04
スライムが置いていった果実はとても珍しい果実だそうだ。森の奥深く、スライムの巣付近に生えている木に実るのだとか。
スライムの巣。たくさんのぷるぷる球体がぎゅっと一か所に集まっているのを想像して、志穂は思わず笑ってしまう。見た目は林檎なのに、味は桃のようだ。口内に広がる果汁の甘さと香りに志穂は震えるほど感動して、スライムにとても感謝した。今度会えたら必ずお礼を言う。必ずだ。
カルラに果実をどこで見つけたのか聞かれたので、スライムが置いていったと片言で説明したら2人はとても驚いていた。カルラは感心したように言う。
「スライムが物をくれるなんて聞いたことないよ。シホはその子に好かれてるんだねえ」
そうなのか。志穂は小さく首を傾げる。遭遇するたび逃げていたのに好かれるとかどういうことだ。他所の世界から来た自分は魔物に好かれやすいのだろうか。ゲオルグの言う通り、興味があるのだろうか。
確かに、あのスライムは最近よく志穂を見ている。こんなに美味しい果物までくれたのだから嫌われてはいないと思う。
次会えたら話しかけてみようお礼も言いたいし。志穂は瑞々しい果実をさくりと齧る。美味しい。スライムへの恐怖心は好奇心と変化し、志穂の警戒をゆっくりと溶かした。
翌日、午前中の仕事をすませた志穂は庭のベンチに座ってぼんやりと洗濯物を見ていた。ぱたぱたと風に揺られる洗いたてのシーツ。今日はまだスライムと出会えていなかった。午後からはあまり外に出ないので、会えないかもしれないと考えていると、視界の先で揺れるものがあった。視線を向けると、草木の隙間から赤い目が見える。ぷるんと揺れる球体。スライムと呼ばれる魔物。志穂はごくりと唾を飲み込み、ベンチから腰を上げた。ゆっくりと距離を縮める。スライムは目を丸くして志穂の様子を窺っていた。その距離、数メートル。襲われても逃げられる距離をとって、志穂はスライムと対峙した。
魔物に言葉は通じるのだろうか。昨夜ゲオルグに尋ねたが、答えは「わからない」だった。魔物の中でも臆病で最弱と言われるスライムに知能があるかどうかわからないそうだ。
知能はあると思う。志穂は落ちつきなくぷるぷると揺れているスライムを見た。他のスライムはわからないが、少なくともこの子には知能がある。姿を見るたび怖がる志穂と、適度な距離を持って接してくれていたのだから。今は動揺しているのか、丸い瞳で志穂を見ている。志穂はにこりと笑った。
「昨日はありがとう。あの果物、とても美味しかった」
志穂はこちらの言葉をあまり知らない。だから日本語で話した。スライムが言語を理解できるとしても、流石に日本語はわからないだろう。でも、志穂は伝えたいことがあった。そして、それを伝えるには今、覚えている単語ではうまく話せない。
スライムは瞳を細めた。しっかりと志穂の言葉を聞いているようだ。
「怖がってごめんね。あなたは何もしてないのに。何度も逃げちゃってごめんなさい。でも、諦めずに会いに来てくれてありがとう」
スライムがぷるぷると震える。頭を振っているのだろうか。不思議。言葉が通じているみたいだ。
「わたしね、ここに来たばかりの時、とても怖い思いをしたの。何が起こっているのかわからなかった。その時に、あなたのお友達に会ったの」
あのスライムは、もしかしたらこの子の家族だったかもしれない。自分を助けるために、ゲオルグはそのスライムの命を絶った。彼は何度も言っていた。「スライムは怖くない」カルラもそう言っていた。2人が「怖くない」と言うスライムに自分が襲われたのなら、志穂が覚えてないだけで、この世界にきたとき何かしてしまったのかもしれない。
温厚な魔物。人を襲ったことなどないと言われる魔物が、人を襲うほどのことを。その可能性に気付いたのは最近だった。ずっと自分はスライムの被害者だと思っていたが、あのスライムも被害者かもしれない。
「そして、お友達を…殺してしまったの。本当に、ごめんなさい」
志穂は腰を折って深く頭を下げた。この子と出会って、スライムへの恐怖が薄れていった。そして、目の前で散った命のことを考えた。あのスライムにも、自分を襲う理由があったのだ、きっと。
魔物は怖くない。そう教えてくれたこの世界で出会った優しい人達。魔物は滅多に姿を現さないと聞いたが、森の中で魔物と共存するあの家族に。ゲオルグに、スライムを殺めさせてしまった。
ゲオルグは、とても穏やかな瞳で魔物を語る。そんな彼が、スライムのことを話すとき痛みを感じるように瞳を眇めるのに、志穂は気づいていた。
かさりと音がして、顔を上げた。スライムはずるずると志穂との距離を詰めてくる。全身が強張るが、スライムの瞳が穏やかなことに気付いて、力を和らげる。腰ほどの大きさのスライムは、志穂の目の前で止まった。そして、赤い果実をぼとぼとと足元に転がし、赤い瞳を三日月形に細めた。まるで笑っているようだ。転がった果実を見て、志穂は呟く。
「また、くれるの…?」
スライムはぽよんと大きく跳ねてくるくる回った。そして、再び瞳を細めてぽよんぽよんと森へと戻っていった。
* * * * * *
「おれは、まだこの状況が信じられない」
溜息交じりにゲオルグが呟いた。はて、なんのことだろう。志穂は畑に水を撒いていた手を止めて、柄杓を手桶に入れた。片手で口を押えているゲオルグの傍に寄る。志穂が近づくと、彼の視線は志穂の下方へと動いた。その視線を追って、志穂は気付く。このことか。
視線の先にはスライムがいた。
畑の畝と畝の間を、ぷるんとした球体が揺れていた。その頭上には水の入った手桶と柄杓がある。スライムは体の一部を腕のようににゅっと伸ばして柄杓を掴み、水をすくって畑に撒いた。ゲオルグは「嘘だろ…」と呟いて呆然とそれを見ている。
「スライムが、畑仕事をしている…」
「とても、たすかる!」
ねっ。志穂はぱあっと笑った。このこすごい!
このスライムは力持ちなのだ。体は液体のようだし、力はないと思っていたのだがところがどっこい。志穂が洗濯に向かうと、体から触手のようなものをにゅっと伸ばして洗濯籠を取り上げ、川まで運んでくれるのだ。そのうえお手伝いまでしてくれる。
ある時、スライムが志穂の真似をして洗濯物を川に入れようとしたことがあった。スライムがバランスを崩して川に流されそうになったときは志穂も焦った。慌てて川に飛び込んでスライムを抱きあげて岸に戻った。志穂の膝ほどしかない深さだったが、背の低いスライムには脅威の深さで怖かったのだろう。志穂の両腕にしっかりと抱えられたスライムは、ぶるぶると震えていた。それ以来、スライムのお手伝いは志穂に洗濯物を手渡し、洗ったそれを受け取って籠に戻す作業になった。それでもすごく助かっている。
畑仕事は得意なようで、スライムは狭い畝の間を器用に進みながら水を撒き続けている。
働き者のスライムをにこにこと見つめていると、ゲオルグが疲れたように溜息を吐いた。
「いや、確かに助かっているが…ま、まあいい。いつの間に、そんなに仲良くなったんだ」
…はて。
首を傾げてスライムを見る。その視線に気づいたのか、ぽよんと大きく跳ねてスライムが志穂の下へ戻ってくる。飛んだというのに桶から水が零れない。たいしたもんだ。
スライムは志穂の手桶を覗き込み、中が空なのに気付いた。にゅっと触手を伸ばして桶を水で満たした。
スライムは体内で貯水できる。川へ水を汲みにいった時、スライムが水を手桶ですくっては飲むを繰り返していたので何事かと思ったが、水を溜めていたようだ。
おかげで、作業途中に川まで水をいれにいく手間がはぶける。
便利だ。とても便利だ。「ありがとう」手桶を差し出すスライムの頭(と思われる場所)を撫でると、赤い瞳が嬉しそうに細められた。
「えっと…」
こちらの言葉でなんて言うんだっけ。言語の勉強は毎晩続けていて、知識はあると思うが話すとなると難しい。なんせ志穂にはこちらの言語が多重音声のように日本語と二重になって聞こえるのだ。ヒアリングは不得手で、英語の成績はリーディングの方がはるかに良かった。志穂はポケットから小さなノートと鉛筆を取り出し、さらさらと筆を走らせる。そして書き上げた文章をゲオルグに見せた。
『この子、いつも傍にいてくれます。仕事も手伝ってくれる。とてもかわいい』
志穂はにこりと微笑んだ。「まもの、こわくないね」ノートを見ていたゲオルグは視線を上げて志穂を見る。「ゲオルグの、いうとおり」そう言って、志穂は畑仕事を再開する。スライムは志穂の足に擦り寄り、ひと跳ねして乾いた土へと移動していく。その姿をしばらく眺めて、志穂とゲオルグも各々の作業に戻った。
志穂がスライムと対峙したあの日以降、スライムは志穂が外に出るたび傍にいるようになった。志穂が怯えないよう、一定の距離を保ってぽよぽよとついてくる。作業をひとつ終えて振り返ると、労うようにぷるんと揺れる体。志穂が外での仕事を終えると大人しく森へと帰っていく。そして翌朝、また姿を現すのだ。時々、果実のお土産をもって。
愛着がわかないわけがない。あのスライムをとても好きだと思うのにあまり時間がかからなかった。自分からは近寄ってこないスライム。志穂が手を伸ばすと、おずおずと近寄ってこちらを見上げるつぶらな瞳。その愛くるしさに志穂は胸を打たれた。心が叫びだしそう。スライムへの愛しさが爆発しそうだった。ぎゅっと抱きしめると、ぷるんと冷たい感触が伝わる。水まんじゅうみたい。などと思いながら、志穂はこの世界で3人目の友達を見つけた。
そして、今では立派なお手伝いさんでもある。
畑の水やりを終えてスライム(の触手)とハイタッチをしていると「スライムがハイタッチしている…」と呟くゲオルグの声が聞こえてきた。
次話から、主人公にも余裕ができてきて、個性が出てきます。
話があまり進まないスローペースですが…。