2話
魔女は気まぐれで狡猾で、何をしでかすか分からない生き物だ。
魔女は国を持たない。魔女が自分達の国を欲していれば、この世界の歴史は大幅に変わっていただろう。何せ魔女は、呪いに長ける生き物だ。ただ相手を殺すだけならまだいい。末代まで延々と続く呪いを、魂さえ腐らせる呪いを、指先一つで操ってしまう。
その上、気まぐれな魔女は寿命さえ気まぐれだ。片手で足りる年齢に見える少女が、千も二千も超えているなどということも珍しくない。魔女が本気で国を欲すれば、世界中に呪いをまき散らしただろう。
そうなれば、世界中の人種は魔女の殲滅に乗り出したはずだ。世界を巻き込む大戦になりかねない火種を、魔女が作ることはなかった。
何せ魔女は気まぐれだったのだ。楽しくないことはやらないのである。
たとえ何かの間違いで魔女の国が出来たとしても、王になりたがる魔女はいなかっただろう。なったとしても、三日持てば上等であろうと魔女達は語る。気まぐれな性質を、魔女は自分で分かっていた。
だから魔女は国を渡る。己の好きな地に居を構え、飽きたらまた転々と移ろっていく。それが魔女という生き物だ。
だが、魔女だって仕事をする。気が向けば。
依頼だって受ける。気が向けば。
金だって貰う。ごっそり。
何せ世界中に様々な人種が存在するのだ。同じ人種同士でも争うのに、違う人種がもめ事を起こさずいられるわけがない。様々なもめ事が起こる中、魔女へ依頼されることも少なくない。
魔女は気まぐれだが、長命な分博識で力もあった。更に、どこにも属していない存在は思った以上に貴重なのだ。どこの後ろ盾も持たない代わりに、どこの敵にも味方にもなり得る。まあ、魔女から受けた呪いをなんとかしてくれなんて泣きつかれる依頼も多かったりするのだが。
そう、目の前にいるリアン王子のように。
王子は、屈辱に歪めた顔で魔女の前に座っていた。美しい女の顔が怒りに染まっている。
「魔女」
「キトリとお呼びください、王女様?」
「王子だ!」
勿論知っている。わざとだ。
私はころころと笑い、杖をくるりと回した。部屋の隅に張り付いている使用人達がびくりと肩を揺らしたのが見える。魔女が杖を回すのは別に魔法の前触れではない。手持ち無沙汰に遊んでいるだけだ。何せ手足と同じなのである。
自分達も髪を耳にかけたり、毛先を確認して枝毛を探すくらいするだろう。それと同じだが、魔女以外にはどうも理解されない。獣人が耳や尻尾を揺らしているくらいに思ってくれればいいが、魔女は素行が素行なので信頼がないのである。
「では、王子様。魔女相手にもてなしの一つもせぬとは、どういう了見かお聞かせ願っても?」
客間に通された私は、椅子が対面に置かれているだけの部屋で依頼人と向かい合うことになった。なかなか面白い接待である。茶の一つも出てこない。
これはどう判断すべきか。嘗められていると判断していいものか。
確かに長く魔女が訪れていない国などは、魔女の存在を侮る傾向にあった。まあ、一度魔女が降り立てば、しばらくは黒を見るだけで震え上がるそうだが。
しかしこの国は王子を王女に変えられている。魔女の力を目の当たりにしたばかりで、そんな挑発行為を行うだろうか。
リアン王子は私を見て、ふんっと鼻を鳴らした。偉そうな態度が大変よくお似合いである。
「私をこの姿にした魔女が、もてなしの茶が口に合わぬと茶器を叩き割ったものでな。魔女は我が国の茶が気に入らぬらしい。ならばそんな物を出すわけにもいくまい」
「おやおや。魔女は気まぐれですからねぇ。ですが、もてなさねばもてなさぬで、機嫌を損ねる場合もございましょう。ところで、私の前の魔女は何をしにここへ?」
「知らぬ」
「おや、まあ。そんなわけがございましょうか。あなた様の客人だったのでは?」
くすくす笑ってやれば、王子の機嫌はどんどん急降下していく。丸い額に青筋が走る。
「私の客人ではない! 叔父がっ……貴様には関係がない。貴様はさっさと私の呪いを解け」
「まあ、関係がないなどと悲しいことを……正直に仰ってくださらないと。呪いの手がかりになるやもしれませんのに」
暗にさっさと話せと促せば、ぐっと悔しそうに唇を噛みしめた。そんな顔をされても、この件についてだけは私に非はない。呪いの元凶となった魔女の様子と理由を分かったほうが呪いを解きやすい。それは素人にだって分かることで、王子も分かっていたのだろう。悔しそうに私を睨みながら口を開く。
「…………叔父は少々女性への興味が強い方で」
うむ。大体分かった。
「………………その魔女と自室で親しくなさろうとしており」
うむ。分かりすぎるほど分かった。
「何やら不手際があったらしく怒りながら飛び出してきた魔女にちょうど廊下を通りがかった私が呪いを掛けられた」
何それ可哀想。
思わず素が出てしまった。慌てて表情を引き締め、妖艶な笑みを保つ。しかし、さっきまでの悔しげな顔はどこへやら。一転して遠い目になった王子に涙を禁じ得ない。一呼吸も入れず一気に言い切った様子が更に哀れみを誘う。
彼が一体何をしたというのだ。
「私はただ、叔父に押しつけられた仕事で徹夜し、仮眠を取りに自室へ戻ろうとしていただけだったんだ……」
何それ惨い。
「…………………………あの日から、叔父が私を見る目が怖い」
あんまりだ。泣きそう。
私はさっきの王子とは別の意味で鳴らしそうになった鼻をなんとか取り繕う。口元を隠し、くつくつ笑う振りをしながら涙を拭い、鼻水を引っ込める。何だこの王子、可哀想。泣く権利は彼にこそある。怒る権利もだ。怒れ。魔女にもそうだが、特に叔父に怒り倒せ。
私が多大なる同情を向けているとは知らず、王子はすぐに持ち直し、ふんっとふんぞり返った。そうだ。その調子だ。心を強く保って生きるんだ。思わず応援してしまう。
「そういうわけだ。さっさと直せ、魔女」
直してあげたい。心からそう思う。だが、そうもいかない事情があるのだ。
「あらあら、そうは仰いましても、呪いとは基本的に当人が解くもの。他者が解こうとするならばそれなりに用意が必要となるものでございます」
「そう、なのか?」
「はい、勿論でございます。騎士様であろうと、基本の型はあれど個々の癖がございますでしょう? 魔女は基本の型すら個々のもの。同じ師を持っているならばまだしも、全く違う系統の魔女ともなれば、下手な手出しは事態の悪化を招きかねません。――二度と王子に戻れなくなるとか?」
笑いながら流し目を送る。
「何だと!?」
王子は青ざめた顔で立ち上がった。勢いがつきすぎて椅子が倒れかける。重たい椅子が浮いてしまうほどの力で椅子に当たった足は大丈夫だろうか。後で痣になっていそうで心配だ。
「魔女は依頼を反故にしないはずだ」
唸るように言う彼に、鷹揚に頷く。
「勿論でございます、王子様。魔女には魔女の掟がございます。一度受けた依頼は反故には致しません。出来ないとは申しておらぬではないですか。せっかちでございますねぇ。時間が要ると申しているのです」
そう、魔女には魔女の掟がある。大事なものからどうでもいいことまで、ちまちまとした掟があるのだが、
その中でも重要な掟の一つに一度承諾した契約は守り切ること、というものがある。だから魔女は迂闊な契約はしない。……例外はどこにでも存在するが基本的には出来ることだけに契約を行う。中には面白そうだからと契約してしまう魔女もいるが、それはそれ。更に契約書に細工をして裏道を用意するなんてざらにあるが、それもそれ。
何せ魔女だ。言い出したら切りがない。
私も依頼として受けた以上、きちんと契約は果たすつもりだ。にこりと微笑み、くるりと回した杖を握る手にぎりりと力をこめる。
まあ、受けたのは私ではなく師匠なのだがな!
泣きそう。
お互い悲しい気持ちで椅子に座る。王子は座り直しだ。
王子の悲しさは私に充分すぎるほど伝わっているが、私の悲しさは王子に伝わってはいないだろう。そうそう伝わらせるようでは魔女など務まらない。
魔女には魔女の格好というものがあるのだ。つばの大きな黒い帽子、黒い衣装、魔力の貯蔵庫でもある長い髪、魔力に染まった爪と瞳、魂の一部ともいえる杖。
そして、高圧的な態度である。
これは、国を持たない魔女が持つ自衛手段でもあった。強そうな相手には無闇に手を出さない人間の鉄則を利用している。そしてもう一つ、魔女以外の種族から見た際、魔女個人の区別がつきにくくするためだ。魔女は迫害されやすい生き物であるため、自分達の身を守るためにこういった手段がとられている。まあ、追われる分には自業自得な面も多々あるのだが。
「………………どのくらい、かかる」
「さあ? やってみませんことにはとんと」
「ならば今すぐやれ!」
「見てはおりますわ。見た結果、そう申し上げているのです。……かなり厄介そうな呪いですこと。粘着質で破滅的、けれど情熱的でいやらしい。大層な魔女に好かれましたのね。これを解きたいのならば、かなりの時間と準備が必要となりますもの」
「……………………私が一体何をしたって言うんだ」
同感である。そして、お使いから家に帰って来るなり『君の初依頼決めてきちゃったぁ。うふふー』とのたまった師匠に鞄一つで叩き出された私も、一体何をしたって言うんだ。
道理でいつもの店で買えるような品を往復で四日かかる店で買わされたわけだよ!
王子はぐったりと、私はにぃっと笑いながら向かい合う。私もぐったりしたいが魔女の掟がそれを許さない。感情の発散は杖をくるくる回すことで済ます。
「…………魔女」
「キトリと。魔女は大勢おりますゆえ。老婆心から申し上げますが、魔女ではどの魔女を指しているか分かりかねます。魔女は、己の都合のよいように受け取りましてよ?」
そこら中にいる魔女全て呼びつけるおつもりでと問えば、心底嫌そうな顔をされた。分かる。私もそんな面倒な事態心からごめんだ。
「……では、キトリ」
「何でございましょう」
「……お前に、城での滞在を許可する」
「まあ、光栄ですわ」
ころころ笑えば、ぎろりと睨まれた。お姉様に睨まれるなんて、いけない扉を開いてしまいそう。心の中で茶化してみる。口に出すのは憚られた。この可哀想な王子に、必要以上の追い打ちを掛けるのは流石の魔女でも躊躇われたのだ。それでも思うところはしっかり魔女な自覚はある。
「…………貴様の年齢は?」
「まあ! 女に年をお聞きになるなんて。王子様、呪いを一つ増やされても文句は言えませんことよ? いくつに見えます?」
「……………………………………七百歳」
魔女は確かに寿命も気まぐれであるし、見た目も全く当てにならないとなると仕方がないことでもある。だが、魔女の全てが老年の強かな女だと思うのは如何なものだろうか。そう思っても口に出せるはずはない。
だって魔女には魔女の掟。
全員がそう見えるよう振る舞っているのだから仕方がない。
「似たようなものですわね。それで、女から年齢を聞き出して何を?」
「…………叔父と事に及ぼうとした魔女は二百歳だったそうだ。いい年なら、盛らず解呪に当たってくれ」
「成程。けれど、王子様。一つ申し上げておきますが、年齢に問わず、魔女にも選ぶ権利くらいございましてよ? 私、節操のない殿方は好みませんの。私に近づけないでくださいまし。うっかり蛙にしてしまうかもしれませんので。そうしたら、また別の魔女を雇い、呪いを解いてもらってくださいませね」
王子は青ざめた。後ろに並んでいる使用人達も青ざめた。ついでに私も青ざめている。心の中で。
私は年相応の見た目をしているから女好きの叔父の好みには引っかからないだろうが、厄介ごとは避けたい。寄ってくる男をほいほいあしらえるほど人生経験は積んでいないのだ。
七百歳と似たような私の本当の年齢は十五歳。
まあ、六百八十五歳差くらい誤差だよね。私の師匠ならそう言う。確実に。
それに、別に七百歳と思われていて損はない。老獪な魔女だと思ってもらえたのなら嘗められないで済むし、いいことづくしだ。
私はあえて否定せず、けれど女好きな彼の叔父には関わりたくないのでちくりと釘を刺した。
魔女の気まぐれで呪われた王子。
師匠の気まぐれで使われた魔女。
なかなかいい組み合わせではないか。泣きそう。
こうして、私と哀れな王子の日々は重なったのである。