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せみしぐれ

作者: つちふる


 木々の合間を縫うように敷かれた細い車道は、幾重にもおり曲がりながら峠を上っていく。

 僕と彼女はその峠の中腹あたり、ひときわカーブがきつくなっている道の脇で肩を並べて立っている。

 風に揺れる木々。こすれあう枝葉の音。その間からのぞく、薄青色の空。

 絶え間なく降りそそぐ、蝉の声。

「夏、ですね」

 僕のつぶやきに、彼女は小さく頷く。

「夏、です」

 足下には二つの花束。ひとつは僕で、ひとつは彼女。二人は毎年、この日がくるたびに添えにくる。

 今年で五年目。すっかりなじんでしまった関係。

 出会いがあんな悲劇でなければ、もしかしたらお互い惹かれあい、恋人同士になって、今ごろ幸せな日々を送っていたかもしれない。

 もちろん、この仮定は無意味だ。

 あの悲劇がなければ、二人は出会うこともなかったのだから。

 咲いたばかりの瑞々しい花びらが、風をまとって揺れている。

「まだ、受け入れられませんか? あれからもう、五年経つのに」

 抑揚のない僕の声に、彼女は顔を上げて微笑む。

「まだ、五年よ」

 それからこちらを見て、からかうような口調でつづける。

「だいたい、受け入れられないのはあなたも同じでしょう?」

 僕は肩をすくめて笑おうとして、多分、失敗した。

 沈黙が落ちる。

 峠を下る車が、僕たちのわきを無関心に通り過ぎて行く。

 エンジンの音が遠ざかり、蝉たちの声がまた降りはじめる。 

「結局、命を落としたのは二人だけだったのね」

「ええ。座っていた場所が悪かった。…運が、悪かったんです」

「運が、悪かった」

「………」

「それで納得できるなら、私たちはとっくに先へ進んでいるはずよ。いつまでもこんなことをしていないで」

 五年前の今日、ここで大型トラックとバスが衝突する事故が起きた。カーブを曲がりきれなかったトラックが、バスの横腹に突っ込んだのだ。

 無残にひしゃげたガードレールが、今もそのときの様子を伝えている。

 このガードレールがなかったら、バスは崖下に転落して、誰も助からなかっただろう。

 でも、助からなかったのは二人だけだった。

 多くの人たちが不幸中の幸いを喜ぶなかで、僕たちだけが絶望していた。

「あの日は、ユウジさんに会う日だったの。彼に会えるのは、月に一度か二度くらいしかなくて。だから、本当に楽しみだった」

 その話を聞くのは何度目だろう。

 そんなことを思っていると、

「この話、何度目かしらね」

 察したように彼女が笑う。だから、僕も笑って答える。

「この五年で、ユウジさんについてずいぶんと詳しくなりました」

「私も、ミヅキさんのことをたくさん知ったわ」

 ミヅキ。意地っ張りでわがままな、僕の恋人。

 何をするにもてきぱきとしている彼女と、のんびり屋の僕。

 性格は全然ちがっていたけれど、でも、だからこそうまくバランスがとれていたと思う。

 そんなミヅキとの、いつかの会話を思い出す。

『私、キミより長生きしないといけないね』

『…何だよ、いきなり』

『だって私が先に死んだら、キミ、駄目になっちゃうでしょ』

『駄目?』

『何年たっても死んだ私を忘れられなくて、命日のたびに泣きながら花を添えるような人生を送りそう』

『………』

『自分でも想像できるでしょ?』

 からかいまじりに言うミヅキに、僕はムッとして言い返す。

『そういう、ミヅキはどうなんだよ』

『私? 私は大丈夫。キミが死んでもすぐに立ち直って、新しい人を探すから。――まあ、ちょっとは悲しむかもだけど』

『ちょっと』

『ちょっとよ。薄情っぽいかもだけど、いつまでも死んだ人を思いながら生きるより健全でしょ?』

 まったくその通りなので、言い返せない。

 僕が黙り込んでしまうと、彼女は優しく笑って言った。

『だから、私が長生きした方がいいのよ。キミより有意義な人生を送れるから』

 ミヅキは嘘つきだった。

 でも、それを責めたりからかったりすることは、もうできない。

「いつになれば、私たちは受け入れることが出来るのかしら」

 ひしゃげたガードレールを見つめながら、彼女がつぶやく。

「わかりません。でも、もう受け入れなければならない」

「どうやって?」

「わかりません」

 会話はいつも、ここで行き止まりになる。

 その先へ進めたことは、一度もない。

「こんなことがなければ、知り合うこともなかったわね。私たち」

「ええ」

「知り合いたくなかったわ」

「僕もです」

 乾いた夏風が二つの花束を揺らし、蝉の鳴き声がいっそう強く降りそそぐ。

「せみしぐれ」

 ぽつりと、彼女がつぶやく。

「せみしぐれって、どういう意味か知ってる?」

「蝉の鳴き声が雨音のように降りそそぐから。…でしたっけ」

「この話もした?」

「したかもしれません」

「あの日も、今日みたいな日だったわ。せみしぐれが降る昼下がり」

 彼女は繰り返す。帰らないあの日を。変えられない、あの時を。

「私はユウジさんに会いに――」

 僕は黙って耳を傾ける。夏風に揺れる花束を見つめて。

 あと何度、こんなことを繰り返すのだろう。

 あと何度、このせみしぐれを聞くのだろう。

 季節が巡り、五度目の夏を迎えても。

 僕たちはまだ。

 自分たちの死を受け入れられずにいる。  


                    (了)

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