叱りは如何様にもお受けします」
「そんな、皆様は悪くありませんわ。ただ、わたくしを心配してくださっただけです」
この後に及んでまだリーゼロッテは己の立場をわかっていなかった。ベルツが一気に疲れたように孫娘の腕を掴んだ。
「リーゼロッテ、やめなさい。お前はただの憶測と妄想で格上の方々に数々の無礼を働いたのだ。その責任は取らねばならない。もう、学院を卒業して一人前と認められる貴族令嬢なのだから。
いつまでも、孤児院育ちだ、平民暮らしが長かったなどと言い訳は通用しない。・・・両親のもとでは甘やかしてしまうからと他国へ留学させたのに、お前は全く理解していなかったな」
「だって、おじい様。わたくしは頑張りましたのよ? それなのに・・・」
「お前は見当違いの努力をしていた。・・・お前の婚姻は見直そう。お前にはとても貴族夫人は務まらない」
「おじい様⁉︎」
ベルツは孫娘を無視して王国側へ頭を下げた。
「皆様にはご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありません。孫の数々の不愉快な言動をお詫び致します。名誉毀損や侮辱行為に対する慰謝料はお望みの通りに支払いましょう。後ほど、お話し合いの場を設けていただけますようお願い申しあげます」
「!」
リーゼロッテは鋭く息を呑んだ。
ベルツは引退した侯爵だが、この中では公爵夫人のアルビーナに次ぐ高位だ。まだ公爵令息のレオポルドよりも格上なのに、惜しみなく頭を下げている。いざとなれば祖父が庇ってくれると思っていたリーゼロッテにはショックな光景だった。
しかも慰謝料を払わねばならない問題になるなんて思ってもみなかった。
リーゼロッテは祖父の言葉でようやく事の重大さが飲み込めて真っ青になった。言い訳しようにも祖父の手に力がこもって痛みが走る。ベルツは黙れと暗に示唆していた。初めて、祖父の逆鱗に触れて、リーゼロッテは言い訳もできなかった。
本編が後5話、番外編1話で終了予定です。最後までよろしくお願いします。