久しぶりのデートです
エリゼーヌは朝からはしゃいでいた。今日は一日中ジェスターと一緒にいられるのだ。馬車の中でジェスターに膝抱っこされても狼狽えることなく、自分からすりすりと抱きついてくる。
「・・・今日は、甘えん坊だね、エリィ」
「だって、久しぶりだもの」
ふふっと嬉しそうな婚約者にジェスターの罪悪感がひしひしと募る。いつもならば、エリゼーヌは恥ずかしがってこんなに素直に寄り添うことはない。
朝食と夕食は顔をあわせていたし、今回はエリゼーヌのお披露目のお茶会デビューもあった。テレーズと一緒にお茶会の準備や作法の復習などして忙しくしていると報告されていた。
だから、こんなに寂しくさせていたとは思わなかった。
もうすっかりジェスターの背は伸びて、エリゼーヌとは明確な差がでている。出会った頃は同じくらいの背丈だった少女は今では彼の腕の中にすっぽりと収まる。ジェスターは己の婚約者はこんなに華奢だったんだな、と改めて自覚した。
「ごめんね、エリィ。放っておいて。せっかく、遊びに来てくれたのに」
「ううん。大丈夫。テレーズ様がよくしてくださってるから。わたしのおばあ様がご存命だったら、こうしてくれたのかなって感じで嬉しいの」
エリゼーヌは甘えながら、普段テレーズとどう過ごしているのか話し始めた。普段はこういう他愛ない話をする暇さえないのだ。
必要な連絡事項や確認や報告、そんな話で食事時間は終わってしまう。テレーズやディオンが一緒でもあるし、あまり二人だけで会話はできなかった。
今日は以前中断されたデートの埋め合わせで郊外の植物園にお出かけだ。まだ婚約者候補だった頃に初めてデートした場所で、思い出深い。
あの時と同じように裕福な庶民の格好でお忍びデートだ。護衛やお付きの者がいるが、いつも邸で生温かく見守ってくれている面々だから遠慮の必要はない。
ジェスターの祖父母が帰参した今年はこれまでのようにいちゃい・・・、もとい親密にできなくなった。
婚約者らしい節度を保った距離で、外でのようにしかできない。今まではハグや膝抱っこや戯れて額や頬にキスだってしていたのが、全部お預け状態だ。ハグさえできなくなって、ジェスターは大いに不満だったし、エリゼーヌも気落ちしていた。
平民の親子や男女の距離感は貴族よりも近く、もっと親密だ。平民の乳母に育てられたエリゼーヌは貴族よりも密なスキンシップに慣れていた。乳母が亡くなってから途絶えていたスキンシップに無自覚にも飢えていた。だから、ジェスターが構ってくれるのは恥ずかしいけど、嬉しかったのだ。
少年少女は毎年再会する際にはぎゅむっと抱きしめられて抱きついて、だったのに、今年はそれがなかった。
しかも、ジェスターがずっと王宮に呼ばれて接する時間が極端に少なかった。
今日はその埋め合わせもあってのお外デートだ。テレーズの目のないところで、お互いに相手を思う存分補給するつもりである。
「ねえ、ジェス。オレリーがね、恋人繋ぎっていうのを教えてくれたの。やってみない?」
「何、それ。どうやるの?」
「あのね、こうやって、指をね、絡めるんだって」
エリゼーヌはジェスターと手をあわせると、彼の指の間に自分の指を交差させた。
新たなエリゼーヌ付きの侍女の片割れ、オレリーには恋人がいて、デートでお互いの指を絡めた繋ぎ方ーー恋人繋ぎをすると話していた。それをせっかくのお忍びデートで実践しようというのだ。
ジェスターが絡めた指を曲げて握りこむと、目の前の婚約者は挙動不審になった。
「えっと、その、やっぱり、普通に繋ぐ?」
「え、どうして? エリィはこうするのが、イヤなの?」
「・・・イヤじゃない、けど。その、落ちつかない、というか・・・」
「イヤじゃないなら、いいよね」
ジェスターはにこりと微笑んで断定した。赤くなりながらも、コクコクする婚約者がとてもかわいい。
二人は恋人繋ぎにして、ゆっくりと園内を見て回った。
もう初秋だというのに、この日は暑さがぶり返して日差しが強かった。
ジェスターは久しぶりの遠出に最近は室内で過ごしてばかりのせいか、日差しがきつく感じた。少々頭痛もしていたが、本当に久しぶりの二人きり(お付きはいるが身内だからノーカウント)だ。心配させたくなかったから、具合が悪いのを黙っていた。
昼食は初デートのようにピクニックにしようと木陰に敷物がひかれて腰を降ろしたのまでは覚えている。くらっと目眩がして、無理をした自覚はあるのだがーー
ジェスターは優しく頭を撫でられて、ゆらゆらと意識が覚醒した。
「ジェス、気がついた?」
目を瞬かせていたら、真上から婚約者の声がした。そおっと開けた鳶色の瞳には不安そうな顔をした婚約者が逆さに映っていた。
「エリィ? 僕は・・・」
「ジェス、青い顔をして倒れたの。覚えてない? 今ね、馬車の用意をしてもらってるところ。担架を持ってくるまで敷物で休ませてたの。
・・・ごめんね、わたし、気づかなくて」
「エリィは悪くないよ。僕の自己管理ができてなかったのだから」
エリゼーヌはその言葉にへにょんと眉をさげた。今にも泣きだしそうでジェスターは焦った。
身を起こそうとしてもくらっとして無理だった。元通りに頭をのせると、何か柔らかいものを枕にしているのに気づいた。エリゼーヌとの距離がいつもより近いと思ったら、膝枕されている。
思わず、ジェスターは目の前に揺れているえんじ色の髪に手を伸ばした。くるっと指に絡めて、彼女にふれて安堵する。
ジェスターがふうと息をついたら、目を覆うようにエリゼーヌの手がのせられた。
「まだ休んでて。顔色、悪いから」
「・・・ごめん、エリィ。今日は埋め合わせだったのに、また台なしにして」
「ううん。ジェスと一緒に過ごせるんだもん。わざわざ遠出しなくてもよかったのに、わたしがはしゃいだから・・・」
エリゼーヌははしゃぎすぎてジェスターをあちこちに振り回したと後悔していた。
なんだか、ジェスターの動作がゆっくりめだと思っていたのに、自分の感情優先で相手の顔色になんて気づいてなかった。しゅんとなってエリゼーヌは膝の上の黒髪を撫でた。
ジェスターが朝から晩まで王宮でずっと気を張っていたのには気づいていた。人見知りする婚約者は不特定多数が出仕して行き交う王宮は苦手だ。ただ、お客様滞在用の離宮でほぼ過ごすからなんとか気が紛れていると言っていたのに、深く受けとめていなかった。
ディオンでさえも週末は休めるのに、ジェスターは子守りで幼女たちがお昼寝中は暇になる楽な仕事だからと連日出仕させられていた。疲れが溜まっているのは予想できたのに、顔色の悪さを見逃した己の迂闊さに嫌気がさしそうだ。
しょぼくれたエリゼーヌが頭を撫でているうちにジェスターは眠ってしまった。すうっと寝息が深くなって、するりとえんじ色の髪から手が滑り落ちた。
ディオンは息子が倒れたと連絡を受けて早退した。帰宅してすぐに様子を見に行くと、息子はむすっとしているが元気そうだ。
「ジェスター、具合が悪くなったと聞いたけど、魔力の流れは?」
「うん、大丈夫だよ。ちょっと、貧血を起こしたみたいで、よく眠ったら治ったよ。ごめん、父上にも心配させて」
「いや、元気になったならいいんだ」
ディオンはほっとした。
高魔力保持者の息子は5歳の魔力安定期以降も体調を崩しがちだった。体調不良となると、つい心配になる。
魔力が器に馴染まないままだと内臓の機能を傷つけてしまう可能性があるのだ。安堵したディオンは息子の不機嫌さが気になった。
「体調がよくなったのに、どうしてそんなにふくれているのかな?」
「・・・別に、ふくれてないよ」
「そうか、拗ねてるのほうがあってるかい?」
「ち・ち・う・え?」
ジェスターが半眼になると、ディオンが苦笑する。
「てっきり、エリーが看病で付き添っているのかと思えば、いないし。ケンカでもしたのかなと思って」
「・・・してないよ。ただ、遠慮してるんだ。おばあ様がいるから」
「ああ、それでか」
ディオンは納得して頷いた。
これまでなら、エリゼーヌはジェスターにくっついて側にいただろう。しかし、テレーズが看病でも未婚女性のエリゼーヌをジェスターの寝室に入れるわけがない。
ジェスターは大いに不満だった。
実はジェスターは婚約者の部屋を整える時に、お昼寝用の幅広いソファーをプレゼントしていた。エリゼーヌと一緒に寝転がれるように。
さすがに寝台で同衾はドロレでの非常事態後だったから許されたことだ。寝台がダメならソファーでお昼寝くらいしたいと強請ったら、婚約者は赤くなりながらも、クロエが側につくならと条件付きでOKしてくれた。
彼女を抱き枕にしたお昼寝はとても安心できて貴重な一時だった。それが今年からはお預けになってしまった。
植物園でのデートでエリゼーヌと恋人繋ぎしてご満悦だったのに、貧血を起こすとか。どこの深窓のご令嬢だ、とばかりの失態で、ジェスターの機嫌は下降の一途だ。
「まあ、君たちももう子供の域を脱してきているからね。少しは体裁を取り繕ったほうがいい。
私室で仲良くする分には、構わないけれど」
「・・・そんなに非常識な真似はしてません」
ジェスターはふいっと視線を逸らした。
細身に見えるジェスターだが、大規模な術の放出に耐えられるよう身体を鍛えてある。エリゼーヌは顔の丸みがほっそりとしてきて、逆に身体は丸みを帯びて女性らしく成長した。
出会ったばかりの頃はジェスターのほうが目線が下だった。同じような背丈で子猫のじゃれあいのように戯れる子供たちを周囲は生温かく見守っていた。今ではお年頃らしく育ってきて、これまでのようなじゃれあいはいささか外聞的によろしくない。
男女の違いがでて距離を置く時期になったと言われて、ジェスターはむすっとむくれていた。ディオンはそんな息子の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「な、父様、何するの!」
「いやあ、息子がまだまだかわいいなあ、と」
「はあっ?」
ジェスターがつい子供の頃の呼び方をしてしまって気まずいところにこの発言だ。険しい目つきになる息子にディオンはにこりと微笑む。
「私は明後日から地方都市へ出張なんだが、明日大公夫人に挨拶してくるよ。私の息子は体調を崩してしばらくお休みさせますって。
これまで、一カ月以上、一日も休みなしで呼びつけてくださったのだ。まさか、体調不良なのに呼びつける真似はなさいますまい。
五日後にはお帰りになられるし、後はお見送りで顔を見せるだけでいいだろう。いくら、ジルベール王子の頼みとはいえ、我が息子を酷使なさりすぎだしね」
「そうしても、いいの? 父上の立場が悪くなるとか・・・」
「そんな心配は無用だよ。我が家は王家に忠誠を捧げているが、奴隷ではないからね」
ジェスターは父の口調に底冷えするものを感じて、息子の酷使以外にもディオンの心にふれる何かがありそうだと悟った。
ジェスターはお客様用の離宮にずっと隔離状態だから、密かな噂には気づいていなかった。隣国の大公の次女をこの国に輿入れさせるかも、という噂だ。
ディオンはいち早く耳にした噂を宰相に確認をとり、まだ本決まりではなくてもしっかりとお断りの意を示した。息子はすでに婚約済みなのだから、候補にあがるだけでもふざけるな、だ。ルクレール家を蔑ろにする気か、とオブラートに包んだ貴族言葉で慇懃無礼に伝えたら、せめて滞在中だけでも次女の遊び相手にジェスターを付きあわせてほしいと頼まれた結果がこれだ。
義娘にと望んだエリゼーヌも落ちこんでいるし、息子も不機嫌の極み。
臣下への配慮を忘れた王家に無条件に従うつもりはルクレール家当主には全くさっぱりまるっきりこれっぽっちもなかった。
エリゼーヌとジェスターの誕生日をはっきりとさせていなかったので、エリゼーヌが夏の終わりでジェスターが秋の初めと考えております。