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過去の恥部を晒してでも間を繋いでゆく。


 平生、夢をみること自体珍しい僕がそれをまざまざと記憶しているのは、なにも奇妙な夢想劇のなかにあって珍妙な体験をしたから、という訳ではない。むしろそういった奇天烈な、均衡を欠いた喜劇やなんやかやは記憶しようと努めてはみるものの、いざ覚醒してみるとその全体が呆としてはっきりしない。断片的に鮮烈なイメージの残像が脳裏にいくつも浮かんではくるのだが、それは細切れにされたフィルムのようでもあり、なんとか物語の骨子を再構築しようと悪戦苦闘するうち、イメージそのものの強度が失われてしまう。無意識下の現像室から持ち出されたフィルムは意識の光に照射された途端、見る間に退色する。となれば、僕がこの夢をはっきりと記憶に留めているという事実は、それが無意識下からの顕現ではなく、僕自身が意識的に操作監督をしてみせた即興劇のようなものなのかもしれない。それが無意識に行われていたのだから、ともかく自動的なものであると断ずることは容易であったけれども。酷く嘘寒い心持ちだが、妙に現実味のある夢であったから。

 

 僕は電車に乗って隣町に向かっていた。実家を飛び出したまでは良かったが、家を借りようにも仕事が見つからず、仕事をしようにも家が見つからない状態で、仕方なく知り合いの部屋に泊めて貰っているときの話だ。金には酷く窮していた。住む家と仕事を都合して後もなにかと出費が続き、とうとう立ち行かなくなったので金を借りることにした。友人が紹介してくれた隣町にある街金である。

 

 目指す建物は直ぐに見つかった。駅裏のうらびれた区画に、木造立ての古びた事務所。今時珍しい引き戸の硝子は経年劣化で白く濁り、僕が戸に手をかけるとキシキシとしゃくりあげた。事務所のなかには大きめの応接テーブルと椅子が三脚。部屋の両端に大仰な書架が迫り出しており、奥手に申し訳程度の調度品が乗っかった机。三和土にはピザ屋の広告が埃に塗れていた。土足厳禁という訳では無さそうだった。事務所の主は僕に気がつくといやに愛想の良い笑顔を作りながら、椅子をすすめた。無造作に黒髪を後ろに撫で付けた年若い男で、僕と十は違わないだろうと思われた。色合いの落ち着いた海老茶のスーツに、ワインレッドのエナメルシューズ。僕はすすめられた椅子に腰掛けながら、男の靴を凝然と眺めていた。


「それで、今日はどういったご用件で?」


「お金を借りにきたんです。ちょっと生活費が足りなくて」

 

 男が短く、ほっ、と呟いた。僕はそれが酷く癇に障った。そうそうに用件を済ませてこのみすぼらしい建物から立ち去ろう。金を借りるのは廃していっそこのまま遁走してしまおうかとも考えた。


「生活費、ということでしたら。手続きは簡単なものですよ」

 

 男は敏捷であった。手元のフォルダからいくつかの書類をざっと抜き取ると、手早くそれをテーブルの上に広げ始める。そうなるとこちらも腰を上げる訳にもいかず、黙って男の説明を聞くことにした。


 ブランク。


「でも、利子が大分つきますよ? 払えますかね」


「働いてはいますし、大丈夫ですよ。きっと返します」


「……契約書に判を押したら、これを履行する責務が貴方に生じることになる。貴方はその責任を負うことが、できますかね?」


「だから、大丈夫ですって。必ず返しますから」


「判りました」

 

 そう言って、男は笑った。僕はなんとはなしに肌寒くなり、身動いだ。

 

 あれ程念押しをしたにも関わらず、以降の折衝は僅か三分で終わった。幾許かの現金を財布に収め、事務所を後にした僕はなんとも狐につままれたような心持ちでいた。


 夢はここで終わる。僕が事務所を後にしたとき、スムーズにこの夢想劇と現実とが反転され意識が覚醒する。ところで、諸兄は酒に酔って正体を失くし記憶を失って倒れたことがあるだろうか? 僕は恥ずかしながら、そういった経験が少なからずある。だから、これは知識ではなく、もっと実際的な経験からものを言うのだが……。非現実と現実との余りにスムーズな反転。これは酩酊に酷似しているような気がしてならない。僕は深酒をして倒れた翌朝、自分が記憶を失っているということに気がついていなかった。非現実と現実の合間に泰然と横たわるブランク。その空白の存在を指し示す指示者とは僕自身の意識なのだろうか。それが全自動的に行われたとして、それは意識下の行為であるのか。冒頭で口にした嘘寒い心持ちとはこのことだ。実際、馬鹿馬鹿しい話だと思う。

 

 しかし、僕はそこに妙な現実感を覚える。既視感のような……。

 

 借金をしたことなどないと断言できる。そもそも、あの街金での会話もあやふやなものだ。当時の僕がそこにいたとして、実際に金を借りられたかも怪しいところだ。

 

 ただ、なにかを借り入れたという実感だけが、胸の内に澱のように蟠っている。強烈な現実感を伴う感覚は罪悪感などではなく、際限の無い自己猜疑。なんといっても身に覚えの無い話だ。されど一蹴することのできないのは、この胡散臭い代行者のみせた夢に対して反駁するだけの確信を持てないでいる為である。

 

 僕はあそこで、どのような契約を結んだのだろう?

 

 そして、その利子は今、どれほどに膨れ上がっているのだろうか……。


                                                      Fade out










夢の内容を精査する。大抵の場合、面白くない結果が待っているというのに、逐一それを書き留めてしまうということ。自己分析など云う、自涜の魔。

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