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 記憶喪失の人間が、忘れていたことを思い出したときにどう思うか。一度、調べてみたことがある。


 いかんせん『記憶喪失』なんてものの実例が少ないから、いくらインターネットの発達した現代とはいえ情報は満足に得られなかった。


 やっと見つけた数少ない情報の中にあった、とある医者の言葉。


 ――失っていた記憶を取り戻せば、大方は『記憶のない状態』でのことを忘れてしまう。


 それを見つけたときのことを思い出し、そっと身震いする。過去を思い出せないことと、今を忘れてしまうこと。どちらが恐ろしいかなんて、俺にはわからない。



 涼崎(すずさき)氷雅(ひょうが)(仮名)。多分、17歳。昨年3月より前の記憶が、ありません。



 あの日目が覚めたらどことも知らぬ病院で、俺は何も覚えていなかった。身寄りもなく、知り合いも誰一人見つからない。結局、その病院の院長である涼崎(すずさき)(けい)さんに引き取られて、彼に今まで面倒を見てもらっていた。


 俺は誰で、今までどんな風に生きてきたんだろう。どうして、過去の記憶がないのか。いつか、思い出すんだろうか。忘れちゃいけないことが、あったんじゃないか。

 『涼崎氷雅』には、何もわからない。



 ビルの屋上に寝転がって、ずっと、取り留めもないことを考えていた。


 水曜日の夕方。誰もいない、そこだけが時代に置き去りにされてしまったような廃ビル街の一角。2つの大学を中心にして学校や寮が建ち並ぶこの街の最外周部であるここは、学生で賑わう中心部とは打って変わって誰もに忘れ去られてしまったかのようで、再開発の気配すらなかった。


 考え事がしたいとき、一人になりたいときは、いつも自然と足がここに向かう。静かで、誰にも邪魔されないから、落ち着くのかもしれない。


 多分建物自体には鍵がかかっていて、ここに来られるのは同じパルクール――フランス発祥の、障害物を乗り越えながら移動するスポーツ――サークルに所属しているような奴らだけだろう。


「……帰ろうか」


 いつの間にかすっかり暗くなってしまった空に呟く。


 あくびを一つして、目をごしごしとこすって、


「――あ、」


 コンタクトを忘れてきたことに気がついた。


 度が入っているコンタクトなら、きっとすぐ気づくのだろうが……俺のコンタクトには、度が入っていない。そもそも目は悪くない。それに、普段コンタクトをしているのは右目だけだから、余計に気づきにくいのだろう。


 虹彩異色症。要するにオッドアイ。俺は右目が青で、左目が黒かった。


 今なら、かなり遠目でも左右で違う目の色がはっきりとわかってしまうだろう。ごく親しい友人たちもこのことは知らないから、鉢合わせたりしたら中々面倒なことになりそうだ。


 まあ、上手にショートカットしながら行けば、ほとんど〝下〟に降りなくたって帰れる。


 と、そのときポケットのスマホが振動していることに気がついた。音声通話、それも唐突にだなんて、今時珍しい。


 寝転がったまま着信に出る。


「もしもし?」

『氷雅? 今どこにいる!?』


 掛けてきたのは、酷く慌てた声をした啓さんだった。


「いつものところだけど。どうしたんですか?」

『今日コンタクト忘れて行ったでしょ!? 早くそこから離れて! 急いで!! そこはまずい!』

「――え?あの、どうして……」


 いいから早く!! とただ急かす啓さんに、俺は困惑することしかできない。しかし啓さんがこんなに焦っているのは初めてで、その危機感はなんとなく伝わってきた。


「わかった……とりあえず、切りますよ」


 戸惑いつつそう言って通話を切り、仰向けの体を起こしたのと、〝それ〟は同時だった。


「……っ!?」


 背筋に、ぞくぞくとしたものが走る。誰かが、俺を見ている……?


 辺りを見渡す。『誰か』を見つけるのに、そう時間はかからなかった。


 正面のビルの屋上に、人影。目が合った途端、全身が凍り付くような感覚を覚える。敵意と言っては生ぬるいような、それは――きっと、殺意。


 その視線に射貫かれたように、指先一つ動かせない。なのに、目の前の光景は異様にゆっくりと見える。紅い目をした誰かが、俺に指を差す……いや、あれは――。


 深紅の光が、俺の頬を掠めて遥か後方に消えて行った。


 ぴりっとした痛みを感じた途端、金縛りが解ける。


 半ば転がるようにして、非常階段に飛び込んだ。


 今のは……何だったんだ。


 手の甲で頬をぬぐうと、赤い線が一筋。


 あの時一瞬見えた〝あれ〟は……拳銃、のように見えたが、しかし飛んできたのは弾丸ではなく光線。そんなものは見たことがない――でも、そんなことを言っている暇はないかもしれない。


 背筋が凍る殺気を、射貫くような視線を、未だびりびりと感じていた。


 直感した。逃げないと、殺される。

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