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雑念に気を取られて、危うくエタるところだった。
三つ目の部屋は、これまでの部屋と雰囲気が全く異なっていた。
部屋の広さは、一つ目の部屋と同じで四畳半ほどだが、壁、床、天井は真っ白ではない。上下前後左右で統一感のかけらもなく、それぞれが主張の激しい模様をしている。
天井は、碁盤のように区切られていて、マス目ごとに違う色で染まっている。一つとして同じ色は無く、種類は百を超えていた。
四方を囲む壁は、全面がストライプで、一つの線ごとに異なる素材が使われている。コンクリート、木材、畳、ガラス、石、漆喰、プラスチックなどでできた壁が、スーパーの棚に陳列されている商品のように並んでいる。
床には、白をベースとして丸、四角、三角、星などの図形が黒く染められ、不規則に配置されていた。
男は部屋に入った途端、その人通りの多い交差点のような混沌とした情景を見て、軽く目眩がした。
そして次に、部屋の中央に視線が向き、三脚の上に円板が取り付けられた小さい木の丸テーブルとその上に載っているリンゴを認識した。
男の食欲は満たされるところをしらず、彼は足早にテーブルへと向かった。
彼は、分厚いゴツゴツした手のひらとほぼ同じ大きさのリンゴを鷲掴にして、大口で齧り付いた。たった一口でリンゴの三分の一が抉り取られた。かじり口から覗いたリンゴの内部には、種も硬い芯もなく、それが彼に食べられるためだけに生まれたリンゴであることを物語っていた。
りんごを三口で食べ終えた彼は、これからやってくるだろう熱の流れに備えた。すでに二回も経験していることと、肉体の急激な進化から鑑みて、体から迸る熱にも、容赦なく襲う激痛にも、耐えられる予感がしていた。
案の定、熱の奔流は彼の体内を駆け巡った。胃袋から全身へ流れ、そして脳の中枢に辿り着く。しかし、今回は脳内での爆発的な熱の増加が起こらなかった。三度目にして不発することもあるのだろうかと思い、踏ん張っていた筋肉を弛緩させた時だった。
脳内に小さな熱の塊が現れ、空気を送り込まれる風船のように時間をかけて膨張していく。やがて、熱の塊が彼の頭蓋骨の容量よりも大きく膨らもうとして、頭部に激痛が走る。限界を超えて無理やり中から押し広げられる感覚に、彼は研ぎ済まれた精神力で必死に耐えていた。
五分が経過した。彼にとってその五分は、一時間のように感じられた。パンパンに張り詰めた熱の風船は、脳の許容量をはるかにオーバーし、遂に破裂
した。彼の脳内で凄まじい破裂音が鳴り、彼は気を失った。
しばらくして、彼は再び目を覚ました。うっすらと重い瞼を開けた彼は、ぼんやりとした視界から覗く世界を見て、呆然とした。
彼の目に映った世界は、膨大な情報量で満たされていた。色、形、感触、その全てが鮮明な輪郭を持ち、感覚器官を介して彼に染み込んできた。以前は、ぼんやりとしか感じ取れなかったものが、はっきりと認識できる。彼の脳内には、数多の知識によって、大規模なデータベースが構築されていたのだ。
突然構築された、データベースからこぼれでる情報を処理しきれず、頭を焼くような頭痛が彼を襲う。
「うっ、うぅっ」
彼は、うめき声のような言葉にならない声を発した。
点と点をつないで線にしていき、その線を使って面を作る。そして、面同士を組み合わせて立体を構成していくように、情報の山を整理し、利用可能な知識にしていく。そのプロセスを幾度となく繰り返すことで、荒れ狂っていた情報の波は穏やかになり、頭痛も和らいでいった。
膨大な情報群を完全に制御下に置くことに成功した彼は、言葉を巧みに操り、深い思考をすることができるようになった。その結果として、彼の中では、はっきりとした自我が芽生えていた。
「私は一体何者だろうか、どうしてここにいるのだろうか」
自分が置かれている不可解な状況に対する根幹をなす疑問が浮かぶ。だが、その答えを導き出すには、あまりにも手掛かりがなさ過ぎた。
「白い部屋、それ以前の事は何も思い出せない」
彼の記憶は、初めに目覚めた白い部屋から始まっており、それ以前は元から存在していなかったと錯覚するぐらい皆無であった。
「私は白から生まれたのか……分からないが、今のところはそうとしか考えられない。白から生まれたのであれば、私の事は仮にシロと呼ぶことにしよう」
彼は自分の存在を世界に結び付けるように、自分自身にシロという名を付けた。
「この先に何か手掛かりがあるはずだ」
何者かに導かれるようにな、これまでの経緯から判断して、まだ先に続く道があるだろうとシロは推測した。そして、その考えに呼応するように、手前の白い壁から次の部屋につながる経路が現れた。