八百屋な少年の厄日
王都シルバリオン――
青天。なんの変哲もない日だった――
ジークはいつものように早起きをして八百屋を営んでいる父ゲオルの手伝いをする。
もうすぐ12になるので一人前になるために修業中だ。重い荷物運びはジークが率先して行っている。
「父さん、これはここでいいの?」
「ん? トマトか? それは前の方に陳列してくれ」
「わかった」
丁寧にトマトを箱から出して一つ一つ見栄えがいい様に並べていく。もうすぐ朝市が始まるのだ。それまでに商品である野菜を並べてしまう。
「ナスはどこ?」
「トマトの奥だ。ガキ共に届かない位置に置いとけ」
ガキ共というのは孤児やスラムの子供たちだ。外側に置いている野菜なんて簡単に盗んで持っていってしまう。それを見越して安い野菜を外側に、高い野菜を子供が届かない内側に置くのは八百屋にとっての常識なのだ。
「あれ? でもナスって高かったっけ?」
「最近高騰してるんだよ。なんでも西からモンスターが流れて来てんだ」
「え? モンスター?」
「ゴブどもが野菜を食い荒らしてんだとよ。まったくあの醜い奴らには困ったもんだ」
ゲオルがいうゴブというのはゴブリンの事だ。たびたびゴブリンは人間が住む街の近くで繁殖しては野菜を食い荒らすことがある。
「ふーん」
別段ジークには興味が無かった。しばらくしたら冒険者か騎士団やらが駆除してくれるだろう。その程度にしかとらえていなかった。
「口はいいから手を動かせジーク」
「はーい!」
トマトもナスもきれいに並べていくと、だんだんと市場に人が集まってくる。市場を行き交う人々は笑顔が絶えない。老若男女に多様多種の種族が入り混じっている都市シルバリオン。
このシルバリオンという国には人種人種差別も無ければ、奴隷もいない、関税もない。
天才鬼才の国王が全てを取り仕切っている。
大陸最強と言われている天馬騎士団に守られていてモンスターに襲われることも無ければ、戦争を吹っかけられたこともない平和な国だ。
「おはようジークちゃん朝から偉いねぇー お父さんのお手伝いかい?」
恰幅のいい獣人族【猫科】のおばちゃんが野菜を求めて八百屋へとやってきた。
「おばちゃんおはよう。もう俺だってもうすぐ12だよ! そろそろ独り立ちだって考えてるってのに、子供扱いはないよ」
「あらあらもうそんな歳だったかぃー 子供が大きくなるのは早いねぇー」
「もうこのやり取りも100回以上してるんじゃないのっ」
「あははは!そうだったねぇー でもジークちゃんは女の子みたいに可愛らしいから心配で心配でねぇー」
「もうそれも耳にタコができるぐらい聞かされたよ!」
おばちゃんが言うとおりにジークは同年代の男子に比べると身長が小さい。さらに顔が中性的で来ている服次第では女の子に間違われることも多々あった。銀色の長髪がさらにジークの女の子らしさを際立てている。
比べて父ゲオルは何処にでも良そうなムキムキのおっさんだ。
「ジークはママ似だからな!」
「父さんまで言わなくてよろしい!」
「「あははは」」
ゲオルと獣人のおばちゃんに笑われてジークがソッポを向いた。すると顔を向けた方向の空に何かが見えた。
「なんだあれ? 鳥? でも鳥にしたら大きすぎるような・・・モンスター? 父さん! あっちの空に何か見えるよ」
ジークが指を刺した方向へ近くにいたゲオルが顔を向ける。
遠くの空に小さく何か飛んでいるものがハッキリと見えた。
「なんだ? 鳥ではなさそうだな」
「うん。なんかのモンスターかな?」
「だろうな。鳥だったらあんなデカくはないだろうよ」
「おばちゃん見える?」
「猫科の獣人の視力なめんじゃよぉ んん? なんだい!? ありゃドラゴンだよ!」
急に慌てだしたおばちゃんにジークは少しビックリしていると雲一つない青天にいくつもの影が差した。
空には天馬の騎士団の大隊が出動したのだ。
「へー 野菜くうのかな?」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ! ゲオルにジークちゃん! 早めに避難しときな!」
「なんで? 天馬騎士団が倒してくれるでしょ?」
「ドラゴンはそう甘くないんだよっ 天下の天馬騎士団でも勝てないかもしれない。あたしは死にたくないからね、逃げるとするよ」
そう言い残して獣人のおばちゃんは帰っていった。
危機感が全く無いジークはおばちゃんが慌てた意味が理解できなかった。それはゲオルも同じだ。
「あ! おばちゃん野菜の代金はらっていってない」
「まあ明日にでも貰えばいいさ」
「そっか! そうだね」
朝市に来ていた人々も空の様子がおかしいと気付き始めた。おばちゃんのようにドラゴンの脅威を知っている人々はすぐに逃げ出し、脅威を知らないシルバリオン生まれの人々はいつものように朝市を再開していた。
「今日は売れ行きが良くなさそうだね」
「客が半減した所為だな。ドラゴンをさっさと追っ払ってもらわなきゃ商売にならんな」
「うん。せっかくの新鮮な野菜がもったいない」
「こういう日もあるってことだ。トマトはペーストにしてしまおうか」
「わかった器具と瓶持ってくるね」
ジークは朝市から少し離れた自宅へとトマトをつぶして混ぜる器具と詰めて売るための瓶をとりに帰った。
「ただいま」
「あら? 早いお帰りね、どうかしたの?」
家に帰るとジークの母フレイが裁縫をしていた。
ジークと同じ銀色の長髪が良く目立つし三十代なのに十代後半にみえる。ジークは知らないが、実はフレイは王都シルバリオンでも三本指に入るほどの美女だったりする。なんでそんな美人がゲオルなんかと結婚したのか・・・ご近所の七不思議の一つだ。
「トマト潰す奴どこだっけ?」
「どうかしたの?って聞いているのに質問で返すのは止めなさい。まずはママの質問に答えるのが先よ」
帰って早々説教されそうになったジークは嫌な顔をしてフレイに先ほどの事を説明する。
「えー なんかドラゴンが来た所為で売れ行き良くないからトマトをつぶしちゃうんだって」
「なんて説明が下手糞なのかしらうちの子は・・・あれだけ語学を覚えさせたのにまったくダメじゃないの。あとでお勉強のやり直しが必要ね」
「ぜったいヤダ!」
「はぁー 見た目は私にそっくりで可愛いのに中身があの人にそっくりになちゃって・・・あなたの将来が心配よママは」
「そういうのはいいから! 潰すやつどこ?」
「倉庫を入って左にある棚の三段目の奥よ」
「あそこか! ありがと母さん」
ドタドタと走って倉庫へ行くジークを見送るフレイは自然とため息が出てしまった。
「教育方針を間違えたのかしら」
なんてつぶやきはジークに聞こえることも無く、ジークは倉庫からトマトをつぶす器具と瓶を両手に抱えて家を飛び出した。
再びゲオルの元へ戻ると朝のにぎわいが全く無くなっていた。ドラゴンの飛来と天馬騎士団の出動というイレギュラーな事態でみんなが家へと帰ってしまったのだ。
「えー 閑古鳥が鳴いてるよ」
ジークはせっかく持ってきたのにと文句を言いながらゲオルの元へと戻る。すでにゲオルも店じまいを始めていた。
「遅かったなジーク。おまえはトマトを全部潰す担当だ。父さんは野菜を冷凍倉庫に持っていくから頼んだぞ」
「はーい」
ゲオルはリヤカーに山積みにした野菜を引いて冷凍倉庫がある方へ行ってしまった。
冷凍倉庫は高価でたかだか八百屋が帰る様なものでは無く、借りている。朝市から少し離れた所に一軒家サイズのを八百屋や魚屋などかお金を出し合って借りているのだ。
ジークは誰もいない朝市になんだか寂しさを覚えつつもトマトを器具に入れて潰してペーストにしていく。
完全につぶれたら瓶に詰めていくという繰り返しの作業だ。
作業を始めて数分。たくさんあるトマトを見てジークは嫌気がさしてきていた。
「父さん仕入れすぎだよ。潰すの飽きたし、帰ったらお勉強が待ってるし、もうやだー」
完全に嫌になったジークはトマトでジャグリングし始めた。
二個から三個、四個とトマトの数を増やしても器用なジークには余裕だった。
「こんなんでお金稼げないかな。 いてっ」
いつの間にか戻ってきていたゲオルに小突かれる。
「くだらない事やってないで終わらせろ」
「まだ半分も終わんないんだけど」
「そのくらい余裕で終わられられないと一人前の八百屋には慣れないぞ? 父さんは先に帰っているから、終わったら瓶は全部冷凍倉庫へとしまってから帰ってきなさい。いいね?」
「はいはーい」
作業を再開したジーク。もくもくとこなして集中した。次第に周りの音が聞こえなくなって、トマトをつぶすこと以外なにも考えなくなった。
結局、終わったのは昼前だった。もう腕が痺れて仕方ないジークはその場にごろりと寝転がった。
「やっと終わったー! つかれたー!」
空を見ると――
巨大な黒いドラゴンと何十物数の白い天馬騎士団が壮絶な戦いを繰り広げていた。ジークは集中して何かをすると周りが一切見えなくなるクセがある。音や視覚などの情報をシャットアウトしてしまうのだ。その所為で空でドンパチやっていることに全く気が付かなかったのだ。
「え?」
人間は本当に恐怖すると体が硬直し思考が停止する。まさにジークはその状態だった。
固まって上空を見上げていると、ドラゴンと天馬騎士団の闘いに決着がついた。
一騎の天馬騎士が光を纏った剣を振りかざす。
断末魔のような叫び声がシルバリオンに響き、ドラゴンの首と胴体が両断された。
そしてドラゴンの生々しい鮮血が滝のようにジークへと降り注いだのだった。