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9. 1号の受難

 家の書棚には父の遺品とも言える楽譜が山のようにあって、クラッシックに興味が無いわけではないが、明日、朝早くからゴルフだという事もあるし、茉莉果を誘おうか悩んだ冬馬だったが、笑顔で即答してくれたので安心したのだった。

「ギターケースのストーカー?携帯の方じゃなくて?」

「残念ながら携帯の方は誰だか分らないんだけど、ギターの男は長谷川三郎って言って、今日演奏するギターサークルのメンバーなんだよ、」

 ふたりは町外れの、海が見えるレストランで夕食を取っていた。

外はまだ明るく、ビーチを見下ろす高台のベンチには、カップルが座ってお喋りを楽しんでいたし、犬を散歩させながらゆっくり歩いて行く老人の姿も見えた。

夏の夕暮れは、どこか人生が楽し気に見える。

「この前、隠れてこっそり海羅の写真撮ろうとした所を捕まえて、とっちめたらあっさり認めてね、お詫びの印かな?券を四枚くれたんで、海羅が君を誘えば?って二枚くれたんだよ。彼が言うには単なるファンだってさ、笑っちゃうよね」

「大丈夫なの?その人」

胡散臭うさんくさげに、茉莉果は顔をしかめた。

「うん、三年生なのに笑えるんだよ、悪気の無い面白い人だね。あくまでもファンだって譲らないんだよ」

「じゃあ、今日は海羅さんも?」

「ああ、あのひとが行くって言い出したんだから」

「強い人よね、どこでストーカーが見ているかも知れないのに、私だったら怖くて、夜出歩くなんて考えられないわ」

「普通、そうでしょ。あの人変わってるから、それにあまり考えてそうにないし」

「そこが海羅さんの、いいところなのよ、」

「君って、ほんと褒めるよね海羅のこと」

「だって、あんなに天真爛漫な人っていないじゃない?美人だし、頭良いし、ストーカーやファンがいて当然だと思うわ」

それはどうかと思うが、冬馬は別に否定もしなかった。

 レストランの食事はシーフード中心で、地元の食材をふんだんに使ったパスタがとても美味しかった。

食後のコーヒーが出された頃になっても、まだ外は明るく遠く水平線の辺りにでは夕日が反射していた。

「車、とうとう買ったのね?」

車に乗り込んで、シートベルトをしながら茉莉果が尋ねた。

「不便を見かねた母親が、新車買うのでこれをくれたんだ、ま、そう言う風に仕向けた海羅の仕業なんだろうけどね。確かに不便なんだよね、今まで何度も終電に乗り遅れたことあったりして、」

「大学が駅から少し遠いしね、車の方が絶対いいわよ」

そう言えば、茉莉果も光も、ゴルフサークルのみんなは、殆ど車で通学していた。

カオルや真樹に至っては、親の財産と比例しそうなくらい、およそ学生の身分では乗ることの出来ないような外車を、当然のごとく乗り回している。

カオルに至っては、週末に仕事をしているし、お金は有る所には更に集まる法則でもあるのだろうか?



 車を駐車場に止めて、会場の中に入って行くと、入り口に三郎がいて、冬馬に気が付くと駆け寄ってきた。

今日は白いシャツにパンツ、足下は革靴を履いていて、いつもと違ってごく普通の人に見える。

「よ、よく来てくれたね、嬉しいよ」

「こんばんは」

ふたりは挨拶をした。

「席は決まってないんだ、空いている席へどうぞ。ついさっき、か、海羅さんも入られたよ」

なぜか三郎は、海羅の話しになると必ずどもった。

 始めて入る会場だったが、凡そ千人は入るだろうか?開演時刻にはまだ速かったが、それでも三分の二以上の席は埋まっていて、冬馬は舐めていた自分が恥ずかしかった。

結局、後ろの方の席になったが、席に着いてふと前を見ると、五列くらいの右斜めで海羅が手を振っていた。

横には沢渡真琴がいて、俯いてパンフレットを見ているらしかった。

妥当な人選だろう。

「あのふたりって別れたのよね?」

「らしいね、」

冬馬は詳細は語らなかった。

「お似合いなのに」

「海羅の性格について行けなくなったんじゃないの?」

「私が海羅さんを褒めすぎるって言うけど、そうやって、いつも海羅さんを悪く言うのは流川君の癖ね」

そう言って、クスリと笑う。

「君は本当の海羅を知らないからね」

「ほんとうの?」

「強烈なんだから、ま、他人には見せないだろうけどね、僕ら弟組は恐れ戦いているよ、」

「なんかそれって羨ましいな、海羅さんに嫉妬しちゃう」

茉莉果は冬馬を見て微笑んだ。

「なんだかんだ言って、凄く仲良いんだもの」

「あのさあ、気が付いてる?僕らいつも海羅の話ししているって?あいつの話はやめないか?」

いい加減、うんざりしていた冬馬はそう提案した。

前を向いて茉莉果は笑った。

「そうよね、せっかくのデートなのにね、始めてよねこうやってふたりして出かけるのって、誘ってくれてありがとう。」

「まだ始まってないよ、つまんないかもしれないし」

「そんなことないわ流川君が一緒だもの、」

頬を染めながら茉莉果は笑って答えた。

やがて会場が暗くなり、演奏が始まった。



 最初はポピュラーな『Rumores De La Caleta』から始まった。そしてヴィラ・ロボスの『Choros NO1』の、軽快なメロディーに誰もが拍手を送り、会場は沸いていた。

曲目はポピュラーで素人にも分りやすい構成だろうか、三郎は中盤で出て来て、マーラーの交響曲第5番をギター二重奏に編曲した『Adagio』を、デュエットで甘美なメロディーを物悲しく、そして美しく弾いた。

「驚いたなぁ、長谷川三郎、上手いじゃん」

「昨年、世界アマチュア・クラッシックギター部門で二位だったって書いてあるわよ、パンフレットに。少し驚きよね」

本当だ。

面白い人物だと冬馬は思った。

抜群にギターが上手いかと思えば、ストーカーまがいの変態行為はする。

でも、至って本人は普通のつもりなのが可笑しい。

そんな、彼の亡くなった友人の第一発見者となるとは、冬馬とて不思議な因縁に困惑せざる得なかった。

演奏はそれからも独奏、二重奏、三重奏と美しい演奏でみんなを魅了した。

一曲終わる度に拍手は大きくなり、最後の大トリでは四年生を抑えて三郎が出て来ると、ディオニシオ・アグアドの『Rondo』 が始まると会場はどよめき、その難解難曲をいともあっさり演奏した後では、オールスタンディングの大喝采で拍手が鳴りやまなかった。

いつも通り、少し猫背でずれた眼鏡を直しながら、恥ずかしそうにお辞儀をすると、三郎は舞台から足早に去って行った。

そんな彼に、どこで覚えたのか、海羅は指笛を吹いてアンコールを促した。

三郎の演奏が大層気に入ったらしく、その笑顔と拍手は心からのものだと冬馬は知っていた。

暫くして、舞台に再び三郎が現われ、『大聖堂の第3楽章にあたる荘重なアレグロ』を、驚異的なスピードと、卓逸した技で披露すると、観客は歓喜の渦に飲み込まれた。

プロに勝るとも劣らぬ演奏は、人々を魅了し幸福にさせたのだった。



興奮冷めやらぬ観客がにこやかに溢れ出てきたエントランスは、学生に限らず老若男女、人混みでごった返していた。

その中を縫うようにして、駐車場へと続く石畳まで出て来た冬馬と茉莉果は、後ろから海羅に呼び止められた。

横には手を繋いだ沢渡真琴がいて、目が合うとにこやかに会釈を返した。

「びっくりよ、何あれ?」

「あれって?」

「長谷川三郎、驚いちゃった。鳥肌立っちゃうくらい上手なんだもの、来て良かったわ、ありがとう」

「どうして僕に礼を言うのさ」

「だって、あなたが”彼はストーカーじゃないって”言ったじゃない。でないと来なかったわ」

一応は信頼してくれているんだと思うと、以外なようで少し嬉しい冬馬だった。

「これからお茶でもしようかって言ってたんだけど、君たちも一緒に行かないかい?」

沢渡真琴が誘う。

 その時である。

”うわーっ”と、建物の裏の方、かなり遠くで微かな呻き声が聞こえた。

「何、今の?」

海羅が不安そうな顔をして尋ねた。

「ちょっと見てくる、ここにいて、沢渡さん海羅と茉莉果をお願いします」

「危ないわ、」

海羅の声が終わらないうちに、冬馬はもう掛け出していた。

声が何となく三郎に似ていたような気がする。

建物の角を曲がると、機材搬入口から明かりが漏れていた。

その前には車が止めてあり、近づくとその横で誰かが石畳に倒れていた。

辺りには人影も見当たらず、更に近寄ってその人物の顔を覗き込んで驚いた。

やはり長谷川三郎で、顔やお腹を殴られたらしく、腹部を押え身体を丸めたまま、苦痛で顔をゆがめていた。

「大丈夫ですか?」

「・・・ああ・・」

辛うじて返事をし、ゆっくりと上体を起こし始めたので、冬馬は手を貸した。

石の上に座り込んだままの三郎は、苦痛のせいか精神的ショックのせいか、ぼうっとしたまま立ち上がることが出来そうに無かった。

「誰にやられたんですか?」

「分らないんだ、・・・、振り向きざまに殴られたんで・・・、眼鏡が飛んでしまうと僕は何も見えないから、」

二メート先に飛んだ眼鏡を見付けて、冬馬は三郎に拾って渡した。

「ありがとう」

そうする内に、沢渡と海羅、おまけに茉莉果まで来てしまった。

「何かあったの?」

海羅の声に、三郎はいきなり立ち上がろうとしてよろめいた。

それを見ていた沢渡が、搬出口から中へと、取りあえず座れそうな場所まで手を貸して連れ添った。 

その時、楽屋から出てきたサークルのメンバーが、三郎の様子を見て表情を強ばらせ、何事があったのかと聞いてきたので、取りあえず簡単な説明をする冬馬だった。

「骨は折れて無いようだけど、もし、痛みが引かないようだったら明日にでも病院に行った方がいいよ、」

「あ、ありがとうございました」

さっきあんな素晴らしい演奏をした男だとは到底思えない程に、今の三郎は相変わらずオドオドしていて低姿勢だ。

サークルの仲間が、塗れたタオルを持ってきて尋ねる。

「警察に言った方がいいかな?」

「まさか、いいよ、いいよ。このくらいで・・・」

三郎の頬は赤く腫れていて、タオルが触れただけでも顔をしかめた。

「それよりみなさん、今日は折角来て頂いたのに、こんな事に巻き込んでしまってすみませんでした、僕はもう大丈夫ですから、気を付けてお帰りください」

これ以上、自分が注目されるのは忍びないとでも言いたげに、徐に頭を下げて三郎はみんなに挨拶をした。

海羅はさっきから黙ったままだったし、茉莉果も突然のことに言葉を失っていた。

みんなで三郎に別れを告げて、駐車場へと向かう途中で、急に冬馬はあることを思い出し引き返した。

「ちょっと待っててくれる?直ぐに済むから」

さっきと同じように、抗議の声が聞こえる前に冬馬はその場を走り去っていた。




「あの、少し聞きたいことが・・」

三郎はまだ椅子に座ったままだった。

「どうして、ひとりであんな所に居たんですか?」

「そ、それは・・・」

彼は恥ずかしそうに微笑むと、ポケットから携帯を取り出してメールを見せてくれた。

そこには『海羅です。後で搬入口で待ってます。演奏終わってから来てください。』と書いてあった。

アドレスはフリーアドレスだ。

あり得ないけど、海羅の名前を語っているので、三郎は舞い上がってしまったのだろう。

無理もない。

これは完璧な、海羅のもうひとり《’’’’’》のストーカーの仕業だ。

もしかしたら、あの演奏を聴きに来ていて、喜ぶ海羅を見て三郎に嫉妬したのだろうか?それに、以前、沢渡真琴のタイヤが切り裂かれていた事も関係しているのだろうか?

 そして、ストーカーは会場に居たのだ。

海羅の近くに居たのだと思うと、冬馬はゾッとして不安を覚えるのだった。

その夜は、結局、何だかんだと時間が経っていて、明日も早いからと言う理由で、それぞれ帰路に着いたのだった。







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