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15


 たまごから出てきたのは、爬虫類によく似ていた。けれどその体は金色に輝いていて、瞳は淡く澄み渡った碧眼。体と同じ金色の小さな翼を広げて、ふわりと空に浮かんでいる。

 くりんとした大きな碧い瞳が志穂を映し、きゅっと細めた。ばさりと翼を羽ばたかせ、志穂の傍に近寄ろうとすると。


『ううううわああああああああ』


 八咫烏の絶叫が辺りに響き渡った。志穂ははっと我に返って声の主を振り返る。八咫烏も甲冑トロールもスライムも、みんな地面に座り込んでぶるぶると震えていた。「ど、どうした!?」ゲオルグが三人に駆け寄るが、三人とも震えたまま一点を凝視していた。

 金色に輝く、爬虫類に似た子供を。

 その子供は大きな目をぱちぱちと瞬かせ、気を取り直したようにぱさりと羽ばたいて志穂に近付く。

 志穂の目の高さで止まり、ぱかっと口を開けてにこりと笑った。

 可愛い。志穂もにこりと笑う。両手を掲げると、嬉しそうに志穂の腕に飛び込んできた。ぎゅっと抱きしめる。あたたかい。ああ、この子は。確かにあの元気なたまごの子だ。


『タ、タイショー…』


 呼ばれて振り返ると、ガタガタと震えた八咫烏が赤い瞳を見開いて志穂を見ていた。『あんた、わかってんのか。そ、その御方のこと』

 『ア、主、其ノ御方ハ我等ノ頂点ニ君臨セシ存在…』甲冑の声が震えている。スライムは喋ることもできないほどにぷるぷるるるるるるるとただただ震えていた。


(あ、やっぱりこのこ魔王?)


 志穂はやっぱりかーと思った。魔物の上層階級の八咫烏があれほど恐れているのだ。魔王でなければなんだというのだ。しかし、このくりくりおめめのかわいい子が、この国を滅ぼすためにこれから頑張ったりしちゃうのだろうか。

 この子はまだ子供だし、それは悪いことだと教えてあげる存在がいれば国の破滅フラグは回避できるんじゃないだろうか。そんなことを志穂は考えていた。


「…シホ」


 ゲオルグが志穂の名を呼ぶ。彼らしくないぼんやりとした心あらずな声に首を傾げながら振り返ると、ゲオルグは目を大きく見開き、頬を上気させて志穂を見ていた。否、志穂が抱いた子供を見つめていた。それはもう、穴が空きそうなほどの凝視。

 震える指で、志穂の腕の中におさまっている子供を示す。「金色の身体に碧い瞳…そ、それはまさか…ドラゴンの、子供か…?」


 ドラゴン。

 志穂は志穂の腕に顎を乗せて気持ちよさそうに瞳を閉じている子供を見下ろした。

 金色に輝く身体はよく見ると蛇のような鱗だった。生まれたばかりで幼いながらも小さな鋭い爪があり、口にはちらりと牙がのぞいている。鱗のついた翼、尾っぽ…なるほど確かに。見れば見るほどドラゴンの子供である。

 志穂の知るドラゴンは、巨大な体躯に鋭い牙や爪を持ち、炎や氷を吐き空まで飛んでしまう伝説上の生き物だ。ゲームではよく登場するドラゴンだが、このゲームには登場していなかったと記憶している。ラスボスである魔王もドラゴンではなかったし、ましてや子供でもなかった。

 志穂はそっとドラゴンの背を撫でる。ざらざらしているかと思ったが、ツルツルと滑らかで、ひんやりと冷たかった。


「そっか。あなたはドラゴンだったのね」腕の中のドラゴンが片目をぱちっと開いて志穂を見た。甘えるように頭をこすりつけ、再び瞼を伏せる。かわいい。志穂はドラゴンに微笑んで、こちらを凝視したままのゲオルグに向き直る。


「ドラゴンは、珍しい魔物なの? ん? でも瞳が赤くないね。魔物…ではないの?」

「ド、ドラゴンは、伝説上の生き物だ。伝承では、魔物じゃなくて神獣だと伝えられている」

「へえ! すごい!!」


 志穂はぱっと笑った。神獣。伝承されしいきもの。なんという、RPG脳をくすぐる響きだ。

 神の獣ならば、魔物達が畏怖するのも仕方ないかもしれない。志穂の腕の中におさまるほど小さい存在だというのに。

 ドラゴンはうとうととしていて今にも眠りそう。生まれたばかりなのだ。疲れているのだろう。おやすみなさいと頭を撫でると、くすぐったそうに鼻先を腕に押し付けてきた。すぐにすよすよと規則的な寝息が聞こえだす。

 ドラゴンが寝たことに安心したのか、魔物達は大きなため息をついた。甲冑は姿勢を正して地面に胡坐をかく。八咫烏は逆立ってしまった頭の毛を撫でつけて直し、スライムは甲冑の膝の上にぽよんと飛び込む。

 ゲオルグは自身を落ち着かせているのか、深呼吸を繰り返して赤くなった頬を触りながら腰を下ろした。


 眠ったドラゴンをあやすように抱いて、志穂は顔を上げた。映るのは、天へと伸びる大きな巨木。

 ドラゴンが傍にいるだけで震える魔物達に、かつてないほど興奮してる同伴者。それと、魔王ではなく神獣のドラゴンの子。

 伝説の生き物と言われているのだから、ドラゴンの生態は誰もわからないかもしれない。

 神獣の赤ん坊を連れての長旅。なかなか難しそうである。すぴよすぴよと穏やかな寝息をたてるドラゴンの顔を見て、志穂はふうとため息をついた。

 頑張らねば。生まれてしまったけれど、ドラゴンの親はこの子を探しているに違いないのだから。脳裏に、子供を失った魔物達の姿が浮かぶ。あんな悲しい顔、もう見たくない。


「さて、あそこに着くのはいつになるかなぁ…」


『その必要はないわ』


 突然のことだった。

 脳裏に、女性の美しく澄んだ声が響いた。それは鈴を転がすような声音で、志穂の頭を甘く震わせる。

 腕の中のドラゴンが目を覚まし、ふんふんと鼻を動かす。そして、大きな口を開いて空気を震わせた。ドラゴンの身体が黄金色に輝きだし、あまりの眩しさに志穂はぎゅっと瞳を閉じる。



 ふわりと。浮遊感を感じたのは一瞬だった。



 さわさわと葉擦れの音が耳を擽る。やわらかく心地よい風が身体を撫でてゆく。志穂は閉じていた瞼をそっと開いた。視界いっぱいに広がる鮮やかな緑色。枝葉の間から光がこぼれ、志穂を柔く照らしている。


 ここは、森の中…? いつの間に、こんなところに。


 何が起こったというの。くらくらする頭を片手で押さえる。ふと違和感を覚えた。両手が自由になっている。さきほどまで、確かに赤ん坊を抱いていたというのに。慌てて胸元を見るが、そこにはドラゴンの子供の姿はなかった。

 志穂が目を閉じている間にはぐれてしまったか。探さないと。慌てて周囲を見回すと、少し離れた場所にドラゴンの子がふわりと浮かんでいた。にこりと嬉しそうに瞳を細めている。

 よかった。無事だった。ほっとして手を伸ばすと、ドラゴンの後ろから、ゆっくりと近づいてくる影に気付いた。誰だろう。志穂は伸ばした手を下ろし、固唾を呑んでその姿が現れるのを静かに待った。


 ふわりと揺れる、黄金色に輝く長い髪。淡く澄み渡った碧眼。艶やかな白い肌、すっと通った鼻筋。桜色の唇は微笑を浮かべている。眩しさを感じるような美しい女性が、細く艶めかしい腕を伸ばしてドラゴンをそっと抱きしめた。

 女性は、ドラゴンに柔らかな頬を寄せて瞳を細める。それはそれはとても愛おしそうに。その様子を見て志穂は気づいた。ああ、この女性は。

 女性は志穂に微笑みかける。それはまるで花の蕾がほころぶよう。あまりの美しさに、志穂は息を呑んだ。


『わたくしのぼうやを助けてくれて、ありがとう。とても、感謝しているわ』


 ああ、やはり。彼女はドラゴンの母親なのだ。人間のように見えるが、纏う雰囲気は神秘的で、美しさもさることながらこの世のものとは思えないものを感じた。その美しい瞳に映るだけで心が歓喜に痺れると同時に、恐れ多くて震えるような。神を前にすると、こんな複雑な感情を抱くのかもしれないと思う。


志穂はいいえと首を振った。「おかあさんと出会えて、よかったです」本当によかった。志穂は微笑んでドラゴンを見る。ドラゴンはぱちぱちと瞬きして、自身を抱く女性と志穂の顔を交互に見ていた。

 やがて、幸せそうに微笑む女性の腕からひょいっと抜け出す。すいっと飛んで、志穂の胸に飛び込んできた。『あらあら、ぼうやったら』女性が苦笑を浮かべる。


『やんちゃなぼうやでしょう? 生まれる前からとてもやんちゃだったの。なんせ、ここからあの森の麓まで転がり落ちてしまうくらいだもの。さすがのわたくしも驚いてしまったわ』


 女性がうふふと笑って、細くしなやかな指ですっと下を指し示した。それを追って下を見る。志穂はぎょっとした。志穂の立っている場所から地上が見える。それも遥か遠くに。

 地面かと思っていたが、よくよく見ると大きく太い木のようだった。志穂は、巨大な木の枝の上に立っている。密集する葉の隙間から下を覗くと、遥か下に広がるのは絨毯のように敷かれた一面の緑。そこから伸びる、とてつもなく太く長い幹。幹から伸びる枝には鮮やかな緑の葉がたくさん生えており、さやさやと葉擦れの音を響かせる。志穂の周囲にもたくさんの緑があった。上下左右、どこを見ても美しい緑と逞しい枝に囲まれている。

 森だとばかり思っていたが、ここは。志穂は頭がくらくらしてきた。一瞬の内にやってきてしまったが。ここは。

 あの、「生命の木」の内部なのではないか。

 ここから、たまごがフィーアトの森の麓まで転がっていったというのだろうか。


『あったりー』


 金髪碧眼美女が嬉しそうに言う。口に出してないはずだが。志穂が驚いて見つめると、女性はぱちんとウインクした。茶目っ気たっぷりにうふふと笑う。『わたくしには聞こえちゃうの。気を悪くしないでね?』

 少女のように笑った女性は静かに瞼を閉じた。長い睫毛が影を作る。瞼がゆっくりと上がり、美しい碧眼が慈しむように志穂を映した。


『異界から招かれしお客人、シホ。ずっと、あなたを見てきたわ』


 女性から紡がれる、唄のような調べ。

 志穂は瞠目した。異界と彼女は言った。志穂が異世界から来たことをこの女性は知っているのだ。ということは。志穂は美しい女性を見つめながら問う。「あなたが、私をこの世界に連れてきたんですか?」

 女性は困ったように眉を下げ、ゆるりと首を振る。『いいえ』


『あなたをこの世界に導いたのは、世界の創造主。わたくしの主。わたくしは、その御方の従者でしかないわ』

「そ、創造主…? 神様ってことですか?」女性はうーんと首を傾げた。そんな姿も美しい。

『この世にはたくさんの世界が存在しているの。この世界はそのごく一部。小さな世界。わたくしは、この世界の守護を担っているわ。そして』


 女性はそっと白い手を志穂に伸ばす。


『あなたの居た世界も、わたくしの主が作った世界のひとつなの』さやさやと聞こえる葉擦れの音。木漏れ日が女性の頬を美しく照らした。


『主はとても孤独で無邪気なお方。主はとても永い時をお独りで過ごしておられるわ。世界を作り、生命を生み出し、時には理由もなく世界を壊したりもする、気分屋なところもある御方なの。そんな主が遠い昔、ひとりの人間と出会った。孤独だった主はその人間をとても気に入ったわ。そして、この世界を、この国を作り上げた』


 女性は風に舞う木の葉を瞳で追いながら、小さく笑む。『そして、シホ。あなたを導いたの』

 志穂は目を開いた。それでなぜ自分なのだ。問う様に女性を見つめるが、女性は悲しそうに微笑むだけだった。

 気を取り直したように、女性は明るい表情を浮かべる。


『ところでシホ。あなた、この世界に覚えがあるのかしら。わたくし、あなたの行動を見守っていたのだけれど、祠の鍵とか洞窟とか、あまり周知されてないことを知っているようで驚いたわ』

「あ、それは…」


 志穂は少し躊躇したが、この女性は志穂がこの世界の人間ではないと知っているのだ。隠す必要ないかと思い「昔、私の世界で遊んだゲーム…物語によく似ていたので、もしかしてと思いました」


 そういうと、女性は瞳を細めて頷く。『そう…そうなのね』


『それは、どんな物語なの?』

「えっと、簡単に言うと魔王討伐のお話です。魔王がいて、世界を滅ぼそうと魔物を使って町を壊したり、人々を襲っているんです。そこで、主人公に、国王が魔王を倒すよう命じる。主人公は無事魔王を倒し、世界が平和になる。そんなお話です」

『あら、あまり似ていないのね』女性が大きな瞳を丸くした。『この世界の子達は、悪い子じゃないでしょう?』


「ふふ、そうですね。でも地図で見た大陸の形や町や村の名前。祠や鍵。そして壊れた大橋。似ていることはたくさんありました。ですので、私はてっきりこの世界はゲー…物語の世界なのだと、思ってました」

『あらあら、そうなのね。でもこの世界は架空の物語ではないわ。あなたの元居た世界と同じ。別の時空だけれど、ちゃんと存在している世界なのよ』

「…ええ、そうですね。怖い人もいたけれど、優しい人とたくさん出会いました。みんなそれぞれ考えがあって行動している。魔物も同じです。みんな個性があって、とても、あたたかい」


 ゲームの住人だなんて、思えなかった。

 微笑みを浮かべる志穂を見て、女性も嬉しそうに笑う。『ところで』そう言って首を傾げた。『魔王って、どういう存在かしら』

 神の使いだというこの女性も、魔物たちと同じで魔王がどういう存在かピンとこないのだろうか。


「えっと、魔物達の王様みたいな存在で、魔物達の頂点に立つ者です」


 志穂は腕の中にいるドラゴンを見下ろす。「わたしは、てっきりこの子が魔王だと思ったんですけど」

 女性がうふふと笑う。


『いやだわ、わたくしのぼうやはわたくしの後継ですもの。かわいいあのこたちの王にはなれないわ。それにね、シホ。考えてみてちょうだい。あなたは八咫烏のぼうやと契約を交わしている主人よ』

「あ、はい」確かにそうだと志穂は頷く。

『八咫烏はあのこたちの中でも強い力を持つの。つまり、あのこの主人であるあなたはそれ以上の存在なのよ。八咫烏より力の劣る子たちは皆、シホを主人として従うわ』


 女性はゆっくりと志穂に歩み寄り、腕の中で気持ちよさそうに瞳を閉じているドラゴンの頭を撫でた。『それにね』


『八咫烏はわたくしのぼうやを、その力の差ゆえに畏怖していたでしょう。そのぼうやに、あなたはこんなに気に入られている。あなたは、この世界の神獣に認められているの。それがどういうことか、わかる? あなたはさっき、魔王とやらをどんな存在と言ったかしら?』

「え、と。魔物達の王様みたいな存在で」

『そうね』

「…魔物達の、頂点に立つ、者…」


 まさか。

 志穂の背を冷たい汗が伝う。傍らに佇む美女をちらりと見ると彼女は笑んでいた。

 にーっこり。金髪碧眼の美女は、とてつもなく美しい笑みを浮かべた。


『神獣に認められたあなた以上に、それにふさわしい存在がいると思うの?』


 びしり。志穂の身体が固まった。


 それはつまり。どういうことだ。

 魔王。誰が? 私が? 魔王。

 私が、滅ぼされる魔王だと?

 確かにこの世界では珍しい黒髪黒目だけれども。この姿を魔女と言われても仕方ないかもしれないけども。体力は子供以下で魔法も使えない、何故かちょっぴり魔物に好かれやすいだけの平凡な女子大生が異世界に呼ばれて行ったら職業魔王とかそれなんの冗談。え、なんなの。私が魔王だというのなら、誰が私を殺すというの。私、町を壊したり人襲ったりしてないし殺される意味わかんないんですけど。


『そうね。とりあえず落ち着きなさい、シホ』


 ぽんと肩を優しく叩かれて、志穂ははっと我に返る。混乱していたようだ。いや、まだしている。

 説明を求めるように女性を見上げると、女性はにこっと笑う。この女性は笑ってばかりだ。いいぞ、もっとやれ。とても美しい。眼福だ。


『思い当たることはない? 例えばそうね…あなたが魔物と呼ぶ子たちは人間には懐かないはずだけど、あなたは懐かれるでしょう』


 う。覚えがある。


『その子たちの言葉もわかるわね?』


 うう。わかります。


『それと…そうね。魔に属する者は他者を無意識に魅了してしまうから、美しいと評されることが多いのではなくって? わたくしは、そんなものなくてもあなたはとても魅力的と思うけれど。その髪も瞳もとても素敵よ』


 ううう。うつくしいとか、この世界に来て何度も言われました…。


『あと、魔物と呼ぶ子たちと心を通わす内に身体に変化があったのではない? あなたの気は随分とこの世界に馴染んでいるの。言葉の不自由は、もうないのではないかしら。あと視力や聴力も強くなっているかもしれないわね』


 うううう。その通りでございます。


 女性の言葉を聞くたびに、身に覚えがありすぎて志穂はその場にしゃがみ込んでしまった。抱えたドラゴンが不満そうに唸る。『あらあらまあまあ』困ったような女性の声が上から降ってきた。


『そんなに気をおとさないで。忘れたの? わたくしは『魔王』を知らない。魔物と呼ばれる子たちも知らないはずよ。だって、そんなものこの世界には存在しないのだもの。あなたの言う『魔王』の特徴が、そのままあなたに当てはまるってことだけだわ。シホ。あなたは、この世界の『魔王のような存在』だけれども、『魔王』ではないのよ』


 志穂は顔を上げた。「それは、どういうことですか」神の従者は眩い笑みを浮かべる。


『魔物と呼ばれる子たちを従える、魅力的な女性ってだけよ』


 いいことを教えてあげる。内緒話をするように、女性は志穂の耳元で囁いた。


『あなたが命を奪ってしまったと思っているスライム、あのこ、ちゃんと生きているわ』


 志穂は目を見開いた。この世界にはじめてきたときに出会った魔物。

 志穂を護ろうとしてくれたというのに、自分は怯え、結果、死なせてしまった悲しい過去。


『あの頃のあなたは、この世界に来たばかりでとても不安定だった。わたくしの主が、あなたにかけた魔法は不安定で、その気配にあのスライムは惹かれてしまったの。あなたはとても怯えていた。だから、あのこはあなたを護り、安心させようとした。…そして、散ってしまったわね』


 今でも思い出せる、あの光景。どろんと広がる粘度のある体。志穂を見下ろす赤い瞳。飛び散る液体。

 やはり、あの子は自分を護ろうとしてくれたのだ。だというのに、襲われたと勘違いをして、その命を奪ってしまった。

 志穂の瞳にじわりと涙が滲む。それを白い指先で優しく拭って、女性は続ける。


『けれどね、スライムはなかなかしぶといのよ。核がね、あるの。それを消滅させない限り、多少時間はかかるけれど、元に戻るのよ。あなたは気が付いているかしら? あのときのスライム。あなたの傍で、あなたを護っているわ』


 傍で、あなたを護っているわ。


 志穂の瞳からぼろぼろと大粒の涙が零れた。上から降ってくる雫がかかり、ドラゴンが不思議そうに志穂を見上げる。その澄んだ碧い瞳に見つめられ、その碧さに、友達であるスライムを思う。


 スーちゃん。あんなことをしたわたしを、ずっと護ってくれるんだね。


 震える背中を、女性の手が優しく撫でる。ドラゴンは、涙で濡れる頬を舌を伸ばしてぺろぺろと舐めた。

 志穂が泣き止むまで、二人はずっとそうしてくれていた。



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