04
「村の子供が攫われたんだ!」
早口で叫んで、男は慌てて駆け出した。周囲は騒然としていて、その場に留まっているのは志穂達だけだ。男達は各々の家から武器になるものを取りに行き、女性や子供達は不安な表情を浮かべたまま家路を辿る。
いま、なんて。…子供が、攫われた?
突然両肩を掴まれ、しっかりしろと揺さぶられる。ゲオルグだ。彼の瞳に呆然とした自分の顔が映っていた。厳しい表情のまま、ゲオルグが言う。「シホ、お前は村にいろ。おれは行く」
志穂の肩から手を離し、ゲオルグは村人に指示を出す男性に駆け寄った。「おれも、手伝います。足手纏いにはならないかと」「旅人か。すまない、助かる」ゲオルグは荷物から長剣を取り出して腰に差し、佇んだままの志穂を振り返った。静かな瞳に見つめられ、びくりと体が震える。志穂から視線を外し、ゲオルグは男に問う。
「連れがいます。どこか休める場所はありますか」
「うちは宿屋だ。うちで休めばいい」
男は傍らに立つ女性に話しかけた。「おい、案内してやれ」妻らしき女性が志穂へと駆け寄ってくる。志穂を見て目を見開くが、すぐに柔和な微笑みを浮かべた。「あなたはこちらへ。驚いたでしょう。さ」
女性に手を取られ、志穂は慌ててゲオルグを見た。だが既に彼は集まった村人達の輪に加わっており、志穂に背を向けていた。女性が手を引く。志穂の足がゆっくりと動き出したそのとき。
「あんた、すげえ強そうだな! 力貸してくれねえか!」
はっとして振り返ると、甲冑トロールが体格の良い男性に話しかけられていた。志穂は「ごめんなさい」と女性の手を放し、慌てて甲冑の傍にいる男性へと話しかける。
「ご、ごめんなさい。このひと、話せない」
「おっとそうかい。あんたが居れば百人力だわ。できれば手を貸してくれな!」
そう言って、男は村人の輪の中へ加わっていった。志穂は甲冑に近寄り、鎧に包まれた腕をぎゅっと握った。ゲオルグが加わった集団から、目が離せない。
武器を持つ村人から漏れ聞こえる。「子供が三人」「森の中で」「盗賊」「身代金の要求は」「売り目的か」
耳に届く不穏な言葉。
どくん、どくんと。心臓の音がうるさく鳴り響く。
しゃくりあげながら叫ぶ幼い少年の声が聞こえた。「ごめんなさい! ごめんなさい!!」
おにいちゃんたちともりであそんでたの。きれいな虫がいて、つかまえようとしたの。でもにげちゃって。もどろうとしたら、こわいかおのおじちゃんがいて。
少年の声が震えている。村人の隙間から、顔をくしゃくしゃにして大粒の涙を流している姿が見えた。
「おにいちゃんたちが!! ぼくににげろって!!! お、おにいちゃんたちはつか、つかまって!!! お、おね、おねえちゃんも!!! う、うわあああああああああ!!!」
ごめんなさい!! ごめんなさいい!!!
父親らしき男性に縋りついて泣きじゃくる。少年は泥で汚れ服も擦り切れていた。怪我もしているのだろう、肌が見えている場所は所々赤くなっていた。
どれだけ恐ろしい思いをしたのか大人たちに知らせるべく、必死だったのだろう。
志穂はぐっと両手を握りしめた。助けてあげたい。でも、自分には剣を扱う力も技能も何も持たない。土地勘もない。ついていったところで足手纏いになるだけ。判っている。自分は無力だ。
でも、だけど。
志穂はそっと集団に近寄り様子を窺った。輪の中央で、ゲオルグと話していた男性が灯りの下で地図を広げている。この集団のリーダーなのだろう。厳しい表情で地図を睨みつける男性を、周囲の男達が固唾をのんで見ている。
「森のどこかに、奴らのアジトがあるはずなんだ」
リーダーの言葉に周囲の男たちが口々に言いだした。「そうに違いねえ!」「でも詳しい場所はわからねえよ。森は広い」「もう夜だ。闇雲に探すわけにゃいかねえ」「下手に刺激したら子供らが危険だ」「せめて、アジトの場所さえわかれば」
悔し気な男達の声。
なんとか、ならないの。賊のアジトが判る方法、ないの?
ぎりっと志穂が唇を噛みしめたその時、頭に低くくぐもった声が響いた。
『娘』
振り返ると、兜のスリットから覗く赤い瞳が志穂を見下ろしていた。
『我ハ、狼藉者ノ根城ヲ知ル術ガアル』
「!!」
志穂が瞠目する。甲冑の声がゆっくりと紡がれた。
『我ニ、乞イ願ウカ』
「願うわ!!!」
突然叫びだした志穂に、周囲の男達が驚きの声を上げる。だがそんなものに構っていられない。志穂は奇異の目を向けられる覚悟で、甲冑に縋りついて日本語で叫んだ。
「おねがい、手を貸して!! 子供達を助けて!!」
『承知』
甲冑が志穂の手を掴む。鎧越しだというのに、そのしぐさがとても優しかった。
『ダガ我ハ約束シタ。我ノ外出ハ、オ主ヲ伴ウト』
「もちろん。…わたしも行く」
赤い瞳が三日月形に細められる。志穂はこくりと唾を飲み込んで頷いた。
勢いよく振り返り、村人達を見る。男達は怪訝な表情でこちらを見ていた。突然甲冑に縋り、理解できない言語を叫びだしたのだから当然だ。狂人と思われたかもしれない。
志穂は顔を上げて村人の中心へと歩を進める。奇妙な者を見るような視線の中、ゲオルグが心配そうに志穂を見ていることに気付いた。
大丈夫だとゲオルグに微笑み、志穂は甲冑と共にリーダーの前に立つ。
甲冑を見て周囲がざわめきが起こる。「でけえ」「フルアーマーじゃん」「強そう」
周囲の声を聞き流し、甲冑はずいと身をのりだした。広げられた近隣の地図の上。広がる森の一部を指差す。
『娘、根城ハ此処ダ』
「あの!!」
狼藉者とか、根城とか。そんな難しい単語知らない。自分が知ってる言葉で、ちゃんと伝えなければ。
志穂はリーダーの目を見て声を張り上げた。
「悪い人たちの家、ここです!!」
*******
がさりがさりと、男達は闇に包まれた森の中を慎重に進んでいた。灯りはなく、木々の隙間から漏れる月光だけが周囲を照らす。村の自警団団長、クラウスは先陣を切って歩く大男を見た。全身を覆う鎧は闇と同化しているようで、月光を受けて時折ぎらりと煌めく。幼子を抱くように胸元に少女を抱え、少しの迷いも感じられない歩みで森の奥へと入っていく。
いつもならば、夜の動物達の音が聞こえる森だというのに、不気味なほど静かだった。聞こえるのは後ろを歩く男達と己の息遣い。草木を踏み進む音。そして、時折聞こえる、囁く少女の声。甲冑に話しかけているようなそれは、聞き覚えのない言葉だ。
クラウスは前を進む甲冑の背を注意深く見ながら、村での出来事を思い出していた。
子供の証言で、村の子供三人が攫われたことを知った。
村の傍に広がる森の奥には昔から賊が住み着いており、時々旅人や商人が襲われる事件が起こっていた。幸いなことに村に直接な被害がなかったが、何かあっては遅いと自警団を作り、村の若者が中心になって村の警備を請け負っていた。だというのに、みすみす子供達を奪われてしまった。
取り戻さなければ。攫われた子供の一人は、クラウスの姪だった。
ランタンの灯りの下で地図を広げ、クラウスは地図を睨みつけていた。周囲を囲む男達は長剣や斧、鍬まで持ち出してクラウスの指示を待っている。
犯人は森に住む盗賊だ。夜の森は危険だが、奴らは早朝には動き出すだろう。子供達を取り戻すなら今、動かなければ。人買いに子供を売る心算なら、早くしないと手遅れになってしまう。それどころか、慰みもの目的ならば…。最悪な事態を考え、クラウスの眉間にぐっと皺が寄る。
「森のどこかに、奴らのアジトがあるはずなんだ」
どこだ。どこなんだ。周囲がざわめく。闇雲に探すわけにはいかない。森は広い。灯りは、奴らに気付かれるから持っていけない。頼れるのは己の目と月明かりだけだ。だが助けないと。子供達を。ちり、と傷みが走った。力を籠めすぎた拳を開くと手のひらに刻まれた爪の跡からうっすらと血が滲んでいる。
その時、地図に大きな影が落とされた。ぬっと銀色の太い指が地図の一点を指差す。森の奥。それは、どこを指しているんだ。
顔を上げたクラウスは、目の前に聳え立つ銀色の甲冑に目を瞠った。そして、甲冑の手元を覗き込んでいる少女に気が付く。少女は地図に落としていた視線を上げ、まっすぐクラウスの瞳を見た。
「悪い人たちの家、ここです!!」
藍色に染まった周囲に、ランタンの淡い光。それに照らされ、さらりと少女の髪が揺れる。濡羽色の艶やかな髪。淡く照らされた白磁の肌は滑らかで、髪と同じ濡羽色の大きな瞳は、強い意志を持ってクラウスを射抜いた。
月が顔を出し、うっすらと辺りを照らす。月光と、ランタンのオレンジ色の光。
それに照らされ闇の中に浮かび上がる銀の甲冑と闇色を纏った少女の姿。その幻想的な光景に、クラウスだけでなくその場に居た誰もが言葉を失った。
「おねがい、信じてください。子供達たすけたい」
少女の言葉に我に返り、クラウスは地図に視線を戻した。銀の指先と、少女のほっそりとした白い指が同じ地点を指している。そこは、賊のアジトがあるのではと何度か予想された場所の近くだった。
暗く深い森の中を闇雲に探すより可能性はある。クラウスが頷くと、不安げに曇っていた少女が安心したように笑みを浮かべた。
それはまるで、蕾がほころぶ花のよう。少女の微笑みは、クラウスの目に焼き付いた。
*******
甲冑の腕に抱かれ、志穂は永遠に続くかのような暗い森を進む。迷いなく歩む甲冑を心強く思いながら、子供達の無事を祈っていた。どうか、無事で。ぎゅっと胸の前で両手を握る。たくさんの人達が集まってくれているのだ。大丈夫、大丈夫だ。
『娘、スライムを呼べ』
「え」
頭に響く甲冑の言葉に、志穂は戸惑った。「え、でも」背を伸ばして、甲冑の肩越しに後方をちらりと覗く。自警団のリーダー、クラウスという男性を先頭に、たくさんの村人達が集っている。闇で見えないが、ゲオルグもどこかにいるはずだ。
みんな武器を持っている。こんな中、魔物であるスライムを呼ぶのは危険なのではないか。志穂が躊躇っていると、甲冑は草を踏みつぶした。獣道を進みながら、後に続く者達が歩きやすいよう甲冑は視界を遮る枝や、足が取られやすい野草を踏みつぶして排除してくれている。
志穂の目の高さにある枝をぱきりと折り、甲冑は言う。
『我ハ肢体ガ大キク細カイ動作ハ不得手ダ。ダガ彼奴ハ違ウ。必ズオ主ノ力トナロウ』
「確かに、スーちゃんは万能だけど…」
『オ主ガ呼ベバ、直グニ駆ケツケルゾ』
志穂は悩んだが、人命がかかっているのだ。少しでも早く助け出せるならばと頷き、ぐっと手を伸ばして甲冑の首にしがみついた。肩越しに見下ろすと、志穂を見る男達の姿。とりあえずと、先頭を歩くクラウスに話しかけた。
「あの、スライムわたしの友達。とても頼りになる。てつだってくれる、呼ぶいいですか」
「は」
緊張を滲ませていた彼の顔が、虚を突かれたような表情に変わった。志穂は焦った。魔物を友達と言い出す女はどう見えるだろう。狂人か。ああ、今不信感を募らせるわけにはいかない。「あ、あのあの」
「す、すらいむとてもかわいい、子供まもってくれる。すごいかわいい」
しまった。かわいい言いすぎた。
なぜかわいいと2回も言ったのか。大事なことだからか。
あわあわと志穂が焦っていると、ぽかんと口を開けていたクラウスが小さく笑い出した。くっくっと肩を震わせて、ちらりと志穂を見上げる。
「魔物が友達なのかい。不思議なお嬢さん」
「は、はい…」
「魔物はな、俺らの村に悪さしたことないんだ。俺らが憎く恐ろしいと思っているのは魔物じゃない。人を襲い、奪い、時に殺す。同じ人間だ」
お嬢さんの友達なら、心強いよ。なあ?
クラウスの言葉に、周囲の男達も頷く。「今は猫の手も借りたいくらいだ」「猫じゃなくてスライムらしいぜ」小さく笑う声も聞こえた。志穂はほっとして小声で可愛い友達の名を呼ぶ。すると、がさりと茂みが揺れてスライムが飛び出してきた。ぎょっとする村人達を意に介さず、スライムはぽんと高く跳ねて志穂の腕に飛び込む。
甲冑の言った通りだ。志穂はすぐに駆けつけてくれた友達の柔らかな体をぎゅっと抱きしめた。
「スーちゃん、わたし、攫われた子供達を助けたいの。手伝ってほしい」
それに応えるよう、スライムがするりと頬擦りをしてくる。志穂は微笑んだ「ありがとう」
クラウスは、呆然とそれを見ていた。
魔物と友達だという、不思議な色を纏った少女。少女を慕うように応える魔物。
月光しか光源のない森の中だというのに、その光景がとても眩しく映り、クラウスは目を細めた。
今まで水~金曜に更新してましたが、これからは曜日を限定せず更新していきます。
平日更新は変わらずで、土日祝の更新の予定はありません。
ところで春休みって長くないですかね。自分が子供の頃は嬉しかったお休み期間ですが、親の立場になったら「春休みだと…?」と苦々しく思います。日中、子供と何をしたらいいのだ。