そしてはじまる冒険生活 01
ふう。割り当てられた部屋にどさりと荷物を置いて、志穂は息を吐いた。
シュロス城への旅がはじまって二日目の日暮れ前。問題なく隣町のツヴァイトドルフへと到着していた。エアストドルフと同じくらいの大きさの村で、宿泊施設はなく、民家の空き部屋を宿として提供してくれた。元の世界で言うと民泊だろうか。志穂はベッドに座って歩き疲れた体を休めた。
ゲオルグは隣室で、スライムのスーちゃんは村に近づくと林の茂みへと身を隠した。袋に入って村に行く気はなかったらしい。
徐々に暗くなる室内。天井を見上げながら、志穂は旅の道中を思い出していた。
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志穂の知るゲームでは、主人公は魔法が使えた。レベルアップの際に増えていくそれは治癒魔法であったり攻撃魔法だったのだが、ゲオルグ曰く人間は魔法を使えないそうだ。それが使えるのは魔物だけらしい。ちなみに、スライムは魔法が使えない。ゲームでも最弱扱いのスライムは魔法は使えなかった。
本当に、ゲームと似てるようで似てない世界だなあと思う。
スライムといえば、彼らは食事をしないのだそうだ。スライムの食事をどうするかゲオルグに尋ねると、彼はそう言った。スライムもぷるぷると肯定するように揺れていたのだ。といっても、魔物のことはまだ国も研究不足らしく、その生態はわからないらしい。数種類いるのは確かだが、ほとんど人前に現れずひっそりと森や洞窟の奥深くに潜んでいるのだから、それも仕方ないかもしれない。
スライムは時々水を飲んでいたので、食事は水分を欲しがる時に与えるくらいで良かった。ぷよぷよなのに力持ちで働き者のスライムのスーちゃんは、志穂がダウンして乗せられた荷車を後ろから押すわ野営の支度を器用に手伝うわの大活躍だった。それなのに、必要なのは水だけとか。美味しい水が手に入ったら必ずスーちゃんに渡そう。必ずだ。志穂は心に誓った。
村から離れてまだ二日だが、二度ばかり不思議なことがあった。一度目は初日の日暮れ前、野営準備をしている最中だった。近くに綺麗な川が流れていたので、ゲオルグが釣りでもしていろと志穂に釣り竿を渡したのだ。竹でできた簡易なそれは手作りらしかった。天幕を張ったりだのの作業に素人は邪魔なのだろう。志穂は大人しく釣り竿と小さなバケツを持って川へ移動した。釣りなんて小学校の林間学校以来だ。釣れる気はしない。
志穂はうんしょと釣り餌になりそうな虫を探すべく辺りの石をひっくりかえした。うごうご動く虫をうへえと思いながらも釣り針に刺して川にそれを垂らす。夕日に照らされてオレンジに光る川の眩さに目を細めていたその時、すぐ後ろからぼとぼとぼとと何かが落ちる音がしたのだ。ぎょっと振り返ると、そこにはびちびちと苦し気に跳ねるものがいた。
魚だ。
しかも三匹。
ちなみに、志穂の釣り竿はうんともすんとも言っていない。静かに水面を揺蕩っている。
魚が降ってきた。空から。見上げる空は茜色に染まっていて、新たに魚が降ってくる気配はない。あっても困るが。
ここは異世界だ。元の世界では信じられない現象だが、魚が空から降ってくることもあるのかもしれない。
びちびちびち。
苦し気な魚たちを凝視していると、天幕を張り終えたスライムが土の上で跳ねる魚をバケツに放り込む。豊作だというように赤い瞳をキラキラと輝かせていた。
焚き火で焼かれる魚を見ながら「ここでは魚がおちてくるのね」とゲオルグに言うと、何言ってんだお前という訝し気な顔で見られた。ですよね。そうですよね。志穂はへらりと笑った。
この世界でも、やはり魚は降ってこないらしい。降ってきたけど。
塩をふった焼き立ての川魚は、とても美味しかった。
スライムは食事をしないわけではないようで、焼き魚を差し出したらぱくんと丸呑みした。それを見たゲオルグが慌てて手帳にメモを取っていた。
そして、二度目はこの村に着く少し前のことだ。このまま順調に行けば日暮れ前に村に辿り着けると言ったゲオルグの言葉に志穂はぱあっと明るい笑顔を浮かべた。旅の初心者かつお荷物である志穂は、自分がいても予定通り順調な旅路に喜んだのだ。はじめての村へ思いを馳せて、ゲオルグと話しながら歩を進める。村に宿はあるのかとか、あたたかい食事にありつけると嬉しいとか。その中で、ゲオルグが言った。ツヴァイトドルフの鶏肉料理は絶品だと。志穂は豚肉も好きだが鶏肉も好きだった。「おいしそう。食べれるとうれしい」とうきうきしながら答えた。そのときだ。
どさり。何かが落ちる音が後方から聞こえた。ゲオルグが勢いよく振り返る。少し遅れて志穂も振り返ると、スライムが音のもとに近寄っていた。ゲオルグもそれに続き、志穂もおそるおそる近づいて地面に転がったそれを見下ろす。
鳥だ。
大きい鳥だ。
立派な翼を持つ鳥が一羽、こと切れて転がっていた。
え、なにこの既視感。志穂が呆然としていると、ゲオルグが鳥の状態を確かめている。彼も何故鳥が落ちてきたのかわからないのだろう。首を傾げながらも腰に刺した小刀を取り出した。
「よくわからんが、血抜きしておこう。いい鳥だ」
(あ、食べるんだ)
村で料理してもらって、残った分は売ろう。同行者の逞しい提案に、志穂は大人しく頷いて処理される大鳥を細目で見物した。
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(あの魚と鳥。なんだったんだろう)
不思議なこともあるもんだ。さすが異世界! と考えるのを放棄するのは簡単だが、何か理由がありそうだ。天変地異とか? 巨大地震の前兆に不思議な現象があると聞いたことがある。そういったものだろうか。いや、それでも魚や鳥が降ってくるのはどうかと思うが。
ぼふんとベッドに体を預けて考えていると、ノックの音が聞こえた。「シホ、起きてるか」ゲオルグの声だ。
体を起こして返事をすると、もうすぐ食事の時間だと言う。志穂は手早く身支度を整えてドアを開ける。ゲオルグは廊下で待っていた。
「今夜は鶏肉のソテーだそうだ。あの肉だぞ」
よかったな。ゲオルグの言葉に、志穂は曖昧に笑った。あの鳥は珍しい種だったらしく、余った分を譲る代わりに宿代をまけてもらえたのだ。空から落ちてきた不思議な鳥だが、ラッキーである。
夕飯に出された鶏のハーブソテーはとても美味しかった。
「おせわになりました」
翌朝、ゲオルグと並んで、部屋を貸してくれたご夫婦に頭を下げた。優しそうなご夫婦はにこにこと笑顔で「気を付けてね」と手を振ってくれる。
この村の住人も皆とてもいい人ばかりだ。ここでも黒髪は珍しいのか、志穂は注目の的だったが。
店で携帯食を買い足し、朝の早いうちに村を出発した。志穂たちの姿を認めたスライムのスーちゃんが茂みからぽよんと飛び出して合流する。
次の目的地はドリットドルフ。ここからまた二日ほど歩くそうだ。頑張るぞと気合を入れて、志穂は歩き出した。
二章、はじまりました。
そういえばもうすぐ春休みなんですね。