03
甲冑大男を見たゲオルグは、とても驚いていた。
旅に同行希望だと言うと、更に驚いていた。
そして、甲冑だけど正体はトロールだと説明すると、さすがのゲオルグさんも両目を限界までかっ開いて硬直していた。
考えてみてほしい。
少し席を外した旅の同行者が、甲冑を着込んだ2mもの大男を連れてきたとおもえば、これは同行希望者だと告げ、しかもその正体はトロールという魔物だというのだ。
瞠目して固まる程度ですんだゲオルグはすごいと思う。
トロールに強引に握手され、その勢いにゲオルグは目を回していた。ふらふらしているゲオルグに申し訳ないと思いながら、トロールに急かされて同行許可をもらえるか尋ねる。頭を押さえていた彼は、ゆっくりと空を仰いだ。
「断れる気が、しない」
それを聞いた甲冑トロールが喜びのあまりスライムを上空に放り投げてはキャッチし始めた。
ちょっと気をつけてよ。スーちゃん落としたら怒るよ。見てるこっちがハラハラしてしまう。意外に感情表現が激しい甲冑だ。その様子をちらりと見たゲオルグがぼそりと呟く。
「…それに、悪い魔物には見えない…」
わかる。
心無しか疲れた顔の彼と視線を合わせ、志穂はこくりと頷いた。
というわけで、甲冑トロールは志穂の旅に同行者となった。
*******
トロール…あえて甲冑と呼ぼう。甲冑を加えた一行は少し休憩してから、旅を続けた。
日暮れ前に野営の準備をするゲオルグや志穂を眺める甲冑は『興味深イ。実ニ興味深イ』と御満悦であった。
その夜。
約束通り寝ずの番を買って出た甲冑とスライムに見張りを任せて、ゲオルグと志穂は天幕で横になっていた。
野営は一度体験しているが、その時は交代で見張りをしたため寝る時は一人だった。だが、今日は二人である。
小さな天幕だ。寝返りでもしようものなら体が触れるだろう。今更だが、志穂は20歳、ゲオルグは17歳。お年頃の男女である。年下なのに、とても頼りがいのある男性。細く見える身体はしっかり鍛えられていて、志穂ひとりなら軽々と抱えてしまう。何度も助けてもらった、力強い腕。表情があまり変わらない彼が時々見せる微笑み。
優しく微笑むゲオルグの顔を思い出し、志穂の頬がかっと熱を持つ。
(いやいやいや何考えてるの。ゲオルグは、保護者。保護者)
衣擦れの音が聞こえてどきりと震える。ゲオルグが身じろぎしたのだろう。些細な音も拾ってしまうほど敏感になっている自分に、志穂は恥ずかしくなった。
明かりのない闇の中、こっそりとゲオルグを見る。彼はぼんやりと天幕の天井を見つめていた。何を考えているのだろう。ふう。空気が震えた。ゲオルグの口がゆっくりと開き、言葉が紡がれる。
「シホは、不思議だ」
囁くような、小さな声だった。
「あの森で、シホを見た時。おれは、とても、とても驚いたんだ」
森の中。月光に照らされ輝く漆黒の髪、闇に浮かぶ白磁のような肌、怯えて震える姿はとても儚げで、今にも消えてなくなりそうだった。瞠目した黒曜石のような瞳から流れる雫は宝石のように輝いて白く艶やかな頬を伝う。それはとても美しく、とても妖しく。ゲオルグを魅了した。
「こんな美しい人間が、この世にいるわけないと思った。…幻かと」
恐怖に震える身体を背負って、その軽さに驚いた。しかし軽いながらもその重みは、闇色を纏った少女が幻ではなく現実だと教えてくれた。
小さく息を吐き、ゲオルグは微笑む。
「…まあ、そう思った女性を知るにつれ、最初の印象はどこかに飛んでいったけど。特に、体力なくて貧弱すぎる」
ポンコツで悪うございますね。
美しいと言われて驚きながらも嬉しいと思ったというのに。志穂がむっとすると、ゲオルグがははっと笑った。
「まさかスライムだけじゃなく、トロールまで懐柔するとは思わなかった。シホはすごいな。シホといると、驚くことばかりだ」
スーちゃんは友達だし、甲冑は懐柔したわけじゃないんだけど。
訂正しようにも上手く話せる気がしない。それに、声を上げて笑うゲオルグが珍しいので、まあいいかと志穂も笑った。
「トロール、ゲオルグ気に入ってた。仲良くなるきっと。わたし通訳する」
「そうなのか。…仲良くなれると、楽しそうだな」
スライムとシホを見ていたら、そう思う。
そう言ってゲオルグがとても優しく笑ったので、志穂は嬉しくなって満面の笑顔を浮かべた。
*******
『この先、ドリットドルフ』
立て看板に書かれた文字を見て、目指す村が近いことを知る。太陽は西に傾き始めており、日暮れ前に村へ辿り着けるか微妙な時間だ。
空を仰ぐと、遥か上空を鳥が飛んでいるのが見えた。
「ゲオルグ、どうする? 急ぐ?」
「…そうだな。急ごう。暗くなる前には村に入りたい」
ちらりとゲオルグが周囲を見回した。志穂も同じように視線を流すと、視界にちらちらと動くものが映る。魔物だ。
行商人が「魔物が街道に出てくる」と言っていたが、ドリットドルフに近づくにつれて数が増えてきた。魔物との距離はずいぶん離れていて近寄ってくる気配はないけれど、こちらの様子を窺っている感じはする。距離はあるのに、見られている。志穂はそっと腕をさすった。
「シホ、乗れ」
『娘、乗レ』
ゲオルグと甲冑に言われて、志穂は苦笑しながら荷車の縁に手を掛けた。ポンコツ貧弱女は、すでに疲労困憊なのである。気を抜くと膝が笑いそうだ。ちなみにゲオルグはけろっとしている。
荷車に乗った途端、ぐんっと身体が浮かび上がった。目の前には甲冑トロールの兜。驚きで目を丸くしていると、兜のスリットから覗く赤い瞳が、笑んだように細められる。
志穂の乗った荷車は甲冑の逞しい腕に軽々と担がれていた。その突然の行動に、ゲオルグも瞠目している。
『我ガ運ブ方ガ早イ。落チヌヨウ注意セヨ、娘』
「こ、このまま運んでくれる言ってる」
そう説明すると、ゲオルグはひとつ頷いて「急ごう」と歩き出した。甲冑も歩き出す。がしゃがしゃと上下に揺れるので、志穂は思わずがしっと銀色に輝く鎧にしがみついた。甲冑の赤い瞳が思案するように揺れ、ひょいと志穂の体が荷車から離れた。そのまま甲冑の肩に乗せられる。広がる視界。
肩車。
20歳になって、肩車。
子供みたいと思ったが、甲冑トロールから見たら志穂など赤子かもしれない。
荷車ごと担がれたときよりも揺れは少なく、志穂は兜に手を回して、陽光がやわらかな橙色に代わっていくのを眺めていた。どこまでも続いてそうな草原の向こうに、小さな集落らしきものが見える。
「あれが村かな。楽しみ?」
『ウム』
問うと、言葉少なではあったが弾んだ声が返ってきた。この甲冑大男を見て、村の人々が驚かないといいなぁと思う。この魔物が、悲しい思いをしなければいい。そのために、自分が出来ることはなんだろう。村の人々を警戒させない方法はあるか。志穂がうーんと考えだすと、甲冑のくぐもった声が頭に響いた。
『娘。オ主、鳥ヲ飼ッテイルカ』
「鳥?」
鳥どころか、ペットを飼ったことはない。元の世界でも、こちらの世界でも。
否定すると、甲冑は『ソウカ』と呟いた。歩みを止めることなく、上空を見上げるよう首を傾ける。
志穂も同じように空を仰ぐ。橙色に染まった空を、黒い鳥がくるりと旋回していた。
*******
陽が落ち、空の橙が藍色に染まりつつある黄昏時に、ようやく村の入り口に差し掛かった。村の近くには大きな森が広がっており、そこにスライムは身を隠す。甲冑は村の灯りを認めて赤い瞳を嬉し気に輝かす。彼はスライムと違って村に入る気満々だ。志穂は苦笑を浮かべる。甲冑の肩からそっと下ろしてもらい、道中で決めた約束事を口にした。
人差し指をぴっと立て、もう片方の手は腰にあてる。こほん。咳ばらいをひとつ。はい注目。気分は教師だ。
「いいですか? 勝手に出歩いては駄目です」
『承知』
「外出したい時は?」
『オ主ヲ伴ウ』
「珍しいものがあっても、勝手に触ったりしては駄目ですよ」
『承知』
「気になるものがあったら?」
『オ主ニ尋ネル』
「よし!」
完璧だ。志穂は満足気に頷いた。「もういいか。行くぞ」志穂が話し終えるのを待っていたゲオルグの言葉を合図に、人間二人と巨漢甲冑魔物一人が入り口をくぐる。
黄昏時だからか、入り口近くに人の影はなかった。並んだ家屋からあたたかな灯りが漏れているがとても静かだ。辺りを見回しながら、ゲオルグが眉を顰める。「…変だな」
「静かすぎる。この時間はどの家も忙しくしてると思うんだが」
「いわれてみれば」
志穂も、村に住んでる時は日が暮れる頃には食事の支度などで家事を手伝っていた。室内で忙しなく動いていたものだが、視界に映る家屋の室内に、人影が見当たらない。住民はどこかに出かけているのだろうか。集会とか? 志穂が小首を傾げていると、脳内にくぐもった声が響いた。甲冑の声だ。
『娘、村ノ中心ニ人間ガ集マッテイル』
ゲオルグに伝え、三人は足早にその場所へと移動した。
村の広場にはたくさんの住人が集まっていた。厳しい表情の男性に、泣きながら何かを訴えている女性。その女性を宥めるように支えている男性。男性に縋りついて泣いている女性もいる。その傍には、小さな少年が父親らしき男性に抱きしめられて大声で泣いていた。その周囲を困った表情の人たちが佇んでいた。
ゲオルグの顔が厳しくなる。その表情のまま、近くに立つ男性に声をかけた。「失礼、何か問題でもあったのですか」
振り返った男性が口を開こうとしたとき、中心部にいた男性が大きな声を上げた。泣いてる女性に訴えられていた人だ。
「腕に自信のある者は武器を持て! 必ず助けるぞ!!」
男性達の太い声が応え、周囲が途端に慌ただしくなる。ゲオルグに話しかけられた男性が慌てたように早口で答えた。
「村の子供が攫われたんだ!」