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「うわーすごーい!!」
『暴れるなよタイショー。落ちたら死んじまうぜー』
「わかってるー!」
すごい高い高い! 気持ちいいー!!
八咫烏の足にしっかり掴まれて空を飛ぶ。下を見れば川の水面がきらきらと輝き、正面を見れば対岸のその向こう、緑広がる地平線が見えた。
全身に風を浴びて、志穂は美しい景色にきゃあきゃあとはしゃいだ声を上げる。八咫烏は『しゃーねえなぁ』と苦笑し、スライムは興奮した志穂が落ちないよう、八咫烏の足と志穂の身体にしっかりと絡みついていた。
大きな川を横断する間の空中散歩。対岸で待つゲオルグと甲冑の姿が見えたので手を振ると、ゲオルグが手を振り返してくれた。嬉しくなり、ふふと微笑む。対岸が近づくにつれ、八咫烏がゆっくりと降下した。
『はい、お疲れさんでしたっと』
「ありがとう、ヤタくん。お疲れ様」
全員で対岸へ渡ることができたのは八咫烏のおかげだ。志穂が労いの言葉をかけると『いいってことよ』と片翼をばさりと振る。『でもちょっくら疲れたから休ませてくれよなっ』そう言って、ひょいっと荷車に飛び乗った。積んである荷物を脇に寄せて、ちょこんと荷台に収まる。ちょっと狭そうだが八咫烏は瞳を細めてふいーっと長い息を吐いた。
最近の荷車は専ら荷物専用だったが、八咫烏の休憩所にもなるのかと志穂は感心した。ちなみに志穂は疲れたら甲冑に担がれている。視線が高くなってちょっと楽しい時間だ。
志穂とゲオルグは地図を見ながら歩き始めた。その後をスライムが続き、甲冑は荷車を引きながら最後尾を務めている。
「フィーアトまで…そうだな、4日ほどかかりそうだ」畳んだ地図を鞄に入れながら言うゲオルグにふんふんと頷いて、志穂は周囲を見回した。遠くに見える、魔物の影。この土地に住む魔物達も、志穂達に近づいてくる様子はないが…。志穂はきゅっと眉間に皺を寄せた。
「ここの魔物たち、少し様子おかしい」
「そうなのか?」
ゲオルグが驚いたように志穂を見る。志穂はこくりと首肯した。「どこか、目指してるような気がする」
視界に映る魔物達は群れてはいないけれど、各々が意思を持って導かれるように同じ方角へ向かっていた。
耳を澄ますと聞こえる、おそらく魔物の足音。それは迷いも躊躇いもなく、一定間隔で歩みを進めている。
この方角は…。志穂達の目的地であるフィーアトがあるのではないか。
「フィーアトへ…向かっているというの?」
「なんだって?」
『正解ダ、主』
脳内に響く声。振り返ると、甲冑はゆっくりと首肯した。『此ノ地ノ同胞共ハ、フィーアトヘ向カッテイル』
その言葉に、志穂はゲームのことを思い出した。祠の洞窟を通り抜け、フィールドをしばらく歩いた先にぽつんと存在する村。そこは半壊状態で、村には簡易な宿屋と万事屋しかなく、店員以外の村人は入口に一人立っているだけだった。所々に崩れた家屋や炎が燃えており、村外れの廃屋でイベント戦闘がある。
そのボス扱いの魔物が、八咫烏だった。だが、これはゲームの話。
現実は、どうだ。
魔物に襲われているという村、その村に魔物達が集おうとしている。
フィーアトは、今どうなっているの。ゲームのように、手遅れ状態になっているのだろうか。
もしそうなら。たくさんの人が犠牲になっているのなら、魔物が人を襲う原因を見つけて解決しても、国王は魔物を許さないのではないか。
魔物討伐を、命じられるのではないか。
志穂はぎゅっと両手を握りしめる。早くフィーアトへ行かなければ。手遅れになる前に。
志穂ひとりの力なんてたかが知れてるが、自分には心強い友達がいる。ゲオルグや魔物達。皆と協力すれば、大抵のことは出来るのではないだろうか。出来るはずだ。
魔物も人間も傷つくことのなく、共存する世界。今までと同じ世界に戻すことが。
「ゲオルグ、わたし、頑張るから、早くフィーアトへ行こう」
「ああ、わかった。しかしシホ。目が良いんだな」
え? 志穂はきょとんとゲオルグを見た。彼は目を眇めて周囲をぐるりと見たあと志穂を見つめる。
「おれの目には、魔物らしき姿は見えるが、それがどこに向かっているかまで判らない」
「え」
集中したら足音も聞こえるんですけど。
そう思う自分にぎょっとした。志穂は視力も聴力も人並みのはずだ。視力は決して良くはないが眼鏡は不要な程度。聴力に至っては健康診断結果に「問題なし」と書かれる程度のものだ。いつからだろう。いつから視力も聴力も良くなった? 違和感を感じないほどゆっくりと変化していったというのか。
(わっかんないわね)
とりあえず、視力も聴力も良くて困らないものだ。悪いと不自由だけど。自身の変化は気になるが、気にするのは今じゃない。今は何よりもフィーアトだ。志穂は先程から凝視してくるゲオルグの頬をふにっと抓んだ。ゲオルグが目を瞠る。驚いたのだろう。志穂はぐっと顔を近づけた。「目と耳、よくなった理由わからない。とりあえず、急ごう、ゲオルグ」強く抓みすぎただろうか。頷いたゲオルグの頬は赤く染まっていた。
『主、急グノダナ?』
「そうだよおとうさん。でもヤタくんお疲れだし、負担にならない程度にだけどね」
私の体力が尽きたら、おとうさんのお世話になるかも。ごめんね。眉を下げて笑うと、甲冑が顎を手でさすった。あ、考え事をしている。甲冑トロールは考え事をすると、この動作をするのだ。
『デハ主、我ノ同胞ヲ召喚スル』
「え?」
『其ノ人間ニモ伝エヨ。デハ、始メル』
ゲオルグに何を伝えろというのか。同胞を召喚ってどういうこと。志穂が小首を傾げたそのとき、ずんと大地が震えだした。風が強く吹き、周囲の草木をざわざわと揺らす。なにこれ地震!?
バランスを崩して倒れそうになる志穂を抱え、ゲオルグは地面に膝をついた。「なんだ、何が起こったんだ」
甲冑の身体が大きく膨れ上がり、鎧が今にも弾け飛びそうだ。志穂はゲオルグにしがみついて地震に耐え、膨張する甲冑を見つめていた。背後でがしゃんと荷車の倒れる音。『なんだってんだー!?』慌てる八咫烏の声も聞こえる。よかった。ヤタくん元気。
甲冑の膨張がゆっくりとおさまるにつれ、地震も風も徐々に静まった。何だったのだ、今のは。
ゲオルグと顔を見合わせる。顔が近い。しがみつくように抱き合っているのに気付き、慌てて離れようとする志穂をゲオルグはぐっと抱きしめた。「シホ…あそこ、見てみろ」うん? ゲオルグの視線を辿ると、そこには元の大きさに戻った甲冑が立っていた。鎧は弾けることなく彼の身を包んでいる。
その甲冑に、頭を垂れる白い魔物。馬のように見えるそれの額には、鋭く尖った角が生えていた。
またとんでもない魔物が出てきたぞ。志穂は頬に手を当てて「あらあら」と呟く。ゲオルグといえば、目を限界まで開いて甲冑の傍らに佇む魔物を凝視していた。わかる。驚くのわかる。
馬に似た体は白く輝き、額の中央に聳え立つ鋭い角は螺旋模様を描いている。陽光を受けてキラキラと輝く様子はとても神秘的で、瞳の色が真っ赤でなければ神の使いだと思うような厳かさがあった。
ユニコーン。一角獣とも呼ばれる魔物。ゲームに出てくるユニコーンはとても素早いうえに攻撃回数が多い強敵の一人だった。
『我ノ同胞ダ。此奴ヲ使エ。時間短縮ニ成ロウ』
ユニコーンの赤い瞳が志穂を映す。志穂に瞳を細めたと思えば、ゲオルグに視線を向けて『ブフォッ』と不機嫌そうに鼻を鳴らした。志穂は自分が知るユニコーンの生態を思い出す。長く鋭い角には解毒作用があるのだったか。馬や鹿よりも俊敏で、性格は獰猛で勇敢。どんな相手でも恐れず立ち向かっていく。
そして、処女を好む。ユニコーンの視線がどことなく熱く感じる。志穂はぽりと頬を掻いた。
『一角獣ヨ。我ガ主ト人間ノ足ト成レ』
『御意』
ユニコーンを足に使えというのか。思わず額を押さえていると、ついと頬を鼻先で撫でられた。いつの間に傍まで来たのだろう。ユニコーンが瞳を細めて志穂に頭を摺り寄せている。
『サア、私ノ背ニオ乗リナサイ純潔ノ乙女。其方ノ人間ハ正直、捨テ置キタイデスガ、致シ方アリマセン。背ニ乗ルコトヲ許可シマショウ』
はい純潔きましたー。ユニコーンの頬擦りを受けながら、志穂は遠い目をした。ユニコーンが処女好きというのは本当のようだ。志穂を抱いたまま固まっているゲオルグは、目を丸くしてユニコーンを見ている。
ユニコーンの言葉は志穂の頭に直接届く。ということは、ユニコーンの言葉はゲオルグに聞こえない。魔物と話ができないのは不便そうだが、ユニコーンの危うい言動が聞こえてないことに志穂は安堵した。
甲冑に手を借りて、ユニコーンの背に跨る。志穂が乗ると上機嫌に首を上げてふっさりとした尾を振るユニコーン。だがゲオルグが乗ろうとすると途端に耳を伏せ、じろりと彼を睨みつけた。今にもゲオルグに噛みつきそうなユニコーンを甲冑が諭した。不承不承ながらゲオルグが背に跨るのを受け入れて、ユニコーンは鼻を鳴らす。『乙女、落チヌヨウ気ヲ付ケテ。其ノ男ハ落チタラ捨テマス』
ずけずけと歯に衣着せない言いように志穂は苦笑した。ユニコーンの頭をやさしく撫でる。「そんなこと言わないで。彼はとてもいい人だから。フィーアトまでよろしくね、ユニコーンさん」
ユニコーンは『仕方アリマセンネ』と尾を高く振る。その様子を、志穂の後ろに座るゲオルグが複雑な表情で見ていた。
志穂は甲冑とスライムそして荷車から脱出した八咫烏を見た。ユニコーンには彼らが乗るスペースがない。この子たちはどうするのだろう。志穂の視線を受けて、甲冑は『問題ナイ』と言う。パンと手を鳴らすと、ドドドと地響きが聞こえた。土埃を上げながら、すごい勢いで志穂達に向かってくるものがある。なんだなんだと見ていると、それは甲冑の前でキキキキーッと急停止した。止まり切れずに5メートルほど足を引き摺った跡を残す。
『我等ハ此奴ニ乗ル』
土埃に包まれて現れたのは熊と見紛うほどの巨大な猪。猪は、くりくりの赤い瞳で志穂を見ていた。
このこ、ワイルドボーじゃないの。志穂は新たに現れた魔物を見て、あははと乾いた笑いを漏らした。
なかなか話が進みませんが、すでに折り返し地点。
完結までお付き合いくださるととても嬉しいです!!