夢の改題 20071214の眼球
新しいキーボードを購入したので試し打ち。
茶軸だとかなんとか店員が云っていたけれど、なかなかの打鍵感。
モノマニア;単一の思考、感情に没頭する偏執狂的症状
僕たちは今日、一と多、内部と外部、主観と客観、正気と狂気、夢、或いは妄想気分と現実、生と死といった二項対立の思考に閉じ込められている。それは日本という国の西洋化によって著しく表面化しているとは云え、これをしも時代の要請とばかりに飲み込み、片を付けることもできない。西洋化の最たるはその応接の仕方に在る。在りのままに受け止めるのでも、剴切に弁別するのでもない。僕たちは二項対立の問題に処して、これを矛盾によってディコンストラクト(脱構築)するという作業に明け暮れ没頭している。
寒気に眼を覚ますと、夜が明けていた。
こごまった身体を煎餅布団に伸ばすと、一度大きく身震いする。寒さは貧相な夜具によるばかりでない。もう四月になるというのに、こうも薄ら寒く、息苦しいのは、天井に空いた半径三十cm程の穴の所為だ。室内の健康な暖気や充分な酸素を、その大口空けてぽっかりと虚ろな穴ぼこがどこかへと吸い込んでいる為だ。
自分は穴ぼこからの流出に対処する為に、それがぴたりと塞がるだけの木板を用意し、釘を打ち付けて当面の措置としたのだが、これは拙かった。流出が止まる代わりに、室内の空気は更に重苦しく淀み返って、ほとんど堪え難いばかりとなり、挙句に部屋に面した木板が腐食し、そこから厭らしいキノコが生えた。湿気も酷かったので、木板は結局取り払ってしまった。
自分は煎餅布団から這い出て、顔を撫で擦りながらパッケージから振り出した煙草に火を点けてみる。吐き出した煙がどのように天井の穴に吸い込まれるのか、様子を見てみたかったのである。そこに力学上の発見がありはすまいか、或いはなにか形而上的の閃きの如きものがありはすまいかと淡い期待を寄せて、自分はぷかぷかと煙を吐き出した。
けれども、吐き出された煙は一向、穴に向かって吸い込まれてゆく気色もない。立ち上るか細い煙の一筋は、中空に壊れて悠然とあたりに漂うばかりである。
してみるとあの穴は、何も換気扇のように強かに室内の空気を排出しているのではなく、むしろそこから冷たい外気がこちら側へと流入しているのかも知れない。それにしては空気の流れの感じられないことや、外気の暖かいことなどが不思議であった。
煙草を一本吸い終えると、卒然と自分は穴を塞いでいた木板を玄関に放置していたことを思い出した。いつか捨てよう捨てようと思っては非常に億劫であったので、アパートメントの室外洗濯機の脇に立てかけたままにしてあったのだ。
サンダルを履いて外に出ると、あたりは暖かな春の陽気である。チョウチョなぞ飛んでいるし、空き部屋の隣室の扉が僅かに開いていて、自分がそちらに眼を遣ると、扉は敏感に反応して、嬉しそうにぱたぱたと開閉した。
さて、例の板はどうかと云うに、確かに自分は室外洗濯機の脇に立てかけておいた筈なのだが、どうにも見当たらない。叢や車のなかを探しても見当たらない。自分はすっかり途方に暮れてしまって、呆然と立ち尽くしていたところを、道の向こうから二人の男子学生が通りかかった。
一人は自転車に乗り、ゆっくりと走行しながら、もう一人はその傍らにお互いの速度を合わせ、げらげらと眩しく笑いながら行進している。自分はなんとなく気後れするようだった。自転車の学生と擦れ違うとき、鎖骨の辺りがちくりと痛んだ。
通り過ぎた彼らを振り返ると、こちらを指差してにやにやと笑い始めて、自分は強烈な羞恥に耳まで赤くなって、無様にも周章狼狽する。
自分の傍には何時の間にかオレンジ色に頭を染めた友人が控えて、大層面白くない顔を彼らに向けている。自分は気が気でなく、彼らから眼を背けて事態の穏便な収束をひたすらに願った。
学生の嘲笑は止むことなく、いよいよ我慢のならぬ友人は学生に詰め寄ると、何事かを喚き立てている。あっと言う間に剣呑な雰囲気となってしまって、学生の一人が背中からなにか長物を取り出すのが見えた。
振り抜く様、光って見えたので一瞬刃物かと慄然としたが、学生の正眼に構えたところを見ると、それはぬらり光る刃物ではなく、安手の蛍光灯であった。珍妙なことに手に持った先にはスイッチがあり、自立式に薄ぼんやりと発光しているのである。それは自分に子供の頃に観たSF映画の主人公たちがめったやたらと振り回していた武器を彷彿とさせた。
友人は悠然と拳を構えて、軽快にウィービングなぞしながら、彼の動向を窺っている。大上段から蛍光灯が振り下ろされると、友人の身体はそれに全く同期して、繰り出された一撃にアッパースウィング気味の拳を見舞った。
すっぱーん、と気の抜けた音がして、蛍光灯は微塵に砕け散る。辺りに光の粒子が飛び散った。
その瞬間、辺りには自分一人であった。
空には数え切れないほどに無数の蛍光灯が、きゅうりのように垂れ下がっていた。オオ、と自分は呻いた。
一本辺りの光量は薄ぼんやりと頼りない限りであるが、こうも数があっては堪らない。額に押し当てられる熱線から逃れようと、自分はアスファルトに蹲り地表へと額づいた。ところへ、垂直に垂れ下がった蛍光灯の一本が落下し、自分の後頭部へぽこん、と可愛らしい音を立てて着地した。
オオ、と自分は呻いた。想像を絶する吐き気が込み上げ、抑え難い胃液の噴流が咽喉奥から放出された為である。自分は奇妙な快美感を覚えつつ、後続する蛍光灯の落下に身を任せようと思った。そうして、飛散する光の粒子と、それに照らし出されたスパンコールのように煌びやかな吐瀉物の海へと抵抗なく身を横たえた。
いつ止むとも知れぬ落下の末、自分は消えるのだろうか、それとも、終に空に吊る下げられた蛍光灯は消尽し、その光を永久に失うのであろうかと考えた。
そうして、もしも自分が変わらずここにあって、一本でもあの蛍光灯が砕け散ることなく残ったのなら……。
自分はあの蛍光灯を手に入れたい。この硬い、地表から守らなければいけない。けれども、自分の背中や首筋に着地した蛍光灯は端から壊れてゆく。オオ、オオ。
涙と鼻水と光と吐瀉物。自分は、あれらの内一本でもこの手にすることが出来たのなら、そのときは手にしたそれであの穴ぼこを覗いてみようと思った。
――本当の美は、完全な抽象であるべきだ。
手にした林檎に噛み跡を見つける。
それが他ならぬ自分自身の歯型であることを熟知している。
見る間に褪色する果肉と蚕食する信仰という形の雛形。
モノマニアとは、生活一般に敷衍した酷く雑駁で猥雑なネクロフィリアであり、ピュグマリオニズムの謂いであろう。
それで、穴ぼこばかりが気になっている。
かつてこれを飲み込んだかのように思える東洋的無常観というものも、この文脈に於いては無力感の換言に過ぎない。
最近少しく眼の悪くなった僕は、良く視力の快復ということを考えている。
やっぱり人間、壮健であるに越したことはない。