5話
「おうじさまー、いつのまにおむねができたのー?」
「王子さまー、いつのまにお兄ちゃんじゃなくなったのー?」
「王じさまは王じょさまだったの? じゃあ、あたしのおむこさまにはしてあげられないねー」
「おうじさま! ぼくのおよめさまにしてあげるよー!」
子どもは無邪気だ。それゆえ残酷だ。
哀愁漂う背に手を置き、私は哀れみの瞳をリアンへと向けた。
城勤めの人々の子どもなのだろう。中庭に面した廊下を歩いていたら、どこからともなく子ども達がわらわら集まってきた。皆きちんとした服を着ている。質のいい高価な服、という意味ではない。破れても汚れてもおらず、洗濯されて繕われた、天候や気温に合わせた服を着ているという意味だ。
多少のほつれや袖丈のつんつるてん具合はあるが、やんちゃで成長期でもあればそういうものだ。痩せてもおらず、靴も履き、手も清潔で爪も切られ、髪も梳かれてフケもない。これは、大人の手がちゃんと入った子ども達だ。
ここはいい国なのだろう。そう思う。
国の状態を学ぶ暇もなく来てしまったけれど、ここに来るまでに見かけた子ども達も皆似たようなものだった。棒きれを持って走り回り、露天を指さし買ってもらえないことに腹を立て、転んで大泣きしながら両手を広げ、抱き上げられて声を上げて笑う。
みんな笑っていた。ころころ弾むように、屈託なく笑う。笑うことに抵抗がない。怒ることにも泣くことにも抵抗がなく、周囲はそんな子ども達を疎ましがることもなく通りすがりがあやしていく。
国民に余裕がある証拠だ。国が荒れ、生活に困窮すれば真っ先にその憂き目にあうのは弱者だ。子どもなどその最たるものだ。力も弱く、知識も薄い。誰かの庇護がなければ生きられない存在を、庇護する側が疎ましく思えば地獄だ。
守られなければ生きられない、そして将来は誰かを守るようになる存在が、道理通り守られて元気よく生きている光景は、晴れた空の下に相応しい明るさを纏っている。
「おうじさまー、いつからおむねあるのー?」
「王子さまー、もうお兄ちゃんにはならないのー?」
「王じさまは王じさまじゃなくなったの? じゃあ、かわりに王じさまになってあげるー」
「おうじさま! およめさまになったらいやー!」
まあ、その光の中心にいるリアンは死んだ目をしているわけだが。
呪いを受けて十日になると聞いている。その間、混乱を避けようと外出を控えていたそうだ。だがリアンは元々あちこち精力的に動き回る性質だったらしく、ぱたっと顔を見せなくなった王子を心配する声が上がっていた。なので、魔女へ依頼を出し、解呪用の魔女が来たことで王女姿を解禁することにしたというわけだ。
大人達には一足先に知らされていたらしく、物珍しげで興味津々な視線が飛んでくる。直接様々な言葉をかけられると私の心が死ぬかもしれん。そんなことをきっぱり言い切ったリアンは、まずは子ども達を挟み、慣れてから大人へと進もうとした。
だが、遠慮を知らない分子どものほうが直接的で残酷だ。どちらにしてもリアンの心は死んだ。可哀想……。
「あれー? おねえちゃんだぁれ?」
「おようふくまっくろねー」
「髪きれいな色ー」
「おっきいおぼうし! いいなー! かしてー! おつえもかしてー! おめめもかしてー!」
突っ立ったリアンが死した心を蘇らせている間、子ども達は標的を私へと変えた。いくら懐いている自国の王子兼現王女であろうと、反応がないのはつまらないのだろう。あっさりリアンを放置し、私の周りに集まってくる。
本当にこの国は平和だ。魔女に対する恐れや警戒が皆無である。もうちょっと警戒しないと、とんでもない呪いを喰らったらどうするのだろう。
「どうも皆様、初めまして。魔女は初めてかしら?」
くるりと回した杖の先で帽子のつばを上げ、にこりと微笑む。優雅に優美に妖艶に。魔女には魔女の掟。
「まじょ!?」
「すっげぇー! はじめて見た!」
「ま女っておいしい!?」
「まじょさまー、ぼくのおよめさまになってー!」
にこりと微笑んだまま、未だ死しているリアンの傍にすすすっと移動する。帽子のつばを傾けて顔を隠し、耳元に唇を寄せて囁く。
「一人私を食べようとしている子がいるんですが!? そしてあの一番小さな子は、私といいあなたといい何故嫁取りをしようとしているんですか!? あの年で一体何を焦っているの!? それにこの子達、自国の王子の性別より魔女に驚いていますよ!? 大丈夫!? 次世代がこんなふわふわでシルフォン国大丈夫ですか!?」
「ああ……」
虚ろな声と瞳が私に向けられる。なんとか蘇生が成功したようで何よりだ。
私は周囲に纏わり付いている子ども達の間を擦り抜け、掴まれているスカートをさりげなく救出した。引っ張るのはいいが、引っ張り上げるのは勘弁してほしい。スカートを救出するためにくるりと回った視界の中に、こっちを見つめる沢山の大人達が入った。
「魔女!?」
「すげぇ! 初めて見た!」
「魔女の作るお菓子ってどんな味かしら! 美味しいかな!」
「もうこの際魔女様でいいから嫁になってくれないかなぁ……独り身つらい」
おかしいな。私は首を傾げた。聞こえてくる会話が、子ども達のものと大差ない気がする。そんな気持ちで視線をリアンへ戻せば、彼にも聞こえていたのか、せっかく蘇生した瞳が再び死んでいた。
「大人はもっとふわふわしているんだ……」
「シルフォン国、全然大丈夫ではなかった」
「お前七百歳なんだから、こう……いい感じにあしらってくれ」
「ただ年を重ねただけでいい感じになれるなら、ぶつかっただけの相手に性別変える呪いをひっつける二百歳の魔女がいるわけないじゃないですか」
「魔女もふわふわしていた……」
「魔女ですから!」
「魔女には魔女の掟……」
そんな悲しい声で呟かないでほしい。仕方がないではないか。魔女なのだ。
それにしても、魔女だとかつてないほど滑らかに存在が認められてしまった。目の前に性別を変えられてしまった自国の大事な王子がいるというのに、皆魔女への物珍しさが大爆発だ。
何を食べるのか、怪我したら血が出るのか、惚れ薬は作れるのか、血の色は何色か、髪の毛長すぎて鬱陶しくないのか、その杖いくらなのか、惚れ薬は作れるのか、何歳なのか、家族はいるのか、恋人はいるのか、飲むだけで痩せられる薬はあるか、黒猫は飼っていないのか、箒で空は飛べるのか、動物の言葉は分かるのか、惚れ薬は作れるのか。
質問責めをうふふと笑って交わす。答えたり答えなかったり、答えたけれど答えになっていなかったり。ふわふわふわふわ、漂うのは得意だ。同じふわふわでも、シルフォンの人達のように柔いのではない。宙に浮き、根を張らず、ちょっとした風で居場所を変えて流れていく。
掴み所がないのは仕方がない。魔女なのだ。それにしても惚れ薬への要望多すぎない?
杖をくるくる回しながら、詰め寄ってくる大小の人間からするりするりと距離を取る。あまり好意的な人間には慣れていないので対応に困った。いつもはそれなりに好意的な人がいてもどこかで必ず、魔女に近寄るな、魂食われるぞみたいな忠告が飛んでくるのだ。
「……そんな薬があるのかどうかは別として、チョウシ、カリウ、チャカリ。誰に使う気かは聞かないが、間違っても同意のない相手に薬を盛ろうなんて考えるなよ。お前達は少々やり過ぎるきらいがあるとご両親も心配されていたぞ」
リアンに名指しされたのは、茶、金、柿色の男三人組だった。ぴゃっと飛び上がると、ばつが悪そうに頭を掻いている。どうやらリアンは、あの怒濤のごとく私に投げかけられてきた質問をちゃんと聞き分け、誰が言ったか把握していたようだ。
賢者の素質でもあるんじゃなかろうか。賢者はまだいいけれど、聖者はやめておいたほうがいいと助言したい。
神が関わると制約が増えるからおすすめしない。勇者や英雄も、託宣によって選ばれる者はやめておくことをおすすめする。
彼らは、誰も成し遂げられないことを成し遂げた人間につけられる名称じゃない。誰もやりたくなかったことを引き受け、やり遂げた人間のことなのだ。そして、一度その名称を得てしまえばもう二度と下ろせない。呪いと大差ない呼称だ。
全くと肩を落とし、胸の前で腕を組んだリアンを、名指しされた三人組がばつが悪そうな顔のまま見ている。……惚れ薬、誰に使う予定だったか聞いていいかな? 聞いていいかな!?
私は慌てて杖をくるりと回し、先でリアンの顎を引っかけた。
「では皆様、わたくし共は用事がございますの。これにて失礼致しますわ」
「は? お前一人称間違えもが」
「早く王女を王子へと戻して差し上げたいのです。どうぞご理解頂けまして?」
リアンの口を杖で塞ぐ。たっぷりと魔女っぽさを混ぜ込んだ笑みを浮かべてみせれば、三人組は頬を赤くした。リアンの目は死んだ。
何故だ。彼のこの姿は所詮呪いの結果。呪いを解けばリアンは元に戻るから、惚れ薬を使う先は気をつけろよと三人組へ釘を刺してあげたのに、何故リアンの目は死ななければならないのか。
忙しなく死んで蘇生しているリアンは、私の杖をぺっとはたき落とした。
「おい、お前達。彼女は七百歳だ。もしもちょっかいを出したいのならそれを踏まえた上で行動するんだぞ。年の差を考えると人生経験の差と容易く言える範囲を軽々超えている。こういうことにあまり口を出したくないが、ある程度は年上として敬うように」
「え!?」
そうそう大体そんな感じの十五歳です。百年単位は誤差。何せ『千、二千、たくさん』と数える魔女も決して珍しくないのだ。七百も十五も誤差の範囲内である。
「あと、今は私の専属魔女だ。私の用事を優先させるのは前提になる。それと、申し訳ないが色々と私を通してもらうこともあるだろう。そこは許してくれ」
「は、はい! っていうか、別にそんなんじゃないっすよ!」
どっと笑いが湧いた。なんとも平和な国だ。こんなに人がよくて王子が務まるのかと心配していたけれど、それは問題なさそうだ。国全体人がよさそうなので、王子どころか国全体が心配なだけである。




