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9話





 天気は快晴。見渡す限りに暗雲は見えず、日差しは心地よく身体を温め、涼しい風は火照った頬を覚ますのにちょうどよく。そんな遠出にはもってこいな天気なのに、座り心地のよい長椅子に座っているリアンの頬は盛大に引き攣っていた。


「深紅、気に入りませんでした? 青にします?」

「だ、れが色が気に入らないと言った気になるのはこの状況一択だろうが!」

「ついてくるって言ったの殿下じゃないですかぁ」


 現在私達は、気持ちのいい空を飛んでいた。長椅子に座って。



 リアンは行儀よく背筋を伸ばしている。流石王子様と思わないでもないが、別に誰に会うわけでもないのでのんびり寛げばいいのにとも思う。

 ぴしりと伸びた背、がきんと曲がって固定された手、床もないのにまるで見えない床に置かれているような足。鉄で作った人形のようだ。それも関節が動かない類いの人形だ。

 遙か下方には人々の営みが見える。建物が密集している場所から一歩踏み出せば、即農地と牧場が見える田舎具合。下手をすると建物密集地内にも畑がごそっと陣取っている場所もあった。

 だからこそ、適度に平らで、適度に忙しなく。のんびりとした気風は、どうやら町並みにも現れているようだ。騎士は大欠伸し、棒を持って走り回る子ども達に手を振っている。


 空中を飛ぶのは、虫と鳥と魔女くらい。虫はこの高さまで飛ばず、この周辺に魔女がいないので他にいるのは鳥くらい。

 普段生活している場所を上から見ているだけ。それだけなのに、遙か遠くまで見渡せる特権を得たような気持ちになる。何度飛んでも飽きることはない。地上より冷たい風も、熱い陽光も、掴めそうな雲も、視界を遮る存在のない世界も、全て飛べるものの持ち得た権利だ。



 風が気持ちいいなぁと目を細める横で、リアンは相変わらず鉄の人形と化していた。

 ベリンダ探してくるからちょっくら留守にします。

 そう言った私に、じゃあ自分も行くと言ったのはリアンのほうだ。私は別に誘っていないし、城を留守にしていいのかとも聞いた。問題ない、元々やることはそんなにない、何せふわふわのシルフォン国だと言ったのは彼なのである。

 私は別に誘っていないし、無理に連れてきたわけでもない。それなのに、何故責められねばならぬのか。


「どうして馬車を、いやせめて馬を使わない!」

「時間かかるじゃないですか。飛んだらあっという間なのに、わざわざ時間かける理由もありませんし」

「大体、魔女は箒で飛ぶものじゃないのか!?」

「そう、それ! どうしてそんな魔女の形が人間の間で流行っちゃったんですか? 魔女が扱うのは箒じゃなくて杖ですし、何より箒で飛んだら股が痛いじゃないですが」

「………………もうちょっと言葉は包め」

「人間の想像力って乏しいですね」

「悪化しているしそこじゃない!」


 な、何だよぉ。怒るなよぉ。分かんないよぉ。



 空を飛ぶ生き物は、虫と鳥と魔女だ。それは一般常識である。だが、人間が当てはめる空飛ぶ魔女の姿は何故だかいつも箒に跨がって描かれるので、魔女達は一様に首を傾げるものだ。

 魔女は箒には跨がらない。面白がって跨がる魔女もいないわけではないが、普段使いにはまずしない。乗り物は乗り心地、居心地の良さ。これ必須である。


「椅子で移動してるだけいいと思ってくださいよ。寝台で移動する魔女結構多いんですから」

「……寝台」

「文字通り寝ながらいけて凄く楽なんですよ。天蓋付きだと日差しが強いときでも楽だし、雨よけにもなるし。でも殿下は嫌だろうなと私なりに珍しく気を使って椅子にしたのに……」

「そうだったのか……知らないこととはいえすまなかった」

「あと、私が殿下と寝台に寝転びたくなかったってのが一番大きいです」

「未だかつてこれほどまでに謝罪するんじゃなかったと思ったことがあっただろうか」


 私に聞かれても彼の過去は知りようがないので、自分の記憶を掘り返して確認してほしいと思う。



 気が済んだのか、身体の力を抜き背もたれに身を預けたリアンを横目で見つつ、杖をくるくる回す。だが、風のせいで杖に髪が絡まった。仕方がないので指に絡め直して杖から外し、自由になった杖を振る。ゆるゆると勝手に編み込まれていく髪をリアンが見ていた。動いているものをつい見てしまうのは杖でも髪でも変わらないようだ。


「お前達の髪は光を纏っているんだな」


 リアンの視線の先では、日の光だけではない光が艶のように流れていく私の髪がある。光は風と一緒に好き勝手に流れ、毛先で散っていく。その一束をすくい取り、指先で巻く。


「魔力を纏っているからです。髪は魔女にとって魔力の貯蔵庫みたいなものですから。帽子も杖も服も、自分の魔力で作っています。そうじゃないと落ち着かないので」

「そういうものなのか」

「人間だって、いくら血がないと死ぬとはいえ、他人の血塗りたくられて安心します?」

「…………気持ち悪いな」

「そうでしょう? だから魔女は身につける物は全て自分の魔力で編み上げるんです」


 魔女ではない人間にも、生き物である以上大小の差はあれど魔力に似た何かは存在する。本人は意識せずとも、否、意識していないからこそ如実に彼らが作った物には彼らの力が宿る。

 それが魔女には苦痛なのだ。魔女にとって魔力とは血と同じ。生命を維持するために必要な物であり、体内に取り入れるのであれば己の魔力しか受け付けない。だからか、身に纏う物に他者の魔力が纏わり付いていることに対し特に不快感を示す。

 まるで獣のようだと吐き捨てる人間もいた。事実、魔女は獣に近いのだろう。人の形をしながら人の枠組みに入ることを疎ましく感じる、魔の獣だ。


「ああ、でも、魔力を纏っているからお前達の髪はそんなに綺麗なんだな」


 今日は風が心地いいなぁ。そんな呑気な言葉を紡ぐような声音で放たれた言葉に、自分でも驚くほどくすぐったい気持ちになってしまった。

 お世辞やご機嫌伺いの美辞麗句など聞き飽きたが、思ったことをただ口に出した、そんな声で紡がれた本人は褒め言葉とも思ってなさそうな音は、妙に心をくすぐる。


「殿下は、変な人ですね」

「何を以てしてその評価に至ったか、詳細に報告しろ」

「いやぁ、だって、魔女の髪は禍々しい不吉の象徴って言われるもんですよ」

「そうかぁ?」


 心底不思議だと間の抜けた声を上げる様子は、年より少し幼く見えた。


 すっかり慣れたのか諦めたのか、リアンはもう身体を強張らせてはいなかった。ただ、足は椅子に上げて胡座をかいている。ぶらつかせる勇気はないようだ。

 時々下を覗き込み、遠くに視線を向け、同じ高さを飛ぶ鳥に手を伸ばしたりもしている。順応力が高い。魔女に人の一般常識を説いたり、魔女の態度を怒ったりする割には、意外と頭が硬くないらしい。




「本当にオリナトに私を呪った魔女がいるのか?」


 オリナトとは、シルフォンの隣にある国だ。私は地図を広げた。風ではためき、べろんと半分に折れた部分はリアンが直してくれた。二人がかりで地図を広げ、とりあえずこの辺りにいると指さす。


「王都からはずれているな。確か、そこそこ大きな町があったはずだが」

「そうなんですか。それと、別にここにベリンダがいるとは限りませんよ」

「は?」

「いるのは魔女です。それがベリンダとは限りません」


 魔女とは不思議な生き物で、互いの存在を感知できる。これは国も群れも持たない魔女の本能か、またはこれがあるから群れを持たずとも生きていけるのかは誰にも分からないし誰も興味がない。

 どの距離まで分かるのかは魔女による。自分を中心として、国全体に渡るまで認識できるほどとんでもない索敵範囲を持つ魔女もいれば、町一つか二つ分、といった魔女もいた。しかし、索敵能力はどうであれ、自分と近い距離にある魔女の居場所は確実に分かるのだ。

 魔女を一人殺せばあちこちから湧いてくると言われる理由はここにある。また、生まれた魔女のもとへ魔女が現れる理由も同じだ。

 だけどそこまで深くリアンに教えるわけにはいかない。魔女には魔女の掟。


「この近辺は元々魔女がいないってことなんで、ベリンダだといいなぁとは思ってます」


 後は、私の気配に気づいたベリンダが逃げなければいいなとちょっと思っている。私から分かるということは、ベリンダからも私が分かるのだ。彼女の索敵範囲がどれくらいかは分からないが、それでも近づけば確実に彼女の知るところとなる。周囲に魔女の気配がない地域で、自分が呪った後に魔女が現れれば、かなりの確率でその呪いを解くよう依頼を受けた魔女だ。

 さあ、ベリンダはどう出るかなぁと、杖を回しながら欠伸をした。







「いやだね! あたしはあの男に仕返ししてやったんだよ!」


 成程こう来たか。




 臭気をまき散らしながら飛んでくるよく分らないヘドロを、片手で回して向きを整えた杖先で弾く。

 杖先から現れ私達を覆う透明な膜はしゃぼんに似ている。べしゃりと膜にぶち当たったヘドロが、その痕跡を残したままずりずりと落ちていく。


 ここはそれなりに大きな町にある、それなりに大きな屋敷の庭だ。どこぞの貴族の別宅を借りているらしい。魔女の色香はきちんと使えば役に立つのだ。魔術を使っている可能性も捨てきれないが、まあどちらでもいいだろう。


「ベリンダ、あんたの気持ちも分かるけどね。私もこれが依頼なのさ。悪いけど、解いてもらうまで帰れないよ」

「そんなこと知るもんかい! あたしを侮辱したあの男が悪いのさ!」

「私は関係ない……」


 真っ赤な髪を振り乱してヘドロを撒き散らすベリンダの言葉に、リアンが死んだ目で呟いた。ごもっともであり、最も可哀想である。


 ベリンダは、襟元が大きく開き、胸の形が強調されるような服を着ている。スカートも丈は短く腰に添っている。惜しげもなく晒された長い足には網タイツがよく似合っていた。外見年齢は二十代は半ばだろうか。服は差し色として薔薇色が組み込まれている。

 じーっと見つめて観察している間も、ヘドロは止まらない。膜がある限り私達に被害をもたらすことはないけれど、顔面の高さに張り付いたヘドロにリアンの頬が引き攣った。死んだ目は解除されても、その理由がこれではあまりに哀れである。

 そんな哀れなリアンにベリンダが追い打ちをかけていく。


「美人になれてよかったじゃないか、坊や。そんじょそこらの女じゃあ太刀打ち出来ないよ。好きに男見繕って生きな。よく似合っているよぉ」

「私は関係ない……」


 鼻で笑って言われた言葉に、再びリアンの目が死ぬ。生きて。


「大体、それだけ腹立たしいならどうしてあの男本人を呪わなかったんだい。この坊やはとんだとばっちりじゃないか」


 この坊やと示されたリアンの目が更に死んでいく。死んでいるのに死んでいく。生きて。


「うるさいねぇ。あいつは異常なまでに女好きだけれど、自分だって異様に好きだろう。女にして、もしも喜ばれたらあたしの面目丸つぶれじゃないか」

「あー……」


 否定できない。ちらりとリアンを見れば、こちらも否定できなかったのか、死んだ目が遠くなって虚ろになった。リアンの死が止まるところを知らない。頑張って。生きて。

 段々視界が埋まってきたので、膜の下にもう一つ同じ膜を張り、最初の膜を弾けさせる。ぱちんと弾けて晴れた視界に特大のヘドロが飛んできた。次が来る前に、即座に外へと一膜作り、内側の膜を弾けさせる。中に中に作り続けていたら、いずれこっちの陣地が無くなってしまう。そんな耐久戦ちっとも望んでいないので、出来れば早々に片をつけたいところだ。


「あんたこそ、どうしてそいつを連れてきたんだい。魔女同士の話し合いに人間を連れてくるなんて野暮もいいとこだよ」

「そうだねぇ。私もそう思ったんだけどね、あんたが気になると思ったんだよ」

「あたしが?」


 ヘドロの猛攻が止まる。その隙に、出来る限り自然な動作を装って歩を進める。勿論膜はそのままだ。私について、リアンも歩を進めた。

 絶対に私より前に出ない。真横よりも下がる。ここに来るまでに伝えた注意をきっちり守っていた。真面目でそれなりにお堅い性格のようだから注意を無視される心配はしていなかったが、律儀だなぁとも思う。

 目の前に自分を呪った魔女がいるのだ。頭に血が上って駆けだしてしまっても仕方が無い範疇だというのに。


「そうさ。あんたの呪い、ただの性別転換じゃ無くて新しい魔術かい?」

「そんなわけあるか。あんな一瞬じゃあ、簡単な物しか出来やしないよ。それこそ、あんたがわざわざあたしの元に来なくなったって簡単に解ける奴さ。……暇だからあたしを嘲笑いに来たんじゃないのかい?」

「そこまで暇じゃあないさ。あんたの呪い、妙な形に変質しちまってるんだよ。だから一応、元を聞いておこうと思ってね。見てご覧よ。ちょっと簡単には手出しが出来ないんだ」


 そこで初めてリアンを私の前に突き出す。おいっと焦った声を出したリアンに目配せする。リアンは渋々指示に従った。ベリンダは不審そうな顔をしていたけれど、興味には勝てなかったのだろう。真っ赤な石が浮く杖を抱きしめたまま、じりじりこっちに近づいてきた。

 リアンは表情を強張らせても、何とかその場に踏ん張っている。時々不安そうに私へ視線を向けてきたので、小さく頷いておく。

 魔女に頼み事がある場合は、魔女の好奇心や興味を煽るに限る。魔女は気まぐれで欲深で、抑えが利かない。自分が興味を持ったことを諦めることも収めることも出来ないのだ。だから、魔女が作る薬は異様に効く。効くまで作り続けるからだ。

 魔女の始まりも、恐らくはそんな性質からだったのだろうと言われている。自らに渦巻く魔力の塊の使い所を探したのだろう。他の人とは違う場所を放置せず、出来ず、突き詰めた結果魔女が生まれた。

 そしてその使い方を、同じ体質の他の人間に教えた。その結果、数が少なかったがために疎まれ、迫害され、狩られ、呪い、争い、隠れ、現れの繰り返しだ。魔女の歴史は、その時代の認識次第でころころ変わっていく。

 それでも魔女は変わらない。ちっとも変わらないのだ。



 ベリンダは私が取り払った膜には全く反応を示さず、リアンの目の前に立ち、まじまじと見つめた。真っ赤な爪でリアンの顎を掬い、瞳の中を覗き込む。ベリンダのほうが背が高い。真っ赤な魔力と同じほど真っ赤に塗られた唇を見ていると、何だか上から捕食されているみたいだなぁと思いながら眺める。

 暇なので、二人の横にしゃがみ込む。ヘドロは私達の周辺だけは撤去した。飛び散った分は知らない。

 膝に肘を置き、合わせた手の甲に顎を置いて見上げていると、リアンの手が所在なげに揺れていた。ベリンダを押しのけたいのだろうが、それも出来ない。置き場のない手がいっそ哀れで、杖先を向けてやった。即座にぎゅっと握られて……身動きが取れなくなった。意外と力があるな。


「ああ、本当だね……随分変質しちまってまあ…………成程ね。あんた、強引に手を出さなくて正解だ。こいつは、あたしの呪いより前に呪われてるね」

「は?」


 リアンが泣きそうな声を出した。可哀想……。


「やっぱりそうかい? 私もそう思ったんだよ。あんたの魔力と違うもんが引っ付いてるし、あんたが二種の魔力を持っているんじゃなきゃ、先客がいたんだろうなとね」

「は!?」


 ベリンダの手を振り払い、弾かれたように私を見たリアンの顔がぐいっと強引に戻される。真っ赤な爪が刺さった綺麗な顔が潰れていた。視線だけで私を睨んでいるリアンの心中はきっと『聞いてないぞ!』であろう。対する私の答えは『言ってないぞ』一択である。

 だってベリンダに確認を取るまで真偽は分からないし、言ってもどうしようも無いことだ。知ろうが知るまいがやることは変わらないのでどうでもいいし、聞かれなかったしまあいいかと思ったのだ。聞かれたら答えていた。たぶん。


「へぇー……こいつは面白いね。成程ね、あたしの元に持ってきた理由が分かったよ。あたしの呪いを省いた状態で結果が見たかったんだろう?」

「そうなんだよ。どちらの呪いにも関与していない私じゃあ、ちょっと難しくてね」

「そうだろうね……でも、こいつはどうしたもんかねぇ……」


 ベリンダはさっきまで私達にヘドロを投げつけてきたのを忘れたのだろう。じぃーっと見つめていたリアンをぺいっと捨て、私に手招きをした。よいしょと立ち上がり、裾を払ってから近づく。


「ちょいとおいで。えーと……あんた、名前は?」

「キトリだよ、ベリンダ」

「キトリ、また一つ図鑑が増えて嬉しく思うよ」

「こちらこそ、図鑑を彩ってもらえて嬉しいよ」


 魔女特有の挨拶を交わした私とベリンダを、リアンは不思議そうに見ていた。









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