子犬の幻影が見えます
今回は短めです。無事お茶会終了後。
「ベアトリス様、本日は私の婚約者がお世話になり、ありがとうございました」
「まあ、ご丁寧に。お気になさらなくてもよろしいのよ、エリーちゃんはヴィーの親友だし、我が家の大事な取引相手だし。
わたくしもセレスティーヌ様とお友達になれて収穫がありましたもの」
ベアトリスは会釈するジェスターにころころと微笑んだ。
ジェスターはクレージュ家近くのカフェの個室を貸し切りにして待機していた。婚約者に何かあったら、すぐに駆けつけられるように。
エリゼーヌが人身売買の悪徳商人に捕まった件がジェスターにはトラウマになっており、婚約者が視界に入らない場所で悪意にさらされているなんて居ても立っても居られなかった。無事に戻ってきた姿に安堵して、ベアトリスにはお礼にお茶をご馳走した。カフェの新作ケーキも一箱手土産に用意する周到さだった。
お茶会参加で出席者の貴族間情報はもちろん、ブロンデル家の援軍を提案したのはブレーズ教授だ。
ベアトリスはさらにお揃いのデイドレスを提供してくれた。本来なら、ヴィオレットと次女でお揃いのドレスだったのに、手直ししてベアトリスとエリゼーヌ用に仕立て直してくれたのである。
ドレスはベアトリスにせっかくだからとプレゼントされた。ヴィオレット用だったが、ヴィオレットは親友の証でお揃いにしようと改めてドレスを作るとウキウキしていた。出来上がったら知らせるから、お揃いのドレスでお茶会しましょうと声をかけられている。
ブロンデル家との結びつきを目にしてもエリゼーヌを貶めようとするならば、敵認定確実だった。ジェスターはルクレール家として相応の報復を計画済みで婚約者には内緒だが、すでに準備はできていた。
お茶が済んでベアトリスが自家の馬車で去るのを見送ると、ジェスターたちも帰宅の途に着いた。馬車の中でジェスターはエリゼーヌの手をとり、袖に隠れた銀の腕輪に手を滑らせて眉をしかめる。
「これが役に立ってよかったけど・・・」
「うん、ジェスのおかげでドレスが汚れなくてすんだの。ありがとう、ジェス」
淑女の仮面を脱ぎ捨てたエリゼーヌはにこにこと素の笑顔になっている。
銀の腕輪はジェスターが物理攻撃を弾く守護の陣を刻んだアミュレットだ。装飾品としても遜色ないデザインで、機能は使用者の危機感に比例して守護の陣が発動し、反動もでてくる。今回はお茶をこぼされただけなので、相手に跳ね返るほどではなかった。
昨年、ミルボー領で手に入れたオニキスを使った腕輪で、ジェスターもお揃いの腕輪をはめている。ただし、消費魔力が大きいので、エリゼーヌの腕輪にはジェスターが魔力供給しなければ使えないという欠点があった。
ジェスターはエリゼーヌからお茶会の令嬢たちのセリフを一言一句違わずに聞きとると難しい顔になった。
敵意をぶつけられるのは想定済みでもエリゼーヌが少しでも傷つけられるのはイヤだった。嫌味くらいはお茶会の攻防戦でよくある事だが、一対多数ではどうしても数の暴力に負ける。今回は教授の事前情報で対策を練り、一人ずつ無効化する策を用意できた。
しかし、夜会など不特定多数を相手にする場合、この対物理攻撃防御のアミュレットだけでは物足りない。
「精神攻撃防御の陣も構築したほうが・・・。でも、容量の問題があるし。そもそも、精神攻撃となると洗脳とか魅了とか、脳に負荷を与えるものになるし・・・」
ジェスターが考えこんで独り言をこぼし始めると、エリゼーヌが不思議そうに小首を傾げた。
「ジェス、どうしたの?」
「ん、ちょっと、このアミュレットの反省点というか、改善点がね」
「そうなの? この腕輪があるとすごく安心感があってよかった。とっても心強かったの」
そう言って笑う彼女の背後にはブンブンと尻尾を振り回す子犬の幻影が見えそうだ。エリゼーヌは無難にお茶会を終えたと安堵していて、褒めて褒めて、というようにジェスターを見あげていた。
無邪気な婚約者はとても可愛いのだがーー
ジェスターは手を伸ばすと、エリゼーヌの頬をびろーんと横にひっぱった。
「じぇ、じぇふぅ?」
涙目で見あげるエリゼーヌの明るい灰色の瞳に婚約者様の目は笑っていない笑顔が映る。
「ねえ、エリィ。僕がどんなに心配したと思ってるの? 君が少しでも傷つくのはイヤだって言ったよね?」
ジェスターは無邪気なエリゼーヌにイラッとして、頬をむにむにと摘んだりひっぱったりとやりたい放題だ。
「だ、だって、わたし、傷ついたりしてないよ? お母様の言葉よりトゲがなかったもの。もっと、直接的にふさわしくないとか、身の程知らずとか言われるかと思っていたから。思ったよりも、皆優しかったよ?」
「・・・その認識はちょっとアレだから」
ジェスターはついため息をついた。長年、母のヒステリーにさらされていた少女は悪意に鈍くなっているようだ。
母よりまだマシだからと侮りを許せるわけがない。
ジェスターは頬から手を放すと、婚約者を腕の中に閉じこめた。えんじ色の頭に頬擦りして耳もとで囁く。
「・・・君は僕が望んだ婚約者だ。君を侮るということは我が家にケンカを売ってるのと同じだからね? 君が大した事ないと思っていても、何か言われた時は必ず僕に報告して。でないとーー」
「はい! わかってます、無茶や無理なことはしません!」
エリゼーヌは宣誓するように叫ぶと、むぎゅっと婚約者に抱きついた。お仕置き回避にはこうして抱きつくのが一番安全だと学習していた。
ジェスターはふうと息を吐くと、そっとえんじ色のつむじに口づけを落とした。耳にも唇をよせると、うなじまで真っ赤に染めあがっているのが目に入る。パクリと耳たぶをくわえるとビクッと肩が跳ねるが、嫌がる様子はない。ただ、ふるふると身体が震えて羞恥に耐えているだけだ。
ジェスターが婚約者の反応を楽しみながらハミハミしていると、ゴホンと咳払いがした。今まで空気と化して付き添っていたエリゼーヌ専属侍女のクロエがジト目である。どうやら、主の限界を見切ったらしい。
今日はここまでかと、ジェスターはえんじ色の頭ナデナデに切り換えた。




