07
ようやく慣れた日常はあっさりと終わりを告げる。
村長から告げられた言葉に、志穂はぽかんと口を開けた。
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その日、学び舎での仕事を終えた志穂は新居になる家屋の掃除をしていた。2か月前まで人が住んでいたという家は埃っぽくはあったが室内に目立つ傷みもなく、残った家具も十分使える様子だった。志穂は箒で床を掃き終えて玄関の扉を開ける。何やらざわざわと騒がしい。騒ぎの方へ視線を向けると、村の入り口に大勢が集まっていた。何かあったのだろうか。首を傾げていると、ぽんと肩を叩かれた。振り返ると、日に焼けた逞しい男性が立っていた。
「村長さん」
「ようシホ。調子はどうだ」
「調子いい、です。掃除、したです」
箒を少し持ち上げて言うと、村長は「そうかそうか」と笑って志穂の黒髪をくしゃりと撫でた。少し乱れた髪を直しながら、志穂は村の入り口に視線を戻した。「なにかある、ですか?」村長は「ああ」と頷く。
「行商人だ。シュロスって都会から時々来るんだよ」
「…しゅろす…」
(…どこかで、聞いたことがある)
どこで聞いたんだろう。そういえば、この村の名前を知ったときも既視感があったのだ。
村の名前である『エアストドルフ』そして『シュロス』そういえば、これは。
「…ドイツ語…?」
「ん? なんか言ったか」
日本語で呟いた言葉は村長に通じない。志穂ははっとして、なんでもないと首を振った。
そうだ、ドイツ語だ。志穂は少しだけドイツ語を調べたことがある。『エアストドルフ』は『第一の村』、『シュロス』は『城』という意味だったはずだ。
村に城。そのままである。なんて安直なネーミング。志穂に言われたくはないだろうが。
何故ドイツ語なんだろう。元の世界と関係あるのだろうか。まさかここがドイツ…なわけがない。この世界が異世界だということは、この1か月半の生活で理解している。
ぐるぐると考えていると、握っていた箒がすっとなくなった。驚いてぱちぱちと瞬いている間に、村長は奪った箒を玄関に立て掛けて志穂の手を取った。
「珍しいもんがたくさんあるぞ。見にいくか」
にっと笑顔を浮かべる村長に手を引かれて、志穂は慌てて足を動かした。
「久しぶりだな店主。こんなところまでよく来てくれた。歓迎するよ」
「ああ村長! 毎度どうも! 相変わらずいい男だねえ」
人の間を縫うように進んだ先で、村長と行商人は明るい表情で言葉を交わした。幌馬車の荷台にはたくさんの荷物が見える。あれが全部売り物なんだろうか。志穂が興味深げに見ていると、行商人と目があった。人の好さそうなふっくらした中年の男性は、目を真ん丸にして志穂を凝視していた。ぺこりと軽くお辞儀をすると、行商人の視線に気付いた村長が「ああ」と志穂の頭に手を置いた。
「新入りだ。綺麗な娘だろ」
その言葉にぎょっとしていると、行商人は志穂を見つめたまま何度も首肯する。いやいやいや。志穂がぶんぶんと頭を振って否定するが、周囲の村人もうふふとあたたかい視線を向けるだけだった。かあっと頬が紅潮する。
(綺麗とか言われたことないし! ここの美意識どうなってんの!?)
志穂の顔は十人並みである。背は標準より少し高めだが、綺麗と評されたことはない。「そんなこと、ないです」と否定してから、志穂は行商人に改めて挨拶をした。「シホです。言葉、うまくないです。よろしくおねがいします」
行商人はほうと息を吐いて「こちらこそ、よろしくたのむよ」と言った。そしてまた志穂をじろじろと見る。思わず身を引くと、上から苦笑が聞こえた。村長だ。彼は志穂の頭1つ分ほど背が高い。
「店主、そんなじろじろ見てやるな。シホが困ってるぞ」
「あいや、すまないね娘さん! シホさんか。あまりにも綺麗な黒い髪だったからさ。長いこと商売人やってるが、あんたみたいな色は初めて見たよ」
「思わず見惚れちまった。失敬失敬!」照れたように行商人は頬を掻いた。そういえば、この髪は珍しいんだったっけ。じろじろと見られるのは困るが、綺麗な髪と褒められるのは悪くない。「いいえ、きにしないください」志穂はにこりと笑った。
行商人は村に到着したばかりらしく、商いを始めるのは明日からだと言う。村人達は行商人に声をかけて立ち去っていく。最後の1人と言葉を交わしてから、行商人は馬の手綱を引いて村長と歩き出した。いつも村長の家に滞在するのだそうだ。
どんな品が並ぶんだろう。楽しみだな。志穂が幌馬車を見上げながら2人の後ろについて歩いていると、行商人がそういえばと口を開く。
「最近どうも物騒でね。街道に魔物が出てくるようになったんですよ」
「魔物が? へえ、そりゃ珍しい」
村長がぴくりと眉を上げた。行商人も「そうなんですよ」と続ける。
「襲ってくるわけじゃないし、距離はあるんですがね。それでも今までほとんど姿を見なかったじゃないですか。それなのに先月からよく見るようになっちまって。馬がびびっちゃってねえ、なかなか予定通りに進まなくて困りましたよ。ああ、でもここらへんでは全く見なかったですわ」
(魔物が…? うちのスーちゃんじゃないよね。あの子は森から出てこないし)
先日名前をつけたスライムのことを考えていると、ぽんと肩を叩かれた。
「シホ、お迎えだぞ」
村長の示す方を見ると、志穂の家に向かって歩くゲオルグの姿が見えた。仕事が終わったから迎えに来たのだろう。志穂は慌てて2人に挨拶をし、ゲオルグのもとへと駆け出した。
「…なんだ。あの娘さん、村長のいいひとじゃなかったのかい。よそ者とか、あんたは気にしないでしょうに」
「いやあ、俺は大歓迎なんだけどよ」
残念そうに言う行商人に言葉を返して、村長は走り去っていく志穂を見つめる。彼女がなにやら話すと、ゲオルグはこちらへ視線を向けて軽く頭を下げた。それに手を振って応える。彼らが森へ帰るには村の入り口に行かなければならない。つまり、こちらに向かってくるはずだ。それなのに、ゲオルグは別の道へと志穂を導いている。まるで、こちらを避けて迂回するように。いつもと違う道筋に戸惑う様子を見せる志穂を促し、ゲオルグ達は去っていく。
そんなにシホと自分を会わせたくないのか。村長は苦笑して肩を竦めた。
「あの娘には、騎士気取りの口うるさい保護者がいるんだよ」
ガタガタ走る荷車に揺られながら、志穂は先程気付いたことを考えていた。
村の名前と城の名前は間違いなくドイツ語だ。でも、それだけじゃない。エアストドルフ、シュロス。この言葉をどこかで見たことがある。ずっと昔、なにかで。あれは確か…。
志穂は瞠目した。思い出した。どこで見たのか。でもそんな。この世界は確かに自分が住んでいた世界とは違うけども。
ごくりと唾を飲み込み、志穂は荷馬車をひくゲオルグの名を呼んだ。「どうした?」彼は歩みを止めることなく、ちらりと志穂を見る。
「…シュロスという、都会ある、きいた」
「ああ、あの行商人はその街から来るんだ。街には城があって、そこには王がおられる」
城。王様。志穂の記憶にある『シュロス』とゲオルグの話す『シュロス』が重なる。似ている。自分が知っている『シュロス』にも城があり、王様がいたのだ。
志穂の様子がおかしいことに気づいて、ゲオルグは足を止める。「シホ、どうした。酔ったのか?」気遣わしげな声に頭を振り、志穂は顔を上げた。「ゲオルグ、おしえて」
「シュロスいくまで、いくつ村ある? 名前、おしえて」
「あ、ああ」
固唾を飲んで見つめる志穂を心配そうに見ながら、ゲオルグは首肯した。
「城までに村は2つある。『ツヴァイトドルフ』と『ドリットドルフ』だ」
教えられたものは、自分の記憶にあるものと一致する。やはり、そうなのか。志穂は両手をぎゅっと握りしめた。
ここは、ゲームの世界だ。
そのゲームに出会ったのは志穂が幼い頃。祖父の家にあった。白と臙脂色を基調とした筐体のゲーム機で、カセットを差し込んでプレイするとても古いものだった。
ゲーム画面も今のように美麗な画面ではなく簡易なもので、ドットで描かれたキャラクターが冒険するというありふれた物語だった。
志穂は、長期の休みのたびに祖父の家に預けられていた。祖父の家は田舎で、田園や畑が広がっているところだった。外遊びが苦手な志穂にとっての娯楽は祖父のゲームで遊ぶこと。祖父はゲームが好きな人だったのだ。特にレトロゲームと言われる古いゲームが。ゲームカセットは何本も大事にしまわれていて、そこから気になるものを遊ばせてもらっていたのだ。
その中に、志穂がとても好きなゲームがあった。
そのゲームは魔王討伐という定番もので、難易度も高くなかった。大体のゲームは祖父に教えてもらいながら遊んでいたが、そのゲームは志穂が初めてひとりでクリアしたゲームだったのだ。エンディングが流れた時の感動は今でも覚えている。
物語は、主人公の住む村『エアストドルフ』に、『シュロス城』から書状が届くことから始まる。「魔王を倒すべく、力に自信のあるものは城に集え」主人公は村の長に呼び出され、命じられるのだ。「お前は村で一番腕が立つ。城へ向かいなさい」そして、主人公は旅立つこととなる。
シュロス城までの道中には『ツヴァイトドルフ』と『ドリットドルフ』という村があった。そして辿り着いた城で王と面会し、数多の魔物を率いる魔王を倒すよう命じられるのだ。そこから、主人公の魔王討伐の旅が始まるのである。
祖父は幼い志穂に教えてくれた。村や町の名前はドイツ語で、とても簡単な単語なのだと。気になるなら自分で調べてみなさい。そう言って、祖父は楽しそうに笑って辞書を貸してくれたのだ。意味を調べては、なんて安直な名前だ! と衝撃を受けたのを覚えている。
ちなみに、『ツヴァイトドルフ』は『第二の村』、『ドリットドルフ』は『第三の村』である。ドイツ語だからなんとなく格好いい響きだが、日本語だとスタッフもう少し考えてくれと思う名前だ。志穂に言われたくないかもしれないが。
(懐かしいなあ)
もう、10年以上も前の話だ。だというのに、そのとき調べた単語だけでなく、ゲームのストーリーもしっかりと記憶に残っている。それだけあのゲームが好きだったのだ。
しかし、まさか自分がその世界に来ることになるとは思わなかった。さすがに、村や城の名前…とても安直な名前がここまで一致しているのだから、ここは異世界でも、あのゲームの世界なのだろう。
(ゲームの世界かあ)
志穂は自室のベッドに横になってぼんやりと天井を見上げる。なるほど、ゲームの世界なら魔物がいるのも納得だ。ゲームでも、スライムは最弱モンスターとして村の周辺で遭遇する魔物だった。レベルを上げるためにスライム狩りをしたものである。
この世界の言葉がわかるのは、ゲームの言語が日本語だったからか。言葉が話せないのは主人公がいわゆる無個性主人公で、喋らないからだろうか。だから志穂の日本語は、この世界の住民に通じないのか。考えても正解はわからないが、志穂はこの世界にとってイレギュラーな存在なのは間違いない。なんせ異世界人だ。
志穂はむくりと起き上がり、ベッドから足を投げ出した。その足にはゲオルグ特製薬が塗られ、布で巻かれている。
(でも、ゲームと違うところも多いのよね)
この世界はとても平和だ。魔物は滅多に姿を現さないと聞いている。ゲームではフィールドに出るとランダムエンカウントで魔物と戦闘になった。しかもそこそこエンカウント率が高かったはずだ。しかしこの世界では魔物が人々を脅かすことはなく、魔王の存在も聞いたことがない。
ゲームの世界ではあるけど、ゲームのイベントが起こるわけではないのだろうか。それとも、魔王がいなくなって平和になったその後の世界なのか。でも、ゲームでは魔王を倒したら魔物もいなくなったはずだ。
この世界には、大人しいながらも魔物が存在している。ということは…これから、魔王が出てきて魔物が暴れるようになる、のだろうか。あの村の誰かが、魔王討伐に向かうことになるのか。
そういえば、今日出会った行商人。彼は気になることを言っていた。最近、魔物が姿を見せるようになったと。それはつまり。
ゲームが、始まろうとしているのだろうか。魔王が、現れる?
志穂の体がぶるりと震えた。この平和が壊れる時がくるのだろうか。ゲオルグ、カルラ、村長に村のみんな。優しいひとたちの顔を思い浮かべて、そんなの嫌だと頭を振った。
(嫌だな。みんなが苦しい思いをするのは、とても嫌だ)
ゲームなんて、始まらなければいい。志穂は祈るように、胸の前で指を組んだ。
翌朝、志穂は朝から荷造りに精を出していた。今日は休みだ。引っ越し準備を進めなければ。この世界で増えた物を認めては鞄に詰めていく。カルラからもらった衣類、ゲオルグからもらった教本。どれもこの世界で増えた志穂の宝物だった。元の世界から持ってきた鞄と増えた荷物。これくらいなら、あの荷車で全て運べるだろう。志穂は黙々と手を動かした。
ほぼ荷造りは終わった。ふうと額をぬぐって、2か月近くお世話になった部屋を眺める。本棚に机、椅子。本棚には本が綺麗に整頓されてぴっちりと隙間なく詰まっている。志穂の私物をまとめると、本以外の物が極端に少ない簡素な部屋はとてもゲオルグらしくて、少し笑ってしまった。
志穂はずっとゲオルグの部屋で寝泊まりをしていた。彼はずっと両親の寝室にある父親のベッドで就寝していたのだ。自分が移動するから自室に戻ってと何度か訴えたが、カルラとゲオルグは首を縦に振らなかった。他人の気配を感じることなく、安心して眠れるように。1人になりたい時もあるだろうとカルラは優しく微笑んで言ってくれたのだ。それに甘えて、志穂はこの部屋を使っていた。
でも、それももうすぐ終わり。いつまでも2人に甘えてばかりはいられない。自立しなければ。明日、出勤の時に荷物を新居に運ぼう。いよいよ引っ越しだ。
お世話になった2人の顔が浮かんで寂寥感が胸に広がるが、志穂は気分を変えるようにばっと顔を上げた。
引っ越して、自立して、きちんと生活しよう。そして、2人に恩返しをするのだ!
とりあえず、昼食の準備を頑張ろう! カルラの手伝いをするべく、志穂はドアを開けた。
ここがゲームの世界だとか、ゲームは始まっているのか、とか。志穂は考えないことにした。
ここが何だろうと、自分はこの世界に来てしまって、この世界で生きているのだ。何が起こっても一生懸命生きてみせる。そう決めた。
自分は非力だ。1人だと村まで往復する体力もない。異世界に来たからといって、物語のように特別な力があるわけでもなかった。日本にいた時よりも体力はついたが、平々凡々な、どこにでもいる学生にすぎない。ゲームで言うなら、村人A。モブである。モブができることはその日その日を一生懸命生きていくことではないか。志穂はモブらしく生きようと決めた。
決めた、のだが。
ドアを開けた志穂を待っていたのは、厳しい顔をしたゲオルグと心配そうに眉を顰めるカルラだった。志穂の姿を認めて、ゲオルグは固い声を発した。
「シホ、村長が呼んでいる。村へ行くぞ」
志穂が頷くと、カルラも一緒に行くという。何かあったのだろうか。志穂は首を傾げながらゲオルグを見つめた。ゲオルグの表情は緩むことなく、眉間に深い皺を刻むばかりだった。
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「あの、村長さん、もういちど、言うしてくれますか?」
聞き間違えたのだろうか。ぽかんとしてしまった顔を改めてから頼むと、村長は「ああ」と頷いた。
「急な話だが、シホ。シュロスまで行ってもらいたい」
聞き間違いじゃなかった。志穂は愕然として村長を見つめた。
ここまで読んで下さってありがとうございます! 今回はいつもより長くなりました。
ようやく話も前進ですよ。
ドイツ語は定冠詞とかなんやらで単語の語尾が変わったり複雑なので、単語の基本形をカタカナ表記にしています。
おかしなところがあってもスルーして下さるとありがたくおもいます! でも誤字脱字は大歓迎でございます。
明日更新予定ですが、いつもの時間(お昼頃)に更新できるかちょっとわかりません。
次話で一章完~そして二章へ~になる予定です。




