これでも応援しているのです
「ヴィオ、来てくれたのか」
アルマンはわずかに見開いた空色の瞳を和ませた。
今日は辺境に赴く日だ。
父は仕事、母は断罪劇の怒りが冷めやらず、見送りには来ていない。兄のカミーユだけが最後の挨拶に訪れてくれた。
義兄に付き添われたヴィオレットは無言でずんずんと近づいてきたかと思うと、手にしていたアクセサリーボックスを彼に突きつけた。勢いよく蓋が開かれて、中身が飛び出しそうに激しく揺れている。
「これ! どういう事よ、こんなに一度に・・・。一体、どうしたの?」
「どうって・・・、全部ヴィオの物だが?」
アクセサリーケースの中身はアルマンが辺境に旅立つ前にと贈った物ばかりだ。アルマンは説明不足だったかと、一つ一つを指差した。
「このネックレスは去年のヴィオの誕生日のプレゼントだ。お揃いのイヤリングは新年祭で・・・」
「そういう事じゃないの! なんで、今更なの? どうして、ちゃんと用意してくれていたなら贈ってくれなかったの?」
水色の瞳が言い逃れは許さないと、きつく突き刺さってくる。
アルマンは目を泳がせたが、友人の脅しを思い出して言いづらそうに口を開いた。
「その、・・・直接渡したくて。渡すつもりでヴィオに会いに行くと、いつも聖女候補の事で言い争いになってしまってだな、・・・あー、渡す雰囲気じゃなくなって持って帰っていたから、渡せないまま貯まっていってしまって」
「・・・わたくしが疎ましくなったのではなかったの? だから、贈ってくれなくなったのだと・・・」
「はっ? まさか、ヴィオを嫌うなんてあり得ない」
アルマンは素の無表情で答えた。
ヴィオレットは顔を歪めて、はくはくと口を開閉するが言葉は何もでてこない。水色の瞳が潤み始めて、アルマンはぎょっとした。ハンカチを取り出してそっと彼女の目元にあてると、もうヴィオレットの感情は決壊して溢れでてしまった。大粒の涙がはらはらと溢れて、アルマンは内心ではおろおろと狼狽えながら、銀の頭をそっと撫でた。
アルマンはお詫び行脚が済むと、ヴィオレットの父・ブロンデル伯爵から稽古をつけられた。
ブロンデル伯爵は薬師だが、外見は熊のような大男だ。断崖絶壁の険しい山中だろうと荒海の中の孤島だろうと、薬草採取のためならば自ら足を運ぶ猛者である。
得物は斧が得意でアルマンは剣で渡り合うことになって心中では大焦りだった。しかし、ヴィオレットを蔑ろにした落とし前だと言われて引き下がる訳にはいかない。剣を叩き折られそうになるのを何度も凌ぎながら、なんとか伯爵の猛攻に耐え抜いた。
ーー必ずヴィオレットを迎えに来い、と義父(予定)に激励されて感動する間もなく、ブロンデル家の跡取りである長姉からは一晩正座でみっちりとお説教を受けた。足は痺れを通り越して麻痺するわ、眠気に襲われて瞼が閉じそうだわをなんとか婚約破棄保留撤廃のために根性と気力と友の脅しを思い浮かべることで乗り切った。身も心も疲労困憊だったが、そこに第三の刺客が現れて、『三徹でも平気な滋養強壮薬』の実験に付き合わされて本気で死ぬかと思ったものだ。
それもこれもヴィオレットのためと見事にやりきったのは、もう辺境に出発する前日だった。
愛しい婚約者と顔を合わせる暇もなく慌ただしく準備を終えて、せめてもと今まで貯めに貯めてきた贈り物を伯爵家に届けさせた次第である。
「クリストフ殿、この度は愚弟が申し訳ない。ご迷惑をおかけした」
カミーユがヴィオレットの義兄・クリストフに頭を下げた。クリストフはにっこり笑顔で頷く。
「うん、本当にね。義父上と奥さんを宥めるの大変だったんだから、恩にきてよね」
彼とカミーユは学院の先輩・後輩の仲だ。ヴィオレットとアルマンの婚約で親戚になるからと学生時代から親しくしていたが、今日のような事態になるとは全くの想定外である。
「いや、貴方も結構鬼畜でしたよね? 新薬の投与実験とか、ひどくないですか?」
「完徹した後だったからちょうど良いかなって。それに一度地獄をみておけば大概の事には耐えられるでしょ。辺境はほんっとうに厳しいって聞くよ。まあ、バルテレミー家にはよく頼んであるし、あそこは実力主義だから、彼の腕ならなんとかなるとは思うけど」
ジト目の後輩にクリストフは実に爽やかな笑顔でのたまわってくださった。
バルテレミー家はブロンデル家次女の嫁ぎ先で代々武家の血筋だ。親戚だからと手加減してくれるほど甘くはない。
義父や長姉の所業は腹いせ半分、鍛錬半分で辺境地への餞別代わりでもあった。さすがにヴィオレットに会わせないのはやり過ぎと思わないでもないが、アルマンの母から『息子は死んだものと思ってよい』との苛烈なお言葉をいただいている。クラルティ夫人は妹の子を蔑ろにした息子にお怒りで勘当も辞さないつもりである。
クリストフはヴィオレットに泣きつかれて、見送りに連れてきていた。義父や妻では意地が先立ってヴィオレットが大事でも願いを叶えてあげることはできない。ブロンデル家は意地っ張りが特徴の家系だ。
「ヴィーちゃんに泣かれるのは本意ではないからね。彼には是非とも無事に戻ってきてもらわないと」
「・・・一応、激励されてるのだとは理解しましたが」
「まあ、我が家もいつもの痴話喧嘩だと思って、見逃してしまっていたからねえ」
クリストフがしみじみと呟いた。
子供の頃から諍いになると、ヴィオレットが意地を張ってアルマンが宥めて慰めて、と繰り返してきた仲だ。それが婚約破棄にまで拗れるとは両家の誰もが思いもしなかった。当初、聖女候補が祭り上げられているのは学院内だけで、なかなか外部には情報が漏れなかったため、両家とも状況把握が遅れていた。
「弟君はどちらかというと、巻き込まれた形なんだから。情状酌量の余地はあると思うんだ。カミーユも後悔したくないよねえ。もしもの事が起こらないように手を尽くすのは当然だよ」
「・・・ごもっとも、と思いますが、それでその手にしている物は?」
思い切り不審そうなカミーユに満面の笑みが向けられる。
「僕のお手製の応急処置セットだよ。どんな重傷でもたちまち痛みがひく痛み止めが処方してあるから」
「ちなみに、お尋ねしますが完成品ですよね? まだ試作段階とか言いませんよね?」
「はっはっは、やだなあ。僕の腕前を疑うの? 今まで失敗した事ないでしょ」
「いや、あんた、学生時代から勝手に他人を実験台にしてたでしょ⁉︎ 合法的に人体実験しようとするんじゃない!」
悪びれないクリストフにカミーユが全力で突っ込む。薬草調合が趣味な先輩は密かに周りを実験に巻き込むことで有名な人だった。趣味が高じて薬師家業で高名なブロンデル家への婿入りを決めたお人でもある。
「えー、皆んなが幸せになれるんだからいいじゃないか。弟君が無事に帰って来れば君だって嬉しいでしょう。ヴィーちゃんも喜ぶし、僕も実験結果がでてラッキーだよ?」
「実験って認めたじゃないですか! せめて、認可がおりてる薬にしてくださいよ」
「まあまあ、細かい事は気にしないで。僕は気にならないから」
「あんたはよくても、普通は気にするものなんだよ!」
最早、世間体はかなぐり捨てて、学生時代のように突っ込みまくるカミーユ。応じるクリストフは全く動じる事なく、別れを惜しむ弟妹たちそっちのけで後輩とやり合っていた。
「その・・・、泣かせるつもりではなかったのだが」
背後の賑やかな兄たちのやり取りには全く気付きもせずにアルマンはヴィオレットの頭を撫で続けていた。意地っ張りの従姉妹はいつも拗ねたり膨れたりが多く、こんなにも大泣きするのは子供の頃にアルマンが怪我をして以来だ。
「アル、は・・・、いつも、何も・・・言って、・・・くれな」
しゃくりあげながらもヴィオレットが懸命に言葉を絞りだす。
「すまない。ヴィオならわかってくれると」
「わから、な・・・言って、・・・くれなきゃ・・・」
えぐえぐと子供のように泣きじゃくる婚約者にアルマンは大弱りだった。ヴィオレットにぐしゃりと握り潰されたハンカチはぐっしょりですでに役に立っていない。
「本当にすまなかった。ヴィオには笑っていてもらいたい。いつも、そう思っている」
「それ、なら、・・・行か、ないで」
「ヴィオのそばにいられるようになるために行ってくる。だから、泣かないでほしい。待っていてくれるだろう?」
アルマンは親指で水色の瞳に溜まる雫を拭った。ふぐぅ、と変な声をあげて、ヴィオレットは涙を堪えようとするが、興奮しすぎたせいでうまくいかない。
アルマンは幼な子をあやすようにポンポンと彼女の背中を軽く叩いた。
「大丈夫だ。ヴィオがいるなら、自分は頑張れるから。心配はいらない。これ以上、ヴィオを泣かせたら、叔父上たちに本当に婚約破棄されてしまうからな」
アルマンは冗談めかして笑ってみせた。不安げに揺れる水色の瞳にこれ以上の心痛を与えたくなかった。
ヴィオレットはこくりと頷くが、眦は濡れたままだ。ブロンデル伯爵や義姉(予定)のシゴキよりもこうしてヴィオレットに泣かれるのが、彼には一番堪える。
アルマンは銀の髪にそっと口づけを落とした。頰の涙を指で拭いさり、眦に残る雫に唇をよせて吸い取る。ぴくりと身体を跳ねさせたヴィオレットが目をまん丸くして驚いた。
兄妹のような仲で婚約者になったから、これまで親愛の挨拶のキスしかした事がなかったのだ。
「ちゃんと帰ってくるから。大丈夫だ」
従姉妹の顔を覗き込むアルマンは珍しく口の端を緩めて微笑んでいた。彼女の目を丸くした顔が幼い頃の表情を思いださせて懐かしさがこみあげてきたのだ。
そのまま、幼い子供にするように頰にキスすると、ヴィオレットが肩を跳ねさせたせいで微かに唇を掠めた。彼女の頰に瞬時に朱がのぼる。かわいいな、と頰を緩めたアルマンの頭にいきなり拳骨が落とされた。
「お前、保護者の前で何してやがる⁉︎ バカなの、破滅願望あるの?」
カミーユが青い顔して目を吊り上げていた。
ふふふふふ、と不気味な含み笑いがして、クリストフがヴィオレットを自分の背後に隠す。
「ヴィーちゃん、時間切れ。大人しく帰ろうね? お兄ちゃんはまだちょおっとお話があるから、先に馬車に乗って待っててね」
にこりと圧のある笑顔の義兄にヴィオレットはおずおずと頷く。
「あの、お義兄様。アルの事、お願いしますね?」
「うんうん、ヴィーちゃんはいい子だね。大丈夫、悪いようにはしないから」
ーー悪い予感しかしねえ、とぼそりと零された兄の呟きにアルマンの顔から血の気がひく。
なにしろ、義兄(予定)は他人を実験台にするのが大好きなお方だった。ヴィオレットに『行かないでくれ』と懇願の視線を送るが、赤い顔をした彼女は気まずさから逃れるように立ち去ってしまった。
クリストフはにこにこ笑顔で応急処置セットを取りだした。そして、一つ一つの薬について説明を始める。
「どんな重傷でも即座に効く痛み止めに増血作用を伴った止血剤でしょ、使い処間違えると体温低下で低体温症になる熱冷ましに」
「ちょっと待って! それヤバくないの?」
「大丈夫、大丈夫。死者はまだでてないから。だから、アル君も安心して怪我してね。死なない限りはなんとかなるから」
「いや、その文脈おかしいでしょ⁉︎」
「ははは、カミーユはいつも細かいねえ」
「細かくねえわ! あんたの常識が変だわ」
カミーユの遠慮のないツッコミがクリストフの鉄壁な笑顔で跳ね返される。しばし、兄と義兄(予定)の応酬が続いて、出発時間が押してしまった。
アルマンは兄たちからの激励(?)をうけて慌ただしく旅立つことになったのだ。
これにて一部完結です。お付き合いしてくださってありがとうございました。面白かったなら評価してくださると嬉しいです。
第二部はエリゼーヌとジェスターの出会いから今までのお話で、悪役令嬢ブランディーヌ・クレージュが絡んできます。1月半ばの連載予定です。第二部もご覧いただけたら、よろしくお願いします。
誤字報告ありがとうございます、訂正しました。