婚約2年目 エピローグ
2年目のエピローグ、次回からは3年目になります。
エリゼーヌとジェスターはセレスティーヌから招待を受けてクレージュ家にお邪魔していた。
クラリスの件での謝罪なので、すでに受け入れたと返答したが、どうしてもと強く請われてしかたなくやってきた。婚約者のジェスターもご一緒にとの事だから、ルクレール家との仲を悪くしたくないという思惑があるのだろう。
セレスティーヌはジェスターと自己紹介を兼ねた挨拶が済むと、すぐに侍女を扉の前まで下げさせた。二人が訝しんでいると、彼女は二人に向かって頭を下げた。
「エリゼーヌ様には不快な思いをさせて申し訳ありません。実は、ここだけのお話にしていただきたいのですが、クラリスだけではなく、今後妹もご迷惑をおかけするかもしれなくて。
注意喚起したくて、婚約者のジェスター様もお招きしたのです」
「・・・どういうことでしょう?」
セレスティーヌはジェスターの温度のない声に目を伏せた。
クラリスが伯母の侯爵夫人に愚痴ったらブランディーヌが興味を示したらしい。ブランディーヌは祖母が隣国の出身で親類がいるため、療養がてら隣国の貴族に縁づくはずだった。しかし、成長して身体が丈夫になったブランディーヌはこれまでわがまま放題に育てられており、なかなか良縁が見つからなかった。このままでは行き遅れになるかもしれないと、ウェルボーン王国でも婿探しを始めるようで、まずは公・侯爵家に打診する予定だった。
侯爵夫人はクレージュ家の女当主になるはずだったが、病弱なブランディーヌにつきっきりで隣国に行ったままなので、まだ壮健な父親が当主の座についていた。次期当主には成人した長男がなる予定だ。夫人は母親が亡くなってからは女主人としてクレージュ家に君臨しており、婿はお飾りの侯爵だと社交界では皮肉られていた。
ジェスターは冷ややかな眼差しになる。
「それが私たちと何の関係が? まさか、婚約済みの相手にも声をかけるおつもりですか?」
言外に『非常識な』と含ませたが、セレスティーヌは申し訳なさそうに頷いた。
「その、まさか、なのです。母は妹が望むなら、圧力をかけて婚約を解消させても構わないと思っています。我が家では、そのう、父は婿養子で当主の祖父には逆らえないのです。
お恥ずかしいお話なのですが、祖父は母の言いなりになることが多くて」
「確かに恥ずべきですね。身分をカサにした婚姻が禁じられているのですから。身分をカサにして横槍を入れるとか、ご当主は正気ですか?
大体、私との婚姻はご当主が先に断ったのですよ、それもお忘れですか?」
『馬鹿か、馬鹿なんだな、それとも、すでにボケたのか』とジェスターが眼差しで訴えると、隣の婚約者が控えめに袖をひっぱってきた。そっと耳もとで囁く。
「あの、少し言い過ぎじゃ・・・」
「大丈夫だから、僕に任せて」
小声で自信満々に答えられてしまって、エリゼーヌは困った。忠告してくれるセレスティーヌに苦情を言ってもしかたがないと思うのだが、婚約者様のご意見は違いそうだ。
「伯爵家以下の次男三男なら、まだ婚約者がいない相手がいるでしょう。クレージュ家のご令嬢ならば、彼らには引くて数多では? わざわざ、婚約している仲をさこうとか、揉め事がお好きなのですか?」
「確かに仰る通りです。ただ、母は格下の相手に嫁がせるつもりはないのです。ブランディーヌに苦労はさせたくないと言って・・・」
セレスティーヌは苦々しく答えた。
彼女の婚約者は古くからある伯爵家だ。王家の墓守を任せられている一族で、葬儀以外は霊廟の維持管理が主な閑職と陰口を叩かれている。
絶世の美女と名高かった母は自分に似た娘・ブランディーヌや姪のクラリスを可愛がって父親似のセレスティーヌは蔑ろにされている。だが、そんな内情をセレスティーヌは目の前の二人にバラすつもりはない。
「成人している兄はそのような非道を許すつもりはありません。次期当主としては、母の暴挙を止めたいのですが、現当主の祖父が母にも妹にも甘い人で・・・」
「それは貴家の問題でしょう。我が家には関係ありません。私の婚姻に余計な手出しは控えていただきたい。我が家が貴家の言う通りにしなければならない理由はありませんから」
「ええ、その通りです。ただ、ルクレール侯爵家には万が一に備えておいていただけたら、と思った次第です。兄が当主の座を得るのはまだ早く、障害もございますので」
その障害とやらは娘を溺愛する母親と同じく祖父のことだろう。当主になる前にどうにかする算段があるのか、とジェスターは脳内でクレージュ家の情報を高速処理してみた。そして、わずかに眉をしかめた。
彼とエリゼーヌとの婚約に何かするのをきっかけにして、クレージュ家の当主交代を企んでいるのでは? と疑問が生じてきたのだ。
何かされる可能性があるのなら、される前に潰しておくのが上策だろう。
「・・・次期ご当主は道理を弁えた方のようですね。そのような方であれば、当家もお付きあいさせていただくのはやぶさかではありませんが?」
「まあ、嬉しいお言葉ですわね。兄にはしっかりと伝えておきますね」
セレスティーヌは淑女らしい笑みでにっこりと微笑んだ。
祖父と母を何とかしない限りはルクレール家との誼はないと示したのに賛同したのだ。
「・・・それでは、次期ご当主のお手並み、拝見させていただきましょうか。楽しみにしていますね」
野放図どもを調教して、こちらには一切の迷惑をかけるなーー、と。
ジェスターは目に光のない笑みでさらに釘刺ししたのだった。
「ねえ、ジェス。もし、本当にクレージュ侯爵令嬢とのこん」
「絶対に、あり得ないから」
ジェスターは帰りの馬車で不安そうな顔をする婚約者にものすごくいい笑顔を向けた。なぜか、びくっと肩を跳ねさせたエリゼーヌがすっと視線を逸らした。
「そ、そうだね。ジェスは不誠実な真似なんて、しないものね」
「うん、あたり前でしょう。僕はエリィがいいんだから。エリィも僕がいいでしょう?」
「・・・うん。ジェスがいい。ジェスじゃなきゃ、・・・やだ」
俯いて小声になったエリゼーヌをジェスターが抱き寄せた。膝に乗せて、ぎゅうっと抱きしめる。いつもは気恥ずかしそうに挙動不審になるエリゼーヌも素直に抱きついてきた。
そのまま、すりすりと頭をよせてくる仕草が小動物のようでかわいらしい。ジェスターもえんじ色の頭に頬ずりしていると真向かいからごほんと咳払いがした。
エリゼーヌ付きの侍女のクロエだ。クレージュ侯爵家内では従者用の控え室に案内されていたから、セレスティーヌとの会見の場には控えていなかった。
「ジェスター様、クレージュ家の侍女と少し話したのですが・・・」
クロエは世間話から掴んだ侯爵家住人の印象を報告してきた。
夫人も当主も選民思想の持ち主で使用人の中でも特に平民出身の者にはあたりが強いらしい。さすがにクレージュ家の名誉を貶めるような真似だけは避けているが、それは優秀な執事補佐と侍女長のおかげだった。
二人は婿入りした侯爵の実家の使用人で、婚姻時からついてきた忠臣だ。侯爵は噂のようにお飾りではなく、婚家の名誉を守ることに腐心しているようだ。
「ふうん。現侯爵と長男、長女だけはまともなんだ。でも、実権は非常識な人間・・・当主と娘が握ってるのか」
ジェスターが思案げにこぼすと、両頬を柔らかな手で挟まれた。至近距離から明るい灰色の瞳がのぞきこんでくる。
「ジェス、なんだか怖い顔してる」
「・・・そう? ちょっと、考えこんじゃって。ごめん、イヤな思いさせて」
「ううん、そんなことない。ただ、心配なの。ジェスはわたしに無理や無茶な事しないでって言うくせに、自分のことには無頓着そうだから。
ねえ、ジェスが無理や無茶な事したら、わたしだって心配するからね?」
「へえー、その時はエリィがお仕置きしてくれるの?」
エリゼーヌはうっと言葉に詰まった。
お仕置きっていいモノではないはずなのに、婚約者様は目をキラキラさせて実に嬉しそうだ。喜ぶ事じゃないよね? と、専属侍女に目をやると、当然のごとく頷かれた。エリゼーヌは何がお仕置きになるのかな、ジェスを懲らしめる事と考えて一つの結論に至った。
「ジェスのお仕置きは、『かわいい』って褒める事にするから」
「・・・はい?」
意気揚々と告げた少女にジェスターは首を傾げた。わけがわからない。
ふふっと少女は楽しそうに微笑んだ。
「あのね、好きなものを食べてる時のジェスって、よく味わって口をもぐもぐさせててかわいいの。魔術書を読んでる時とか、難しい顔してると思ったら、嬉しそうに微笑みだしたりするし。無意識でニコニコしてるのが、とってもかわいくてね、あとは・・・」
嬉々としてジェスターのかわいいをあげていく婚約者に、ジェスターはにこりと微笑んだ。なぜか背筋にぞわりとするモノを感じた少女が身動ぎするのと同時に相手の唇を塞ぐ。軽くふれただけですぐに離れたのに、婚約者は真っ赤になって焦りだした。
「な、なななな、なに、す・・・」
「かわいいは褒め言葉じゃないって教えたでしょう? それがわかってなさそうだったから」
「お、お仕置きだもん。だから・・・」
「うん。僕もお仕置きのお仕置きだから。隙だらけだね、僕のエリィ?」
ジェスターはどことなく黒いモノを感じさせる笑みで、腕の中の宝物に迫った。エリゼーヌは「ひゃあいいいい」と意味不明な叫びをあげてワタワタと慌てている。
膝抱っこで囚われているエリゼーヌが逃亡するのは無理だった。向かいの席にヘルプの視線を向けたが、専属侍女は慈愛の笑みを返すばかりだ。
「エリゼーヌ様、若様もそうご無体な真似はしないと思いますので、少しばかりお付きあいなさってあげてください。そのほうが被害は最小限に抑えられると思います」
被害って何? 最小限って、どこが? と、エリゼーヌは叫びたくなったが、車内に味方はいなかった。ルクレール邸に帰ってからはジェスターの私室に連行された。
クロエはやりすぎの一歩手前までは黙認で少年少女に付き添っていた。クレージュ侯爵令嬢との話で一度は拗れた二人だ。同じ轍を踏まぬよう、主は溺愛されてる自覚を持ったほうがよい、と忠実な侍女は判断したのだった。
悪役令嬢との前哨戦というか、軽くジャブかましている状態というか。ジェスターの中では警戒度が跳ねあがっています。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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短編の『なぜ、先に婚約破棄したと言われても・・・』の影響か、評価やブクマ、いいねも一気に増えて慄いております。お読みいただけるだけでも有難いですが、評価なども嬉しいです。ありがとうございます。
四部までお付き合いいただけると光栄です。