お別れの挨拶です
長めですが、キリがよくないので一気に行きます。
「エリゼーヌ嬢、何かと世話になった。色々な便宜をはかってもらって有難い。礼を言う」
「ロラン様のお役にたてて何よりです」
エリゼーヌはロランににこりと微笑み返した。
ロランの用が済んで明日には帰国することになった。
個人的に最後の挨拶をしたいと面会を申しこまれて温室を散策がてらの雑談だ。ジェスターはお別れだからと、エスコート役を譲って少し離れた場所に待機している。声が聞こえないくらい離れているが、何かあればすぐに駆けつけられる距離でもある。
エリゼーヌの少し後方にはオレリーも控えていて、婚約者以外の異性と接する時の用心だ。
「怪我はもういいのかい? あの時は助けられなくてすまなかった。その、私が原因だというのに」
「いいえ、ロラン様の責任ではありません。不可抗力ですもの、お気になさらないで」
エリゼーヌの怪我は手のひらに薄く痕が残っているが、シャルリエ家秘蔵の軟膏薬を塗っていれば大丈夫だと医師のお墨付きだ。膝のアザもそのうちキレイに治るはずだった。エリゼーヌにそう告げられて、ロランはほっと息をついた。
「そうか。痕が残ったりしたら、責任をとらせてもらおうと思ったのだが・・・」
「そんな、責任だなんて。本当にロラン様のせいではありませんもの。
むしろ、ポリーヌ様の暴走に巻きこんでしまって申し訳なかったと思っています。もっと早くにポリーヌ様とはお話し合いをするべきでした」
「お隣さんだから関係悪化を恐れたのだろう? 王都から離れた領地では隣人との縁は大事にしないといけない。
まあ、相手次第だと今回は身に沁みてよくわかったが」
ロランがボソリとこぼして、エリゼーヌは困ったように目を伏せた。
ポリーヌが妄想もどきの予知を告げたのは一昨日で、途中退出したエリゼーヌとロランはポリーヌ個人の謝罪をうけとらなかった。一応、男爵から家の名では謝罪されて、家同士では話はついている。
ロランはアングラード家への謝罪ということで、二度とコラール家が関わりあいにならない誓約とお詫びの品で王都の一流店で扱われているルビーの原石を譲られて了承した。
シャルリエ家ではコラール家とは必要最低限の付き合いにし、次期領主同士の個人的な交流はなしだ。これまでの迷惑料も含めて、やはり大粒で高品質のルビーの原石を受けとった。これでコラール家の今年の大きな取引枠はいっぱいだった。店で扱われることはないし、店を通さずに高位貴族から直接交渉されても渡せる現物がない。
コラール領産のルビーが一流店に出回らなくなったとなれば、今後の取引に影響がでてくるだろう。その辺は男爵の交渉の腕の見せ所だ。
せいぜい足掻いて苦労するがよい、とディオンが実によい笑顔で言い放ったとか。ロランは絶対に敵に回してはいけない相手だと悟った。
ポリーヌはマナーや令嬢教育のやり直しだ。再教育で学園入学までは領地からでられないことになった。
ポリーヌの新しい家庭教師はディオンのお勧めする相手で、厳しいが一流の教育者と有名だった。どうやら、最低限として伯爵令嬢レベルまでは身につけてもらう予定らしい。
ディオンはポリーヌに婚約者候補を紹介していた。お相手は先祖代々王宮文官で有名な一族で、伯爵家の次男だ。20歳でポリーヌとは少々歳が離れているが、政略結婚ならば問題ない範囲だ。
ディオンは財務省務めで経理に強い相手を紹介したが、ポリーヌのためではない。コラール家が没落でもして隣接するシャルリエ領に迷惑をかけないように確かな相手を領主に据えることにした。格上の侯爵家が仲立ちした縁で、双方ともに明確な理由がなければ断るのは難しい。
婚約成立すれば、絶対にルクレール家には逆らえない隣人の出来上がりだ。
お相手は王宮のあちらこちらにツテを持つ有力者の出だ。王宮務めとなると、他国の貴族とも接する機会があり、少なくとも伯爵家レベルのマナーは求められる。男爵家では有力な繋がりが持てたと喜ぶ暇はなかった。
相手の婿入りでも親戚付き合いや友人との交流があるのだ。婚約候補の関係者は皆王宮勤めだけあってマナーには手厳しい。ポリーヌは同レベルのマナーを求められるだろう。いや、ポリーヌだけではない。親戚付き合いを考慮すると、両親の男爵夫妻のマナーも向上させないといけなかった。夫人が平民出だからなんて言い訳は通用しない。
婚約者候補から相応しくない相手だと見做されれば、コラール家に明るい未来はないのだ。
上辺だけ見ると良縁だが、貴族令嬢の常識も怪しいポリーヌが伯爵令嬢レベルまで引きあげられるとか。なかなかハードな教育内容となる。ポリーヌが弱音を吐いて嫌がっても、学院入学の3年後までには目標に達しないと婚約不成立である。
有力者の伯爵家次男にお断りされたとなると、次の縁談を探すのは厳しいだろう。
まあ、ご令嬢共々男爵夫妻の頑張りを楽しみに期待しているよ、とディオンは青い顔をした男爵に朗らかにのたまったとか。高位貴族らしい慇懃無礼さを十分に見せつけたようだ。
エリゼーヌはポリーヌの望み通りなのだから、これでいいのかなあ? と、諦観が漂う目になっていた。
なにしろ、ポリーヌはジェスターとの婚約を知ると、『いいなあ、エリーちゃんだけずるい。わたしにも誰か紹介して』とうるさかったのだ。
『婚約者のお友達でもいいわ』と言われたが、侯爵令息の友人なら高位貴族だ。男爵家とは家格差があるから難しいと説明すれば、『子爵家のエリーちゃんが侯爵令息と婚約したのだから大丈夫』と根拠のない自信を返された。
高位貴族のマナーや教養を身につけるのは簡単なことではないと言っても、『エリーちゃんだってそうでしょう』と聞く耳を持たなかった。
そのやりとりは全てクロエの目の前で、だ。
ディオンには報告が入っていたから、ポリーヌ対策として用意されていた縁談だった。ポリーヌが令嬢教育で忙しくなれば、突撃訪問がなくなるし、エリゼーヌの苦労が少しはわかるはずだ。
ロランはエリゼーヌから話を聞いて深く嘆息した。
「本当に君は侯爵家当主に気に入られているんだな。噂で耳にしていたけど、実際に目にすると実感がすごいよ」
「まあ、ロラン様の耳に入るような噂なのですか?」
エリゼーヌはびっくりした。国内ならともかく、隣国までその噂が流れているとは予想外だ。
ロランが苦笑気味に唇を歪めた。
「実は従兄弟の婚約に横槍入れようとした令嬢がこの国の侯爵令嬢でね。阻止しようと色々と情報を集めている時に耳にした。ちょうど、シャルリエ領に出向ける機会だったから、確かめようと思ったのだが。
エリゼーヌ嬢、単刀直入に伺うが、君は婚約に納得しているのかい? 昔から懇意にしている高位相手で断れなかった可能性は・・・」
「その心配は全然ありません。わたくしが望んで、望まれてのご縁です。政略結婚ではないのです」
頬を赤く染めつつ断言するエリゼーヌは愛らしかった。ロランは胸の痛みを覚えて目を細めた。
「そうか。いや、答えはわかっていたのだが。・・・悪あがきだな」
「ロラン様?」
エリゼーヌは首を傾げた。最後の呟きが小さすぎて耳に入らなかったのだ。
ロランは懐かしそうな顔をして温室をぐるりと見渡した。薬草の産地だけあって温室内も薬草が優先されて栽培されているが見栄えの問題か、色鮮やかな花を咲かせる種類が植えられていた。
「子供の頃にここでかくれんぼをしたよね。覚えているかな?」
「ええ、初めてかくれんぼをして楽しかったです」
幼いエリゼーヌは従姉妹のイレーヌに遊んでもらっていたが、少女の遊びばかりだ。かくれんぼはやったことがない。イレーヌの弟のユベールとは仲が悪かったから一緒に遊んだことはないし、身内以外で同じ年頃の遊び相手はロランが初めてだった。
「なかなか見つからなくて、午後のお茶の時間を過ぎてしまったことが一度だけあった。
君のおじい様が隠れ場所に心当たりがあるとのぞいてみれば、君は待ちくたびれたのか、熟睡してしまっていた。子猫みたいでかわいいなあ、と思ったのをよく覚えているよ」
「そ、それは、お恥ずかしいところを・・・」
エリゼーヌは目を泳がせた。よく覚えていないが、年上のロランのほうが記憶は確かだろう。
気恥ずかしくて視線を彷徨わせていたら、離れたところからこちらを見ているジェスターと目があった。思わず、素の笑みが浮かぶと、ジェスターが小さく頷いてくれる。
「ジェスター殿も君に首ったけだね」
「え、ええと、はい?」
「でも、君も彼も跡取りだ。君が侯爵夫人になって、おじい様に何かあった場合、どうするんだい?
君がシャルリエ領を統治するのに、彼は手を貸せないだろう。侯爵家当主に加えて、魔術師団勤務になるのだろうから。
貴族の婚姻は恋愛結婚よりも利点が多い政略結婚のほうが望ましいはずだ。
婿入りできる相手のほうが、君には、いや、シャルリエ領には最善じゃないのか? 君はシャルリエ領を他者に任せるつもりはないのだろう」
ロランの言う通りだ。
ファブリスは息子のイヴォンが相談もなく勝手に跡取りから降りてしまったから孫のエリゼーヌに跡を継がせるつもりだった。エリゼーヌとジェスターの婚姻で親戚から養子をとることはない。エリゼーヌが侯爵夫人になっても、後継者であることに変わりはないのだ。
将来的にエリゼーヌの子供をファブリスの養子にして跡継ぎにする予定で、その前にファブリスに何かあれば、イヴォンが一時的に中継ぎの領主となる。
エリゼーヌが侯爵夫人になっても、シャルリエ領で何か問題が起こればエリゼーヌが出向いて解決することになる。
ロランは侯爵夫人と子爵家の領主と二つの役目を背負うことになるエリゼーヌを案じていた。一縷の望みを抱いて、明るい灰色の瞳をのぞきこんだ。
「君と約束していた文通ができなくなって何かあったのではないかと案じていた。君が元気にしているか、ずっと気にしていた。幸いにもまたこうして縁が繋がることができたのだ。
私は三男で婿入りには最適の立場だ。子爵家を継ぐ君を支えるのにふさわしいと思う。我が家と縁ができれば、従兄弟の侯爵家とも縁続きになるし、我が国と王国との友好関係にも貢献できるだろう。政略的によい縁組だ。
コラール嬢の予知を受け入れるわけではないが、ルクレール家との縁組よりもシャルリエ家には利点が多い。
是非とも一考してはくれないか?」
エリゼーヌは小首を傾げてロランをまっすぐに見あげた。
「ロラン様。少々不謹慎な質問をお許し願えますか?」
「ああ、何だろうか」
「もしもですけれど、ロラン様のお兄様に何かありましたら、アングラード家を継ぐのはどなたでしょう?」
「甥だな。甥が成人するまでは義姉が代理として伯爵家当主の権限を持つ」
「では、長男一家に何かありましたら? 確か、次男の方は婿入り間近と言ってましたよね。もう、お相手のご実家で実務に携わっておられるとか」
「ああ、次兄が我が家を継ぐことはない。次兄の婿入り先は同格の伯爵家だが一人娘しかいないから、我が家は私が継ぐことになるだろう。でも、それが何か?」
「もしもの話ですけど、そうなった場合、ルクレール家との婚姻と何が違うのですか? 隣国の伯爵家を継いだロラン様はシャルリエ領に何かあってもすぐには駆けつけられないですよね?
今後、両国間で何事も問題が起こらない保証なんてないですし。ロラン様との政略結婚のほうが利があるとは思えません。
何よりも、ロラン様とはご縁を再建できたところです。友人と思っておりましたので、その、気遣ってくださってのお申し込みは嬉しく思いますけれども・・・」
ロランは落ちこみそうになったのをなんとか堪えた。
わかっていたことだが、エリゼーヌからはっきりと対象外と告げられて恋心が泣いていた。それでも、悪あがきとわかっていて仕掛けたのだ。玉砕覚悟はできている。
「もしもの話で、将来を決めてしまうのかい?
長兄は丈夫だし、夫婦間は良好だ。甥以外にもまだまだ子供は見込める。長男一家全員に何かが起こる確率は限りなく低い。何事もなく、私が婿入りできるはずだ。
君にとっても、シャルリエ領にとっても良縁だと思うのだが。
私に友情を感じてくれているならば、それが愛情に変わることだって不可能ではないだろう。・・・私は君を好ましく思っていたよ、妹みたいに可愛い女の子だな、と思っていた」
「・・・わたくしもロラン様をお兄様のように慕っておりました。兄がいたらこんな感じかな、と遊んでもらって嬉しかったです」
「兄、か。初めはそれでも構わないから、私との縁を考えてくれないかい?」
ロランは恋心を告げなかった。
エリゼーヌからジェスターとの婚約は恋愛感情だと知らされたのだ。同じ土俵で戦うのは分が悪い。
それよりも、温度差はあれど、エリゼーヌだってロランに好意を抱いてくれているのだから、領主として最善の政略の利で勝負にでた。
「申し訳ないですけれど、ご期待には添えません。一番大切で、心から欲しいと思う最愛の人を見つけてしまいました。利のない婚姻だと言われても、諦める気にはなれないのです」
エリゼーヌは照れもなくまっすぐに告げると、ふと明るい灰色の瞳を和ませた。
「ジェスター様のおじい様に『利のない縁組ではいずれ愛情が薄れた時に不幸になる』と言われました。でも、それをジェスター様もおじ様も否定してくださいました。
それに、昨年、ジェスター様は王孫のシルヴィ様との噂が流れたことがありましたけれどもーー」
相手が4歳の幼子でまだ噂の段階でもあり得ないと王家に釘刺ししたと言われて、ロランは唖然とした。エリゼーヌははにかんだ笑みを浮かべる。
「将来のためにルクレール家では色々と心配りしてくださっているのです。そこまで好意を示されて心移りするなんてあり得ません。
どうか、ロラン様はもっと利のあるお相手で愛情を育める方をお探しくださいませ。友人として応援させていただきます」
「友人、か・・・」
「はい、烏滸がましいでしょうか?」
苦い顔をするロランにエリゼーヌが不安そうに眉をさげた。ロランは内心で大きくため息をついた。
すぐそばにいたのにポリーヌの暴走を防げなかった負い目がある。これ以上食い下がることはできなかった。何より、ツユバミ草の量産が軌道にのるまではシャルリエ家の協力が必要だ。友人関係を築けるならば良好だろう。
「友人と思ってくれて構わない。不躾な提案をして悪かった。何か困った時には力になるよ。
シャルリエ家はアングラード家の恩人だからね」
「大袈裟ですよ。でも、ロラン様のご厚意は嬉しく存じます。ロラン様のご多幸をお祈りしております」
「ああ、君も元気で」
ロランは淑女の笑みの初恋相手とほろ苦い想いを隠したお別れの挨拶を交わした。
「ジェスター殿、貴方にもお世話になった。最後にエリゼーヌ嬢と話をさせてくれてありがとう」
「エリィも挨拶したかったようですので」
ロランはエリゼーヌとのお別れを済ませると、今度はジェスターと挨拶だ。
エリゼーヌは休んだほうがよかろうとクロエが迎えに来た。ジェスターもロランと少々個人的にお話し合いしたかったので、ちょうどよかった。エリゼーヌは少しだけ拗ねた顔をしたが、ジェスターに小声で『後でね』とうながされて大人しく部屋に戻った。
去り際にぱっと喜色を浮かべた笑みにロランのヒビの入った恋心が砕け散る。
淑女らしいたおやかな笑みの少女が婚約者の一言で呆気なく素の表情を見せるのだ。どれだけ気を許して心寄せていることか。
淑女の笑みしか向けられなかったロランを落ちこませるには十分だった。
「もし、私の不慣れな案内で今後不明点がでましたならば、遠慮なくお問い合わせください。ファブリスからもそう言いつかっております」
「いや、古語の植物辞典以外では問題ない。古語もエリゼーヌ嬢の手助けで助かったし。
・・・ジェスター殿はもうファブリス様からも信頼が厚いのだな」
ロランは無念そうにこぼした。
恋敵に愚痴るのは情けないが、先ほどのエリゼーヌの甘える姿に傷心で意気消沈していた。
「侯爵家との縁談と聞いてエリゼーヌ嬢を心配していたのだ。高位からの申し込みで断りづらかったのではないか、何か裏があるのでは、と。
しかし、そんなのは全くの杞憂だった。侯爵家当主の望んだ縁だと噂されていたが、双方共に望んでいたのだな」
「ええ、無用なやっかみを防ぐために当主である父が望んだと噂を流したまでです。
残念なことに私ではまだエリィを守るには力が足りない」
ジェスターが自嘲の笑みを浮かべると、ロランがぼそっと呟いた。
「エリゼーヌ嬢は守られてよしとする令嬢ではないだろう。・・・自らも望んだと言っていたし」
さすがにエリゼーヌの言葉をそのまま伝えるのは癪にさわる。ロランは素直に祝福できなかったが、その代わりに忠告をすることにした。母国で少々不穏な噂を耳にしたのだ。
「家格差があるのに政略の利がないとなると、無用な外野に用心したほうがいい。
私の従兄弟は侯爵家の嫡男なのだが、この国の侯爵令嬢から婚約に横槍を入れられそうになった。政略結婚で解消は双方にダメージが大きかったから干渉を防ぐことができたのだが」
「もしや、その令嬢とはクレージュ家の次女では?」
ロランが大きく目を見開くと、ジェスターが思案顔でうなずいていた。
「クレージュ家の長女と知り合う機会がありまして忠告はされていました。次期当主とはこの問題を解決すれば、よきお付き合いをできるだろうとご挨拶はしています」
「・・・そうか、把握済みだったのか。余計なお節介をしたようだな」
「いえ、隣国の情報は確認に時間がかかりますので、知らせていただいてありがたい」
「問題のご令嬢はかなり傲慢で強引な手段をとるから、我が国では敬遠されていた。気をつけたほうがいい」
「ええ、情報提供に感謝します」
にこりと微笑むジェスターの目だけは無だ。全く絶対に完全に笑っていない。クレージュ家次女がやらかす前に何らかの手を打ちそうだ。
ロランは悪寒がして身震いした。嫡男と三男の違いだろうか。
ロランでは事が起きる前に原因排除はためらいがあるが、ジェスターにはそんな様子は微塵もなかった。