婚約破棄します
初投稿で勝手がよくわかっていませんが、とりあえず一章ずつ投稿します。
「レティシア・アルシェ! お前との婚約をこの場で破棄する‼︎」
全校生徒で賑うセレモニーホールで突然の大声が響き渡った。
小国ながらも魔術王国として名高いウェルボーン王国王立の高等学院で、卒業式を明日に控えて生徒主体の壮行会の最中である。生徒の半分は信じられないとばかりに驚愕の表情を浮かべ、残りの半分はまさか本当にやらかすとはとドン引きしている。
というのも、10年ほど前に神聖国家ボードレールで王宮のパーティーという華やかな場で断罪劇と呼ばれる事件が起こり、未だに大陸中で大流行していたからだ。当時の王太子が婚約者を下位貴族の娘を虐めたとして断罪し、婚約破棄を突きつけた。新しい婚約者に下位貴族の娘を選んで身分違いの恋を成就させたのである。
『真実の愛』だとか『本物の恋』だとかで散々世間を騒がせた有名な事件は市井の人々の心を掴んで劇場で一般公開されるや次々に他国にも伝わり、未だに人気劇のトップに輝くロングランだ。
それを真似て華やかなパーティー会場で断罪劇を行う浮気者が年に一人か二人、どこぞの国ででたとかでないとか言われている状態なのだが、誰しもまさか自国でお目にするなどとは思ってもみないものだ。
大声をあげたのは第二王子ジルベール・フォートリエ。金髪碧眼の見目麗しい正統派な美男子で、聖女の正装をした薄桃色の髪の少女を丁重にエスコートしながらホール内に堂々と足を踏み入れた。後から従うのは幼い頃からの友人たちだ。
侯爵家三男レナルド・セドランは神官長を叔父に持ち、将来は神殿と王家との仲を取り持つ人物と期待されていた。よくある栗色の髪だが、珍しい紫色の瞳が線の細い端正な顔立ちを際立たせている。
伯爵家次男アルマン・クラルティは騎士団長の子息で早くも近衛隊入りを有力視されている騎士見習いだ。鮮やかな緋色の髪に空色の瞳と明るい色合いだが、本人は至って寡黙で生真面目な性格だ。
彼らの中心にいる儚げな美少女は男爵令嬢フェリシー・バランド。白地に金の縁取りのあるローブを身に纏い、薄いベール越しにジルベールを見上げる青の瞳はどこか心細げだった。
彼女は高等学院入学の三ヶ月前に治癒能力に目覚めたバランド男爵の隠し子で、急遽聖女候補に指名された。平民暮らしが長かったゆえに貴族社会に馴染めず、気遣った神殿側が同学年のレナルドをお世話係にした縁でジルベールらとも知り合った。平民の気安い距離感のまま異性に接するフェリシーは学院内では少々浮いた存在だった。
高等学院は基礎科目の一年生を終えると二年生では選択コースに分かれて専門科目を学び、最後の三ヶ月間は希望職種の研修につく見習い期間となるハードな授業内容だ。ある程度の基礎ができていなければ授業についていけないので、入学者は貴族か貴族の後ろ盾を得られる優秀な人物のみ。
王国一の名門校での断罪劇である。
男爵令嬢を囲う第二王子らとその先にいる人物に学生たちは交互に視線を走らせた。
艶やかな黒い巻毛を揺らし、ゆっくりと扇を広げたのは公爵令嬢レティシア・アルシェ。王族を除いた貴族女性の頂点に立つ至高の存在で、琥珀色の瞳がキツい印象を与える。フェリシーとはまたタイプの異なる美少女だ。
レティシアは人波が割れて一直線に向かってくる第二王子一行を凛として出迎えた。
「突然、何ですの? 今日は下級生が我ら上級生を労わり、お別れを告げる場でしてよ。いささか、不作法ではなくて。私事であれば、別室を用意させますので、そちらでお話し合いしましょう」
「いつもそう言って言い訳ばかりで誤魔化そうとしているではないか。ちょうど良い機会だ。この二年間のお前の行いを目撃した全校生徒の前で全てを明らかにする!」
苦く婚約者を睨みつけたジルベールはエスコートの手を離してフェリシーを庇うように一歩前に出た。
「公平を謳う学院内で身分を振りかざし、聖女様に数々の無礼を働いたお前をこのまま野放しにはできない。大人しく己が非を詫び、聖女様に赦しを乞うのだ。そうすれば、婚約破棄だけで済ませてやる。不敬罪には問わない」
「何度も申し上げておりますが、わたくしは身分差別などしておりませんし、バランド様に無礼など働いておりません」
「白々しいことを申すな! お前が聖女様に何度も雑言を浴びせていたことはわかっている。証人が何人もいるんだぞ?」
「貴族としての振る舞いを忠告していただけですわ」
レティシアはうんざりとした顔を隠しもせずに眉をひそめた。
お世話係はレナルドだけではなかった。
フェリシーは入学までの三ヶ月で貴族と聖女と両方の立場にふさわしい礼儀作法やら立ち居振る舞いを詰め込み教育された結果、どちらも中途半端な付け焼き刃にしかならなかった。淑女としての振る舞いなど及第点以下で入学してきたのだ。聖女候補に推挙した神殿側ではこの事態を憂慮し、学院内での淑女教育に王家の協力を要請してジルベールの婚約者であるレティシアに白羽の矢が立った。
一年生の基礎科目では礼儀作法の項目もあり、フェリシーはいつも居残り授業させられていた。それに毎回付き合って特訓し、何とか及第点を取らせたのはレティシアの功績だ。無理な詰め込み教育の弊害で変な癖のついた所作などを短期間で矯正せざるを得なかったため、スパルタ教育は仕方がなかった。
涙目どころか泣かせてしまったこともあるが、それはフェリシー本人も納得していたはずで、外野にとやかく言われることではない。
「あ、あの、ジル様。レティシア様はわたくしのために尽力してくださったのです。あまりの厳しさに泣いてしまったのはわたくしが至らなかったのです。レティシア様を責めないでくださいまし」
「だが、限度というものがあるだろう? レティはきつすぎるのだ。君の半分でもレティに優しさがあれば、あんなに辛い目に遭うこともなかっただろうに」
ーーそれでは、間違いなく落第したでしょうね。
レティシアは心の中でだけ本音を呟いた。
ジルベールの袖を掴み困ったように眉を下げるフェリシーと、愛称呼びを止めもせず甘やかな瞳で見つめ返すジルベール。
全く、なんの茶番が始まるのかと、レティシアは遠くを見る目をして二人を見やった。
仮にも聖女候補が落第、それも礼儀作法でなんてこのウェルボーン王国ではいい笑い者だ。
魔術王国と名乗るだけあってこの国では魔力の高い者ほど高位を得て活躍している。平民の生まれでも魔力大ならば貴族に養子縁組されてすぐに取り込まれる。というのも、4代前の狂乱王の時代、魔力が年々減少する魔力衰退症に侵された王の自暴自棄により、あちらこちらで大粛清が行われて国民が減少した。幽閉されることになった王は最期に急激な病状悪化で恐慌状態に陥り、王太子の即位式で魔力暴走を起こして自爆し、王城が吹っ飛ばされる大惨事が起こった。
新王となるはずだった王太子を始めとして、本家どころか分家すら一族郎党亡くなり断絶した家も数多く、国力低下したウェルボーン王国は滅亡の危機に瀕した。辛うじて辺境で静養していた病弱な分家筋の王位継承保持者が王位につき、実力主義で新しく貴族を取り立てたことで何とか他国からの侵略を防いでいた。その名残で実力主義は今でも健在で力無きものは蹴落とされる貴族社会だ。
ウェルボーン王国で聖女は王家と対等とされる存在だ。落第など許されるわけがないだろう。
ーーたとえ、平民の生まれでも相応の教育環境が整えられるのだから。
二人だけの世界からまだ戻ってこない王子たちをレナルドとアルマンは生温かく見守っているが、その周囲とはかなり温度差がある。
彼らは晩餐会に相応しい正装をしているが、本来この壮行会は茶会をベースにした下級生との懇談の場だ。舞台に楽団を招致してホールの半分をダンススペースに、残りを茶会会場として談笑スペースにと区切り、明日の卒業パーティーの予行を兼ねているが、そう堅苦しいものではない。皆茶会に準じる服装で王子らの格好は周りから浮いていた。彼らだけ明日の卒業パーティー本番そのもののようだ。
思わず、半眼になるレティシアに周囲の半分は同調し、残りの半分は王家と宰相家のどちらにつくのか値踏みしている状態だった。
王国には王子二人とすでに他国へ嫁いだ姫君と三人の王位継承者がいた。先代は女児にしか恵まれなかったので、法改正で女子にも相続権が認められて現国王は女王である。ジルベールは姉が嫁いで継承権を放棄したのと同時に臣籍降下が決まり、レティシアとの婚約が決まった。
レティシアに婿入りして宰相家を継ぐはずだったジルベールが婚約破棄など、今後どうするつもりなのか。
政略結婚になるが、レティシアとジルベールの仲は悪くなかった。可もなく不可もなくで、恋情はなくても親愛の情はある。友人の間柄だったが上手くやっていけると思っていたのだ、フェリシーが入学するまでは。
気安く異性に接するフェリシーにジルベールらは当初は戸惑っていたが、貴族としても聖女としても努力する姿に徐々に絆されていった。フェリシーは異性間の距離以外では何とか及第点に達する出来にはなっていたのだが、淑女教育を任されたレティシアとしては看過出来ずに授業以外でも注意する機会は多かった。
婚約者のいる男性と親しくするな、許しがないのに気安く名前を呼ぶな、エスコート以外で異性と腕を組んだり手を繋いだりなどもってのほか等々。淑女としては当然のことだ。
それをジルベールらは『聖女様となれば平民に接する機会も多いのだから、フェリシー嬢はこのままでもいいのだ』と庇い、フェリシーは困った顔をしながらも王子らの背に匿われて、と悪循環に陥って今日まで来てしまった。
レティシアはため息を堪えつつ、別世界中の二人に声をかけた。
「殿下、バランド様は聖女候補でありましょう? 聖女様呼ばわりはまだ早くてよ?」
「何を言うか! 彼女は卒業後は神殿入りが確定している。聖女候補から格上げされるのは必然だろう。その聖女様にお前は教育という名目で散々無礼を働いていたのだぞ⁉︎」
「聖女様となれば、他国の王族ともお目にかかる機会がございます。貴族らしい立ち居振る舞いは必然です。出来なければ、聖女様が侮られるのですよ?
そして、聖女様に必要な教育を施さなかったと批判されるのは我が国です。何のために、基礎科目を学ぶとお思い?」
「及第しているのだから、何の問題もないでしょう」
婚約者同士の会話に割り込んできたのは王宮文官に就職が決まっているレナルドだ。財務部に配属が決まっていて、聖女の広告塔になるだろうと噂されている。
レナルドは紫の瞳に酷薄な光を宿してレティシアを見据えてきた。
「それよりも、レティシア様。貴方は雑言だけでなく、嫌がらせもしていましたよね? フェリシー嬢のドレスを汚したことあるでしょう。ああ、実行犯は別でしたけど」
「フェリシー嬢の持ち物がなくなったり、装飾品が隠されて恥をかかされそうになったこともあったと聞いている」
続いて口出ししてきたのはアルマンだ。無口で無表情がデフォルトな彼にしては珍しく嫌悪に顔を歪めている。
「なんのことですの? 身に覚えが・・・」
「とぼけるな! 取り巻きを使って狼藉を働いただろう」
「取り巻きなんていませんわ」
レティシアの言葉を遮って声を張り上げたジルベールを彼女は不愉快そうに睨みつけた。尚も言い募ろうとする第二王子を制するように二人の令嬢がその場に歩み出てくる。
「レティシア様、面白そうなお話ですわね。わたくしたちも交ぜていただけるかしら?」
「婚約者様たちもいらっしゃいますしね。仲間外れは寂しゅうございます」
緩やかな金のウェーブを波うたせているのはレナルドの婚約者のメリザンド・ベルナール公爵令嬢、ストレートな銀髪を背に流すのはアルマンの婚約者のヴィオレット・ブロンデル伯爵令嬢で下級生だ。
にこやかな笑顔の令嬢に対して男たちは顔をしかめて不快感を示す。
二人から若干遅れてえんじ色の髪の令嬢がそっとレティシアに寄り添った。にこりと微笑んで眉間を人差し指で撫でる仕草にレティシアはハッとして息を吐く。自分でも気づかないうちに眉間にシワ寄せた険しい顔になってしまっていたのを諭されたのだ。淑女として失格である。
対となる金銀の令嬢に庇われてレティシアが心の余裕を取り戻しているうちに、舞台は王子の友人VS婚約者になっていた。
「愚かな言いがかりはおよしになって? レティシア様は嫌がらせなんて姑息なことはしなくてよ」
「どれもこれも勘違いも甚だしい誤解ですわ」
「実行犯の貴方たちの言葉に説得力なんてありませんね」
「ヴィオ、見苦しい真似はやめてくれ。これ以上、君に失望したくない」
「「はあっ?」」
とても令嬢とは思えないドスのきいた声音が見事にハモる。
『話聞けや、オラ!』と副音声が聞こえそうな勢いに周囲は引き攣っているが、男たちは果敢にも立ち向かう構えだ。令嬢たちは目を細めて綺麗に唇に弧を描く。
先手必勝とばかりにメリザンドが扇をパシリと音高く閉じて高笑いをかます。
「おーほほほっ! 笑わせてくれますわね、愛しの婚約者サマ? 学院に入学してからのこの二年間のご自分の行いをよおく振り返ってみて? 不誠実な男の言い訳の方がよほど見苦しくてよ」
「ええ、そうですわね。聖女候補のお世話係を言い訳に婚約者との交流を徐々に減らしていったかと思えば、そのうちに連絡もなしにすっぽかすようになって。
誕生日だって祝いの一言もなければプレゼントもなし。パーティーのエスコートも直前に断るなどと非常識の限り」
「抗議すれば『聖女様のため、仕方ない』の一言で済ませられて、『婚約者なら私の立場を考慮してください』などと仰って詫びの言葉もなし」
「二年生からは生徒会に入ったからと言い訳が増えて、公私の区別もつかずに生徒会室で『聖女様、聖女様』と聖女候補を祀りあげる始末。わたくしたち下級生の間では噂になっていて、特にご令嬢方からは思いきり引かれておりましたわよ?」
「今日だってエスコートを断ってきて、家族だって呆れ返っていましたわ。明日の卒業パーティーはどうするつもりなのか、と。前日だというのに、卒業パーティーのドレスも装飾品も未だ贈られてきていないのですもの。まさか、婚約者としての義務さえ果たさないつもりか、と父や兄が怒り心頭になっていましたわ」
「まあ、メリザンド様もですの? 我が家も同じですわ」
「あら、やだ。ヴィオレット様も? お互いゲスな・・・、いえ、至らない婚約者を持つと苦労致しますわね」
「ええ、本当に」
メリザンドとヴィオレットは顔を見合わせて、ほほほほと優雅に微笑み合う。
流れるように息つく暇もなく、婚約者の不誠実さを遠慮なく暴露した彼女たちの目だけは笑っていない。氷の微笑だ。一気に氷点下の気配が溢れ、知らず知らずのうちに周囲の生徒たちが後退して怯えている。
レナルドとアルマンは頬をひくつかせて息を呑んだ。まさか、遠回しの嫌味攻撃が常の貴族社会でこうもあからさまに彼女たちを蔑ろにした事を詳らかにされるとは思ってもみなかったのだ。しかも、彼らが口を挟む余地さえない、絶妙なコンビネーションで怒涛の口撃である。
「それはお前たちがフェリシーに嫌がらせをしたからだろう! ただの取り巻き風情が口を慎め!」
「殿下! わたくしの友人を貶める発言はおやめくださいませ!」
勇敢、というよりも無謀にも口を挟んできたのはジルベールだ。
レティシアがすかさず友人たちを庇って参戦してくる。琥珀色の瞳に強い抗議の意志をこめて婚約者を見上げてきた。
「嫌がらせなど、どなたもしておりません。バランド様にもお伺いしてくださいませ」
「そう・・・」
「君は無理をしなくてもよい。私たちに任せてくれればいいのだ」
ジルベールが口を開きかけたフェリシーを優しく遮って令嬢たちを睨みつけた。
「フェリシーのドレスが汚されたのは今年の学院公開日でのことだ。心当たりがあるな。ベルナール嬢」
「そして、装飾品が隠されたのはこの前の秋の王宮でのデビュタントです。よくご存知ですよね、ブロンデル嬢」
最早、取り繕うつもりがないのか、ジルベールはフェリシーの名前を遠慮なく呼び捨てだ。レナルドも形成逆転とばかりに追撃をかけてくる。アルマンは俯いて己の婚約者から視線を逸らすばかりだ。
メリザンドは詰問されたというのに、余裕の笑みで扇を広げて優雅に扇いでみせた。
「確かにとてもよく覚えておりますわ。ですが、そのお話の前にお尋ねしますが、貴方がたの仰る嫌がらせが誤解だと判明した場合、どう責任をとっていただけますの?
わたくしたちは公衆の面前で嫌がらせの実行犯だと名指しされましたのよ。名誉毀損ですわ。ああ、責任をとって婚姻などと戯けたことは仰らないで?
いくら家の利益を見込んだ繋がりと言っても信用の欠けらもない不良債権など願い下げですもの」
「それはこちらの台詞ですよ。私だって貴方のような腹黒悪女なんて謹んでご辞退申し上げたいですね」
「まああ、わたくしたち、とおっても気が合いますわね、婚約者サマ? これは殿下を見習って婚約破棄、いえお互いが納得しているのですもの。婚約解消でよろしいのではなくて?」
「それは名案ですね。ここにいる皆様が証人になってくださるでしょう。すぐにでもお望みが叶いますよ」
「大変嬉しゅうございますけれど、そんなにお急ぎにならないで? まずはじっくりゆっくりはっきりと真相を詳らかにして差し上げますから」
「負け犬の遠吠えほど耳障りなものはありませんね。ですが、最期の足掻きぐらいは認めてあげましょう」
「あら、それはどうもご親切に」
うふふふ、ははは、と空々しい笑いを繰り広げるメリザンドとレナルドの間では目に見えない火花が激しく散っていた。ギスギスどころかトゲトゲした空気に耐えられない周囲が青ざめて怯えている。
一方、アルマンは無表情でヴィオレットをじっと見つめていた。
「ヴィオ、君を信じてる。信じてるから、大人しく」
「言うことを聞け、と言うの? 謝罪しなければならない事などしていないわ」
「君がやったとは言っていない。ただ、何か誤解があったと思っている。誤解を与える羽目になったことは詫びたほうがいい」
ヴィオレットは婚約者を睨みつけて唇を噛み締めた。
ヴィオレットとアルマンは母親が姉妹の従兄弟同士で幼い頃からの付き合いだ。兄妹のように育ち、子供同士の仲の良さから母親たちが決めた婚約だった。
アルマンが学院に入学してから交流が減ったが、アルマンにも学友との付き合いがあるのだと義兄に説明されて納得していたと言うのに、レナルドが聖女候補のお世話係になった関係でアルマンは学院内での護衛役を打診されて聖女候補に付き従うようになった。剣術の訓練中に負った怪我をフェリシーに治療してもらったのをきっかけに彼女にのめり込むように敬愛を深め、ヴィオレットとの距離は開くばかりだ。
アルマンは意地っ張りで物言いがきつい従姉妹をずっと案じていた。銀の髪に水色の瞳、と冷たい色素のせいで冷ややかな印象を他人に与えてしまい、誤解や偏見を受けて余計に意固地になってしまうのだ。昔から対人関係を拗らせては泣く従姉妹を慰めてきたアルマンだったが、今回ばかりは相手が悪すぎる。第二王子のジルベールが聖女候補に入れ込んでいるのだ。
アルマンはヴィオレットがいつ不敬罪で咎められるか、非常に胃の痛くなる思いで最近は胃薬が手放せないくらいである。
ーー最も、常の無表情のおかげで決して表面にでることはないのだが。
気負うゆえにいつにも増して表情筋の死んでいる婚約者にヴィオレットは素直になどなれなかった。アルマンの無表情が僅かにでも崩れるのは昔からヴィオレットに対してだけだったのに、今ではその特別扱いは聖女候補に限られている。
メリザンドの『婚約破棄』と言う言葉が耳に入った瞬間、ヴィオレットはぎゅっと扇を握りしめた。
「アル、貴方もなのかしら?」
「何がだ?」
「貴方も婚約破棄をお望みなの?」
「はっ?」
僅かにでも驚きでアルマンの空色の瞳が見開かれる。それに仄暗い悦びを覚えてヴィオレットは淡く微笑んだ。
「貴方の思うようにしてあげるわ。婚約破棄すれば?」
「はあああっ?」
ーーちょっと待て! と言う、アルマンの魂からの叫びはメリザンドの高笑いで無惨にもかき消された。
三部までの構想で一部は完結してます。一部終了までお付き合いしていただけたら幸いです。
誤字報告ありがとうございます。訂正しました。