夏休みの朝の帰宅
その日の朝も暑く、ときおり涼しい風が吹き抜けていく。
遠くからは、さまざまな虫たちの音色が響きわたり夏を感じさせてくる。
夏の朝の六時と七時の間にはもう夜空は姿を消して、ところどころに浮かぶ雲の背景はどこまでも青かった。
夜勤を終えて帰宅する道は通学路と重なり、普段なら子供とすれ違うが珍しくない時間帯なのだけれども今は夏休み、ここ最近はやる気なさそうにラジオ体操に向かう子供たちとたまにすれ違う程度だった。でもきっと、あの子供たちもラジオ体操が終わるとそれまでのやる気のなさがうそのように騒がしくなるだろう。それこそ朝の通学路でよく見かけるように。
もともと人が多い場所が苦手な自分はその騒がしさに圧倒されてしまうため、夏の朝の静けさはほっとするものだった。
たとえ工場とアパートの距離が徒歩で三十分も掛からない場所だとしても、歩いて子供の騒がしさのなかに紛れこんでしまうとただただ疲れてしまう。特に夜勤が終わって一刻でも早く帰宅して眠りたいと思っているときには…
けれども今朝は不思議なことに子供たちの姿をよく目にし、思わず携帯電話を取り出して日付を確認してしまった。
画面に表示される日付はたしかに八月が始まってまだ間もないことを示していた。まだ夏休みの真っ最中だった。
首をかしげつつも自分はただ、アパートを目指して進んで行くだけだった。
夏の徒歩は三十分もあれば汗もかくし、喉も乾く。だからたまに自動販売機の誘惑に惑わされてしまうのだった。
ただ今朝は何となくその誘惑に打ち勝ち、部屋の冷蔵庫のなかにある冷たさをただただ目指していた。
夏の暑さのなかを、ただただ歩むだけだった。
そのなかでふと自分の心のなかに何かを忘れているうような気がした。
それは目の前にまで来ているのに、ぼんやりとした姿しか見えずもどかしくもあった。
だけど、それ以上に感じるのはただただ早く帰りたいということだった。
歩みつづけていれば、いつかは終点にたどり着くもの。
子供たちの流れに乗って進み、やがてアパートの自室のドアの前に到着した。
鍵穴に鍵を差し込むときふと思い出した。
あぁ、そうだ。今日は長崎は登校日だ。