5:面倒ごとは次から次へとやってくる。
リーナ・アボードの活動するエリアから遥か東。
広大な青に包まれた大海の底で、ソイツはフードの中で凄みのある笑みを浮かべた。
「じゃぁ、要はこういうことだな?」
そう言って人差し指を立てたソイツは、少し先に立つ三人の怪しげな風貌の男を睨む。
男たちは、体の一部に蒸気の吹き出す機械鎧を身に付けている。足、腕、胴、など形状は様々だ。
ここは海底神殿の最深部。
周囲を岩の壁に囲まれた空間には、太古の技術で作られた岩の装飾や、石像が立ち並ぶ。
その中心では、三人の男とオレンジのローブに身を包む冒険者が対峙していた。
ソイツは続ける。
「その安い矜持ってやつをへし折ってやれば、諦めがつくってことだよなぁ!?」
笑っているのか凄んでいるのかどちらとも言えない怒声を上げたソイツは、右拳を握り身構えた。
すると、その瞬間に拳が炎に包まれる。
渦を巻く炎は次第に勢いと大きさを増し、ソイツの後ろには巨大な炎の竜巻が現れた。
ソイツのローブがはためき、踏みしめた地面が砕け舞い上がる。
大気が震え、ソイツから物凄い熱気があふれ出す。
その余波にあてられ、三人がおのおのに身を庇うような体勢を取る。
「いくぞぉっ! 引き立て役のクソモブがぁあ!!」
直後、突き出された右拳と最高温度に達した炎の渦が世界を包む。
凄まじい熱量と光度。
荒れ狂う力と熱の奔流に岩石は溶解し、空間は爆ぜる。
世界は白一色に染まった。
××××××××
「はぁー。当分の間は、冒険は勘弁だなぁー」
俺はそう呟き、湯船の中で足を伸ばす。
石と木材で作られた風呂場には湯気がたちこめ、目前の湯船には小さな桶が浮いている。
直径にして三十センチあるかないかの桶の中には、お湯と白い毛玉が一つ。
先日の冒険で見つけた例の小動物だ。
俺の方を見てピィと鳴いたソレは、まったりとした表情で仰向けに浮いている。
それを見た俺は人差し指で、ソレの無防備な腹をこちょこちょと触ってみた。
体をヒクつかせ、白いソレはくすぐったそうに身をよじる。
かわいい。
うっとりとした表情でその様子を眺め、俺は大きく伸びをした。
ふと視線を移すと、自身の色白の肌には各所に擦り傷や打撲の跡が見られる。
全て先日の戦闘でついたものだ。
俺はうんざりした様子で、先日のことを思い出す。
あの戦いの後。
俺は遅れてやってきたアテラとともに、生き残った連中を地域の軍警に引き渡し、ドラゴンの雛を元居た巣に戻した。
その後、どうなったかをその目で見たわけでは無い。
ただ、帰りがけに遠方で母竜の声を聞き、ほんの少し救われた気がした。
そんで件の白い毛玉だが、あの戦い以降えらく懐かれたので、ひとまず引き取ることにしたのである。
アテラが勝手に名前を付けようとしたので、それを全力で拒否し、ついでに遅れてやってきたことも兼ねてぶん殴っておいた。
カッコつけて敵をじわじわといたぶっていたらしく、到着に時間がかかったとのこと。
殺してやりたい。
俺は危うくあの大男にレイプされかけていたというのに、アイツはのんびりチートごっことは……。舐めているにもほどがある。
というか、アイツのこういうとこがほんとウザい。
目の前で起きたことにいちいち気を取られ、周囲のことはまるで考えない。
アテラは俺が近接戦の苦手なことを知っている。ましてや、俺は実力も高いわけでは無く、仲間の支援なしでは依頼の遂行すら怪しい。
それなのにアイツは目の前の楽しいことに気を取られ、大事なことの優先順位がまるでわかってない。
学生時代にも、そう言う奴はよくいた。
大学に通いながらバイトしてるやつが、いつしかバイトを理由に大学を休むようになったり。朝起きられないと分かっていながらも早朝までゲームに明け暮れる奴――。
本末転倒や、目的に対する意識がまるでズレているのだ。
本当に大事なことは何か、目の前で最優先事項は何か。それが分かっていないのだから、話にならない。
ましてや今回については、仮にも仲間の命がかかっているというのにだ。
まだ、よそ様のなろう系主人公の方が仲間への配慮が効いている。
一体どんな生活を送れば、ここまで他人への感覚がズレた人間が育つのだろうか。
たしかに前世では近年、集団生活を極端に拒む子供や、それを助長するような娯楽環境が増大している。
一概に環境や、そういった人間を否定するつもりは無い。
しかし、集団生活を必須とする日本社会において、極端に自己世界に没頭する環境を用意し、精神的に果敢な時期の子供たちにソレを無制限に与えるというのは如何なものだろうか。
適度という言葉があるが、それは個人によって様々。
禁止する必要は無いが、個々の性質に合わせた制御はあっていいと思う。
人にとって逃げることは必要だが、時には正面から向き合い戦うことも必要になる。
それなのに、常に嫌なことを回避する道を用意し、遂にはその道に浸り続けてしまうことが、果たして正しいと言えるのだろうか。
そんなことをしているから、こんな奴が育つのではないだろうか。
ふと脳裏に、俺が転生するキッカケとなった出来事が思い出される。
アイツがスマホゲームしてなけりゃ、こんなことにはなってない。
俺は渋い表情で俯いた。
あのまま永遠にくたばれば良かったものを……。
同時に脳裏では切り替わる様にして、大男に襲われた記憶が過る。
――いい女だ――
――お楽しみの際は、俺も混ぜてくださいね――
ゾッとするような恐怖と、生理的な嫌悪感を覚え、俺は思わず体を抱え小さく震えだす。
こわい。
純粋に恐怖な全身を支配した。
男性に対する単純で大きな不信感と絶望。
自分も男だったというのに、これほどまでに精神は傷ついた。
この世界の環境から言わせれば、ほんの些細な出来事だ。
そう些細なこと。斬った貼ったの冷酷無慈悲な世界。命のやり取りなど日常で、外地に出れば死んで当たり前。相手は人もバケモノも関係ない。
当たり前のこと。
分かっていた。分かっているつもりで、自分もそうしてあの商人たちの命を奪っている。
これは死を感じた恐怖でもあるが、それ以上に女性であることが故に欲望の矛先にされたが故の恐れだった。
俺は、怖いと感じている。
過ぎたことだと分かっていても、自分がそういった対象になるのだと自覚したことで募る社会への不審感。
震えのせいで歯がガタガタと鳴りだし、俺は全力で奥歯を噛みしめた。
グッと目を閉じ、恐怖を払いのけようとする。
しかし、忘れようとすればするほど、あの光景は脳裏にこびり付き、ふとした瞬間に脳裏を巡った。
どうしたらいい。
こんなのどうすればいいんだ。
俺はグッと体を抱く腕に力を込める。
ピィ!
不意に白い奴の鳴き声が響き、俺は顔を上げた。
見ると奴は風呂桶から顔をだし、俺の方をキリッとした表情で見つめている。
ピィ!!
再度鋭く鳴いた奴は、濡れた翼をバタバタと羽ばたかせ、俺のところまで飛んでくる。
慌てて両手を出すと、奴はヨタヨタと宙を浮遊しポフッと手の上に収まった。
ピィ!
顔を上げた毛玉は俺に何かを訴えかけるように鳴き、もそもそと毛づくろいを始めた。
俺はなんだか「気にすんな」と言われている気がして、フッと笑いを漏らす。
「……それもそっか。気にしても意味無いか……」
分かってはいたことだが、こうやって元気づけられると気が晴れた気がする。
本当にこいつがそんな意図で鳴いたかは知らないが、今はそれで十分だった。
俺は大きくため息をつくと、甘やかせるような声で毛玉に話しかける。
「お前はいったいどこまでわかってるのかにゃ? ほれほれ」
手の上で優しく転がすと、奴は楽しそうにコロコロと体を回す。
ペットって結構精神的にいいかもしれん。
そんなことを考えつつ、俺は毛玉を桶に戻して湯船から上がった。
桶を抱え風呂場から出る時、そう言えばまだこの毛玉に名前を付けていなかったことを思い出す。
俺はタオルで体を拭きつつ、少し考える。
「安直だけど、ピイとかじゃダメかな……」
確かめるようにチラリと奴を見る。
奴はプルプルと体を震わせて水滴を飛ばすと、俺の方を向いた。
しばしの静寂。
何だか恥ずかしくなって、さりげなくタオルで体を隠す俺。
やっぱり安直すぎて不服だったのだろうか。
俺が心配になりだした時、毛玉は小さく欠伸してコクリと頷いた。
いいんかいっ!
××××××××
「ごめんくださーい」
数日後。
ガレット02の制作で工房に籠っていた俺の元に、店頭から初めて聞く声が流れてきた。
「はーい」
俺はとりあえず返事をして、作業を中断する。
手袋を外し、急いで店頭に出るとそこには意外な客が立っていた。
そこに立っていたのは、おしとやかな雰囲気の女の子だった。
年は俺と同じくらいだろうか。
背丈は俺よりもずっと高いが、顔つきから察するに十六から十八程度だろう。
オレンジのローブに、黒みを帯びた赤髪のショートヘア。スラリとした細身の体躯に浅黒い肌。
活発そうな風貌に対し、顔つきはとても穏やかで冒険者というにはいささか疑いを禁じ得ない。
俺のイメージが冷ややかなクール美人なら、この子は穏やかで清楚な可憐少女というのが相応しい。
「わぁ! ほんとに女性の方が働いていらっしゃるんですね!」
嬉しそうにそういった彼女は、キラキラとした瞳で俺を見つめ手を取る。
俺は突然の勢いに圧倒され、引きつった笑みで応じた。
「え、えぇ。まぁ。店主なら奥にいますが……。今回はどういったご用件で?」
すると、ハッとしたように慌てて手を離した彼女は咳払いし、ペコリと頭を下げた。
「す、すみません。いきなり失礼しました。私、昨日この街に来たエリス・ユーロレーヌと申します。武具のメンテナンス及び新調を考えておりまして、街で評判を聞いたところ、こちらのお店のお嬢さんがとても腕が良いと聞きまして!」
「な、なるほどー。そ、それは光栄なことで……」
喋りながらどんどん食い気味に近づいてくる彼女に対し、俺は苦笑いしつつ、若干のけぞる。
見たところ装備の状況から察するに、相当等級の高い冒険者なのだろう。
オレンジのローブも明らかに品質が良く、見るからに高そうである。
あと、これは余談かもしれないが、俺よりでかい。身長ではない。何かとは言わないがデカい。バインバインだ。何かとは言わない。ただ、ちょっと悔しい。何がとは言わないが。
俺はゴクリと唾をのむ。
すると、エリスと名乗った彼女は、カウンターに大きな金属の塊を二つ載せた。
乗せられたのはボロボロになったガントレットだった。
「あー、これはなかなか……」
俺はそう言って、ガントレットを持ち上げようとする。
しかし、手に取った瞬間余りの重さに、俺は思わずそれを落としそうになってしまう。
「あっぶな……」
慌ててカウンターに品を置きなおした俺は、改めてその状態を確認する。
かなり激しい損傷だ。
各所の金属破損もそうだが、それ以上に気になるのがガントレットの甲の部分。まるで溶けたようにグニャリと形状が変質しているソレは、とても普通の損傷とは言い難い。
溶け方から察するに、これは外的損傷では無く、内側から溶けているものだ。
俺は顔をしかめた。
冒険者の道具には、それぞれその冒険者の戦闘特性に合わせた独自の魔法加工が施されている。
もし仮にこの人が炎の魔法を使う冒険者なら熱耐性を持つ金属及び魔法が施されるはずだ。しかし、それすら焼き切るほどの熱量。人間の所業とは考えづらい。
俺は問うた。
「これ……何しました?」
すると、彼女は困ったような顔になる。
「毎回なんですぅ。私が殴ると一回でこうなっちゃうんです。一応炎の魔法を合わせて殴るんですけど、一回で壊れちゃうからキリがなくて……。だから、最終的には全部素手になっちゃうんですよね」
そう言って彼女は控えめに笑った。
俺は冷や汗をかく。
「つまり、これを超える強度の製品を造れと?」
「つまるところ、そうなります。すみません。無茶な注文で……」
申し訳なさそうに頭を下げる彼女。
その瞬間、彼女の首に下がっている等級を示すタグが目に留まる。
一等級。
アテラと同じ冒険者最高位の称号に、俺は若干眩暈がした。
一等級クラスの冒険者というのは、あのゴミムシしかり規格外の力を持った奴の集まりだ。そんな連中の一人が、自分に合う道具を造れというのだ。眩暈がしない方がおかしい。
俺は全力でつきたいため息を押し殺し、彼女に笑顔を向ける。
「わ、わかりました。可能な限りやってみます。ですが、何せ、どのくらいの強度が必要なのか見当もつかないので、見せてもらってもよろしいですか?」
すると、彼女の顔は華が咲いたような明るい笑顔になる。
たぶん今まで何件か断られたに違いない。そう言う顔だった。
俺だってほんとは受けたくないが、もし成功すれば大物の客をゲットするチャンスでもある。断る理由は無い。
引きつった営業スマイルの底で、俺は何か危ない賭けに出ているような気分になる。
何だか知らないが、とても不安な気持ちであった。
目の前の少女、なんだかどこかで感じたことのある嫌な予感がビンビン伝わってくる。
きっと気のせいである。気のせい。
面倒な仕事だから、そう感じているだけだ。
俺はそう考え、彼女と試験会場の打ち合わせに入る。
だが、この時感じたその不吉な直感はあながち間違っていなかった。
数時間後、俺はそれを身を持って知ることになる。
良い意味でも悪い意味でもーーーーーーーーーーーーーー。
●エリス・ユーロレーヌ (17) 女
騎士の家に育った女性。オレンジのローブがトレードマーク。
赤い髪と浅黒い肌の少女。身長は175センチ。スラリとした体躯だが、服を脱げば筋肉にまみれ。
具体的な胸囲は不明だが、主人公が悔しがるほどに胸がデカい。
騎士の家庭に育つも、拳や脚による近接格闘に長け、ほとんど剣は扱わない。
炎系統魔法を使うらしい。