表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/25

13

残酷かつグロ表現があります。ご注意ください。


 その民家は町の外れに建っていた。

 ランタンの灯りを頼りに、暗い並木道をゲオルグ達と歩く。青黒い夜の色は、志穂に従う魔物達の姿をうまく隠してくれた。

 並木道が途切れて開けた場所に出ると、オレンジの灯りが漏れた小さな民家があった。いつもなら、あたたかい橙色は志穂を安心させるが、その家はどこか暗く澱んでいるように見え、志穂の背筋を冷たくさせた。

 耳を澄ます。頭に響く、小さな泣き声。だが、宿で聞こえたものよりはっきり聞こえる。やはり、ここだ。

 志穂が頷くと、ゲオルグが玄関に歩み寄る。片手は腰に差した長剣へ。空いた手で扉をとんとんとノックする。家から応答する声が聞こえ、すぐに扉が内側から開かれた。隙間から、灯りが漏れて細い筋を作る。

 扉からこちらを見る影。逆光で顔が見えない。だが、見覚えのあるシルエット。室内から漏れる灯りに照らされた志穂を認めて、家の住人は「おや」と嬉しそうな声を零した。


「先程はどうも。黒髪の美しいお嬢さん。僕はフラれたはずですが、気が変わりましたか?」


 宿で出会った男性が、にこりと歪んだ笑みを浮かべた。扉から漏れる嫌な気配に、志穂は眉を顰める。志穂の背後に立つ甲冑も、闇の中に潜んでいるスライムと八咫烏も何かを感じたようだった。

 ゲオルグは男を警戒しながら後退して距離をとる。男は穏やかな声音で歌うように志穂に語り掛けた。


「夕食には少々遅い時間ですが、どうぞお入りください。とっておきのワインがあるんです。赤ワインなんですが、赤はお好きですか? ああ、貴女のような美しい女性とご一緒できるなんて、私は幸せ者だ」


 扉が大きく開かれ、オレンジの灯りが志穂の全身を照らす。男がにいっと瞳を細めた。


「ああ、なんて美しい。闇よりも暗く美しいその漆黒の髪、宝石のように輝くぬばたまの瞳…! 白磁のようなその肌は、絹のように滑らかなんでしょうね…ああ、貴女のその艶やかな肌の下には、何が隠されているのか…人間離れした美しいお嬢さん。貴女の白い肌には、鮮やかな赤がとても映えると思いますよ…ええ、ええ。赤を纏った貴女は、それはそれは、この世のものとは思えないほど美しいでしょう。ですから私に、見せてくださいませんか?」


 くつくつと男が笑う。ゲオルグがすらりと長剣を鞘から出して構える。屋根にとまっていた八咫烏は魔法で炎を生み出し、家の周辺を明るく照らした。甲冑は志穂をかばう様に前へ出る。

 男は突然周囲が明るくなったことに驚き、夜空に羽ばたく八咫烏を見て瞠目した。「魔物じゃないですか。素晴らしい」男が歓喜の声を上げる。

 志穂はじっと男を見ていた。頭にはまだ泣き声が響いてくる。家の中だ。家の中に、あの光は閉じ込められている。

 志穂はにたにたと不気味な笑みを浮かべる男を睨みつけた。「魔物をさらったのは、あなたね」ぴたりと男の動きが止まる。その眼球がぎょろりと志穂を見た。震えそうになる身体を叱咤して、志穂はぐっと拳を握る。「子供たちを返して!」


 ふうと息を吐き、男は大げさに肩を竦めた。「…お嬢さん、魔物の生態、ご存じですか?」


「魔物はね、人間を襲わないんですよ。近くにいてもね。だから私ね、罠を仕掛けたんです。森の奥に、トラバサミをね。ちょっとした好奇心でした。こんな簡単な見え見えな罠に、魔物がかかるのかなって。かかるわけないと思っていたんです。でもね、罠をしかけた翌日、見に行ったらね。いたんですよ。ちいさな魔物がね。罠にかかってたんです。足を挟まれて血を流してたんです。私は不思議に思いました。魔物なのに、血がね、赤いんですよ。私達と同じだったんです。私は暴れる魔物を持って帰りました。調べたかったんです。足だけじゃなく、他から流れる血も赤いのか。貴女も気になるでしょう? その日、捕まえた魔物の血はね、赤かったです。でも魔物ってたくさんいます。それはもう、数多の種類が。そう思うと、他の魔物はどうかと気になりました。だから、私は翌日も森に入りました。そして、場所を変えて罠をしかけました。魔物が罠にかかりました。私は魔物を持ち帰りました。そして、調べました。そのころでしたか。町に魔物が侵入したというのです。魔物のくせに家族愛みたいな人間臭い感情があるんですね。だけど魔物は私を見つけられませんでした。そして、私はまた森に罠をしかけに行ったのです」


 笑みを浮かべて男は滔滔と語る。志穂は血の気が引くのを感じていた。


 狂っている。この男は、狂っている。


 蒼褪める志穂をねっとりとした瞳で舐めるように見て、にこりと口を歪めた。


「もう魔物は返せませんよ、お嬢さん。ああ、でも美味しい赤ワインなら御馳走できます」


 その、赤ワインとは、なんだ。

 ざわりと志穂の肌が粟立ち、怒りで身体が震えた。攫われた子供は、少なくても五人。そして、消息は不明だと八咫烏は言った。

 目の前の男はにやにやと笑っている。この男が、子供を攫った犯人だ。そして、男の家の中には、助けを待っている光の子がいる。志穂は男を睨んだまま魔物達に命じる。


「ヤタくん、おとうさん、スーちゃん! この男を捕らえて! 殺しちゃ駄目! こんな男の命、貴方達が背負うことないわ!」


 志穂の言葉に、まず八咫烏が動いた。炎を生み出し、男に放つ。男は歪んだ笑みを浮かべながら横に飛んで炎を避けた。懐に手を入れてナイフを取り出し、志穂を狙って勢いよく投げる。迫るナイフに反応できずにいると、ゲオルグの剣がナイフを弾き落した。「気を付けろシホ! こいつ、早い!!」剣を構え直すゲオルグが叫ぶ。志穂は我に返り、邪魔にならないよう身を翻してその場を離れた。

 甲冑が殴りかかるが、男は後ろに飛び退いて避ける。ゲオルグが斬りかかる。しかし、男はいつの間にか手にしたナイフで剣をはじき返した。繰り出される八咫烏の炎を避け、甲冑とゲオルグの攻撃を避ける男は相当の腕前だ。狂ったように飛び回りナイフを操っている。

 金属の弾く音と炎の燃える音。ふと見ると、ゲオルグ達は家から離れた場所で戦っていた。今ならば、家に入れる。迷っていると、ゲオルグの叫び声が聞こえた。


「行け!!!」


 ゲオルグ達が男を誘導して、家から離してくれたのか。志穂はスライムと共に、男の家へ駆けこんだ。


 室内に踏み込むと、澱んだ空気が志穂を包んだ。気持ち悪い。なにこれ。志穂は口を塞いで室内に目を走らせた。燭台が乗ったテーブル。そこにはワイングラスと液体の入ったガラス製の入れ物が置かれていた。鮮やかな赤い液体が艶めかしく揺れる。『とっておきの、美味しい、赤ワイン』男の声を思い出し、志穂はぐっと唇を噛んだ。滲む涙を乱暴に拭って、泣き声の聞こえる場所を探す。先程よりもはっきりと聞こえる声。近いはずだ。どこだ。どこにいる。目に入るドアを開くが、何かを隠せるような場所はどこにもない。

 考えろ。ここはゲームの世界。ゲームだと、重要なものはどこにある?


 隠し部屋だ。


 志穂は瞳を閉じる。今の志穂に視覚は邪魔だった。聞こえる泣き声だけに意識を集中させて、声の方へ足を踏み出す。何かにぶつかった。志穂は目を開ける。棚だった。たくさんの本が並んでいる、なんの変哲のない本棚。だが、この奥から声が聞こえるのだ。床を見ると、引きずられたような跡がある。志穂は本棚に手をあてて、力を込めて押すが本がびっしり詰まった棚は重かった。

 スライムが慌てて志穂に加勢する。息を合わせて押すと、ずずっと本棚が動いた。そして、隠された扉が姿を見せた。

 志穂は扉越しに耳をそばだてた。何も聞こえない。あの泣き声が聞こえるだけだ。けれど、とても嫌な予感がする。この扉の向こうに、恐ろしい何かがあるような、そんな気が。

 怖い。

 かたかたと震える手が、ひんやりしたものに包まれた。粘度の高い、ぷるぷるしたもの。スライムだ。

 視線を向けると、スライムは志穂を安心させるように赤い瞳を細める。それはとても優しい笑みだった。


(そうだね。わたしは一人じゃない)


 スーちゃんがいる。外には、志穂のために戦っている仲間たちもいる。みんな、志穂が『大事なもの』を救い出すために頑張ってくれているのだ。


 志穂はドアノブを掴み、勢いよく扉を開いた。


 視界に飛び込んできたのは、赤。

 壁だけじゃなく天井にまで飛び散っている、赤黒い色だった。壁に散ったものは黒く変色し、何かがぶら下げられている。床に広がる赤色の中心には、小さなものがごろりと転がっていた。

 壁にも、床にも。小さく切り刻まれたものが、いくつも。いくつも。いくつも。


 赤色が何なのか。小さいものは、何なのか。それを認識した途端、おぞましい匂いが鼻をつく。志穂はぐっと両手で鼻と口を塞いだ。いやだ。なにこれ。なんなのここ。どうして。見開いた瞳からぼろぼろと涙が零れた。ひどい。どうしてこんな。震えが止まらない。足に力が入らず、志穂は床に座り込んでしまった。

 泣き声が聞こえる。近くから。でも、志穂は動けなかった。残虐に奪われた命を目の当たりにして、涙が止まらない。震えも。ひんやりと冷たい感触が足を這った。スライムだ。スライムの赤い瞳は、とても悲しい色をしている。


『ぼくが、さがすね』


 頭に響いた声に、志穂は瞠目した。志穂の足をするりと撫でて、スライムは部屋に入る。何かを探すよう、慎重に。

 今の、声。鈴を転がすような可愛らしい声。あの声は。スライムは棚にかかった布を外して中を覗いている。


「スーちゃんの声…?」


 口からぽろりと零れた声に、スライムは振り返って瞳を細める。『さがそう。泣き声、きこえるんでしょ?』


 そうだ。泣き声。聞こえる。ここにいるの。

 志穂は頷いて、涙を拭った。助けられる子がいるんだ。両手足を床に付け、這って進む。腰が抜けていて、立てそうになかった。

 床を這う志穂の手足が赤く染まる。物言わぬものが視界に入るたび、唇を噛みしめて込み上げる涙を耐えた。

 狭い部屋の奥、布のかかった棚の前。泣き声はそこから聞こえた。布のそっと外すと、そこにはガラス製のケースがあった。ケースの中には、サッカーボールくらいの大きさのもの。

 それは、たまごのように見えた。

 ケースを開けてそっと取り出す。あたたかい。ぎゅっと胸に抱くと、頭に響いていた泣き声がぴたりと止んだ。見つけた。志穂が安堵の笑みを浮かべたそのとき。


「シホ!! 避けろ!!!」


 声に驚いて振り向くと、あの男の不気味な笑みが見えた。ゲオルグが男を押し倒すが、男の手から離れたナイフはまっすぐにこちらへ向かっていた。志穂はたまごをかばう様にぐっと深く抱き込んだ。

『あぶない!』目の前に広がる粘度のある液体。志穂を護るように、スライムが大きく広がっていた。


 あ。


 志穂は瞠目した。


 この光景、わたし、知っている。


 それは、この世界にきたばかりの頃。暗い森で遭遇した魔物。怯える志穂を飲み込むように、大きく広がったスライム。その行動は。


 ナイフから志穂を護る為、身体を広げたスライムと、同じ。


 スライムの身体に弾かれて、かしゃんとナイフが床に落ちた。ぷるんと元の形に戻り、スライムは心配そうに志穂に擦り寄る。

 捕まった男の狂ったような笑い声が狭い部屋に響いた。志穂は、スライムの身体を撫でて涙を零す。

 初めて出会った、あのスライムを思って。


 あの子は、志穂を護ろうとしてくれたのだ。


 はらはらと流れる涙が顎を伝い、スライムに落ちる。スライムは、瞳を閉じてそれを受け止めていた。



変態さんに名前などない。


読んで下さってありがとうございます!! 次話は明日更新します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ