婚約継続です
今回はほのぼのです。
エリゼーヌが目を覚ますと、見覚えのある天幕が目に入った。
侯爵家のエリゼーヌの私室だ。しばし、記憶が混乱していた少女はぐるっと辺りを見渡して、寝台のそばで椅子にもたれている婚約者の姿に変な声をあげそうになった。
一気に思いだして色々な感情が溢れそうだ。ガンガンと頭に鈍い痛みが走るが、しばらく深呼吸をしていたら治ってきた。
ふうと息を吐きだして、改めて婚約者に視線を向けると、ジェスターは一人掛けの肘掛け椅子にぐったりと寄りかかって眠っている。目の下にうっすらとクマができていて顔色はよくない。
彼の寝顔を見るのは久しぶりだが、無防備なせいだろうか日頃よりも幼く感じられる。
エリゼーヌは初めて会った少年の頃を思いだした。それから、色んな出来事があったなあ、と感慨深くなって、懐かしくなる。
初めは素っ気なかったジェスターだが、親しくなるにつれて色々な表情を見せてくれるようになった。それでも、彼の泣き顔だけは見たことがない。
助けにきてくれたジェスターは『怒っている』と言っていた。でも、泣きそうな声で『許さないから』とも言われた。
リュシアンを人質にとるなんて非常識で過激な真似をしてまでもきてくれたのに、怒らせて悲しませてしまった。
エリゼーヌは彼を深く傷つけたのだ。勝手に一人で落ちこんで魔力暴走を起こしてーー
エリゼーヌの魔力が少なかったから大事に至らなかっただけだ。婚約者を危険に晒してしまった。
ずずずんと激しく落ちこんだエリゼーヌは乳母の言葉を思いだしていた。
『お嬢様にもいつか必ずエリゼーヌ様を一番大切にしてくれる方が現れますから』
子供の頃はそんな人いないと思っていた。
でも、乳母の言う通りに現れたその人はものすごく大切にしてくれる反面、やらかし具合が半端ないが、エリゼーヌにだって一番大切で大好きな人だ。それなのに、傷つけてしまうなんて、絶対にダメだった。
エリゼーヌが諦めてしまったから、一人で絶望してしまったから。彼には酷い裏切りだっただろう。
ずっと一緒だと、何があっても手放さないと言ってくれた人なのに・・・。
エリゼーヌだって絶望しても諦めきれなくて、結局は暴走しそうになるほど、感情をふり乱す相手なのだ。諦められないし、諦めてもくれない相手なのだから、これはもうお互いに見張っているしかないのでは? と思えてしまう。
じいっと眺めていたら、ジェスターが身震いして鳶色の瞳が眠そうに瞬きした。
「じぇす?」
「ん、エリィ? 起きたの、どこか痛いところとか、具合の悪いところとかはない?」
ジェスターはすぐにはっきりと覚醒して、エリゼーヌの顔を覗きこんできた。
「少し、だるい感じがするけど、痛みとかはないわ。ただ、なんだか、身体が重い感じがする」
「それだけで済んだなら、いいほうだよ」
ジェスターは安堵の息を吐きだすと、婚約者の額に手をのせた。首筋にも手をあてて脈を測る。
「ん、熱はないね。脈も正常だし、よかった。
エリィは丸一昼夜眠ってたんだ。今は君が救出された翌日の夜だよ。お医者様は安静にして休養させるように言ってた。魔力安定剤が効いたようで、後遺症の心配はないって言われたけど・・・」
どうしても気になって付き添っていた、という婚約者様に、少女は青くなったり赤くなったりと一人百面相だ。
付き添わせて申し訳ないと思う反面、心配してくれて嬉しいとも思う。エリゼーヌは甘えたくなって、おずおずと手を伸ばした。
ジェスターはその手をとって、しっかりと恋人繋ぎにした。空いている手でえんじ色の頭を優しく撫でてくれる。
「本当に心配した。何事もなさそうでよかった・・・けど。エリィ、僕はまだ怒ってるからね?」
エリゼーヌは婚約者の笑顔なのに、背筋が寒くなる微笑みにさあーっと青くなった。
「ご、ごめんなさい。心配させて。
わたし・・・、ジェスは絶対に諦めないから、どんな手段を使っても、無理や無茶なことしてでも、婚約解消を回避するだろうなって思ったら、申し訳なくて。わたしのせいでそんな真似させたくなくて。
わたしがもっと抵抗していたら、ジェスが間に合ったのにって、自分が情けなくなっちゃって・・・。ジェスを信じていなかったわけじゃないの」
「・・・うん。君が僕のことをよくわかっているようで何よりだ。
まあ、あんな怖い目にあったんだ。パニックになるのもわかるから、今回だけは大目にみるよ。
でも、誘拐犯に抵抗するとか無茶な真似は絶対にダメだ。ナイフで脅してくるような相手なんだ。下手に抵抗して逆上させたりしたら、刺されていたかもしれない。
・・・君を失っていたかもなんて、そんな想いをするのはもう二度と御免だ」
ジェスターは恋人繋ぎにした手にさらに手を重ねて祈るように両手で握りしめた。
「君が攫われたのは二度目だ。今回は自宅で被害にあってるし、もう侯爵家でずっと一緒に囲ったほうが」
「えっと、ちょっと待って。さすがにそれは外聞がよくないし、おじ様だって反対なさるでしょう?」
「いいや、父上から言ってきたから大丈夫」
エリゼーヌは当然のごとく告げられた言葉に遠くを見る目になった。
ナゼか、『侯爵家で暮らす』が『侯爵家で囲う』に聞こえたし、まだ本調子じゃないからだな、と軽く現実逃避してしまう。
「あの、今回は予想外というか・・・。まさか、クレージュ家の使者があんな暴挙にでるとは思わなかったし。
侯爵家でお世話になるのはまだ早いって、おじい様が気になさると思うの」
ジェスターは渋面になった。さすがにファブリスをだされると押し切るのは難しい。
エリゼーヌの現在の保護者は祖父のファブリスだ。本来なら跡取りの孫娘を手放すはずがなかったが、エリゼーヌの幸せを願って卒業後すぐの婚姻を認めてくれているのだ。そのファブリスの心証を悪くするのは避けたかった。
「それじゃあ、子爵家のセキュリティーの強化だね。父上の防犯措置には欠点があるのがわかったから、もっと性能をよくして。
君にもいつでも守護陣が発動できるアミュレットを用意しなきゃ。・・・確か、この前の古語の文献でよさげなものがあったから、以前の物理防御の陣に追加して」
何やら考え込み始めた婚約者様は無意識なのだろうが、えんじ色の髪に指を巻きつけて弄び始めた。恋人繋ぎにされた手はそのままで、指先で手の甲をなでなでしたりするからくすぐったくて落ちつかない。
エリゼーヌは目をうろうろとさせた。
「えーと、あのね、ジェスももう休んだほうがいいと思うの。わたしに付き添ってちゃんと休んでいないのでしょう?」
「いや、大丈夫だよ。一晩の徹夜くらい、興がのった研究ではよくあることだし」
「・・・そういうの、身体によくないと思うの。ジェスが自分を大事にしないと、わたしだって怒るからね?」
エリゼーヌがむうと睨むと、ジェスターはすっと目をそらした。
「うん、無理のない範囲で徹夜してるから、心配しないで」
「徹夜自体が無理な事でしょう? 目をそらさないで」
エリゼーヌのつっこみにジェスターはバツの悪そうな顔になる。
「・・・君と婚姻したら気をつけるよ。でも、今は離れるのは不安なんだ。まだ、あの女・・・侯爵令嬢らしからぬ悪女が見つかっていないから」
「え?」
逃走したブランディーヌが乗った馬車は夕暮れに南街道を疾走していたのが目撃されていたが、その後の足取りは不明だった。南街道方面から領地に向かったと思われるのだが、途中の宿場町では目撃されておらず、馬車ごと行方不明になっていた。
専属の護衛騎士が一緒に行方知れずになっており、まだ手がかりは何もないのだ。せめて、誘拐犯が見つからないと、エリゼーヌを一人にしておくのは危険だと侯爵家では判断されていた。
「だから、君の具合がよくなっても、誘拐犯たちが捕まるまではウチにいて。
この事は子爵からも申し出があった。奴らが何らかの報復手段をとる可能性もあるから、ウチで保護してほしいと言われた。さすがに、お父上も君を心配しているようだよ」
「お父様が・・・」
エリゼーヌには複雑だった。
母はもう諦めているが、父にはまだ親子の情がある。心配してくれて嬉しいのだが、父が侯爵家を頼ったのは己の不甲斐なさを自覚しているからだろうか?
「父上も僕がやりすぎたって思っててね、お説教されたし。君が目の届くところにいてくれたほうが安心できるんだ」
「おじ様が? ・・・ねえ、ジェス、やりすぎって何をしたの? 確か、リュシアン様を人質にしたとか聞こえたけど」
「ん? ああ、リュシアン様は協力してくれたんだよ。そのほうが別宅に押し入りやすいからって。本当に人質にしたわけじゃない。
まあ、彼に拒否権はなかったけど」
最後の呟きは小声でエリゼーヌの耳には届かなかった。婚約者様はにこりと温和に微笑んだ。
「クレージュ家になぐり・・・、いや、訪問しようとしたら、ちょうどリュシアン様が出てきてね。
妹につけていた御者から意識のない君を別宅に運んだと報告があって確かめに行くと言うから、ご一緒させてもらった。お話し合いの結果、君を無事に見つけるのが最優先事項で、そのための手段は問わないとなった。
少々、派手に演出したから、別宅の建て替えが必要になったけど、リュシアン様とは話がついていたから、問題にはならない。彼からは魔力安定剤もぶんど・・・、いや、譲ってもらったし、納得済みだ。
ただ、父上が『出番がなかった、私の分がないじゃないか』と拗ねてしまわれただけだから」
「・・・」
エリゼーヌは気を失ってもいいかなあ〜、と深く吐息をついた。
ディオンが息子を諌めてくれたのかと思いきや、逆だった。やらかし具合に参戦したかったとか、制止役は誰かいないのか。
まあ、建て替えるのが本宅でなかっただけよいのかなあ、と思うエリゼーヌも彼らにだいぶ感化されているのだが。
「それからね、僕たちの婚約は継続だから、安心して。婚約解消の誓約は無効だから」
「むこう・・・、え、無効? 発動したのに、成立しなかったってこと?」
エリゼーヌは驚いて目をぱちくりさせた。ジェスターは相変わらずえんじ色の髪を弄びながら頷く。
「うん。エリィは誓約書を書かされたって言ってたね。君の筆跡とは違っていたし、サインに魔力を込めていないよね?
誓約魔術は偽造防止で本人の魔力を込める必要があるんだ。神官立ち会いで行われるのは登録魔力と合っているか、確かめるためなんだって」
全能神を祀っている神殿では人の生死に関わる事項を扱っている。出生届と共に魔力登録も行っているから、他者のなりすましはできないのだ。
「だから、サインするペンも魔力を込められる特別製の物を使うのだけど、ペン自体が普通の物だった。それで誓約するのは無理だし、サインも間違えていた。『エリゼーヌ・シャルリエ』じゃなくて、『エリゼーヌ・シャリエ』になっていた。
赤く魔術印が浮かんでいたのはエラーの証なんだ。もしも、成立していたら、金の魔術印で誓約書が封蝋されていたはずだ」
「・・・ほん、とうに? よ、かった」
ふえ、とエリゼーヌは泣きそうになって、顔を歪ませた。
お互いに諦めないとわかっていても、誓約魔術が成立していたら覆すのは容易ではなかった。それでも、絶対に離れない、神への誓いに逆らってでもと覚悟を決めていたら、その心配がなくなったのだ。
少女はほっと気が緩んで、ぐずぐずと鼻を鳴らした。
「じぇすぅ、わたし、ずっと一緒が、いい。ジェスの、そば、に、いたい」
「うん。約束したからね。ずっと一緒だよ。僕も君を離すつもりはないし。落ちついて、もう大丈夫だから」
ジェスターは婚約者の眦に指をそわせて浮かんだ涙を拭った。しばらく、少女が落ちつくまで、優しく頭を撫でていた。
ジョルジュは身辺整理中。まだ自主していないので、行方知れずになっています。




