02
甲冑。
視界の先に甲冑がある。
否、全身を西洋甲冑で身を包んだ人が立っている。
しかもでかい。とてつもなくでかい。志穂の頭二つ分は大きいだろう。
ヘルメットをかぶっているので顔も表情も全くわからないが、すごく見られている気がする。
遠慮もへったくれもない視線に晒されている志穂はじりじりと後退するが、距離が開いた分だけがしゃんと音を立てて距離が詰められる。
なんでこんなことに。志穂は助けを求めるように足元にいるスライムへと視線を投げた。
今日は天気も良く、いつもより暑かった。有酸素運動で血行が良くなったのか汗がたくさん流れた。汗臭くないだろうか。志穂が女子らしいことを気にしていたら、ゲオルグが昼休憩だと言ったのだ。
休憩地から少し離れた所に小さな川が流れていた。ゲオルグに汗を流す許可をもらい、スライムと共に川へ向かったのだ。
川は林の中へ続いていた。流石に旅路から丸見えの場所で衣服を寛げるのは抵抗があった。志穂は周囲を注意深く窺って身を隠すように林の中へ入ったのだ。もちろん、ゲオルグにはジェスチャーで林に入ると伝えている。
タオルを水で濡らして汗を拭い、さっぱりした体で休憩地へ戻ろうとしたときだ。背後から、がしゃんと音がしたのは。
振り返ると、そこには銀色に光る立派な甲冑。
そう、目の前に甲冑があったのである。そして冒頭に戻る。
涙目でスライムを見ると、スライムはこてんと首を傾げるようなしぐさをした。ん? スライムの様子がおかしい。
スライムは志穂の護衛も兼ねている。護衛業も優秀なスーちゃんは志穂が危険な目に合う前に必ず助けてくれるのだ。例えば、小石につまずいたとき。素早く形状を変えてにゅるんと体を支えてくれるのだ。うちのこ素敵でしょう。
だというのに、スーちゃんが甲冑に警戒していない。
志穂はスライムと甲冑を交互に見る。そろりと近づくスライムに気付いた甲冑は、がしゃんと金属の触れ合う音を立ててしゃがみこんだ。しばし見つめあう甲冑とスライム。
(なにこれ、異文化交流? スーちゃんに何かしたら許さないんだから)
志穂は素早く周囲を見まわし、足元に転がっていた太くて長い枝をそっと手に取った。スーちゃんに何かしようものならこれで殴ってやる。ぼっこぼこにしてやる。そこらへんに転がっている枝がぎらぎらに光るプレートアーマーに勝てるわけないが、志穂は震えながらも気丈に甲冑を睨みつけていた。
どれくらい二人は見つめあっていたのだろう。数秒だったのか数分だったのか。突然甲冑ががしゃんと立ち上がり、ぐるんと勢いよく志穂を見た。ヒエッ。思わずのけぞるが、宥めるようにスライムが志穂の腰をぽんぽんと叩く。
『娘、我ノ声ガ聞コエルカ』
「へっ?」
くぐもった声が、頭に直接響いてきた。ちょっと聞き取りにくい。
ぽかんとしていると、甲冑ががしゃがしゃと近寄り、志穂と視線を合わすように少し屈む。頭部全体を覆っている円筒形兜の視界部分にはスリットがあり、そこから2つの赤い光が見えた。目だ。
赤い瞳。スライムと同じ。志穂はその色をじっと見つめた。
「…あなた、魔物なの?」
『然リ』
日本語で問うと、甲冑は小さく頷いた。
なるほど、だからスーちゃんが警戒していなかったのか。同じ魔物だものね。志穂はうんうんと頷く。スライムと同じ赤い瞳に恐怖は生まれなかった。志穂が恐れないことに驚いたのか、甲冑から覗く瞳が大きくなる。
『我ヲ恐レナイノカ』
「そうね。この子が警戒していないから、危ない人じゃないと思うわ。あなた話せるのね。私の言葉も判る?」
『…我、スライム族ヨリ知識ガアル。故に話スコトハ可能デアルガ人語ヲ操レル訳デハナイ。オ主ノ言葉ハ判ル』
「判るのね、よかった。じゃあ日本語で続けるけど…確かにあなたは声を出してないよね。なんというか…耳じゃなくて頭に直接語り掛けられてる感じがする」
甲冑は重々しく頷いた。
『思念ヲ送ッテイル』
「なにそれこわい」
志穂は思わず顔を顰めた。耳をふさいで「ちょっと喋ってみて」と甲冑に言う。『コレデ良イカ』頭に響くくぐもった声。耳をふさいでも聞こえる。これが思念。テレパシーってこういう感じだろうか。
耳から手を離すと、甲冑ががしゃんと地面に腰を下ろした。『座レ、娘』
甲冑の正面に座ると、スライムは静かに志穂の隣に移動した。甲冑はスライムをじっと見ていた。見つめあう二人を眺めていると、志穂の視線に気づいた甲冑が姿勢を正す。『魔族同志ハ、思念デ会話デキル』
『オ主、其奴ニ随分ト慕ワレテイル』
「そうなの? ふふ、嬉しい。私もこの子が大好きなの」
隣に座るスライムの頭を撫でると、嬉しそうにぷるんと揺れた。志穂はにこりと笑う。『信頼シテイルノダナ』甲冑の声が幾分柔らかくなったように思えた。
『我ノ声ヲ理解デキル人間ト邂逅スルトハナ。オ主ハ不可思議ナ娘ヨ』
「思念を送って話せるんじゃないの?」
『言葉ヲ交ワセタノハ、オ主ガ初ダ。何度カ人間ニ思念ヲ送ッタガ、通ジナカッタ』
「…じゃあなぜ私は通じるの?」
『判ラヌ。故ニ不可思議ナ娘ダト言ッタノダ』
異世界人だからか。もしかしてこれが異世界人パワーか。心当たりがあるとしたらそれしかない。それ以外の理由は見当もつかない。
魔物が判らないものが自分に判るわけがないし。志穂はふぅんと適当に答えた。ふと沈黙が落ちたので、志穂は気になっていることを聞くことにする。志穂の知るゲームに、甲冑姿の魔物はいなかったのだ。
「ところで、甲冑さん」
『…我ノコトカ』
「そう。あなた、その姿が本体なの? …あ、ええと。言い方が悪いね、ごめんなさい。その甲冑、着ているの?」
『コレカ』
甲冑はがしゃんと腕を上げて、己の腹部分に手を添えた。
『我ノ肢体ハ醜悪デナ。コノ風貌ダト見目ハ人間ト変ワラヌ。故ニ、恐怖ヲ与エナイト考エタ』
果たして、そうでしょうか。
志穂はにこりと微笑んだ。うん、林からいきなり甲冑が出てきたら十ニ分に怖い。魔物じゃなくても怖い。『恐ロシクナカロウ?』甲冑の問を、うふふと笑んで華麗にスルーした。
『トキニ、娘』
「はい」
『我ハ、人間ニ興味ガアル』
「そうなんですか。それはどういう興味で? 破壊衝動とかじゃないよね」
当然ダ。甲冑は頷く。よかった。志穂はほっとした。
『我ハ人間ヲ知リタイ。故ニ、正体ヲ隠スベク鎧ヲ纏ッタ。コノ姿ナラバ警戒サレヌハズ。ダガ我ヲ見タ人間ハ皆逃ゲル。何故上手クイカヌ…遺憾ダ』
そら逃げるでしょうよ。志穂はうんうんと相槌をうった。
しかし、人に興味を持つ魔物もいるのか。自分とスライムのように、仲良くなれる人が見つかればいいけれど、巨漢の甲冑だと難しいだろう。
『娘、旅ヲシテイルノダロウ。其奴カラ聞イタ』
「はい、シュロス城まで。その途中です」
『我モ、同行サセヨ』
…うん? いまなんつったこの甲冑。
固まる志穂を気にすることなく、甲冑の言葉は頭に響き続ける。
『我ヲ連レテ行クノナラバ、オ主ノ旅ノ手伝イモ請ケ負オウ。人間トハ不便ダ。魔法モ使エヌ上ニ食事ヤ睡眠ヲ取ラネバ衰弱シ死ニ至ル。ダガ我ハ食事モ睡眠モ不要。昼夜問ワズ、オ主ヲ災イカラ護ロウ。我ヲ上手ク使エ』
「えっ、え?」
『娘、オ主ハ我ト伴ニ人里ヘ立チ寄ルダケデ良イ』
「いやでも私と一緒に全身フルアーマーな人がいたら流石に目立ちまくるんだけど。警戒されまくるけど」
ただでさえ、志穂の黒髪は目立つのだ。そこに巨漢な西洋甲冑が付き添ってたら怪しすぎるのでは。正体がバレたらどうするのだ。鎧を脱がない限りバレないような気もするが。
無理だと首を振る志穂を静かに見つめて、甲冑はふぅーと重くて長い溜息を吐いた。変に人間くさい魔物だ。
『…娘。我ハ永年生キテイルガ、言葉ガ通ジタ人間ハオ主ノミ』
空を見上げてゆっくりと語る甲冑。
『我トオ主ガココデ出会ッタノモ、縁ダト思ワヌカ』
虚空を見つめながら語る甲冑。
『ソレニ、コノ辺リハ野盗ガ出ル。奴ラハ夜ヲ狙ウ。娘、我ハ縁ヲ感ジタオ主ヲ護リタイ』
「甲冑さん…」
『我ノ頼ミヲ受ケ入レテハクレヌカ』
縁とか護りたいとか。迂闊にもきゅんときた。やばい。この甲冑嫌いじゃない。
甲冑の真摯な言葉に、志穂は困った。そこまで言うなら一緒に連れて行ってもいいかなと思う。目立つだろうが。それはもう、とてつもなく目立つだろうが。なんせ推定2mの巨漢である。
正直言って、野営の見張りをしてくれるのはとても魅力的だ。野営ではゲオルグと交代で見張りをしたが、優しい彼は自身の休憩時間を削って志穂を休ませるのだ。志穂がゲオルグに起こされたのは夜明け頃で、彼はそこから3時間ほど休むだけだった。
この甲冑を着込んだ魔物が居れば、ゲオルグの負担も軽くなる。
むむむと考える志穂が口を開くのを、甲冑とスライムは静かに待っている。
「…私の旅はシュロス城まで。お城で用事が済んだらエアストドルフまで戻って、旅は終わるの。その間だけでも、いいの?」
『構ワヌ』
「この旅には、もう1人一緒に来てくれてるの。その人の許可が出たら、甲冑さんを受け入れる…それでも構わない?」
『構ワヌ!』
がしゃん! 大きな音を立てて甲冑が立ち上がった。志穂も腰を上げて、こっちだよと甲冑を案内するべく歩き始める。
「そういえば、甲冑さんはどんな魔物なの」
『我ハ、トロールダ』
へえ、トロール。トロール!?
志穂はぎょっとした。ゲームにもトロールはモンスターとして登場する。登場するが、こんな序盤ではなく物語中盤以降のフィールドモンスターとして出てくるのだ。
ずんぐりむっくりした巨大な体と醜悪な顔で攻撃力も高く、戦闘で出会うとその攻撃力の高さゆえに毎回死にかけたものだった。
そんなトロールが人間に興味を持ち甲冑を着て旅についてくると言う。しかも雑務も請け負うとな。
この甲冑トロールは、悪い魔物ではないと思う。しかしゲームの印象が印象なだけに、安心し難いのも事実で。
「…早まったかなぁ」
嬉しそうに隣を歩くトロール(甲冑装備)を見て、志穂はこっそり溜息をついた。
甲冑魔物は趣味です。好きです。