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痛っ。
思わず顔をしかめて、ゆっくりと目を開けた。
ずきずきする肩の痛みで叩き起こされる――できればまだ寝ていたいような、そんな気分。
今横たわっているのが大きめのソファだということをぼんやりと感じて、
「え……?」
一気に目が覚めた。
――そうだ、俺は……あの時、撃たれて。その後……どうなった?
怪我をした肩には綺麗に包帯が巻かれている。しかし、ここは啓さんの病院ではない。
だったら、俺が今いるここはどこだろう。
そっと体を起こすと、刺すような痛みが走った。
すぐ目の前の窓から見えるのは、すっかり暗くなってしまった外の景色。得体の知れない不安と焦燥に襲われる。が、隣の机に自分の携帯があるのを見つけて少しだけほっとした。
とりあえず……今は何時で、ここはどこなのか。それだけわかればありがたいし、啓さんに連絡できたらなお良い。
そんなことを考えながら机の上に手を伸ばした瞬間、
「手を下ろしなさい。振り向かないで。何かしようだなんて思わないことね、私はいつでもその頭吹っ飛ばせるんだから」
若い女性の声と同時に、ひんやりとしたものが後頭部に突き付けられた。
どうしようもなく嫌な予感がする。
「よくもまああんな所にぬけぬけといられたものね。〝あの後〟、どこで何してたのよ。……洗いざらい吐きなさい。ごまかそうとしたらどうなるか、わかるでしょ? ……ゼレイド」
続く彼女の言葉に、俺は反射的に「は?」と聞き返しかけた。この人は、何を言っているんだ。全く心当たりがない。
〝ゼレイド〟って誰だ。〝あの日〟って、いつのことだ。
焦る思考を落ち着けようと、深呼吸する。この混乱を背後の彼女に悟られてはいけないような気がした。
人違い、だろうか……? まさか。
この状況で俺に――おそらく銃口を突き付けている彼女が、さっき俺を撃ったのと別の人物だとは考えにくい。
だとしたら、屋上で目が合ったあのときに見ているはずだ。俺の、片方だけ青い右目を。顔がそっくりな上に目の色が左右違うところまで俺と同じ奴なんて、いるとは思えない。
人違いでなければ、出てくる結論は1つ。彼女は、記憶を失う前の俺を知っていた。
しかしその言葉を聞く限り、俺と彼女は良好な関係ではなかったようだ。「覚えていない」と言ったところで、信じてもらえるかどうかすら怪しい。だとしたら……どうすればいいんだろうか。
考えを巡らす沈黙を、彼女は否定と捉えたらしい。次の瞬間、俺の目のすぐ横を真紅の光線が走った。
撃たれた時のことが脳裏に生々しく蘇って、頭の中が真っ白になる。
「ぁ――」
金縛りにあったかのように、体が動かない。そんな間を、彼女は許してくれなかった。
「吐きなさいって、」
シャツの襟を引っ張られて、ソファに倒れ込む。するりと俺の前に回り込んだ彼女は、
「……っ!」
「言ってるでしょ……っ!」
叫ぶと同時に、俺の怪我している方の肩に思いっ切り膝を、
「ああああああああああああああッ!」
目の前の景色が真っ赤に光って、その後真っ白に染まった。
痛み以外何も認識できない時間が、おそらく数秒……数時間のようにも感じられた。
「……話す気になった?」
ふっ、と彼女が力を緩めた。
ちかちかする視界に、色彩が戻ってくる。傷のある方の右手の指先が、まだ微かに痙攣していた。
体に力が入らない。そもそも、何かするような気力も残っていなかった。
「正直に話したら……信じるのか」
震える声で言った。
目の前の彼女は、何も答えない。その容姿は想像していたよりもずっと幼かった――俺と同じくらいかもしれない――が、睨みつける視線の威圧感が薄れることはなかった。
「……俺、さ。去年の三月より前の記憶がないんだ。だから……悪いけど、君の質問には……答え、られない」
頼りない声を振り絞ってそれだけ言う。恐怖のせいで、語尾が震えながら消えていくのは抑えられなかった。
「……今、何て?」
彼女は拍子抜けしたように、呆然と呟いた。
「いや、言わなくていい。『覚えてない』? ――ふざけないで!」
絶叫して、俺の胸倉を掴み上げる。
「私、わたしあんなに言ったのに! 何でもないことみたいに約束を破っておいて……そんなの、ないじゃない……ッ」
俺の頬で、温かい雫が弾ける。気の強そうな彼女の瞳が、涙で歪んでいた。
「馬鹿っ……!!」
絞り出すように告げられた彼女の次の言葉に、一瞬息が詰まるような感覚を覚える。
「心配、したんだから……っ」
「心配……かけた、俺が……?」
半ば独り言のように呟く。
以前、同じことを、同じような表情をした人に言われたのを思い出す。けど――目の前の彼女のことは、何も思い出せなかった。
何があって、俺は何をした? 俺は〝誰〟なんだ。
喉元まで出かかった言葉はしかし、唇を微かに震わせただけだった。
――あんなに知りたかったことの答えが目の前にあるのに、『知りたくない』と思う俺がいた。
「…………」
お互いに無言のまま数秒が過ぎる。
何も言えないまま呆然としていると、俺の襟を掴んでいた彼女の両手から不意に力が抜けた。背中からソファに落ちて、右肩に走る痛みで顔をしかめた。
「……ごめんなさい、熱くなった。今さらだけど楽にして。本当に覚えてないんだったら……あんたの話、しないわけにはいかないわよね」
それでもなお不機嫌そうな顔で、少女はため息を吐いた。
「早とちりして悪かったわね。私の名前……は、わからないか。茜って呼びなさい。あんた、今の名前は?」
「あ……涼崎、氷雅」
反射的にそう答えると、茜と名乗った少女はふぅん、と目を細めた。
「涼崎……ね。そう。……ちょっと待って。話の前に――」
彼女は俺からさっと視線を移して、
「――凪。いるんでしょ? 盗み聞きとか、趣味の悪いことしてないで出てきなさいよ」
「別に盗み聞きがしたかったわけじゃない」
茜の言葉に部屋のドアの方を見ると、そのわずかな隙間から、長い黒髪と同じ色の瞳が覗いている。
「どこから聞いてたの」
「悲鳴の辺りから」
足音も立てずに部屋に入り、ドアをそっと閉めた彼女は、苦笑とも呆れとも取れない表情を微かに滲ませていた。
「茜が……ごめんなさい。薄々気づいてると思うけど、事情が複雑で。もうちょっと付き合ってほしい」
ちらりと見やると、当の本人は文句でもあるのかと言わんばかりに俺を睨みつけていた。慌てて目をそらす。
俺の過去……か。
知ってしまったら、涼崎氷雅としての日常は失われてしまうんじゃないか。知りたくないのは、そう思うからなのかもしれない。でも、今さらそんなことは言っていられないのだろう。
『あのー』
そのとき聞こえてきた声が、俺を現実に引き戻した。
顔を上げると、3人目の声の主は……壁に、映されている……?
透き通ったストレートの金髪を指で弄びながら、まるで壁の中からこちらが見えているかのように俺に微笑みかける。
『どうも、初めまして。あ、壁にはカメラ付いてないですよ。まあ私のことはおいおい説明するとして。茜、凪、私は氷雅さんに話をするなら後ででもいいと思いますけど?』
聞きたいことは色々あったが、話が進まなくなってしまうので口は挟まない。いや、挟もうとはしたのだが。……色々ありすぎて、結局何を言えばいいかわからなかった。
「後で?」
聞き返す茜に、壁の中の彼女はこくりと頷く。
『一応は怪我人だし……。茜が追いかけまわしたせいで疲れてるだろうし。最終的には氷雅さんの選択次第ですけど。でも、今日じゃなくて、明日なり明後日なりちゃんと休んでからでもいいと思います』
「私だったら気になって眠れないわ、それ。まあ聞いたところで考えすぎて眠れないんでしょうけど」
「氷雅」
凪、というらしい黒髪の少女に突然名前を呼ばれ、顔を上げた。
「どうする? 私は今話した方がいいと思う。貴方は、それでも大丈夫? それとも、今日は休む?」
「あ……えっと……大丈夫」
身体は大丈夫でも、心の準備ができていない。思わず頷いてしまった後でそう気づいたが、もう遅かった。




