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17話




 シルフォン出発時は、一晩荒れた影響でゴミと化した枝木や柵などが散らばっている景色を興味深そうに眺めていたリアンは、シルフォンを出た辺りから興味を他国の文化へと移した。初めて空を飛んだ先日がっちがちになっていた人とは思えないほど身を乗り出すから、落ちないか私のほうが心配してしまったくらいだ。この人順応力高いなぁと思う。


「空路というのは早いものなんだな。今日だけで五国を通り過ぎた」

「急いでいるのもありますが、障害物も高低差も天候の善し悪しも関係ありませんからね。地上でだって、直線だと随分短縮できるはずですよ」

「確かに……」


 今日は一旦ここまでにしようと、手頃な山中に下りて工房に籠もる。リアンは二度目の訪問だけれどまだ慣れないらしく、工房に着いてもきょろきょろしていた。帽子を脱ぎ、杖をくるりと回して適当に髪を結う。服の裾も適当に短くする。ここは風もないし、気温も常に一定だ。どんな格好でも不都合はなかった。

 気がつけば、リアンがこっちを見ている。リアンは日常生活に使われている魔法を好んで見ているように思う。

 シルフォンとジェイナはかなり距離があるので、気候にも差が出てくる。シルフォンは比較的温暖で穏やかな地域だ。ジェイナほど日照りと大雨に悩まされはしない。


「殿下、明日にはジェイナに入りますので、しばらく工房にいてください」


 動きやすくなった格好を一通り見て、満足する。顔を上げたら、大変不機嫌そうなリアンがこっちを見ていた。さっきまでご機嫌そうだったのに。男心と秋の空。それか山の天気。


「説明しろ、キトリ」

「魔女には九年前から、ジェイナは通過であっても必ず地上を通り魔女の存在を示すようにとの通達が番人より出ており、未だ解除されていないので町を通らなくてはならないからです」


 腕を組みふむと考え込んでいる姿を見て、確かに肩凝りそうだなと納得した。


「帰りでは駄目な理由を聞こうか」

「面倒なことはさっさと済ませてしまいたい質なんです」


 手首を軸に杖を回そうとして、杖を置いてしまったことを思い出す。一気に手持ち無沙汰になり、仕方なく髪を指に巻き付ける。くるくる巻き取り、適当に弾く。


「私が幼く、まだ正式な魔女でなかったとはいえ、ジェイナの人間は魔女を人間の都合で扱えると思った。その事実は魔女にとって酷い侮辱であり、逆鱗だ。ジェイナの人間は魔女の恐怖を思い出す必要がある。だからこそ、魔女はジェイナに降り立つんです」


 魔女とは天災と近しい通りすがりの災厄なのだと思い出せ。忘れたのならば再びその身に刻み込め。消えぬ炎などでは生ぬるい。その地に生きる全ての民が思い知り、恐怖せよ。

 魔女は決してお前達が御せる生き物ではないのだと――この手で再び思い知らせてやれるなら、それはどれだけの愉悦を生むだろう。

 だけど。

 視線を向けた先では、リアンもこちらを見ていた。無造作を装い、自分の唇に触れる。そんな醜悪な顔をこの人には見られたくないと、この期に及んで馬鹿げたことを思った私の手を、ゆっくりと動いた手が握った。右手と左手、左手と右手、向かい合ったまま目の前にあった手を握ったリアンは、その手を軽く引き寄せた。引っ張られるがまま、手だけが近づいていく。その手を、リアンはまじまじと見ていた。


「お前、手小さいな」

「そうですかね」

「ああ」

「殿下も、指は長いですけど別に大きくないじゃないですか」

「元に戻ればそれなりに大きいぞ。お前が杖を握っていてもそのまま握れるくらいにはな」


 私の手を握る手は、白く細く柔らかく、温かい。この手が硬く大きくなっても、この温かさは変わらないだろうと疑いもなく信じられる己の単純さを、愚かとは呼びたくなかった。


「だから……一人で行くなんて言うな」

「……殿下もいい加減物好きですね。分かりました。それでしたら、こちらをお持ちください。言っておきますが、これを所持しないなら一緒に歩くことは認められませんからね」


 溜息と一緒に、髪を一房切り取る。ぎょっと目を剥いたリアンは、怒鳴ろうとしたのだろう。口をぐわっと開ける。髪の長さを変えれば調子が狂う。そう説明したことがあるから、この怒りが私の為だと分かってしまうことがくすぐったくてつらい。私は、こんな人の人生の分岐点になんてなりたくない。この人の人生の傷にも、歪ませる要因にも、なりたくないのだ。


「怒らないで、殿下」


 リアンはぐっと詰まった。


「……怒ると、怖いか?」

「それは別に……そう言えば殿下の大きな声、最初から怖くなかったです。殿下の声も言葉も、人を攻撃するために発されたものじゃないからでしょうかね」


 髪を両手に包む。光が集約されて掌に集まっていく。指の隙間から漏れ出す光は、私の髪とよく似ていた。きっと瞳にも似ているけれど、髪ほど自分では見えない。

 ゆっくりと開いた手の中には、緑の宝石が乗っていた。その上を指でくるりと撫でると、細い銀の鎖がしゃらりと現れる。そうして首飾りとなった石をリアンへ差し出す。


「お守りです」


 そして、帰り道でもある。この石さえ持っていればシルフォンまで行きと同じ程度の労力で移動が出来るように魔法をかけた。私がいなくても、この優しい人をあの穏やかな国へ無事に返せるように。これは私にとってのお守りなのだと伝えるつもりは、これっぽっちもない。


「お前は甘やかしがすぎるな。王子が民からの視線に怖じると思っているのか」

「心配性なのかもしれません。持っているものは少ないのに、無くしものばかりなので」


 だからお守りがいるのだ。そうでなければ、恐ろしくて息も出来ない。何より、肌身離さず握りしめてしまう自分が恐ろしいのだ。

 リアンは私をじっと見つめ、小さく息を吐いた。そして、石を受け取った腕をそのまま私に回す。私を包む温かく柔らかな感触に、母を思い出した。


「……殿下、お母さんみたいですね」

「……そう来たか。リアンと呼べば許してやる。しかし何度訂正しても殿下に戻すな、お前」

「殿下はもう少し、魔女に名と存在を認識されている恐ろしさを知るべきです」

「お前はもう少し、友に名と存在を認識されていない悲しさを知るべきじゃないか?」


 それもそうかとは思う。だけど、名を呼べばもっと呼びたくなる。この人はそれを疎まず振り向いてくれると分かっているからこそ余計に。そんな離れがたい執着を抱きたくなどない。だから絶対、私を抱くこの背に手を回したりしない。

 私はこの人がくれる温かで柔らかい親愛の情に、どす黒い執着を混ぜ込んだ恋慕を返してしまうだろうから。


「キトリ、一つだけ言っておくぞ。私は、お前の王にだけはなるつもりはない。それだけは肝に銘じておけ」


 それは私が魔女だから?

 そんな疑問はすぐにかき消えた。そういう区分で関係を分ける人ではないと知っているからだ。だったら尚更どうしてだと首を傾げる。そんな私に苦笑したリアンの額が私の額と合わさった。


「とりあえず、本来の姿に戻ってからだな」

「何がですか?」

「お前が私を怖がらないか確かめてからの話だ」


 女だろうが男だろうが、蜘蛛だろうが狼だろうが、死霊だろうが悪魔だろうが、私がリアンを怖がるわけがないのにリアンは時々不思議なことを言う。そう言えば、とてつもなく妙な顔をされた。甘い苦虫を噛んだらこんな顔をするんじゃないかなと思う。

 それはともかくとして、結局明日はリアン呼びすることを約束させられた。確かに人前で殿下と呼んでしまえば、かなり対象が限られてしまい、私を恨む人間から復讐の標的に選ばれてしまうかもしれないのでそこは気をつけるつもりだ。

 だけど仮の名をつけるつもりだったのにそれも頑なに却下されてしまった。リアンは親から授かった名前をとても大事に思っているらしい。










 姿を現わしただけでそれなりに影響力があると判断される場所は、手っ取り早く言えば王都だ。王城直轄の衛兵がすっ飛んでくるのは邪魔だが、人々の在り方や方針を形作る場所でもある地に意味は大きい。

 私達は王都に降り立った。空を飛んでいたときから相当数突き刺さっていた視線が、今は至近距離から跳ね飛んでくる。無駄に数がいるなと、いつも思う。


 嫌悪も恐怖も厭忌も憎悪も憤怒も全て釣り上げた口角で受け流す。淀みなく流した瞳でこちらに視線を向ける人間を一撫ですれば、その大半がさっと視線を逸らす。その程度の感情で、よくもまあ魔女へ喧嘩を売れたものだ。

 視線を流す過程で、隣を歩く人の姿も視界に収める。リアンはいつも通りまっすぐ綺麗な姿勢を保ち、特に気負った様子はない。周囲の視線に気づいていない訳はないだろうけれど、普段と何ら変わらなかった。他者から向けられる視線や感情に慣れているといった言葉は強がりではなさそうだ。あまりシルフォンから出たことはないと言っていたが、やはりそこは王族なのだろう。


 数が揃っているが故の喧噪は、私が通るときだけ一時的に鎮まっている。今騒がしい場所へ歩を進めればそこが鎮まり、私が立ち去った場所では先程より大きくなった喧噪が蘇る。

 左を歩くリアンをさりげなく見ていたら、右側でざわつきが起った。そちらへ素早く視線を向けたリアンの動きを、杖で制す。私に邪魔されたことで動きを制限されたリアンが、私を酷く非難する目線を向けたと同時に、がっと鈍い音と共に衝撃が額に走った。


「この国から出て行け、魔女が!」


 そう叫んだ老人をリアンが睨んだのは一瞬で、視線はすぐに私へと向く。その視線はまるで痛ましいものを見るかのようだ。持ち上げられたその両手は、私の顔の輪郭でさえ痛みを感じているのではと言わんばかりにまだ触れる前から柔く丸められている。酷く柔いものを恐る恐る触れる時に似ているなと、苦笑する。

 貴方が案じてくれたものは、魔女なのに。



 怒りを紡ごうとした唇に人差し指を当てて塞ぐ。杖先と一緒に視線をぐるりと巡らせれば、老人の勢いに飲まれたのか、ただ枷が外れただけか、他にも石を投げようとしていた十数人の手が止まった。

 馬鹿な奴らだと、心の底から思う。これだけ大きなつばの帽子をかぶっているのに、額に石を当てられた理由を考えることはないのだ。わざとつばを上げて的を作ってやった。それにまんまと釣られ、尚且つ後に続いた馬鹿共。


「お前、誰に向かって石を投げたのか、分かっているんだろうね」


 釣り上げた口角で角度が変わり、額から流れ落ちた血が口に入った。それをぺろりと舌で嘗め取る。旨いものでは決してないけれど、ある種の落ち着きと高ぶりを感じる味だ。

 くるりと回した杖を地面につける。凄まじい土埃が雷を纏って膨れ上がった。悲鳴と狂乱も同様に膨れ上がり、人々が叫びながら走り出したが、先程の人間達を逃がすつもりは毛頭ない。土埃はケタケタ笑いながらその人間達を人混みから引きずり出してくる。

 震え、引き攣り、跳ね上がった悲鳴、地面に爪の後をつけながら必死に抵抗する無様な姿。自分から石を投げたくせに、投げようとしたくせに、こうして目の前に単独で引きずり出されればガタガタと震え、青ざめた顔を隠すことも出来ていない。同種の波に紛れていなければ立ってもいられないような度数の感情で、よくもまあ他者を傷つけることが出来るものだと毎度呆れる。


「誰に向かって石を投げたのか、その目をかっぽじってよぉくご覧よ、人間」


 最初に石を投げた男の顔を無理やり上げ、顔を近づける。恐怖に見開かれた目よりも余程大きく開かれた私の目が、男の目の奥で光っていた。見開かれた瞳は口角と一緒に吊り上がり、悪夢だってもう少し優しい顔で訪れると自分で思えるほどの表情が人間の瞳の中に存在する。


「お前も、お前も、お前も、誰に向かって石を投げようとした? 魔女を相手に、人間如きが数を頼りに調子に乗って、まさかただで済むなんて思っちゃいないだろうね」


 奇妙に捻れた声が人間達から上がった。汚くねじ曲がり、捩れた声を上げながら、人間達の身体が縮小していく。拗くれる身体の痛みに醜い悲鳴を上げた人間達は、やがて蜘蛛となり、蜥蜴となり、鼠となった。

 へたり込んで地面に伏せた彼らに周囲から悲鳴が上がると同時に、当人達も現状に気づき、耳に触る金切り声を上げた。叫び声を上げて逃げ惑う人間、姿を変えられた人間を手に取っておろおろ泣き出す人間。この辺りは知り合いなのだろうと察する。


「お前達も懲りないねぇ。魔女に手を出して無事で済むわけがないと、いい加減猿でも覚えるだろうに。ああ、いや、猿に失礼だったねぇ。獣のほうが余程賢く、道理を知っている」


 くつくつ笑って見せる。集まる視線は恐怖と憎悪に集約されて、そのどれもが被害者面だ。どうしてこんな酷いことをするのだと責め、今度はどんな酷いことをされるのだろうと脅えている。

 本当に、いつまで経っても分からない連中だ。だから十年近く経っても原初の魔女から出された指示が消されず、魔女はジェイナに降り立ち続けるというのに。





 くるりと杖を回してみせるだけで人の輪が一層遠ざかる光景を眺めていると、人混みの奥がざわりと蠢いた。逃げ惑う人間が、騎士団を呼んでこいと叫んでいたので恐らくはそれが来たのだろう。

 ここは王都。国王の膝元だ。騒ぎが起こればそれなりに対応も早い。何せかかっているものは民の安全というより国家の威信なのだから。

 ざわめきが到達するのを待つ。騎士団が来たから逃げ出したとされては、わざわざ騒ぎを起こした意味がない。回した杖先をかつんと地面に下ろすと同時に、頬が掴まれた。

 私に触れられる間合いにいたのは一人だけで、両手で柔く丸く包まれているので痛くはないしこんな触れ方をする人も一人だけで、しかも視界いっぱいに入る人も該当者と一致している。だからそれに対しての驚きはない。ただ、何をされているのか全く理解できないだけだ。


「でん」

「リアン」

「……リアン、何をしているんでしょうかね」

「私の台詞だ。言いたいことは山ほどあるが、手当が先だ」


 他に聞かれないよう声を潜めたやりとりの間に、どこからか、それこそ魔法のように取り出されたハンカチを額に当てられた。これだけ視線が集中している中で、魔女を手当てしようとする剛の者を誰か止めてほしい。けれど人間が、特にジェイナの人間が彼の行動を制限することは腸が煮えくり返りそうになるほど許し難い。仕様がないので私が止めよう。


「平気だと言ったら怒るぞ」


 小声で制止しようと口を開けば、先回りした言葉が飛んできた。怒るぞと宣言した割に酷く柔らかな手つきでハンカチが傷口に押し当てられる。全く痛くないことに弱って眉を下げた。そうして初めて小さく笑ってくれた人の肩越しに、揃いの服を着た面子が現れた。田舎育ちだった上にあまり人里に下りなかった為、一応故郷である国の騎士団を初めて見た。



 先頭にいる男が一番立場があるのだろうと一目で分かる。周りからの扱いも、そうと自覚しているが故の立ち居振る舞いも他とは段違いだ。


「団長様! どうか、どうかお救いください!」

「魔女が、魔女が突然うちの人を虫に!」


 わっと群がられたその人は二十代程だが、どうやら思っていたより立場があるらしい。当人を合わせて二十人前後。城下で起こったことにしろ、突発的な揉め事に対応するには少々身分も戦力も高すぎる。

 現れた魔女に対応できる部隊を出してきたようだ。けれどどうとでもなるし、最悪の場合この場から消えればいい。とにかくリアンさえ怪我をしなければいいのだ。


 そう考え、まだ傷口の確認をしているリアンをそっと杖で囲いながら押しのけ、ようとしたがびくとも動かない。


「失礼ながらご婦人、貴女が仰っている事象は虚偽ではないが、先にその男が彼女に石を投げ負傷させた事実の前後関係を無視した申告は不適当ではないだろうか」


 騎士達に背を向けていたリアンは、ゆっくりと振り向いた。慌ててその前に立とうとしたのに、今度は私がやんわりと押さえられる。結局隣に並ぶことしか出来なかった。


「君は……」


 団長と呼ばれた男が一歩前に出ながら、訝しげに眉を寄せる。

 大きな男だ。顔は貴族らしい上品さを兼ね備えた優男なのに、恵まれた体格は子どもの頃に見た大人の男を思い出させる。見上げる高さも、こちらを覆ってしまえる幅も、厚みのある身体も、嫌でも記憶を揺さぶるものだ。子どもが大人を見上げる角度を、思い出させた。

 男へ無意識に集中させていた意識は、杖を握る手に軽く触れた温もりへふわりと戻る。


「私は彼女の友だ。確かに私の友は些かやり過ぎのきらいはあるが、ただ歩いていただけの彼女に石を投げ負傷させ、更に投石しようと腕を振りかぶった人々への防衛としては言うほど不適当ではないだろう。ジェイナ国第二騎士団長オリヴィエ・アダン殿、卿が真っ当な騎士ならば私の友にだけ責を負わせるような真似はしてくれるな」


 知り合いだったのかと驚いた顔を帽子のつばに隠す。確かに彼は他国をあまり出歩いたことがないとは言っていたが、ジェイナの人間と関わりがないとも言わなかった。

 彼は王族だ。王城の第二騎士団ともなれば、王族へついて国外へ出る任も多いだろう。リアンが彼を知っていてもおかしくはない。……王女となった現状をこの団長に見せて大丈夫なのだろうか。様子を窺うが、内心を読むことは出来ない。肉体的な繋がりがあれば声を介さずとも会話をすることも可能だが、当然私達の間にそんなものは存在しないので今は聞くに聞けない。





「…………キトリ?」


 騎士の中から名を呼ばれ、思わずぴくりと反応してしまった。杖を握る手に力が籠もる。騎士の中から、他の男達より一回り小柄な青年が現れた。目を見開き、私を見ている。


「……その髪に瞳、杖もそうだ。間違いない、お前っ、キトリ! 今更何をしにジェイナに帰ってきたっ! 今度はどこに災厄を齎す気だ、キトリぃ!」


 つばで半分陰らせた視線で青年を眺める。確かに、遠い昔に見た顔だ。人里に下りた際、遊んだことがある。魔女を遠目に見る子どもが多い中、彼だけは私の手を取り遊んでくれた。


「何か、何か言えよ。俺に、何か言うべきことはないのか。故郷も、親族も、全部お前に焼き尽くされた俺に、言うべきことはないのか!」


 顔をどす黒く染め、周りの騎士達に押さえられた彼の手は剣にかかっている。私の横でも小さな音がして、つばに隠して視線を流す。リアンの手も剣にかかっていた。貴方が抜く必要なんてない。私の因縁に貴方が抜く刃などあってはならない。それにどうせ、言うべき言葉など決まっている。

 杖でつばを持ち上げ、目を細め、口角を吊り上げた。



「――ああ、殺しそびれた」



 残念だ。

 最後まで笑って言い切った瞬間、青年は周りの騎士を振り切った。振りかぶられた剣を釣り上げた唇のまま見上げる。ゆっくり杖を揺らした私の横で、風が鳴いた。

 鋭く研がれた刃物同士が圧倒的な力の差でぶつかり合えば、これほどに澄んだ音がするのか。そんな、今はどうでもいいはずのことに、やけに胸を打たれた。

 この人に抜かせてしまった事実が、悔しい。杖を止めた人を睨めば、同じ瞳を返された。さっき同じ事をした私を責めているのだと、一拍遅れて思い至る。


「私の友に剣を向けたければ、まずは私を通してもらおうか」


 何でもないことのように言い切った彼の剣は刃こぼれ一つない。大して青年の剣は途中から失われている。剣を叩き切ったリアンは、剣をしまうことはせず、私が杖でしているようにくるりと回した。遊んでいると気づいたのだろう。青年の顔が更にどす黒く染まった。


「俺達の事情に首を突っ込むな、女ぁ!」


 憤怒で感情を染め上げがなる青年を、団長である男が腕で制した。


「やめておくといい。君の腕では勝負にならない」

「団長!」

「駄目だ。何せ、私もあの方には敗退した身でね」


 一瞬で周囲の視線が全てリアンに集まった。当人はしれっとしている。もう一度視線を団長に戻し、その腕の太さを確認してしまう。二の腕だけで今のリアンの太股以上ありそうだ。なのに顔は優男。ちょっと混乱しそうだ。


「卿の敗因は、私を小国の道楽者と侮ったことだな」

「耳が痛い。相手の力量を見た目で侮った。恥ずかしい限りです」

「小国であることは否定しないが、だからこそ我が国は周囲から持ち上げてもらった腕で調子に乗れるほどの余力がない。使える者は身分問わずだ」


 からりと笑って剣をしまったリアンは、その手を当たり前のように私へと差し出した。


「私達は急いでいるのでな。これで失礼しよう」

「ふむ……急用は、御身の状態異常によるものと推察して宜しいでしょうか?」

「まあな。しかし一目で分かられると、それはそれで面白くないものだ」

「貴方のお連れが魔女であれば推測するに難くないでしょう」


 軽口の応酬がされながらも、私に向けられた手が揺れることはない。日はちょうど、騎士側から差している。日を浴びて、彼は軽やかに笑う。人の中で笑うことが似合う人だ。この場で帽子のつばに隠れた私と、他の騎士達に光を遮られた青年だけが陰を負う。


「しかし、こちらの国民に非があり、尚且つ魔女に法は適用されぬとはいえ、ジェイナの民をこのままにしておく訳にも参りません」

「呪いは魔女の領分。私の友に頭を下げぬのであれば、他の魔女に頭を下げ、呪いを解いてもらうんだな。それが筋だ」


 何一つ気負いを見せず団長と話していたリアンの視線が、私へと戻ってきた。小さく笑い、指先が私の指に触れる。そのまま軽く絡む。決して強くなく、己の元へ引くことすらしていない。ただただ体温を触れ合わせた風のような軽さで私に触れる。どちらにしろ、この場から立ち去るのであれば彼に触れているほうが都合がいい。そう自分に言い訳し、リアンの手をしっかり握る。するとリアンも同じように力を篭めた。


「…………キトリ」


 どろりとした闇が青年の喉から滲み出る。それが己の名だと気づくまでに少し時間が要った。


「俺達は、どうしてこんなことになったんだ」


 折れた剣を手放さず、更に握り潰してしまいそうな青年の怨嗟に返答するつもりはなかった。けれど、リアンと繋がった手が温かかったから。繋ぐ手が優しく穏やかであったから。


「……お前は私を憎み、私は世界を憎んだ。これはどうしようもないことだ。お前の全てを焼き殺したのが私である以上、家族をなぶり殺し、私の眼球を抉り潰したのがお前の父親である以上、私達はどうしようもない。これは、ただそれだけのことなんだよ、エド」


 リアンの手を握ったまま杖を回す。足下で花開くように現れた絨毯を踏みしめ、空へと戻る。リアンは何も言わない。私も振り向かない。義務は終わった。もうここには何もない。ここにいる理由は、何もないのだ。








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