プロローグ
本編はほぼ完結してるので、連日投稿します。18時投稿です。
一部の一年後のお話です。
「レティシア様も大変な目に遭いましたのね。本当においたわしいこと」
「でも、婚姻前に相手の浮気がわかってよかったですわね。いくら、王族でも婿入りなのに、婚姻前から・・・なんて、信じられませんもの」
目の前の貴婦人たちは同情心あふれるというように相槌をうっていたが、目には面白がる雰囲気が漂っている。本心では嘲っているのが丸わかりだ。
レティシアはダールベルク帝国での夜会デビューでうんざりとしつつも、表面上はにこやかな笑みを浮かべていた。
亡き祖母の実家は侯爵家でレティシアの従兄弟が跡継ぎだ。レティシアは未だに宰相職を辞せない父を置いて母と共に侯爵家で世話になっているが、母国での婚約破棄騒動をここでわざわざ持ちだしてくるとはケンカを売っているとしか思えない。
「まあ、どうやら何か誤解があるようですわね。ジルベール殿下が浮気者だなんてとんでもない。わたくしと殿下の婚約解消に聖女候補は関わりありませんわ。
神殿の名誉のためにもそこははっきりとさせなくては。
実はあまり大きな声では言えませんが、殿下の健康上の理由ですのよ? 我が家に婿入りでしたので、問題が発覚しましては・・・ねえ?」
レティシアは言葉を濁して意味深な笑みを浮かべてみせた。
ジルベールの婚約破棄宣言は公にはなかったことにされている。彼に恋情がなかったレティシアは切り替えが早かった。婚約破棄なんて醜聞に晒されて次の婚約に差し障るのはご免だと円満な婚約解消を望んだのだ。
婿入りで健康上の問題で婚約解消となれば、跡取りがもうけられるか否かだと想像がつく。ジルベールに不能疑惑がもちあがるが、これくらいの意趣返しは構わないだろう。
伯爵に臣籍降下した彼はしばらくは婚姻相手が見つからないはずだ。昨年のやらかしでほとぼりが冷めるまでは独身なのだから、不能疑惑が持ちあがっても問題はない、はず?
ーーまあ、仮に問題があっても元婚約者からの試練と思って乗り越えてもらおう、とレティシアは心の中で頷いた。
元婚約者に恋情はなくても友情はあったのだ。それを台無しにした仕返しくらいは味わってもらってもよいだろう。
「レティ、楽しそうだね。何の話をしているのかな?」
会話に割り込んできたのは侯爵家次男のテオドール・エーベルハルトだ。レティシアより3歳上の22歳。
祖母に似たレティシアと同じ黒髪だが、瞳の色は琥珀色のレティシアと違って深い青の美男子だった。気楽な次男坊のせいか未だに独身で、登場した途端に貴婦人や令嬢たちから熱い視線を浴びせられている。
「あら、おにい様。お知り合いとのご挨拶はもうよろしいの?」
便宜上、兄呼ばわりするレティシアは首を傾げた。
テオドールはレティシアのエスコート役だったが、長兄の代理で挨拶する相手がいたはずだ。テオドールは貴公子らしい笑みを周囲に向けた。
「かわいい妹分のデビューだからね。早めに解放してもらった。レティとはまだ踊ってもいないから。
レティも挨拶はもう済んだのだろう? ぜひ、ファーストダンスの栄誉を授けてほしいな」
「まあ、よろしくてよ?」
レティシアは胸に手をあてて大仰に誘うテオドールにおどけたように応じた。テオドールも芝居がかった仕草で手をとってダンスホールに繰りだす。
テオドールは踊りながら器用なことに先ほどの貴婦人たちに意味深な視線を向けた。
「すまないな。あのご婦人たちは娘をわたしの伴侶にと推してくる相手で、嫌な思いをさせられただろう?」
「そうですわねえ? ですけれど、噂好きなご婦人方のようですから、わたくしの名誉挽回にいささか貢献していただけるか、と。
大した問題ではありませんでしたわ」
「・・・何を話していたのか、聞いてもいいのかな? いや、聞かないほうがいい気がしてきた」
テオドールはうっすらと微笑むレティシアから視線を外して苦笑する。
レティシアは母国で第二王子の婚約者として令嬢たちからの妬み嫉みを跳ね返してきた淑女だ。社交界を代表する貴婦人から洗礼代わりの嫌味攻撃など自力で撃退できる。
テオドールは牽制に入ったのは余計なお世話だったかと内心で反省していた。
レティシアはくすりと笑みをこぼした。
「まあ、おにい様の援護が入りましたので、あのご婦人方が敵に回ることはないと思いますわ。かわいい妹分を排除するよりも、親密になって恋の橋渡し役になさったほうがお得だとお思いになられるでしょうし」
「はあ、勘弁してくれ。レティのオトモダチに迫られたら、断るのは容易ではないよ」
「それはわたくしのオトモダチではありませんわ。ただの知人ですわね。わたくしの友人はわたくしを煩わせる真似はしませんもの」
レティシアは懐かしい友人たちの顔を思い浮かべて答えた。
昨年のやらかしーー第二王子ジルベールを筆頭にした聖女候補への無礼を糺すための断罪劇ーーで、レティシアの味方であった令嬢たちだ。
公爵令嬢のメリザンドに伯爵令嬢のヴィオレットと子爵令嬢のエリゼーヌ。
今でも手紙のやり取りをしていて、三人とも今頃は卒業を控えて準備に大忙しだろう。
ヴィオレットとエリゼーヌは最終学年で今年度の卒業だが、レティシアと同い年で昨年卒業したメリザンドは外部受講生として文官コースに進んでいた。婚約者と円満に婚約解消したメリザンドは何でも女王配下の初女性宰相を目指すらしい。見事に特級文官の試験に合格し、王宮に職を得たとつい最近手紙がきた。明るく朗らかで活動的な彼女らしい選択肢だった。
婚約解消で傷物令嬢になったなんて引け目は全く感じておらず、却って婚約者選びをするよりも自力で道を切りひらくことにしたのだ。
宰相である父の後釜はまだ決まらないと聞く。案外、メリザンドが野望通り初女性宰相となる日も近いかもしれない。
レティシアが社交用ではない楽しそうな笑みを浮かべていると、テオドールが眩しそうに目を細めた。
「楽しそうだね、レティ。文通友達のことでも思いだしていた? でも、今は私とのダンスに集中してほしいな。君は私のパートナーなのだから」
「まあ、まさか、わたくしの友人に妬いておりますの?」
揶揄うつもりだったレティシアは急に強く引き寄せられて驚いた。テオドールはターンを利用して素早く額に口付けてきたのだ。危うく、ステップを間違えそうになって、レティシアは抗議の声をあげた。
「お、おにい様!」
「私に意地悪する君が悪い」
「い、意地悪って、おにい様のほうが!」
ダンスしながらの痴話喧嘩だ。視界にテオドールしか映っていなかったレティシアは気づいていなかったが、会場で一番注目されていた。
あのエーベルハイト家の次男坊にとうとう意中の相手が現れたと社交界中に噂が広まるのは早かった。ダールベルク帝国でお相手を見つけるつもりだったレティシアはお披露目ですでに外堀を埋められてしまった。
彼女が気づいた時にはもうテオドールの婚約者扱いで、友人たちへの手紙になんと書けばよいのかと頭を悩ませるハメになったのである。
レティシアのその後のお話でした。
テオドールは理想が高く、婚約者がいませんでした。庇護を必要とする相手よりも隣に並び立つ女性が理想だったので、公爵家跡取りとして教育されたレティシアはまさにドンピシャ。運命の相手だと囲い込み決定だったのです。
四部で完結します。最後までよろしくお願いします。