8話
『私は駄目な魔女です』
自主的に首にかけた看板の裏には『私は悪い魔女です』の文字がある。即席だったので使い回しは許容して頂きたい。
ひとまず情報を整理しようと、リアンの執務室に戻ってきた。普段は仕事をしている部屋だけれど、状況が状況だし、色々免除されているそうだ。
そんな王子、現在王女は、椅子にどっかり座って難しい顔をしている。その足下で正座している私は反省中だ。
「魔女なのに……私、魔女なのに……物理で、物理で攻撃してしまった……魔女なのに、物理で……呪いを、そうだ今から呪いをっ! 殿下! 私今からあれの部屋に戻ってちょっくら呪いをかけてきます!」
「これ以上話をややこしくするな!」
さっきまで難しい顔で考え込んでいたのに、弾けたように怒られた。本当に種が弾けるように怒る。しかも頭まですぱんとはたかれた。
何だ、元気だ。私は地の底まで落ち込んでいるというのに。ちょうどはたきやすい位置にあったのも敗因だろう。リアンの足下に正座しているのは単にこの距離が話しやすいからであって、頭をはたきやすくしている訳では決してない。
リアンの机の上には切り分けられたアップルパイが二つ置かれている。食堂のコックが持ってきてくれたのだ。さっきの林檎はやはり甘く煮て使うようだったらしく、『間違えて渡しちゃったごめんね、これ俺のおやつ用だけどよかったら王子と食べてー。林檎は食べれたものじゃないから戻すか捨てちゃっていいよー』だそうである。
既に全部食べたとは言えなかった。
胃の中では、本日唯一の食事である酸っぱく渋い林檎がぐるぐる回っている気がした。口直しをしたいが、それより何より心の口直しをしたい。わっと顔を覆って嘆く。
「だって殿下、魔女が、魔女が膝蹴りっ……! 魔女がっ!」
「七百十五歳の魔女から咄嗟に膝蹴りを食らうほど気持ち悪かった男を叔父に持つのと、どっちが落ち込むか正直に答えろ!」
「あ、私全然平気ですね。アップルパイ食べよーっと」
大変傷ついた顔のリアンにより、私が下げている看板が回された。
『私は悪い魔女です』の看板を下げながら、アップルパイを頬張る。生地がさくさくで美味しい。林檎も甘くて最高です。形がしっかり残っているところなんて私好みで素晴らしい。くたくたになるまで煮た物も嫌いではないが、林檎林檎している物が一番好みなのだ。
にこにこおやつを楽しんでいる私を、机に突っ伏したリアンが恨めしそうに見上げてくる。
無視して美味しい美味しいとアップルパイを嗜んでいる内に、やけになったのか、フォークで一刺ししたアップルパイを一口で食べてしまった。吸い込まれそうなほど大口を開けて豪快に食べたので、喉を詰まらせやしないかと無駄にはらはらしてしまう。
だが、リアンは慣れた様子で口を動かし、ぺろりと食べきった。何という口だ。
「豪快なのに器用に食べますね」
「男だからな」
「えぇー、性別関係なくないですか? 私の兄はもっと上品に食べてましたよ」
窒息の心配はなさそうなので、自分のアップルパイ攻略に戻る。美味しい。
リアンは目を丸くした。
「お前、兄がいるのか?」
「魔女は別に木から生まれてくるわけじゃないですし、家族くらいそりゃいますよ」
「そう言われればそうだな。家族とは仲がいいのか?」
「よかったですよ」
リアンに遅れてぺろりと食べきったお皿を机に置く。その上に乗せていたフォークが置いた拍子に動き、からんっとやけに澄んだ音を響かせた。リアンは僅かに眉を動かす。
「今はよくないのか?」
「というより、もう死んでます。私は人間の家に生まれた魔女ですしね」
「ああ、成程……七百十五歳ならそうだろうな」
「魔女にとって墓参りが化石参りになるのは珍しくないですよ。師なんて、自分が子どもの頃書いた落書きが出土して歴史的価値がなんたらかんたらで騒ぎになったって言ってましたし」
お腹抱えて笑っていた師を思い出す。うけるーと大爆笑だった。ちなみに、クレヨンの持ち方も分からないような本気の本気で無邪気な時分に書いたそうなので、意味は全くないらしい。
まあそれはそうだろう。よく残っていたなと思えるくらいだ。だがそこは魔女。本人が意識していなくても魔力を発してしまったのだろう。だから意外と、貴重な歴史の遺物として保管されている物は魔女の持ち物だったことが多かったりする。
そう説明したら、リアンは非常に複雑そうな顔になった。私にそんな顔をされても困る。
「しかし、魔女か……そんな話、聞いたことがない」
「お父さんに聞いてみたらどうですか? 私はベリンダを探しますから、そっちは殿下がお願いします。無理そうだったら無理しないでいいですけど」
赤の魔女。二百歳前後。ベリンダ。
充分な情報だ。あいにく私の魔女図鑑に該当者はいないが、それだけ情報が揃えば探しようはいくらでもある。
考え事をしているときの癖、というよりは普段からの手遊びの癖で、杖をくるくる回す。回してはゆらゆら揺らし、また回しては杖先で床をかつんと鳴らした。
動いているものがあればつい見てしまうのだろう。リアンはその杖をじっと見ている。別に興味があるから、というわけでもなさそうで、見るともなしに眺めていた。
「そうはいかん。父上は現在シルフォンにいないんだ」
「あれ? そうなんですか?」
「ああ、父上は少々腰を悪くして湯治に出ている。現在シルフォン国王代理は叔父上だ。……叔父上はな、国王になりたいという欲もなく、あれでな、どうしてだか、優秀なんだ。父上は母上を早くに亡くした後、再び妃を娶ることなく今までやってこられた。それなりに話はあったはずなんだが、全て叔父上が退けてくださったそうだ。シルフォンがふわふわしていられる理由の一つは、あの叔父がいるから、で……どうしようもないほど、優秀なんだ」
優秀な阿呆ほど手に負えない。虚ろな目で遠くを見つめるリアンを、私は心の底から同情をこめた瞳で見つめた。可哀想……。




