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18話






 人の視線も、空へと到達すればあっという間に遠ざかる。下に鏡を貼ればもう誰も私達の姿を捕捉できない。

 一つ息を吐き、杖を片手で抱えて座り込む。リアンも私の前にすとんと腰を下ろした。


「……殿下、あの男とお知り合いだったんですか?」

「リアンだ。三年前の国際親善試合でちょっとな。彼はジェイナ代表。私はシルフォン代表だ。主催が大国だと断れなくてな」

「勝ったんですか?」

「まあな。だが向こうは、小国といえど王族を相手にしていた。怪我をさせぬよう配慮して手が抜かれていた部分をついて、早々に終わらせただけだ。持久戦になるときつかったのはこちらだろうな。あれだけ体躯に恵まれれば、生半可な技術では力任せでも押し切られる。事実、彼に勝った後は嘗めてかかってくる相手が少なくなって、それなりに面倒だった」


 面倒だっただけで無理だったわけじゃないらしい。すっかり空に慣れた人は、心地よさそうに目を細めて風を受けている。


「で、結局殿下はどこまで勝ち進んだんですか?」

「上位八名が決まる手前辺りで敗退した」

「いい位置ですねぇ」

「至らぬ我が身を恥じ入るばかりだ」


 しれっと言っているが、目立ちきらずさりとて侮らせもしない何ともちょうどいい位置取りだ。しかし、それはともかく困ったことが一つある。

 無言で視線を落とせば、そこには未だ繋がれたままの手があった。


「あの、殿下」

「リアンだ。お前も、あの男、知り合いだったんだな」

「エドですか? まあ……片手で数える程度にしか会ったことはありませんけど。互いに物珍しい存在でなければ、顔どころか名前すら覚えていられなかったはずですよ……あの、手」


 繋がった指を絡めて遊んでいるリアンは、遊んでいるくせにあまり楽しそうではない。かといって不機嫌にも見えず、正直言うと何を考えているかさっぱり分からなかった。


「私の名は散々渋っておきながら、あの男の名はさらっと呼ばれると、何とも面白くないものだ。それにお前、少々不用心すぎるだろう。私の手を振り払いもしない」

「いやだから手……」

「怪我、もう治ったんだな」

「こんなの、魔力を集中させればあっという間に直っちゃいますよ。ほら」


 手が解放されないので、仕方なくもう片方の手で杖を操り、髪を上げる。額には瘡蓋も残っていないはずだ。最初からつばは上げていたので、傷が直っているのはリアンも分かっていただろうに、ほっと相好を崩した人に胸が熱くなる。人を好ましく思う気持ちというのは中々厄介なもののようで、ただ繋いでいるだけの手が酷く熱い。


「お前、この件が片付いたらどうするんだ?」


 何でもないことのようにさらりと問われ、一瞬詰まった。すぐに表情を取り繕い、そうですねぇと呑気な声を上げる。


「せっかく独り立ちしたことですし、気ままに世界を巡ります」


 この件が片付いたとき、私はきっと世界にいないだろうけれど。




 魔女の掟に逆らった魔女は原初の魔女に魂を徴収され、個無き番人と堕ちる。番人達は、魔女の成れの果てだ。痛みも恨みも全てを無くし、ただただ原初の魔女の手足となる。

 それでも構わなかった。原初の魔女の言いなりになるのは業腹だが、それがこの人を世界に止められた結果なら、もう何でもいい。

 こんな人間が世界にいた。それを知れたから、無為に生き延びてしまった私の無念も報われる。


「……お前は、どこかに帰らないのか?」

「魔女が帰れる場所は己の工房のみです。魔女は己の原初にしか還れない生き物ですから」


 魔女は流れる生き物だ。国も世界も時代も流れ、漂う生き物。そんなものに生まれたことに後悔はない。所詮私も魔女なのだ。定着しては生きられない。根付こうとどんなに根を伸ばしても魔女は星に流されると笑った師の言葉を思い出す。時の流れは魔女に土地への定着を許さない。

 小さく笑った私の耳に、小さな声が聞こえた。顔を上げれば、リアンが私を睨んでいた。


「…………ったら」


 握られていた私の手に痛いほどの力が篭り、リアンの口が大きく開かれた。


「だったら私の所へ帰ってくればいいだろう!」


 怒鳴ったリアンに、私は一度瞬きをした。だって、リアンが真っ赤な顔をしていたのだ。私までつられてしまいそうな真っ赤な顔で怒鳴るから、瞬きでもしないと酷い醜態をさらしてしまいそうだった。だけど目蓋が閉じる瞬間、視界の端に紫紺が混ざった。

 閉じていく私の目蓋の代わりに、リアンの瞳が見開かれていくのが分かる。だけど、大丈夫。ちゃんと分かっているから、大丈夫。




 どっと鈍い衝撃が背後から私を貫く。ゆっくりと目蓋を開けば、衝撃で緩く波打った髪に視界が遮られていた。私の魔力である金緑、紫紺の呪い、そして赤が世界を彩る。

 紫紺の魔女はリアンに死の呪いを残した。つまりリアンは、紫紺の魔女にとっては標的であり、目印でもある。だからこそ紫紺の魔女が意識ある状態で存在しているのなら、近づけば必ず反応を示すと思っていた。その為にわざわざ、射線を遮らない絨毯を選んでやったのだ。


「キトリっ!」


 悲痛な声で叫ぶリアンに向けて放たれた矢を、自身の腹を貫いた状態で両手に掴む。私を貫くまで確かに矢だったそれは、はらはらと解け細く薄い糸となり散っていく。それらは粘着質な炎を纏っている。掌を焼いていく感触に、自然と口角が上がっていく。――見つけた。


「はっ……短気は損気だぞ、紫紺の魔女」


 意識を集中させた腹に魔力が集まり、急速に傷口が塞がっていく。歪に寄せ集められた皮膚が引き攣り、痛みというより不快な違和感を意識の端へと叩き出す。

 燃え落ちながら尽きることなく溢れ出す紫紺の呪いは、リアンの胸から溢れ出していた。その身を苛んでいた呪いが、持ち主の気配に呼び出されたのだろう。しかし、それが合流したがっていた矢は、私の身体で止まり、燃え尽きようとしている。

 空でリアンを溺れさせようとする呪いをかき分け、真っ青な顔で私に伸ばされた手を握り直す。リアンを取り囲む紫紺の呪いが餌を求める生き物のように私の腕に絡みつく。だが、最も重要な一本はもう掴んだし、最も大切な一本もちゃんと握っている。


「お前が隠れ蓑に使ったその怨炎、誰のものだと思っている、アスディナぁ!」


 ちょうどいいとそこら中にある炎を使ったのだろうが、おかげで捕らえやすかった。生きた怨念が絡み合い叫び続け、消えぬ怨炎が今なお燃え続けているからこそ索敵を誤魔化せる。

 だが、その場を保ち続けるそれが、誰の怨炎だと思っているのだ。


 掴んだ糸を逃がさず、逆に炎を叩き込む。耳を劈く歪な悲鳴が世界に響き渡った。老人の乾ききった声のような、生後間もない赤子のふやけた泣き声のような、形容しがたい声である。

 消えぬ炎は、今なお続く私の憎悪だ。倍にして返すことなど造作もない。

 のたうち回る紫紺の呪いはリアンを飲みこみながらこの場から離脱しようとした。いま、この場で最も愚かな選択をした呪いは、リアンと手を握り合った私ごと飲み込み、本体の元へと逃げ帰った。


 そこで待つものは、私の図鑑にはいない魔女と、馬鹿馬鹿しいほど使い古された悲劇の残骸。そして私の終わりなのだろう。


 身の内に未だ渦巻く熱さを肌で感じる。無意識に障壁を纏う。自分のためではなく、手を繋いだ人のために。この人を私の穢れで焼くわけにはいかないのだ。








 既に燃えるものが無くなって久しい地で燃え続ける炎の熱さより、余程鮮明な温度を持った手の力が強くなるのを感じながら、ゆっくりと目蓋を開ける。

 赤、青、黄、橙、紫、緑、白、黒。節操のない極彩色の炎が世界を焼いている。数多の命を焼き尽くしてなお満足しない貪欲で醜悪な炎は、しかし美しさもあった。極彩色の炎は空まで埋め尽くす。

 あの日から一度も足を踏み入れていないかつての楽園に何かしらの感情を浮かべる間もなく、両肩を掴まれて向き合う。


「傷を見せろ!」

「大丈夫です。魔力が切れてるわけではないのですぐ直ります。ほら」


 鬼気迫る表情で私に詰め寄る人を宥めつつ、腹の部分だけ魔力の服を解く。魔力が集まり、あっという間に傷が収縮していく様をリアンはじっと見つめている。本当は腹のど真ん中にくらうつもりはなかったけれど、ちょっとだけ失敗した。魔力の流れを読み違えたのだ。髪を切った直後だったのがまずかったのだろう。

 だが、こんなのすぐに直る。傷口が跡形もなく消え去ってようやく、詰まっていた息が吐き出され、すぐに勢いよく吸い込まれた。


「この、大馬鹿者っ! お前、石も今回も、わざと防がなかっただろう!」

「そのほうが手っ取り早いので」


 握っている一本の糸を見せる。紫紺の糸は障壁の外へと繋がり、炎の奥へと伸びていた。繋がる先へと歩きながら、軽く引く。


「アスディナは捕らえました。この炎を使ったことが彼女の敗因です。この時まで彼女を隠していたこの炎は、持ち主である私の帰還によりただの檻と化した。だから」


 安心してくださいと伝えようとしたのに、それよりもリアンのほうが早かった。


「そんなことはどうでもいい! お前はもっと自分を大事にしろ!」


 凄く大きな声で怒鳴っている。目は吊り上がっているし、私の肩を掴む力は痛いほどに強い。だけど怖くない。確かに私に怒っているはずなのに、何だか泣き出しそうな顔だった。


「殿下、ごめんなさい。言っている意味が、分からない」

「っ……この大馬鹿者! 私の友となった以上、お前が自分の身を守ることは友である私に対して当然の義務であり礼儀だ! いいか、キトリ! お前が自分を蔑ろにすれば、それは私を軽んじ、侮辱していると同義だ! 以後改めろ! 以上! 解散!」

「解散!? えっと……解散するんなら今すぐシルフォンに戻ってもらっていいですか?」

「いいわけあるか! 私は一人では断固として帰らんぞ!」

「解散は!?」


 私の知っている解散とリアンの言っている解散はどうやら違うものらしい。全く散る様子がない。




 リアンは私の手を掴んでずんずん歩いて行く。一応障壁越しだし、リアンには私のお守りを渡しているから滅多なことではこの炎に飲まれることはないだろうが、万が一ということもあるから私を連れて歩くのは正解だ。正解だけれど、手を繋ぐ必要は皆無である。そしてそろそろ彼の言っている解散の定義を教えてほしい。

 仕方が無いので黙って後をついていく。何か下手なことを言えば追加で怒られそうだからだ。身長より高い極彩色の炎を視界の端に収めながら、リアンの背中を見つめる。地面すらろくに見えないこの光景に全く怯んでいない。この人は、数多の命を奪っても満足していないこの炎に囲まれて何を考えているのだろう。


 木々も動物もいないこの場には、空虚に燃え続ける炎が発する音しか存在しない。風の音に似ているが決定的に違う虚ろな音に、静かなリアンの声が混ざる。


「……痛くは、ないのか」

「端から私を傷つける意図で放たれた言葉や傷ならば。傷つかなければそれらは全て無意味なものです。奴らの行動や意思に意味などくれてやるつもりはありません。奴らは、無意味な結果を残し、業だけ背負っていけばいい」


 結果が何を齎そうとも、当人へ齎される業は変わらない。誰に知られずとも、誰に影響を及ばさずとも、当人へ積み上がる業に影響を及ぼすことはないのだ。己が齎した業は、己だけで背負えばいい。

 リアンは深く息を吐いた。


「……この調子なら、大魔女殿が仰っていたことは真実のようだな」

「――え!? 殿下、ディアナスといつ話したんですか!? 何もされていませんか!? 指は五本ありますか耳の形は正常ですか尻尾生えてませんか……はっ、溶けてませんか!?」

「大魔女殿が蜥蜴となって現れた日だ。お前もいたが……そうか。やはりあれはお前には聞こえていなかったんだな」


 リアンが立ち止まったことにより、私の足も自然と止まる。無意識に杖先を地面に下ろす。しかし、杖を持ち上げていた力が失われたことにすら私は気づかなかった。

 だって、リアンはいまなんと言った?


「紫紺の魔女を殺せば、お前は魔女の掟を破ったことになり番人によって殺される。そう、大魔女殿は仰った」

「でん、か……」


 あまりの衝撃に、足がよろめく。けれど未だ繋がれたままのリアンの手によって座り込むことは避けられた。それが幸運だったかどうかは判断がつかない。

 だって、だって。



「殿下、ディアナスと肉体関係があったんですか!?」

「とんでもない話の飛躍と迷走じゃないか!?」

「え、だって、え!? や、やだ! 私にそんなこと言う権利がないことは分かっていますけど……え!? 待ってください! 凄まじく嫌なんですけど!? いくら友達でも許容できる範囲を軽々と超えています!」

「待て! お前が待て! お前、一体何の話をしているんだ!?」


 手が離された代わりに両肩をがしりと掴まれた。思わず距離を取りかけた身体がしっかり押さえ込まれて逃げられない。


「落ち着けキトリ! 何がどうしてそんな結論に至ったのかは分からないが、ちょっとあんまりじゃないか!? お前、私を何だと思っているんだ!」

「だ、だって……ディアナスの声が脳内に直接聞こえてきたんじゃないんですか?」


 そぉっと伺うと、リアンは恐る恐るといった様子で頷いた。決定的である。ざっと青ざめた私に、それより更にリアンが青ざめていく。


「お、音を介さず会話を行えるのは、肉体的な関係や繋がりがある相手とだけなんですが……」

「………………………………身の潔白と無実を主張する」

「殿下は王族ですし、叔父さんがあれですから、言われてみれば驚くことではなかったのかも知れませんが、ディアナスは、ないです、殿下、ディアナスは、ディアナスは、ないです!」

「蜥蜴の姿しか知らん相手との関係を疑われるほどの深い業を私は背負っているのか!?」


 あんまりだろうと叫ぶ彼があまりに必死なので、段々哀れになってきた。

 初めて会ったときも思った。この人、可哀想だなと。親しくなっても改めて思う。この人、不憫だ。哀れみと同情を篭めて見つめた私に、リアンは更に悲痛な表情を浮かべた。


「……殿下、本当にどんな星の下に生まれてきたんですか」

「私が知りたいっ…………待て、何か聞こえないか?」

「ディ、ディアナスの声ですか?」

「違う! 頼むからその誤解だけはやめろ! 世界中の誰よりお前にその誤解をされることは堪えられん!」

「それはどういう……本当だ。何か聞こえますね。これは、泣き声?」


 女の啜り泣く声が炎の合間を縫って聞こえてくる。この場にいる女、対象者は限られた。そしてその推測は外れていないだろう。

 障壁をリアンの周りに置き去りにして、その横を擦り抜ける。踏み出した先の炎は、懐かしい熱さで纏わり付いてきた。杖に飛び乗った私を背後から怒鳴り声が追ってくる。


 出来るなら、リアンが追いつく前にアスディナを始末したい。私が逆流させた炎は確実にアスディナを焼いた。私達にまで届いた悲鳴がその証だ。元よりアスディナの姉魔女が負わせた傷はまだ癒えていないとのことなので、弱っている今ならばさほど苦労せずに殺せる。









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