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突然はじまる異世界生活 01

サブタイトル付けました。本文は変更してません(3月4日)

 

 頬に当たる冷えた感触。むっとする濃い緑のにおい。瞳を開けると緑が映った。草だ。どうやら自分は雑草の生えた場所に横たわっているようだ。

 手足に意識をやると、痛みを感じることなく動いた。違和感もない。両手で上体を支えて身を起こす。手には小石交じりの土の感触。頬に当たっていたのは土だったのか。

 ゆっくりと周囲を窺う。夜の帳が下り始めた薄暗い空間。そこにぼんやりと浮かぶ木。暗いと感じるのは時刻だけのせいではない。自分のまわりは背の高い木々に囲まれている。呆然とそれを見上げた。風に誘われて、草木がざわざわと揺れる。緑と草と土の香り。こんな場所知らない。心臓は煩いくらい鳴り始め、背中に冷たい汗が伝った。


(なにがどうなっているの)


 如月 志穂。20歳。大学2年生。そう、覚えている。自分にはちゃんと記憶がある。自分に何があった。思い出せ。

 志穂は混乱する頭を片手で押さえながら座った。穿いているデニムにこすれて、野草のにおいがぐっと濃くなる。何かが足に触れた。見ると、中身の詰まった鞄が2つ転がっている。これは、自分の物だ。手を伸ばして鞄のひとつを抱きしめた。通学用に使っている鞄。足元に転がっているもうひとつは、いつも持ち歩いている買い物用のマイバッグだ。しっかりと中身が詰まっている。

 そうだ、自分は買い物をしていたのだ。夕日が空を橙色に染めていた。大学の授業を終え、最寄りのスーパーに寄ったのだ。今日は豚バラのブロック肉が安かった。目当ての品を購入し、何を作ろうと考えながら歩いていた。志穂はその時間が好きだった。一人暮らしなので少しでも節約をしようと、出来るだけ自炊をしている。毎週末にまとめて料理をし、一食ごとに小分けして冷凍保存をしていた。大学で帰りが遅くなるとき、小分けされたおかずは便利だ。角煮は必ず作ろう。冷凍しても大丈夫だったはず。そんなことを考えながら歩いていた。そう、いつもの、代り映えのない時間を過ごしていた。そして。

 そして、いま、ここにいる。


(わからない)


 簡単に自身の状態を確認する。草の上に寝ていたから枯れた草や土汚れが付いているくらいで、何もおかしなところはない。灰色の厚手のセーター、デニムにコートそしてスニーカー。通学鞄や買い物バッグからも失ったものはないように思う。ではなぜ。こんなところに。

 何かの犯罪に巻き込まれたのだろうか。気が付かぬ間に、見てはいけないものをみたのか。そしてこの場所に捨てられたのか。ご丁寧に、荷物も一緒に。


(それは…ないよね)


 その場合、荷物は別の場所に捨てるか、元の場所に放置ではないだろうか。今日はまとめ買いをしたので、買い物バッグは結構な重量だった。どう見ても荷物になるそれを、志穂と一緒に運んだりはしないだろう。たぶん。おそらく。それに財布も無事だった。ならば、財布の中に入れている保険証も学生証も無事だろう。

 荷物から顔を上げると、周囲が先ほどよりも暗くなっていた。このままだと何も見えなくなってしまう。どこかに灯りはないか、立ち上がって周囲に目をやるが、乱立した木々がさわさわと鳴るばかり。ここは森なのか。近くに民家はあるのだろうか。

 とりあえず、移動しようと荷物を抱え、志穂が歩き出そうとしたそのとき、背後からがさりと音が聞こえた。まだ距離がありそうな小さな音だったが、志穂の体はびくりと震えた。そっと背後を振り向く。かさり。再び音がした。ごくりと唾を飲み込み視線を向ける。視線の先には、闇と木と雑草の隙間からこちらを見ているような2つの赤い光が見えた。


「……ひっ」


 息を呑んで、志穂は後退りした。野犬か。獣か。野犬に襲われる経験なんて今までない。身を守る物も武器も何もない。どうしよう。どうしたらいいの。

 志穂は2つの赤い光を凝視したままじりじりと後退する。踏んだ草の香りがじわりと辺りに漂うが、赤い光は変わらずそこに在り続ける。ずるり。嫌な音が赤い光から聞こえてきた。ずるり。ずるり。赤い光は目のようだった。ぎらぎらと不気味に光る赤い瞳。それがじっと志穂を見ている。ずるりずるり。志穂の足は恐怖で震えていた。動けない。瞳を見開いて立ち尽くす志穂に、それはゆっくり近づいてくる。逃げなきゃ。どこに。逃げないと死ぬかもしれない。でもどこに逃げるの?


 ここがどこかもわからないのに。


 逃げた先にも、同じものがいるんじゃないの?


 粘度のあるどろんとした物体が、木々の隙間から覗く月光に照らされた。それは、志穂の腰辺りまである大きさのものだった。バランスボールのように丸いが、動くたびどろんと形が崩れる。赤い瞳がじっと志穂を見ている。がさがさがさと、どこからか草のこすれる音が聞こえた。けれど志穂は赤い瞳をただ見つめていた。それしか出来なかった。動けなかった。こんなもの、みたことがなかった。私は死ぬのか。ここで。こんな、わけのわからない状況で。志穂の瞳からつうと涙が零れた。ぺたんと地に座り込んでしまう。腰が抜けたのだ。

 どろんと、目の前の物体が大きく縦に伸びた。赤い瞳が志穂を見下ろしている。そして、そのまま志穂を飲み込むように大きく広がった物体は。

 ぱしゃんと弾けて、志穂に、草に、地に、液体を降らせた。


「無事ですか」


 突然の出来事に呆然としている志穂の耳に、低い声が響いた。不思議な声だった。聞こえたのは日本語だが、テレビの多重放送のようにそれと重なって、聞きなれない言葉も聞こえたような気がした。

 先ほどまで生きて動いていた物体が存在した場所に、長い棒を持った男が立っていた。声の主はこの男なのだろう。男の足元には小さなランタンが置かれ、周囲を明るく照らしている。棒はべちゃりと濡れており、それであの物体をどうにかしたのであろうことが分かった。


「スライムが人を襲うなんて…珍しい」


 手にした棒を見ながら男が呟いた。二重に聞こえる言葉に、自分の耳はおかしくなったのだろうかと考えながら、そっと男を窺う。ランタンの灯りだけではよくわからないが、男は少年と青年の中間くらいの年齢に思える、少し幼さの残った顔を不審気に顰めていた。男が志穂を見る。志穂はびくりと身を竦ませた。あの恐ろしいものから助けてくれたからといって、男が自分の味方とは限らない。もっと恐ろしい目にあうかもしれないと志穂はがくがくと震えながら男を見ていた。男は困ったように眉を下げた。


「そんなに脅えないで下さい。夜の森は危険です。とりあえず、うちに来るといい」


 男は志穂の手を引いて、志穂の腰が抜けてることに気付くと志穂を背負った。志穂はぎょっとして抵抗しようとしたが、体に力が入らなかった。抗議しようにも、声が出ない。ひゅっと喉が鳴っただけだった。自身に起こった出来事に体が参っているのだろう。自分の無力さと、荷物のように背負われている現実に絶望し、志穂は(どうにでもなれ)と体の力を抜いた。

 男が地に転がった荷物を見た。「これはあなたのですか」志穂が小さく頷くと、その荷物を軽々と担ぎ、男はランタンの灯りを頼りに歩き出した。


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